第八十二話 さよならハル・ノート
俺はブリジットを連れ出す許可をもらい、塔のダンジョンへと向かった。
地下へ続く螺旋階段はカビ臭かった。
俺、ラリア、キリー、ブリジット。そしてブリジットの首輪につながる鎖を持った衛兵とともに、無言で降りていく。
ハルのいる牢は最下層。
長い階段だった。たぶん、会見が終わった後また階段を上ったら、明日は筋肉痛だろう。
石造りの暗い廊下を歩いて行くと、最奥に鉄の扉がある。
その左右に2人の番兵。
彼らは一日中ああして、地下牢で勤務しているのだろうか。8時間交代だろうか。日も射さぬ地下での、退屈な労働。罪人の悪行というものは、直接的な被害者だけではなく間接的な相手にも及んでいるのかも知れない。全員がハル・ノートのために、つまらない仕事をさせられているのだ。
キリーが番兵と話し、扉を開ける。
入り口は間隔を開けて設置された、5枚の、ギロチンの刃のように天井から降りてくる鉄製ゲートによって構成されていた。
順次開かれていくゲート。5枚目の鉄が軋む音とともに、ハルのスイートルームがあらわとなる。
床に暗い大きな穴が空いている。部屋全体の床が、奈落となっていた。
本棚も、テレビも、ましてやゲーム機もない。質素なものだ。北欧人がこのことを聞きつければ、さぞや憤慨することだろう。
部屋の中央に大きな鳥籠のような牢が吊るされている。
その中にハルがいた。
麻だろうか、茶色い粗末な衣服を着せられた彼が、灰色の鎖でがんじがらめに縛られ、うなだれていた。
俺が番兵に席を外すように頼むと、番兵は牢から2枚目のゲートまでは閉めると言い置き、壁にあったレバーを引いた。
奈落の底から大きな石板が数枚、浮き上がってきて、それが一列に並びハルの牢まで続いた。
これが面会用の通路だろう。
番兵はゲートの向こうへ消えていった。俺たちは石板の通路を進む。
牢の前に立ち言った。
「ハル・ノート。カツ丼は食べさせてもらえたか?」
うなだれるハルが、顔をあげた。
「あっ……おまえは……」
「素敵な部屋だな。逆タワーマンションだ」
「あうう……ここから出して……ブリジット、助けて……」
ハルはすすり泣き始めた。
ブリジットを見てみると、彼女はハルからも俺たちからも目をそらし、壁の方を向いていた。
「……こんなところに私を連れてきてどうするつもりなのかしら?」
それには答えず、俺はハルに言った。
「君は先王が生きていることを知っていたか?」
ハルはしばらくぽかんと俺の顔を眺めていが、やがて、
「……ああ。いや、ほんとはここに入れられるまで知らなかった。尋問に来た奴に訊かれて、それで初めて先王が生きてるって知ったよ……ブリジット、おまえが隠したんだな。おまえはあの時、処刑するって言ってたのに」
ブリジットは壁を見たまま何も言わない。
「なあ、ここから出してくれよ、頼むよぉ〜……。俺が何したってゆんだよ。先王だって、生きてたんだろ? どうして俺がこんなところに……。ロスさん、お願いだよ、みんなに俺を出してくれるように言ってくださいよ。同じ転生者じゃないですか……」
メソメソとメソつくハルに俺は言った。
「何をしたと訊いたな。教えてやろう。君はキリーと、ラリアを殺そうとした」
「ち、ちが、そ、それはものの弾みじゃないですかぁ! 俺、俺そんなつもりじゃなくて……」
「そんなつもりさえなければ、列車に轢かれても死なないと思ってるわけだ。悪意さえなければ谷底に子供を投げ捨てても涼しい顔して這い上がって来ると思ってるんだな。エモーションが奇跡を起こせると信じている。懐かしいよ、とても日本人らしい言い訳だ」
「ちょっとあんた!」ブリジットが言った。「何しにここに来たのよ。嫌味を言うだけだったら1人でできるでしょ? それともトイレに行く時も誰かに手をつないでてもらいたいタイプなのかしら?」
声に振り向くと、ブリジットが俺をまっすぐ向いて睨んでいる。俺は言った。
「ハルとブリジット。どちらかを助けようと思っている」
えっ、と声があがった。ハルと、キリーだ。
「ロ、ロス殿、それは……」
「俺はこの国の英雄だぞ。サッカリー王は望む褒美をとらせると言った。ではそんなワガママも許されるだろう」
「し、しかしなにゆえ……」
