第七十四話 暴走特急 2
勢いあまり過ぎた。
俺はバランスを崩させたかっただけなのだが、アリスが本当に線路に落ちそうになっている。
素早く彼女のホットパンツの、腰の後ろ部分を掴む。
「ぎゃーっ! いやーっ! パンツが脱げるっ!」
アリスの半ケツ。
そうは言われても、こちらとしても支えるので精一杯だ。
俺は言った。
「ミセス・アリス。いいニュースと悪いニュースがある。どちらから聞きたい?」
「えっ⁉︎ 何、急に……じゃ、悪いニュースからっ」
「実は俺はスキルを使用しない通常時では、腕力に自信がない。正直なところ、今もうすでに指が悲鳴をあげつつある……たぶん君はこのまま落ちて死ぬ……!」
「……オ、OK。じゃあいいニュースは⁉︎」
「君がヌルチートだけ線路に捨てれば、俺は《ザ・マッスル》のスキルで君を助けてやれる。君を殺したいわけじゃないが、この場合選ぶのは君だ」
しばらく、無言。
他に何かいい方法がないかと考えているのだろうか。女はレストランのメニューを眺めながら決断できず迷うと聞くが、それはひょっとしたら、ずっと眺めていればメニューに書かかれていない料理を見つけられると考えているせいなのかも知れない。
「ね、ねえ……助けて……! 助けてくれたら、あーしのこと好きにしていいからさっ……」
「今さらそれは取引材料にならないな。俺の目当てはハル・ノートだ」
「何よ、ホモなんだねあんた!」
言うが早いか、アリスは両足で俺の胴体を挟み込む。
「手を離せば? あんたも落ちるよ!」
今やアリスの体は完全に俺の体に固定された。安定した体勢だったため手を離しても落ちるわけではなかったが、これではたしかに駆け引きはオジャンだ。
《アリスはカーペット・ボムのスキルを発動させています》
「カモン、グローバルイーグル! あのゴブリンをやっつけて!」
空に羽音。
見上げると上空に白い巨鳥が飛んでいる。
列車に衝突した後、屋根に出てもいないと思ってはいたが、空中で待機していたのか。
そのグローバルイーグルが降下を始めた。
列車と並走するパンジャンドラム目がけて急降下し、大きく丸い頭の口から火球を吐いた。
その数が尋常ではなかった。まるでパチンコ屋の大当たりのように口からボロボロと火球がこぼれ出し、パンジャンドラムへと飛んでいく。
地面に着弾、爆音。砂埃と衝撃波、いささかの熱が俺とアリスにも襲いかかる。
「うわっ!」
パンジャンドラムは馬を列車に寄せようとしていた。
しかし火球攻撃を避けるため馬を遠ざけざるを得ないようだ。どんどん離れていく。
グローバルイーグルは線路の左側の広い範囲を、見境もなく爆撃。次から次へと爆音が轟き、正直鼓膜が破れそうだった。
イーグルは空爆をやめた。
左側の荒野が粉塵に支配されていた。
走る列車がそれらの煙を置き去りにすることで、元の荒野が視界に入る。
遠くへ、馬が一頭。走り去っていく。
背中には誰も乗っていない。
「……ふふ。お友達のゴブリンは落ちたみたいね」
アリスがそうほくそ笑んだ時。
唐突に足元、アリスがぶら下がっている辺りの、客室の扉が開いた音がした。
その中からひょっこり。パンジャンドラムが姿を現した。
「ハロー」
そしてアリスの背中、ヌルチートにナイフを突き立てた。
「あっゴブリン、どうして……⁉︎」
「びっくりしたか? 俺はこう見えて馬より足が速いんだなぁ!」
暴れるアリスと格闘するパンジャンドラム。
どうやら爆撃の粉塵にまぎれ馬を下り、《ウルトラ・スプリント》で走り列車の後部から乗り込んだらしい。
