第八十一話 Remaining Karma
貴族の罪人用刑務所たる屋敷。
丘の上の2階建てのそれはまばらな木々に囲まれ、古ぼけた茶色の外観がうら寂しさを醸し出していた。
屋敷の玄関には番兵がいた。
簡素ながらも煌びやかな装飾が施された軽鎧の上に、白いマントをまとい、槍を手にしている。
馬車を降りてキリーが番兵へ面会の旨を申し出ると、別の衛兵が呼ばれ俺たちを案内してくれた。
屋敷のロビーも廊下も、刑務所と連想するにはほど遠い、上品なものだった。
どこをどう見ても、貴族の屋敷である。
ブリジットの部屋は2階。
両開きの大きな白い扉の前に立つ。
案内の衛兵がノックをした後、扉にかけられた錠前の鍵を開けた。
広い部屋だった。
金で縁取られた赤い壁に、風景画がかけられている。天蓋付きの豪奢なベッド、小洒落た白い箪笥。
ただの貴族の部屋だ。
ブリジットはこちらに背を向けて、鉄格子のはまった窓の向こうを眺めていた。
豊かな金の髪の令嬢、窓の向こうには何が見えているのだろうか。
詩的な表現を用いれば、それは自由ということになるだろう。
だがブリジットの肩越しには、荒野に佇む塔が小さく見えていた。
ハルの幽閉されている塔だ。
「許しも請わずに淑女の寝室に入ってくるなんて、後ろのお人は素敵な教育を受けてきたみたいね」
振り返らず言うブリジットへ、俺は部屋の中へ足を進めながら言った。
「面会室があると思っていたらなかったので自室を訪ねた」
ブリジットは弾かれたように振り返った。
「あんた……!」
振り向いたブリジットの首には、細い灰色の輪っかのようなものがはめられていた。
「いいネックレスだな。誰かの贈り物か」
「よく言うわ……!」
「ロス殿。あれはスキルを抑えるための、ブアクア製の首輪にござる」
キリーの言葉を受けブリジットの首元をよく見てみると、たしかにキリーのブアクア刀と同じ灰色。
首輪にしては細すぎるから普通に装飾品だと思っていたら、どうやら違ったらしい。何となく褒めてみたが嫌味と受け取られてしまったようだ。慣れないことをするといつもこうだ。
「何の用かしら?」
ブリジットはぷいとそっぽを向き、再び窓の外を眺める。
「ブリジット様。先王陛下のことでござる。そろそろ教えていただきたいのでござるが……」
ブリジットが鼻で笑った。それが返事らしい。
キリーは困ったように、気高き反逆者の背を見つめていた。
ブリジットの考えはわからないでもなかった。
彼女は罪を償うべく、自らこの屋敷へ軟禁された。
だが彼女の罪は王位簒奪。
簡単に赦される罪ではない。おそらく下される刑は、死刑以外にないのではないのかと察せられた。
だが先王の居場所を知るのはブリジットだけ。
彼女はハルにも黙って先王をどこかへ隠したのだから、ハルに聞こうとわからない。
したがって、彼女が処刑された場合、先王は永遠に見つからなくなるのだ。
先王の居所は今や、死刑回避のためのブリジットの生命線だった。
「……ブリジット様。今やあなた様の企みはついえました。潔く観念し、先王陛下のおわす所をお教えいただきたいでござる」
ブリジットの答えはない。
「お教えいただければ、サッカリー国王陛下はあなた様の減刑をしてもいいとお考えでござる。どうか……」
「…………」
キリーが眉をハの字にして俺を見上げた。
俺は言った。
「ハルを助けるためか」
肩がぴくりと動いた。俺はブリジットの隣まで行き、窓の外を眺める。
ブリジットは腕を組んで俺の方をチラチラと窺っていたが、その場から動くことはなかった。
「ハルの助命。条件はそれか? 先王の居所を吐く代わりに、ハルの命を救いたがっているのか」
「…………」
