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第六十一話 ありふれてるさ


 俺とラリア、キリーは宿屋へ戻った。


 さっそく消化が始まったのかウトウトしているラリアを抱きかかえて木造の廊下を歩き、部屋に入る。

 キリーとは別の部屋を取っていたのだが、明日以降の打ち合わせをするといってついてきた。


 ベッドに寝かせると、ラリアは丸まって寝息をたて始めた。

 俺はもう1つのベッドに腰掛ける。キリーは部屋にあった椅子に腰を下ろす。俺は尋ねた。


「イズィメというのは何だろう?」


 キリーはしばらくの間、俺の顔を見ているだけだった。だがやがて視線を床に落とすと、答えた。


「……ハル・ノートが王位についてのち制定された新しい法でござる。正しくは、違法行為の名称でござるが」

「どういった罪なんだろう? 逮捕されると即死刑のように言っていたが、ならよほどの重罪だ」


 ため息をついたキリー。


「……子供同士のいじめのことを指す言葉でござる」


 しばらく、俺は言葉を返すことができなかった。

 イズィメ。

 聞いた瞬間外国語のように思っていた。レジュメみたいな。異世界の言葉なのだろうと。


 だが聞いてみれば、普通にいじめのことだという。発音も内容もほぼ一致しているのに知らない言葉のように聞こえたのが不思議に思えた。


 俺は異世界にやってきた時からこの地の言語を話せたものだからあまり意識していなかったが、たぶん今俺は日本語を喋っていない。だから、日本語の「いじめ」と異世界語の「いじめ」が別の言語のように聞こえたのだろうか。「イズィメ」というのは、おそらく日本語由来なのだ。


「ハル・ノートが名付けたもので……あの者は時々そういう語感に馴染みのない単語を話すことがあるのでござる」


 キリー……いや、異世界人にはやはりまったく違った響きに聞こえるらしい。ロス・アラモスの耳と脳は、ひょっとして異世界語を言語としてではなくニュアンスだけで捉えているのだろうか? 俺にはいじめとイズィメは同じような言葉にしか聞こえない。


「……しかしキリー。こう言うのもどうかとは思うが、たかがいじめだろう? いきなり死刑というのも……。それにさっきの子供たち。2人だけだったし、勘違いだったとはいえ、そう深刻のようにも見えなかった。それをあの警護兵、いや君も、もう死刑になると決定したように話していたが……」


 先ほど路地裏で会った少年たち。


 俺が予想したとおり、背の低い方の子は言語障害があった。

 耳は聞こえていた。背の高い方の少年が俺たちに話したところによると、なんと父親が強盗に刺殺されるところを目の当たりにし、ショックで声を失ったそうだ。


 長身の少年は彼を元気づけるため、もう悪漢に怯えなくてすむよう、ファイトの練習を提案した。強くなれと。そしてそれに励んでいる時、警護兵にいじめと誤解され咎められたのだと俺たちに話した。


「おかしいと思われるのも無理はござらぬ。イズィメは、それが発覚した瞬間弁明の余地もなく死刑になり申す。そういう法なのでござる……」


 そう言ったあと、キリーが俺をちらりと見て、それから首をすくめた。俺は眉間を少し揉みほぐす。睨んでいると思われたのかも知れない。


「主観で感想を言っていいだろうか? 厳しすぎる。と言うより雑すぎる」

「……そのとおりでござる」

「たしかハルは貴族を拷問死させた時、すったもんだ話し合ったあげくその刑罰は領地没収と許嫁との婚約破棄だけだったはず。なのに子供は小競り合いで即死刑か?」

「……あやつが王になってからはそうでござる。とにかく、あらゆることの刑罰が重くなったのでござる。先ほどの少年の父親、覚えておられるか?」

「強盗に殺られたという?」

「少年は犯人は捕まったと話してござった。……おそらくその強盗、四肢を切断ののち豚小屋に捨てられたと思いまする」


 俺は手のひらで顔をなで、そのまま目を覆う。

 おおかたその強盗はまだ生きているか、あるいはしばらくは生きていたのだろう。ひょっとしたらつい最近ぐらいまで、もしくは少年たちが強さを求めて己を鍛えあげていたあの時、そしてあり得ることだが、この瞬間もまだ。それをキリーに確認する気にはなれなかった。

 