「こういうことがあるから……」パンジャンドラムはヌルチートをナイフでえぐりながら、「アメリカ軍は無人爆撃機の時代にも歩兵の育成をやめられないんだよなっ……! あんだけ土埃をあげたら、敵が死んだか……わかんない……だろっ! っと」
パンジャンドラムは十分にえぐってからナイフを引っこ抜いた。
血みどろのヌルチートがかき消えていく。
「過剰な攻撃は不安の表れ。恐怖はむしろ恐るべき敵の姿を隠す。ままならないものだな、レディー」
「やだ、離してよ、2人がかりであーしをどうする気⁉︎」
「パンジャンドラム、絞め落とそう。俺は足を抑えておく」
「よっしゃ、ちょっとかわいそうだけど……」
《パンジャンドラムはパンクラチオンのスキルを》
宙吊りのアリスをフロントネックロック、通称ギロチンチョークに捕らえようとし……、
《パン》
《パンクラチ》
《不正な妨害が行なわれています。パンジャンドラムはスキルを発動できません》
「……あれ」
ふと、目下のアリスとパンジャンドラムに影が差した。
俺とパンジャンドラムは2人して顔を上げる。
「…………何してるアルか?」
チュンヤンが隣の車両の屋根に立ち、俺たちを見下ろしていた。
完全に忘れていた。
彼女は鏡を通してハルを監視するために、先に屋根に上がっていたのだった。
「死ぬアルヨロシ!」
「おわーっ!」
ゴルフのスイングをするように、チュンヤンは車両と車両の間へ青龍刀を振り抜いた。パンジャンドラムは転がって躱し、俺が立っている方の客室へ引っ込んでいく。
どうやらアリスに夢中になりすぎていた。ヌルチートと拳銃を失った彼女など放っておいても構わなかったのだ。過剰な攻撃は不安の表れ。恐怖はむしろ恐るべき敵の姿を隠す。誰が言ったのか知らないが、さぞ賢い人が発した言葉なのだろう。
今度は屋根に大きな影が差した。同時に俺は、両肩を何かに掴まれた。
誰かと思い見上げればグローバルイーグルだ。太い鉤爪つきの足で掴まれ、持ち上げられる。
俺の胴を挟んだアリスも持ち上がり、車両の上まで引きずり上げられた。
瞬間アリスは足を離し、前転しながら屋根に降り立つ。
「アリス、ソイツは宙にさらって捕まえとくアルよ!」
「誰が見張ってるって言うの? あーしヌルチートをやられちゃったよ!」
「じゃワタシ見てるからアリスはゴブリン倒すアル!」
チュンヤンがそう言うと、アリスは指笛を吹いた。
グローバルイーグルが羽ばたき、俺の両足が屋根を離れる。
「待て! そうは問屋が卸さんぞ! アリスではあのゴブリンには勝てない。彼もまた転生者だからだ!」
ちょうどつま先がかろうじて屋根に届かない位置で、グローバルイーグルが上昇をやめた。アリスとチュンヤンが顔を見合わせている。
「て、転生者……?」
「ゴゴ、ゴブリンがアルか?」
バラさざるを得なかった。
アリスはヌルチートを失った。チュンヤンが俺を注視する限り、パンジャンドラムはチュンヤンのヌルチートからはフリーになる。であればパンジャンドラムとアリスの一対一となり、彼は造作もなく勝つだろう。
問題は、今俺を吊り上げているグローバルイーグルがアリスの召喚獣だということだ。
アリスが気絶するなりして、グローバルイーグルがコントロールを失いどこかへ飛び去れば、俺はどうなるというのか。
たしかにその後でチュンヤンが倒されれば、空から落ちようが《ゼロ・イナーティア》で落下の衝撃を無にできる。
だが実際のところ事態がどう転ぶのかは予想がつかない。グローバルイーグルは召喚獣のはず。召喚獣が姿を現したり引っ込んだりするのはヌルチートを見てわかっている。もしもアリスが気絶した瞬間、チュンヤンが俺を見ている状態で、グローバルイーグルの姿が消えたら?
