第九十五話 少女とオーク
「こいつーっ!」
パンジャンドラムが空間のズレに突進した。
めくれにしがみついていた妖精が血相を変えると同時に、ズレた長方形の上辺から次々と他の妖精たちも顔を出した。
妖精たちはそれぞれ、長方形上辺を手で掴んで持ち上げているようだった。
だが迫り来るゴブリンを見て、手を離して飛び去っていく。
ズレた長方形は支えを失った垂れ幕のようにはらりと地に落ちていき、そして輝く鱗粉となって掻き消えた。
その向こうには山はなく、ただ鬱蒼とした森が広がっているだけ。
「ちくしょーっ、戻ってこーいっ!」
パンジャンドラムが両手を振り上げ怒鳴っていた。だが妖精たちは彼の手の届かない高さまで飛び、ホバリングしながらアッカンベーをキメると、くすくす笑いながらそれぞれ森のどこかへ飛んで行ってしまった。
後に残ったのはパンジャンドラムの鼻息の音だけ。
「マスター、ボクたち騙されたですか?」
「そのようだな」
あの長方形、どうやったのかは知らないがスクリーンのような物だったのだろう。妖精たちはあれに山の斜面の風景を映し出し、ずっと俺たちの左側を飛んで迷わせていたのだ。
こちらへ戻ってきたパンジャンドラムへ、
「一杯食わされたな」
「……ごめん、ロス君」
「君はまったく悪くない」
「あの妖精さんたちがイジワルです!」
「……でもどうするよ?」
パンジャンドラムはあたりを見回した。
俺たちは我知らず大森林のどこかへ足を踏み込み、そしてそこがどこなのか、どのあたりなのかも知る方法がない。
俺は上を見上げた。
巨木の葉の隙間からほんのわずかに空が覗く。その色は薄く紫がかっていた。
「夕暮れが近いな」
「まずいなあ。野宿かな」
「シャイニング・マツタケ探して食べるですよ」
これほどの森ともなれば、夜になると何も見えなくなるだろう。
俺は《ナイトヴィジョン》のスキルがあるし、おそらくパンジャンドラムもそうだろうから、特に困ることはない。
しかし問題は、夜の問題がなかろうと次の朝になろうと、どこへ行けばいいかわからないという現実は結局変わらないということだ。
俺が思案しているのと同じように、パンジャンドラムも打開策を考えているのだろう、顎に手を当て黙している。
そうやって俺たち3人がむっつりと黙り込んでいる時だった。
どこかから、絹を裂くような女の悲鳴が聞こえた。
「……ロス君、今の聞こえた?」
「ああ、行ってみよう」
そうは言ったがラリアが、
「マスター、また妖精さんのイタズラかもですよ……」
コアラは疑心暗鬼になっているようだった。
ついさっきの出来事のせいかと思ったが、過去を振り返ってみれば俺とラリアの2人は常に誰かにハメられ続けていたような気がする。幼い子供が他人を信じられなくなるだなんて、中世はまったく恐ろしいところだ。
俺は言った。
「念のためだ。どうせ他にアイディアもない」
パンジャンドラムの方はと言うと、彼はすでにライフル片手に走り出していた。
生い茂る草や垂れ下がる蔦をかき分け走る。
声の主はそう遠く離れてはいなかった。
発見したのは先行していたパンジャンドラム。
しかし彼は、
「うっ……」
と呻いて立ち止まった。
追いついた俺は彼の肩越しに前方を見やった。
大木の一本を背にして、1人の少女がいた。
それを取り囲んでいる2人の大男。
オークだった。
2メートルを優に超えるだろう身長、丸太のような太い腕。ラグビー選手ですらこうはいくまいというサイズの太ももが、腰蓑状の下履きから2本伸びている。
そんなオーク2人が、1人の少女を捕まえ、彼女の口を手でふさいでいる場面だった。
「てっめえらッ!」
《パンジャンドラムはバヨネットファイティング・プロフェッサーのスキルを発動しています》
パンジャンドラムがいきなりつっかけた。
「ま、待ってくれ、おれたちは……」
「うりゃあッ!」
まるで話し合いの余地もなく、パンジャンドラムの銃床がオークの1人を襲った。ひょっとしたら彼はさっき妖精に遊ばれたことで機嫌が悪いのかも知れない。
オークは銃床をその太い腕で防ごうとした。しかしパンジャンドラムの初撃はフェイント、上から振りかぶると見せて、オークが腕を上げるやいなや尋常ならざる速度でライフルを反転させ、下からのカチ上げに切り替えた。
「ぐふ!」
銃床がオークの太鼓腹にモロにめり込んだ。が、オークは少したたらを踏んだだけで、昏倒まではいかなかった。
少女を捕らえていた方のオークが叫んだ。
「逃げろグレイクラウドは! ここは食い止めるおれが!」
そして少女を離し、素早くパンジャンドラムと、腹をおさえたオーク(グレイクラウド?)との間に立ちはだかる。
「かかってこいおまえは! 相手をするおれが!」
オークの手を離れた少女は1度尻餅をついた。俺が手招きをすると、オークとパンジャンドラムを回り込みこちらへ走ってくる。
パンジャンドラムとオークの格闘は特にこれと言って興味を惹かれるものではなかった。大柄かつ屈強なオークに対し、小柄なパンジャンドラムの方が圧倒的に押していることを除けばだが。
「やめろランドッグは! もう行こう!」
グレイ某がそう叫んだ。同時にパンジャンドラムは銃剣格闘の最中、器用にライフルのレバーを引いた。
撃つ気か。
ふと、パンジャンドラムの後頭部に、赤い点が映った。
小さい、光の点。
「パンジャンドラム! 後ろ……」
《パンジャンドラムのサッキ・レーダーが展開されました》
俺が叫んで振り向くのと彼のスキルが危険を察知したのは同時だった。
背後には誰もいない。
「マスター、上!」
ラリアの声に木々を見上げる。枝葉の隙間。何かいる。
姿は見えない。
だが空間が、小さな人型に歪んでいる。
透明の何かがいる。見つけた瞬間。そいつが轟音とともに、こちらの方へ光を発射した。俺は少女を抱き抱え、
《ザ・マッスル、ウルトラスプリントのスキルが発動しました》
横っ跳びに避けた。
直後、すり抜けた光弾が背後で爆発を起こす。
巻き上げられた土がばらばらと落ちてくる。
俺はその中で木を見上げた。
さっきの奴はいない。
「パンジャンドラム、無事か!」
やや遅れて、
「ぺっぺっ……ああ、そっちは?」
「問題ない。オークは?」
あたりを見回した。
視界の中にパンジャンドラムが入ったが、彼もキョロキョロと周囲に視線を巡らせている。
深くえぐられた土と舞い散る草葉の中、彼は呟いた。
「……逃げられたね」