「君1人が助かりたいだけなら、すでに吐いているだろう。すべての罪をハルに押し付け、自分だけは助かることができるはずだ。それをしないのはあの男への献身のためか」
「いいえ」
窓の外に目を向けたまま彼女は言った。
「私はこれでも貴族よ。誇りがあるの。たとえ短い間、それが気の迷いであったとしても、彼は私の夫。自分の命惜しさに夫を捨てて保身に走るなんて、私の誇りが許さないわ」
「あの男はクズだ」
「知ってるわ」
俺は一度後ろを振り返った。付き添いの番兵へ向けて、少し席を外すように頼む。番兵が廊下へ出て扉を閉めたのを確認して、ブリジットに向き直る。
「君は奴が、転生する以前はどんな人間だったか知っているのか」
「あんたよりは詳しいかもね。寝物語に聞かされたんだから」
「負け犬だ。仕事もなく、恋人もいない。ひょっとしたら友達もいないかも知れない。つまらない人生を送ってきた、つまらない人間だ。俺も転生者、奴と同じ国の出身だ。ハルのような男の評判は、俺の国ではある面においては犯罪者よりも劣る場合がある」
「あんたはどうなのよ? 屋内で帽子を脱がない、紳士のふりをしたロス・アラモスさん」
ブリジットが俺を振り向いた。
刺すような視線、というわけでもない。ただ俺の顔を眺めているだけだ。偽りの俺の頭部を。
「……細かい違いはあっても、俺も似たようなものだ。だからわかる。ハル・ノートは君のような高貴な淑女に愛されるような男じゃない」
「あんたにハルの何がわかるって言うのよ」
再び窓の外に目を向けた。
「……あいつ、昔話をしてくれたことがあったわ。あんたの言う通り、相当愉快な人生を送ってたらしいわ。ただ……あら、私、お茶をお出ししてなかったわね」
俺は首を横に振る。ブリジットは小さくため息をついた。
「……ハルが前世で家に閉じこもってた時……家族がお金持ちか、貴族だったのかしらね、何年も仕事もせずに生きてたそうだけど。ある時、遠くの地にとても悪い奴がいるのを知ったそうなのよ。家の中でどうやって知ったのかは知らないけどね。網がどうとか言ってたけど。
「ある学生が、ある学び舎で他の生徒をいじめてたって話だった。正直私はだから何なのって思ったけど……いじめられてた子は自殺したってハルは話したわ。アリスが、その子根性なしねって言ったら、ハルは怒ってたっけ。
「ハルはそのよくわからない、網とかいうのを使って事件の経過を追ってたの。そしてそのうち自殺じゃないってことを知ったそうよ。いじめをしてたガキに、殺されたんですって。集団で暴行されて……。
「本当だったら、法で裁かれるはずだった。けれど主犯のガキが地元の有力者の子供か何かで、親が裏に手を回して、事件をもみ消そうとしたんですって。
「貴族の子なの? って聞いたら、ハルはいいや、って。貴族でもないくせに法を曲げるだなんてそんなことがあり得るのかって、私訊いたわ。それに子供が子供を殺すだなんて。ハルは、自分の国はそういう狂った所だったって言ってたわね」
ブリジットはそこまで言って、俺の方を横目で見た。
その時俺は考えごとをしていた。
何か……どこかで聞いた覚えがある話だと思っていたのだ。
俺が何も言わないでいると、彼女はまたため息をついて視線を窓の外へ戻した。
遠く、ダンジョンのある塔へ。
「それからハルは両親に、お金を借してくれ、よその土地へ行って仕事を探すと言ったんですって。どうしてなのかはよくわからないけど、両親は泣いて喜んだそうよ」
俺は訊いた。
「ハルは何の仕事に就いたんだ」
「何にも。ハルが向かったよその土地っていうのは、いじめられてた子が殺された土地。ハルは旅費が必要だっただけ」
それから鼻で笑って、窓枠に視線を落とす。
