第九十一話 カスケード
ガスンバへ向けての山脈ルート。
よく晴れた空の下、雄大な山脈が続いていた。
遠くの高い山の頂には溶けずに残った雪がまばらに積もっているのが見える。
山道の両脇には黄色い花が、そよ風に揺れていた。
俺とラリア、パンジャンドラムはその山道を歩いていた。
「山脈越えならこの道が一番楽らしいんだよね。オレ、サッカレーに来る時はここを通ったよ」
背に荷物を担いだパンジャンドラムがそう言った。
俺は一応山脈の地図を持っていたが、それを開くことはしていない。パンジャンドラムが道を知っているそうだからだ。
「ロス君、あの辺りで、昼飯にしない?」
パンジャンドラムが前方を指差して言った。
前方には滝の流れる岩場が見えていた。
雪解けの水が流れる小さな滝が幾つも連なり、荘厳な風景が造られていた。
連滝だ。
岩場に腰掛け、俺とパンジャンドラムは荷物からパンを取り出した。
《ザ・サバイバーのスキルが発動しました》
ラリアに手渡し、3人で滝を眺めながら食べる。
水飛沫の中に小さな虹が見られた。
水面に何かの虫が2匹、互いに絡みもつれ合いながら飛び交っている。
カゲロウだろうか。
カゲロウの繁殖の季節はいつだったろうか。
いや知らないな。
「……ロス君て結構無口だよね。何か喋ろうよ。食事には楽しい語らいが必要だよ」
声に目をやると、パンジャンドラムがパンに噛みつきつつこちらを見ていた。
「何についてだ」
「えーっと……今後の方針について……とか?」
「ゴースラントヘ行く」
「……でしょーね」
彼はしばらく口をモグモグ動かし、パンを飲み込んでいた。
サッカレーで合流した後、彼はある意味、なし崩し的に俺とラリアについて来ていた。
鉄道での一件では、彼の助けがなければこうしてもいられなかっただろう。
だがよく考えてみれば俺は彼とはそう長い付き合いの知り合いというわけでもなく、しかも一度はタイバーンで別れた仲だ。
彼は今ガスンバへの道を知っていて、案内してやると言ってくれたから、ここでこうして食事を共にしている。
だがそれも、ある種の成り行きのようなものだった。
「なぜ俺たちを助けてくれたんだろう?」
俺がそう訊いた時、パンジャンドラムは水面のカゲロウだかトンボだかを見ていた。
だがやがて振り向き、
「あ、今のオレに言ったの?」
「ああ。山賊砦の近くにいた時は、ヌルチートの相手なんかしたくないと言っていたのに」
「そりゃ、あの……ちょうど暇してたからさ」
することもないし。パンジャンドラムは足元の小石を爪先でいじりながらそう続けた。
「ありがとう」
「え?」
「君が来てくれていなかったらラリアはやられていた」
彼は頭をかいて、「へへ、まあそれほどでも……」とトンボを見ながら笑った。だが振り返って、
「いや、ロス君も危なかったでしょ」
「俺のことなんかどうでもいい」
「ボク、マスターが死んじゃいやですよ! ゴブリンさん、マスターを助けてくれてありがとうです!」
「どういたしまして。話はよくわからなかったけど、みんな無事でよかったよね。なんつーか……あのハル・ノートって奴も」
俺はパンジャンドラムに、ハルとサッカレーの問題、そして彼が前世で起こした事件をすでに話していた。
「……まさかあいつが、能登晴人容疑者だったなんてねえ。あの事件、オレの大学でも話題になってた」
しみじみ呟いたパンジャンドラム。
彼は大学生らしい。正確には、だった、か。
「オレ、大学生だったんだ」
だろうな。自分でそう言った。