だがパンジャンドラムが転生者であるとわかればだ。今はチュンヤンのヌルチート1匹だけ。俺とドラムのどちらからも目を離せないという状況になれば……。
突然背後から銃声がした。
チュンヤンの左肩から顔を出していたヌルチートの、その顔が爆散。
「アイヤー!」
チュンヤンの白いチャイナドレスが真っ赤に染まり、彼女は尻餅をついた。
振り返ると、先ほどチュンヤンが空けた屋根の穴からパンジャンドラムが顔を出している。ライフルを構えてだ。
「へへ、大当たりだ!」
どうやら、撃ったらしい。
まかり間違ってチュンヤンの顔に当たったらどうするつもりだったのか、そこは不問にしよう。俺は両拳を頭上のグローバルイーグルに向けた。
《ハードボイルのスキルが発動しました》
拳から閃光が走る。
死のマイクロウェーブをドテッ腹に浴びた巨鳥の叫びが荒野にこだまする。
イーグルの背中が爆ぜ、熱い血の雨が降り注いだ。
《ザ・マッスルのスキルが発動しました》
「離せィ!」
宙から着地した俺はグローバルイーグルの両足を掴み、放り投げた。列車後方へ一直線で飛んでいく。パンジャンドラムがそれを避けるために首をすくめた。鳥ははるか遠くで線路に落下し、すっ転がっていった。
そして俺は少女たちを振り返る。
向こうの屋根のチュンヤン。こちらの屋根のアリス。そろってひきつった顔で俺を見ていた。
「……2人とも。この最後列の車両でおとなしく待っていろ。これ以上の戦いは無意味だ。ハルが王位を退いた後君らがどんな処罰を受けるのかは知らない。だが俺個人としてはそんなことに興味はない。この列車が止まって、降りた後、君らが姿を隠そうが俺は追いはしない」
余裕たっぷりにそう言ってやった。
俺とパンジャンドラム。ともに転生者。
アリスとチュンヤンはAランク相当の冒険者だそうだが、俺たちはSSSSS……まあ何でもいいが、実力の開きは明白だった。
「チュンヤン、任せた! 私はブリジット様を呼んでくる!」
「え、マジアルか」
アリスは言うが早いか屋根から連結部へ飛び降りた。チュンヤンの車両の扉を開けた音が聞こえたところを見ると、前方へ向かったらしい。
「ロス君、あのツインテールは俺が追うよ!」
背後でパンジャンドラムがそう言い、俺の足の下を走っていく物音が聞こえた。
連結部をまたいで、チュンヤンと一対一。
俺は言った。
「やれやれ」
彼女は言った。
「まったく、やれやれアル」
そして足を両側に大きく開き、ずしんと踏みしめた。
ヌルチートを失ってまだ転生者の俺と戦うつもりなのだろうか。チュンヤンは何かの構えを取る。
深く呼吸している。
空中を、両腕で大きくかき混ぜる動きとともに、呼吸を繰り返す。
「ふうううううううう…………‼︎」
何をするつもりか知らないが待ってやる義理はないだろう。
俺は一歩踏み出し、
《剣聖・ジュージュツのスキルを発動しました》
《チュンヤンは太極的呼吸Lv6のスキルを発動させています》
《太極的呼吸の説明を開きますか? Yes or No?》
珍しいこともあるものだ。
たいていにおいて《スキル・アナライザー》が相手のスキル説明を打診してくることはなかったが。
Yes。
頭の中で反射的にそう答えた時。
《太極的呼吸は一時的に使用者のステータスを向上させるスキルだぞ! その恩恵はすばらしく、最大でSランク9つ分の力を発揮できるんだ! ちなみにチュンヤンはSランク6つ分の出力だよ!》
「何だと……?」
「転生者! ズルして力を得ようとするその曲がった性根、ワタシが叩き直してやるアルよーっ!」
そして、チュンヤンが天空に跳躍した。




