第九十話 さよならロス・アラモス
フェリデールから大渓谷を越えたところにある山脈。
サッカレー王国と、西のガスンバ地方を隔てる山々だ。
馬車を降りた俺の目に、山脈の稜線の上を流れていくいくつかの雲が見えた。
大渓谷と山脈の間に止まった馬車は2台。
1台は俺とラリア、パンジャンドラムが乗ってきたもの。もう1台は、サッカリー王とドリアス団長が乗ってきたもの。
周囲には10騎の騎馬兵。王の護衛だ。
俺の左にディフォルメを解除したラリアが立ち、右にはパンジャンドラムが立っていた。
向かいには王と、手に袋を持ったドリアス団長。
王が進み出て言った。
「行ってしまわれるのですね」
俺はうなずいた。
今日は俺たちの旅立ちの日だった。
だからこうして王自ら、国境まで送りがてら、見送りにきてくれたのだ。
目の前に立つ、若干23歳の若き王。
先王が戻ったのちも、結局は彼が王を務めることになったそうだ。
何せ国民の中では先王は死んだことになっていたし、サッカリー氏はすでに戴冠式を済ませてしまっていたのだ。先王が生きていたことは知らせてあるし、国民はおおいに喜んだが、先王は王座に戻らなかった。本人が語ったところによると、「何か疲れてしまった」らしい。
「私としては、末永くこの国におとどまりいただきたいと思っていたのですが……」
「この子を故郷に帰さなければ」
後ろに手を組んでいるラリアを見下ろして俺は答えた。
王もコアラっ子にしばらく目をやっていたが、やがて山脈の方を見上げて言った。
「本来であればゴースラントへは南進すべきなのでしょうが……」
王が見上げている山脈は、サッカレー王国の最西部。
この向こうはガスンバと呼ばれる地域。
南ではない。
ドリアス団長が言った。
「サッカレーの南はドランディアスという国なのだが、現在ドランディアスはさらに南の、オルタネティカ帝国と呼ばれる国と緊張状態にある。サッカレーは帝国とは良好な関係を続けているのだが……そのためドランディアスの方では、我々の国のことも警戒している。したがって、今のところサッカレーからドランディアスへは入国制限が行なわれていて……」
俺は言った。
「俺たちのようなよそ者はつまみ出されるということか」
「そうだ。ドランディアスは冒険者ギルド間での行き来も制限している。だからロス殿には、西回りのルートを取ってもらうしかない」
王が団長に目配せした。団長は懐からA4サイズほどの紙を取り出した。彼は俺にそれを差し出した。
「ロス殿。これはガスンバの地図です。お持ちください」
「……たぶん役には立たんかも知れんが……」
王の親切のそばから不可解なことを口走った団長。
「役に立たないとは?」
「ガスンバ地方は広大な森なのだ。目印になるようなものなど何もない」
「じゃあその紙には何が書いてあるんだろう? 森で遭難した時に退屈をまぎらわすためのジョーク集か」
「役に立てなくてすまない。これはガスンバ南にある町の地図なのだ。その周辺までいけば、この地図にある地形と一致するはずだ」
俺は団長の手にある地図を見つめて黙った。
それでは地図そのものがジョークじゃないかという言葉を飲み込んでいた。広大な森の中、どうやってその南の町へたどり着けと言うのだろう?
俺が言わんとしていることを察したのか、王は横目でチラチラと団長を見ている。頭をかいた団長が口を開こうとしたが、
「あー……ちょっといいかな、ロス君」
とパンジャンドラムが声をかけてきた。
「あのさ。実はオレ、そのガスンバってとこ1回通ったことあるよ。つか、そこ通ってここきたからね」
その場の視線が全て彼に集まった。
たしかにパンジャンドラムは以前そんな話をしていた。ガスンバを素通りして、サッカレーへやってきたというようなことを。
「ガスンバはちょっと厄介なところあるけど、オレは経験者だからね。何とかなると思うけど……」
王と団長の顔に安堵の色が浮かんだ。そしてすぐに、
「それは心強い。それにロス殿、ガスンバは広いが何も横断しなければならないわけではない。山脈を越えて麓まで着いたら、山沿いに南へ進めばいい。そうすれば大渓谷にブチ当たる」
「……大渓谷? それでは戻ってきているということに……」
「違うのだロス殿。今そこにも大渓谷が見えているだろう?」
俺は左手を見やった。たしかにこの間バンジージャンプを楽しんだ大渓谷と、かつてその飛込み台だった橋の成れの果てが遠くに見えている。
「大渓谷と山脈は南へ伸びているが、山脈が途切れたあと渓谷は西へ曲がっていくのだ。山脈を寸断した渓谷がガスンバの南側に続いている。その渓谷沿いに町がある。だから渓谷にブチ当たるまでただ南進し、渓谷に出たら右に曲がればいい」
俺はパンジャンドラムを見下ろし、「そうなのか?」と尋ねた。彼はなぜか視線を逸らし、「まあ……一般論としてはね」と答えた。
団長が進み出て、俺に地図とコンパスを手渡した。
パンジャンドラムが無言でコンパスをじっと見ていた時、団長が俺に袋を手渡してきた。王が言った。
「お約束の、謝礼の金です。チレムソーコインが入っております」
「チレムソーコイン」
「チレムソー教圏内で、銀行のあるところであれば、その地の通貨と交換できます。ガスンバの南にある町も教圏内。お役立てください。余分にはいらないとおっしゃっておいででしたが……」
彼は意味ありげにうなずいて、
「余分に入れておきました」
俺は黙って受け取った。
そして少し考えて、パンジャンドラムに渡した。
「えっオレ荷物持ちに使われる感じ?」