能登晴人が事件を起こしたのは、たしか俺がトラックに轢かれる数ヶ月前のことだった。
事件が彼の大学でも話題になっていたというなら、その後に俺は死んだということになる。では彼もまたその前後に死んだのだろうし、当然彼が大学生以上の年齢になっているということはないはずだ。
つまり……いや待て。
「パンジャンドラム。君は幾つなんだろう?」
「21歳だったよ。まだ大学も卒業してなかったのになあ……」
「違う。今の年齢だ」
「……今? えーっと……ゴブリンの村じゃ年齢数える習慣あんまりなかったからなあ。たぶん……18歳くらい? いやわかんないや」
ハル・ノートの年齢は幾つだったか。
おそらくパンジャンドラムとそう変わらないのではないか。
今の俺ことロス・アラモスも、見た目にはそのぐらいのように見えなくもない。
「君はなぜ死んだんだろう」
「あ、聞いちゃう? このパンジャンドラムさんの壮絶な死に様」
「君さえよければ」
パンジャンドラムは地面を見ながら話し始めた。
「えっとねえ……夏休みに入ってすぐのことだったよ。実家に帰ろうと思って駅に行ったんだ。地元の友だちと遊ぶ約束しててさ、お盆まで地元にいようと思って。それで……駅の外で若い女の人を見かけたんだ。スーツ着てた。
「なんつーか、挙動不審でさ。キョロキョロしてんの。何だろって思ってたら、黒服にサングラスの奴らがワーッて走ってきてさ。
「女の人がそいつらに追われてるみたいだった。女の人、オレんところへ走ってきて、助けてって言うんだよ。いやあの、どうしろっていうね。オレ、とにかくその人の手を引いて駅に飛び込んだよ。
「なんかその日に限ってさ……構内に人がいねえんでやんの。駅員さんに助け求めようとしたけど、通路とかに人がいないんだ。
「距離はあったけど、追いつかれそうだった。通路にさ、関係者以外立ち入り禁止ってドアあるじゃん? オレとりあえずそこに女の人を入れて、ドア閉めたよ。たまたまそこに黒いゴミ袋が落ちてたから、オレそれを拾って広げながらながら逃げたね。
「いやまあグラサンの奴ら、ゴミ袋を女の人と間違えてオレを追ってきた。カッコつけて屋内でグラサンなんかかけてるからそんなことになるんだ。そんでさ、適当なところで袋を捨てて、あとは知らんぷりしようと思ってたんだよ……」
パンジャンドラムは1度そこで言葉を切った。
そして俺をじっと見て、言った。
「撃たれた」
「……何?」
「銃で撃たれたんだ。背中だったけど、それで転んで、振り返ったら、あいつら拳銃持ってた。リボルバーだったね。それですぐ、目の前真っ暗になって……」
ため息をついたパンジャンドラム。
「……何者だったんだろう?」
「さあ……あの時ほどM4ライフルを持ってればよかったと思ったことはなかったねえ」
何だか少し、彼に対して申し訳ない気持ちが生まれてきた。
サッカレーの山賊砦で彼と落ち合った時。
ハル・ノートの排除に出かける旨を伝えた際、彼は乗り気ではなかった。
俺はあの時、そんな彼に冷たい態度を取ったような気がするが、こうして考えてみると彼の気持ちもわからないでもない。彼は他人のことに首を突っ込んだ結果死んだらしいからだ。
いや、それは置いておこう。
今気になる点はだ。
『パンジャンドラムは死んだ後この異世界へ転生し、それから20年近くが経過している』という事実だ。
ハル・ノートもそうだった。
サッカレーで結局彼の生い立ちをほぼ全て聞かされるハメになったが、そのおかげでやはり同じようにそのぐらいの時間経過があるのがわかった。
……では俺は?