少しの間無言だったが、やがて息を吸い込むと、ため息と共に言った。
「網で調べた犯人の家に乗り込んで、家族全員刺し殺してやったんですって」
そして肩をすくめた。
俺はキリーを振り返った。
諜報部員の少女は入り口のそばで、どこか苦虫を噛み潰したような顔をしていた。生まれる前から雑な男だったのかと思っているのかも知れない。
窓の外、遠く荒野に佇む塔を眺める。
頭の中の記憶をたどった。
ハル・ノート。
本名、能登晴人。
やっと思い出した。
俺は彼のことを前世から知っていた。
あれは俺がトラックに跳ねられた年、つまりまだ今年のことだった。
中部地方のとある県で、県知事の一家が惨殺された事件があった。
連日ワイドショーで賑わっていたのを覚えている。
事件の詳細が明らかになっていくにつれ、県知事の中学生の息子が学校でのいじめに関わっていて、その報復のために第三者が凶行に及んだということがわかったのだった。
俺自身暇つぶしに眺めていたインターネットの掲示板で、くだんの自殺事件についての情報は得ていた。
県知事一家が襲撃されるずっと前から、ネットにおいてはいじめの件は噂の的だったのだ。
自殺事件がテレビで報道されたこともある。何よりも、被害者の同級生がネットにリークしていたのが大きかった。
掲示板ではすでにいじめの首謀者と、自殺に対する疑惑の噂が流れていた。
その事件が中央の有力政治家とつながりのある県知事によって闇に葬られようとしていたことも、ネットの住人にとって周知の事実となりつつあったのを覚えている。
そしてある日突然発生した、県知事一家惨殺事件。
犯人は凶行ののち県知事の家から逃走したが、その最中に交通事故で死んだと、そうニュースの報道にあった。
県知事宅の近くで車に轢かれて死んだ男がいた。そいつが所持していたバッグに血の付いた包丁が入っていた。DNA鑑定すると県知事一家のそれと一致。礫死体こそが犯人であるとわかったという。
当初警察にとってその礫死体は、動機のわからない謎の人物だった。
県知事一家と接点も何もない。身分証明書もない。県における関係者一同、誰もそいつの顔を知っている者がなかった。
だがのちに、掲示板に県知事一家への殺害予告が書き込まれていることが発覚。
警察がIDをたどると、遠く離れた他県の能登家へとつながったというわけだ。
そして報道された犯人の名が、たしか能登晴人。
掲示板が祭りで賑わったことをよく覚えている。
ネットの住人たちは能登晴人を正義の使者だともて囃していた。
法で裁けぬ悪を誅す、闇の仕置人だと。
たぶんあいつは地獄へ堕ちるだろうが、鬼さんは手加減してあげて欲しいと。
「……あとからになって怖くなってきて、下向いて泣きながら走ってたら油で動く馬車に轢かれた、って言ってたわね。あいつはそうやって、このサッカレーへやってきたんですって」
長い金髪を払ってブリジットは続けた。
「そういう奴なのよ、あいつは。あいつはそうやって、私のことも助けてくれたわ。凶暴なのは知ってる。フォークを売る時にモメたマフィアとの間にも大勢死人を出したし、私を手篭めにしようとした貴族を拷問したのも有名よね。危ない奴よ。けれど……」
彼女はうつむいた。払ったばかりの髪が、肩に流れた。
「……そうでなきゃ、私も自殺してたわ」
そして俺から顔を背けた。窓のカーテンを指でいじっていた。
いじったからどうだということもないのだろう。
ただ誇り高い彼女はそうしているのだ。
もう愛でもない。
法でもない。
闇の仕置人を闇のままにするために、ただ彼女はそうしているのだ。
先王の居所。話せばハルは死ぬ。不正に憎悪で立ち向かう、彼女の救い主が。