「たしか君は、何でも入るアイテムボックスを自慢していたろう。悪いが入れておいてくれないか」
「……盗んだらどうする気?」
「君は金にこだわるタイプでも、金に困るタイプでもないだろう?」
何せ我々は転生者。盗んだり奪おうとすればどこからでもそうできるし、彼の場合、武器商人になっても成功しそうなのだ。
パンジャンドラムは肩をすくめるとコインの袋を、着ているベストの左側の胸ポケットにねじ込み始めた。
王と団長はそんなところに入るわけねーだろという顔をしていたが、そんな彼らの眼の前で、袋は小さなポケットに吸い込まれていった。俺もそこにアイテムボックスがあるんだろうと知っていなかったら、パンジャンドラムは今度は右のポケットから頭に取り付ける竹トンボを取り出してどこかへ飛び去っていくんじゃないかと思ったところだ。
受け取るべき物は受け取った。
ここを去る時だった。
「申し訳ないことです。……あの者にも見送るよう言ったのですが……」
王がそう言った。団長も目を伏せていた。
この場にいない、キリーの話をしているのだろう。
「何やら、とにかく忙しいからと申すもので……」
サッカレー王国へやってきて以来ずっと行動を共にしていた少女。
最後の瞬間にはいなかった。
「まったく」団長が言った。「けしからん娘だ。国を救ってくれた英雄、それに生死を共にして戦ったお方に別れの挨拶もせんとは……」
「気にしてない」
「だがロス殿……」
「口にすると少しだけ死んでしまう呪いの言葉というものがあってな。俺もそれを言いたくない」
王と団長は顔を見合わせていたが、それにかまわず言った。
「陛下。少しだけワガママを言っても?」
「その言葉を待っていたのです。なんなりと」
「キリーを学校に通わせてやってくれ。いや、友達ができそうなところならどこでもいい。もっと楽しいところだ」
王は俺の目をじっと、無表情に見ていたが……。
「……言ってもよろしいでしょうか?」
俺が黙っていると、
「私としては、ロス殿にサッカレーに残っていただきたいと考えています。貴族の地位を約束し、領地を与えたいと思っています。そしてあなたは…………この地でキリーと暮らしてもよいのでは?」
静かな、彼らしい声音。
「正式な妻でなくとも、愛人としてでも。そのうち新たに他の妻も迎え、面白おかしく暮らしても。我が国を取り返してくださったあなただ、そうしたとしても、誰からも文句は出ないでしょう。あなたの方こそ、もっと楽しいことをすべきでは?」
少しも目をそらすことなくそう言った。
俺は王や、団長にも、自分が転生者だと話していなかったと思う。
知っているのはキリーだけだが、キリーが俺の正体を報告していたとしてもおかしくはない。
だが知っていたとしたら、なぜ俺にハル・ノートのように振る舞うことを提案するのだろうか。
王は俺が何者か知らないとしても、薄々気づいているのかも知れない。たぶん本当に知らないのだ。そういう気がした。知らないと知っていてなお、彼は尋ねているのだ。
そうして俺の目をじっと覗き込んでいた。
俺は彼の目を見返しながら言った。
「……俺は慕われることに責任を持てない。持ったことがない。いつか投げ出す時がくる」
王はしばらく俺の目を見つめ続けていたが、やがて無言でうなずき、
「キリーのこと。必ずやあの者のよいように」
そう言った。
俺は王と団長に軽く会釈すると、ラリアに左腕へ登ってもらう。そして山脈の方へと足を進めた。
お別れだった。
特に大きな声での万歳三唱があるわけでもない。荒野を歩く俺たちを、王たちは黙って見送った。
隣を歩くパンジャンドラムが言った。
「よかったの? これで」
「……何がだ」
「オレ、よくわかんないけどさ。ひょっとしてイイ感じだったんじゃないの? あのキリーって子と」
その言葉に、少しだけ後ろを振り返った。
遠ざかりつつある王たちの向こう。大渓谷があって……きっとその先遠くに、フェリデールがあるのだろう。
キリーはきっと、あの街で暮らし続けていくのだろう。
学校へ行って、友達を作るのだろう。
その友達と時には大通りへ繰り出して、屋台でうどんを食べるのだ。
そしていつか、ある数日間一緒にいた男は、思い出の向こうに消えていくのだろう。
俺は近づきつつある山道の入り口へ視線を戻し、何も答えなかった。
あの森で彼女が駆け出した時、俺には他にもっと選択肢があったのかも知れない。
彼女の手を掴んで引き止めてもいい。
抱きしめてもいい。
俺に背を向け震えていた彼女の肩に、そっと手を置いたってよかった。
それから一言、彼女に答えればいいだけの話だった。
彼女が求めていただろう、何かふさわしい一言を。
フランス人という人々は、あらゆる場面にふさわしい一言を持っているそうだ。
奴らはどんな時であろうがその場にふさわしい一言を持っていて、どれもが言い得て妙だという。
ある時フランス人はこう言った。
余の辞書に不可能の文字はない。
無敵の冒険者にしてタフな賞金稼ぎのロス・アラモスだって、いつもそんなようなことを口にしていた。
そうやってあたかも何か価値ある存在であるかのようなふりをして、何の問題も起こっていないと他人に信じさせようとしていた。
だがたいてい思い出されるフランス人の一言といえば、あれだ。
パリはフランスじゃねえ。
その通りだ。
俺だって本当は、ロス・アラモスじゃない。
これにて第二章終了となります。
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