「目が覚めた時さ。俺、気絶してたんだなって思ったんだよ。そしたら、目の前にすげーイカツいモンスターの顔があってさ。何だったと思う?」
それからパンジャンドラムの身の上話が始まった。
結論から言うと、そのイカツいモンスターとやらは彼の母親だったらしい。母乳を与えようとしていたことを理解するのにだいぶ時間を要したそうだ。
俺は気になることがあったので半ば聞き流していたが、とにかくパンジャンドラムは自分が前世の記憶を持ったまま転生してしまったことを理解し、成長してからゴブリンの集落を出たのだそうだ。
「数が増えすぎちゃってねえ。狩場の獲物の取り合いになるからってことで、時々追放っていうか、群れの一部を分散させなきゃいけないんだ。俺はそれに乗っかって、集落を出ることにしたんだ」
日本もそのぐらいであれば保守派の肩の荷も下りるのだろうに。
いや、日本も戦前は一度それが行なわれていたっけか。
「それで幾つか国を回ったんだけどさ。ここが日本……っていうか地球とは全然違う場所なんだって受け入れるのは時間かかったよ。剣と魔法って、マジでゲームじゃないんだからさ」
あの時はブラジルに送られたのだったか。結局ブラジルは日本以外で最も日系人の多い国となっていたはずだった。そんな国が日本とちょうど地球の真裏にあるというのだから不思議なものだ。
……いや違う、そんなことを考えている場合ではない。
「それで、ロス君は?」
いつの間にかパンジャンドラムが俺を見ていた。
「それで、とは」
「だから、どうして異世界に来たのかとか、こっちに来てからどうしてたのかとか」
「いつも通りだ」
「いつも通りって?」
「仕事をしていた」
「冒険者?」
「そうだ」
「その前はどうしてたの?」
「トラックの下でもがいていた」
「こっちで生まれた時は? 家族とかいるんでしょ?」
「いない」
「孤児なの?」
「パンジャンドラム。君と会ったのは、俺がこの異世界にやって来た翌日のことだ」
「えっ…………」
パンジャンドラムは目を大きく見開いて固まっていた。もともと大きな目ではあるが、今や完全に球になっていた。
「えっと……あれって、何週間か前の話じゃない?」
「俺は日本で死んだ次の瞬間、もうタイバーンの林にいたんだ」
彼が今度は眉根を寄せた。
俺は先手を取って言った。
「どういうことかなんて訊かないでくれよ。俺もよく呑み込めていない。トラックに轢かれてアスファルトに倒れたと思った時には、林に立っていた。わかっていることはそれが全てだ」
「どういうこと?」
「訊くなと言ったろう」
パンジャンドラムは顎に手を当て唸り始めた。考え込んでいるのだろう。
考えて何かわかるようなことなのだろうか。
ほぼ同時期に死んだ3人が異世界に転生し、そのうち2人は親に育てられ成長した。
うち1人は、過去もへったくれもなく林でエルフに強姦されそうになった。
この数のパズルピースをどれほど並び替えてみたところで、どんな絵柄も完成しないように思えた。
あともう一つのピースと言えば……。
「君は女神を見たか?」
「めがみ、何? プカロ=ラッハのこと?」
「何だそれは」
「集落のゴブリンたちが信仰してた女神。みんなその像に安産祈願してたよ。臍が5つぐらいあるキモいデザインの神で……」
「それじゃない。白いワンピースを着た女神だ」
「ああ……結局ラストはどうなったか知ってる? 連載が終わる前に死ぬだなんて」
「服の方だ」
「いやぁ……見たことないけど」
今度は俺が考え込んだ。
もっとハル・ノートと話すべきだったと思った。彼は女神を見ただろうか?
何かがおかしかった。
どこか噛み合っていないような気がする。
女神は言っていた。
俺が死んだことは予定にないと。
予定にないとは、どういうことだろうか。
それが他の転生者と違い、ロス・アラモスには思い出話がないことと関係があるのか。
ふと、前世で子供の頃、父になじられながら勉強したことが思い出された。
俺の息子ともあろう者がどうしてこんな簡単な問題が解けないんだと、机を叩きながら怒鳴っていたっけか。
その問題が解けなかったのはそもそも解法についての説明をされていなかったことが原因だったと気付いたのは、俺が25歳になった時だった。
転生者ロス・アラモスなる存在も、数え方の知られていない数字のようなものだった。
「あの、ロス君……?」
このまま考え続けることはいい結果を生まないような気がする。経験豊富なロス・アラモスは教科書と参考書を一時投げ捨てることにした。
俺は言った。
「パンジャンドラム。君のことを聞かせて欲しい。ヌルチートと何があったのか」
この一週間何をやっていたのか思い出せない。




