第六十八話 能登晴人
「前世の……? やっぱり君は、てんせ……」
ハルが叫ぼうとしたのを、俺は人差し指を唇に当て制した。
それから少し背後の扉の方を振り返って、
「車内で大声を出すのはご遠慮願おう。実は外に現地人を待たせてある。1人は信頼できる子供だが、もう1人は俺の正体を話していないんだ」
会話は揺れる列車の音にかき消え、扉の外にいるキリーには聞こえていないはず。しかしあまりセンシティブなキーワードを叫ばれるのはまずい。
「まさか……女か⁉︎」
「非常に答えづらい質問だが、答えはイエスだ」
「ひっ……!」
「落ち着け。彼女はヌルチートを持たないし、存在も知らないだろう。そちらへ行っても?」
「く、来るなっ!」
通路を前に進もうとしたが、幼子のように背もたれに隠れるハルはそれがお気にめさないらしい。
俺はハルがいる座席の列とは反対の椅子、そのハンドレストに尻を下ろした。
「ではここで話そう」
ハルは背もたれの影からちらちらとこちらを窺っている。気の毒なほど怯えていた。
「あ……あんたは何なんだ? さっき絡んできたよな……でも、俺と同じてん……いや、あの」
「さっきは悪ったな。君と話をしたかったんだが、女に聞かれたくなかったもので。だからああいう形を取った」
「女……じゃああんたは、ヌルチートを知ってるってことか? あの、あの、あれが何で、何のつもりで女があれ持ってるのかも」
「ああ。隣国のタイバーンで襲われた。俺は君の境遇を具体的に知らないが、何が起こっているかは想像がついている」
背もたれから覗くハルの両眼。
不思議なものだ。
あの男は間違いなく、俺と同等の能力を持っている。
その無敵のはずの男が、脆弱な座席を唯一の盾としながら、初対面の人物を小動物のような動きで警戒している。
「……いったい、何しに来た……」
「君を助けに来た。あのヌルチートから」
「ほ、本当に……? 本当にあんたは、てん、あの」
「この乗り物、もう少し頑張った方がいい。でないとまた中国が調子にのるぞ。我が国の高速鉄道は日本を越えたってな」
窓を流れすぎていく景色を眺めつつそう言った。
列車が街壁に空いた門をくぐるところだった。一瞬だけ車内が暗くなり、再び日の光が差し込む。
街の外は草原だった。
地平線などというものは、初めて見たかも知れない。緑の草原と、青い空の境界。ただそれだけの風景が、どんどん後方へすぎ去っていく。
ハルが座席からよろよろと通路へ現れた。
通路の上で力なく膝を折り、ハンドレストにすがりつく。
そしてそのまま泣き始めた。
「……ほんとに……ほんとに、日本人……! 俺だけじゃ……俺だけじゃなかったんだ……!」
ふと客室後部に目をやると、扉の窓ガラスからキリーとラリアが顔を半分だけ出してこちらを覗き込んでいるのが見えた。俺はそこへ向け、待っているように手で示すと、泣きむせぶハルに歩み寄る。
「話してくれ。何があった?」
ハル・ノート。
前世の名は能登晴人と名乗った。職業、プロ無職。つまりニートだ。
通称ハルの話した転生奇譚、その前半はさして目新しい話でもなかった。
サッカレーの辺境の村で生まれたハルは、家畜の放牧を生業とする今生の両親の元で育った。
手づかみで食事をする両親におったまげ、彼は箸を作ったという。
2本の棒で食事を摂るハルを奇妙なものを見るような目で見ていた両親は、箸を使いこなすことができなかったそうだ。
そのため今度はフォークを作った。それが始まりだったのは、俺もキリーやサッカリー王子から聞いている。
これは使いやすかったのか両親はたいへんに感動し、おまえは天才だとハルを賞賛した。
両親の反応を見たハルは、どうもこの異世界の住人はカトラリーというものを知らないのではと考えた。
そこで都会へ出て、フォークの販売を行なうことを思いついた。5歳の頃だったという。
実際のところ、サッカレーの都市部にはスプーンならあったそうだ。
父とともにオデールという都市にやってきた幼い田舎者はその事実に少し面くらいはしたが、しかしフォークの販売は上手くいった。市場の野菜売りの隣で開店したのが功を奏したらしい。
やがて、フォークのアイディアを剽窃する者が現れた。
咬龍会という、当時でオデールで勢力を誇っていた結社だ。
東の大陸からやって来た移民の集まりだった。
咬龍会は豊富な資金を元にして大量にフォークを製造した。
たくさん売れれば値段を下げても利益が出るようになるのは商売の基本だ。しかしそのためオリジナルであるノート親子の手作りフォークは消費者にとって割高なものに思われたか、そのうち咬龍会に客を取られるようになった。
ノート親子は商売をたたみ、村へ帰ろうと考えた。
そこへ現れたのが……
「チュンヤン……あのチャイナドレスの子の、お父さんだった……」