「ロロ、ロスさん! た、助けてください! 俺を助けてください!」
ブリジットはハルに対して横を向いた姿勢で俺を睨み上げる。
「……何のつもり?」
「君が美しいからさ」
「………………はぁ?」
俺はブリジットの腰を乱暴に抱き寄せ、
「ハルは転生者。俺と同郷だ。助命を願う理由としては少し弱いが、妥当性はある。だが君が俺の物になる条件であれば、ブリジット。君を助けてもいい」
俺の腕の中の体が強張っていくのがわかった。
俺の顔のすぐ前にある、麗しき貴族令嬢の顔。
左腕で腰を抱いているせいで、そんな彼女の顔の左隣にディフォルメラリアの茫洋とした顔があるのがシュールだった。ラリアはその茫洋とした顔でブリジットの顔を至近距離からガン見している。何でそれほどガン見しているんだろうか。
「……な、な、あんた……何言って……」
「どちらかと言えばそちらの方が、俺としては得があるよな。同郷の人間なんて奴の他にも1億2000万人もいる。あんな干物みたいな男を助けるより、君を我が物にする方が……」
キリーの「1億にせん……っ⁉︎」と呻く声が聞こえた。
そう言えばサッカレーの人口はどのぐらいだろうか。この中世めいた異世界では、人口も少ないのではなかろうか。江戸時代の日本が約3000万人、現代のアイルランドで600万人。彼女にとっては天文学的数字に聞こえたのか。中国やインドの人口を教えたら気絶するかも知れない。
そんなキリーを尻目に、俺は腰の手を徐々に下の方へと這わせていく。
ブリジットの表情ははっきりと引きつっていた。その隣にラリアの茫洋とした顔。
ブリジットの瞳が、彼女の左にあるハルの牢を向こうとしていた。
だが思い直したように俺へ真っ直ぐ向け直す。
向きたくはないのに、無意識にそちらへ動いてしまうといった動きだった。
わかっていた。
彼女はこの部屋に入ってきた時から、ハルを見ていない。
意識して視線を逸らしているのだ。
「誰が……だれがあんたなんかの……っ!」
「そうだハル、こうしよう。この女を俺にくれよ。そうすれば君を自由にしてくれるよう王に頼んでもいい。君は死刑を免れ、この女も命だけは助かる。みんなが幸せになれる結末だ」
「そ、そんなことしてみなさい、先王陛下の居場所は教えてあげないわよ……!」
「口を割らせてみせるさ。ベッドの上でな……!」
「ひっ……」
彼女の瞳に涙が(正味な話、それほど嫌なのだろうか)滲んだ。
その瞳が、顔が、今や完全にハルの方を向いた。
ハルが言った。
「ぞうじでぐださいっ! お願いじまずぅ! ブリジットをあげまずがら俺をだずげでぐだじゃいぃ!」
干からびた男が鼻水を垂らしてそんなようなことを言っていた。
ブリジットは瞳を大きく見開いて、夫の姿を眺めていた。
俺は腰から手を離した。
その代わりブリジットの腕を組んで、ハルの牢に背を向けた。
「キリー、行こう」
「えっ。あ、はあ……」
「な、ま、待って、俺を助けてくれるんじゃ……」
俺は振り返って言った。
「ブリジットから聞かせてもらったよ。君の昔話。あの殺人事件は俺も知っていた。2週間はワイドショーがその話題で占拠されていて、政治や経済の情報がテレビでやってなかったな」
「ロ、ロスさん……」
「こんなことを言うと不謹慎かも知れないが、俺も当時、君はよくやったと思っていた。人生に追い詰められ、誰でもいいからと通り魔に走る奴は割といるが、狙うのはたいてい弱者だ。だが君は強者を狙った。やったことは褒めるべきじゃないのかも知れないが、君のおかげでクズの数が減ったのは間違いない。君は誰も手をつけなかった厄介事を体を張って片付けた」
「だ……だったら」
「だが君は人を殺した」
俺の顔を眺めたまま固まっているハル・ノート。
掲示板の英雄。
ドラゴン殺しの英雄。
悪の貴族にオモチャにされようとしていた、可哀想な少女ブリジットを救ったヒーロー。
「異世界に来てからの君の活躍も聞いた。君は人を殺しすぎたよ。前世での最後の一件以来、箍が外れたんだろう。強大な力を持ちながら、だが理性はない。君は殺人による安易な解決の味を覚えてしまった。ハル・ノート。根は悪い奴じゃないと思いたいが、君は不安定すぎる」
俺はブリジットの腕を引いて歩き出した。
ブリジットはハルを少し振り返った。
俺の動きに逆らうわけではないが、足取りは重い。
「そんな! 待ってください! ロスさん、俺このままじゃ殺されちまうよぉ! 死刑になんてなりたくないよぉ! せっかく、せっかくこの異世界じゃ、楽しくやってたのに……そりゃ、ちょっとおかしいことにはなったけど、でも俺、こんなところで終わりたくないよぉ! ブリジット、何とか言ってよ! ロスさんに俺を助けるよう言ってよ! 俺が何したって言うんだよォ〜ッ!」
キリーを先に行かせ、ゲートを開けるよう言ってもらう。
俺はハルにこれを伝えようかどうか迷ったが……やはり伝えることにした。
少し立ち止まり、振り返る。
そして言った。
「……君の前世の両親……能登夫妻。自殺したぞ。あの事件のあと。世間の批判に耐えられなかったそうだ」
それからブリジットの腕を引き、開いたゲートをくぐった。
喚きは止んでいた。背後でゲートが閉じられていくが、もう振り返ることはなかった。ブリジットもだ。
ダンジョンの通路を歩いた。
地下の石壁には等間隔にロウソクが並び、通路を弱く照らしている。この階層の牢はハルのものだけで、他に扉もない。
こんな結末になるとは思っていなかった。
ロス・アラモスは最初はもっと、希望に満ちて、ポジティブさを持ってこの件に臨んでいたような気がする。
きっとみんな最初はそう思うのだ。
自分の心に生まれたエモーションは論理的に正しく、必ず理想的な結果だけを生むのだと。
「…………昔は命を賭けて私を助けてくれたのに……」
悄然と歩くブリジットがそう呟いた。
俺はすでに彼女の腕を離していた。
お互いにとって、もうそんなことは必要がない気がした。
彼女の首輪につながった鎖を持つ兵にも、先に上へ上がってしまうように頼んだ。
「俺は奴と同じ転生者だからわかるがな。命なんか賭けてない。負けると思っていないから粋がっているだけだ。俺だって力がなければサッカレーを素通りしていた」
「…………嘘おっしゃいよ」
「何がだ」
「あんた2、3回は死にかけてたわ。ヌルチートのせいで」
「はじめはあれほどタフなゲームになるとは思ってなかった」
「わかった時点で諦めればよかったじゃない」
「諦め方を習ったことがなくてね」
「あんた頭がおかしいわ」
石の床に俺たちの足音が響く。冷たい音だった。
前を行くキリーは時折こちらを振り返っては、すぐに視線を前に戻す。
ブリジットはうつむいたまま歩いていたが、やがて俺に尋ねた。
「……死にたいって思ったことある?」
「……以前は毎日そう思っていた」
「どうしてそうしなかったの?」
「実行する前に死んだからだ」
「私もそうなりたいわ。そうやって、あんたやハルみたいに別の世界に行って。違う生き方をするのよ。ねえ。あんたたちの世界は、どんなところなの?」
「諦め方を教えないところさ」
「だから死ぬまで闘うわけ?」
「闘いの中で死ぬことが1番格好いいと教わる」
「ハルの言ったとおり狂ったところなのね」
上りの階段が近づいてきた。これを延々上って、太陽の下に出るのだ。
ハルはおそらく、ここを上がることはもうないかも知れない。
俺も2度とここを下ることはないだろう。
何だったんだろう。この仕事は。彼の人生は。
世間から隔絶されて生きてきたハルは、今また閉じこもることになった。
俺はこんな結末を期待して、スカしたヒーローを気取ってきたのだろうか。
二兎を追って、伝統に反し一兎は捕まえた。
だがもう片方も捕まえられたんじゃないだろうかという思いをぬぐい去れなかった。
何かもっとマシなやり方があったような気もする。
そんなことはない、俺はベストを尽くしたという気もする。
だが俺のベストなど何の役に立つんだろう? ベストなら散々尽くしてきた。42年間。
きっとみんな最初はそう思うのだ。ベストを尽くしたつもりというボタンを押していれば、そのうちどれか気に入る答えが出てくるかも知れないと。
両親もそうだった。
俺もそうだった。
ハルもそうだったろう。
ハルの両親もそうだったろう。
ブリジットが呟いた。誰にともなく。
「…………あんな男だったなんて。こんなことになるだなんて思わなかった」
「俺もだ」
「……死にたいわ」
「俺もだ」
きっとそうだ。
みんな、そうなのだ。