だ、そうだ。
チュンヤンの父親は熊猫会という結社のリーダーで、長年咬龍会と対立していた。
チュンヤンパパは、田舎へ帰ろうとしていたノート親子を引き留め、支援をしたいと言い出した。
ハルはフォークのシェアを奪われた以上、もうどうにもならないし興味もないとチュンパパに話した。また別の方法について考えますと。
チュンパパの目的はそこにあると話したそうだ。
フォークなんてただのモノだ、重要なのはそれを生み出す知恵だと。そしてその知恵を持つハルが、また別の方法を考える。たいへん結構、その別の方法を考える手助けをしたい、スポンサーになりたいのだと持ちかけてきた。
カッペのノート親子はあまりよく知らなかったが、オデールの街では咬龍会という存在が快く思われていなかった。
オデールの支配者である貴族に賄賂を贈り、数々の悪事に目をつぶってもらい、それをいいことにやりたい放題。
熊猫会は街の人々の先頭に立って、何とか咬龍会の力を削ぐことを考えていたというのが、当時のオデールの状況だったらしい。
ハルは漠然と、咬龍会とはヤクザのようなものかと考えた。
少し怖かったが、あくまで表に立つのは熊猫会であり、ノート親子の安全は必ず守ると言われたので、ハルは了承することにした。
そこで出会ったのが、同い年のチュンヤンだという。
オデールに滞在したハルは、時々チュンヤンと遊んだりしながら新たなビジネスを考え始めた。
「……チュンヤンは……可愛かったなぁ。俺のこと好き好きオーラを隠しもしなくて、そういうところが……デュフフ。まあ幼女ってワガママだから若干イライラすることもあったけども……」
そんなような話を、ハルは俺の目を見ずに続ける。
そういう転生幼児ライフを送っていた頃のことだ。
咬龍会がライバルの熊猫会を抹殺すべく、暴挙に及んだ。
チュンヤンが誘拐されたのだ。
その時ハルの身に次々とスキルが発動したという。
かいつまんで言うと、天才少年ハル・ノートの華麗なる活躍により咬龍会は壊滅した。
咬龍会頭目は死亡。ハルが自ら殺ったという(俺はそこについて何かひと言言うべきかと思ったが、黙って先を聞くことにした)。
その後のフォークの行く末についてはキリーに聞いた話と同じだった。
一大フォークカルテルを作り上げたハルは、母も故郷の村から呼び寄せ、しばらくオデールで暮らした。
ある年のこと。
ハルは両親から、フェリデールへ行ってみてはどうかと持ちかけられた。
ハルのスキルの才能をここで埋もれさせるのは惜しい、フェリデールの冒険者学校へ通い、その才能をさらに伸ばしてみてはどうかと。
セレブとしての退屈な日々に飽きがき始めていたハルはその話に乗った。
冒険。男心をくすぐる詩的な響きだと思ったそうだ。
フェリデールの学校へ通い始めたのは、ハルが13歳の頃だった。
チュンヤンはついてこなかった。東の祖国、故郷の一族の元へ帰り、熊猫会次期頭目としての本格的な修行をするとのことだった。
天才少年ハル・ノートの才能は学校においても炸裂したそうだが、俺は内容のほとんど聞き流した。
やれ他の生徒と違い自分の能力がどうだだの、手加減してやっても周りがついてこられなかっただの、マジ無双だの、ニチャニチャとニチャついた笑みでボソボソ話すものだから、俺は窓を開けて外に向かって叫びだしたくなったものだ。レディーたち。ハル・ノートはここだ。そういうことをだ。
とにかくそこで出会ったのが、アリスという少女だった。
彼女は学校で最もイケてる少女だったそうで、みんなの憧れで、スタイルがよくて、でもなぜか陰キャの自分のそばから離れようとしない件が頭をなやませていて、童貞を捨てたのがそのアリスとで、おーいブリジット、ここだ、ここにハル・ノートがいるぞ、ディアナにも教えてやれ、ロス・アラモス様が捕まえておいてやったぞ。
……そうこうしているうちに、ハルとアリスは16歳になっていた。
その頃、修行を終えたらしいチュンヤンが再びサッカレーへ戻ってきた。
何でもどうしてもハルと一緒に冒険者学校へ通いたいと駄々をこねて、戻ってきたのだと。
チュンヤンにはディアナがついていた。
ディアナは元は、熊猫会の賭博場の警備をしていたバウンサーだったという。ハルたちとは1つ年下ではあったが、熊猫会の父親が娘のためにボディガードとしてよこしたのだそうだ。
そしてその後も、キリーに聞いた通りの展開。
エンシェントドラゴンの来襲、その討伐、ハルの貴族取り立て。
ブリジットの登場、婚約、非道な貴族の死。
裁判、先王の追放、そして戴冠。
ブリジットを名目上の第一夫人として迎え、アリス、チュンヤン、ディアナとも結婚。
それから幾つかの政策を打ち出して王様ゲームに興じていたというわけだったが……。
…………。
………………。