「……ハル・ノートは、己はしょっちゅう失敗するくせに、どこか狭量で……正義感が強いのだろうとは思うのでござるが、加減を知らぬと言うか……」

「治安はよくなりそうだな」


 俺の言った皮肉にキリーは首を横に振る。


「ハルの目の届きにくい辺境ではまださほど影響はないのでござるが、フェリデールとその近郊では、ささいな言動でも罪となりかねぬ状況。治安はいいのでござるよ。しかしなぜかと言えば、みな失言により他者を傷つけぬよう必要以上に他者と触れ合わぬようになったからでござる」


 なるほど。大都会万歳。もしこのサッカレーにSNSがあったら、今頃人口が3分の1ぐらいに減っていたかも知れない。


「ドリアス団長が憂慮しておられました。民衆の中には、息苦しきフェリデール、いやサッカレーを離れ、タイバーンや他の国へ移住する者も出始めておりまする。今やこのフェリデールに残っている者は、自分を隠すのが得手(えて)な金持ちと、正直ですがどこへも行けない貧乏人の2つにわかれかけていると……」


 おっと、人口減少はすでに始まっていたらしい。

 改革派と呼ばれる政治家が王室の伝統をないがしろにし、ポッと出の平民が唐突に為政者として成りかわる。あらゆる事柄が二極化し、人々はソーシャルジャスティスウォリアーの監視の目に怯える。グローバリズムというライフスタイルが、サッカレーでも流行しているというわけか。


 中世ヨーロッパ風と見せかけて実に先進的なことだ。

 当たり前か。今この国の王は先進国からやってきた人物が務めているんだった。


「ロス殿。転生者という者は……何者なのでござろうな……」


 顔の手をどけると、キリーが俺を見ていた。


「カシアノーラ大陸に伝わる伝説によれば、転生者は凄まじき力と神の如き知恵を持つと言われてござる。しかしこの地に現れた転生者は…………」


 ただの厄介者だった。


 無駄に暴力的で、無計画で、遵法精神は希薄、大きな悪事ならまだしもささいな悪事にもカンシャクを起こし、性欲は強く、やりたい放題。

 取り柄と言えばドラゴンを殺すことと、うどんのレシピを伝えることだけ。

 俺は答えた。


「ありふれた人間だ。明日、そいつの始末をつける。今日はもう寝よう」


 打ち合わせをするつもりだったが、何だか気が削がれた。

 キリーは少し逡巡してはいたが、すぐに俺にお休みを言うと、自室に戻っていった。






 扉が閉められたあと、部屋にはラリアの規則的で無邪気な寝息の音だけがあった。


 俺は宿屋の壁をじっと眺めた。木の黒い節が、まるで瞳のように俺を見返しているような気がした。


 ハル・ノート。


 キリーや、あるいはドリアスたちと一緒に奴の陰口に花を咲かせるのも楽しいかも知れないと思った。だがそれは鏡に向かって罵倒するような、後味の悪い思いが残るだけの結果にしかならないような気がした。


 子供に対してすら重い罰をいとわないハル。

 転生者。おそらく日本人。

 いじめ(いやイズィメか、どっちでもいいが)を憎む極端な正義感をお持ちのようだが、前世で何かあったのだろうか。


 俺は少しだけ、何もなくとも同じではないかと思った。


 前世では、いじめを憎む日本人など腐るほどいた。


 いじめを苦にして自殺する学生が出るたびに、厳罰に処せ、少年法を改正しろ、さっさと警察を介入させればいいと、インターネットには怒れる民衆の声が飛び交っていた。


 その手のニュースを目にするたびに、これで最後になればいいのだがといつも俺は思う。

 そしてその手のニュースはたいていほんの少しの斬新さを加えることもなく、あたかも桜の開花の知らせに匹敵する頻度と陳腐さで、定期的に俺の耳目に飛び込んできていたことを思い出す。


 起こっていることがわかっていながら何も解決しない。解決する兆しもなく、誰か解決しようとしている人の噂も、進展すらも聞こえてこない。


 俺がトラックに轢かれた年も、やはりそんなニュースを見たような覚えがある。


 中部地方のどこかの中学校で、学校になじめず誰かが死んだ。

 話題に斬新さがないせいかワイドショーは詳細をなかなか報道せず、ネット民たちが苛立っていたのを覚えている。

 やがて……何だったか、日本の学者がナントカ言うものすごい性能のコンピューターを完成させたとかいうニュースに埋もれ、一時期事件の続報は途絶えた。移り気な人々は事件を忘れていった。


 そう言えばいじめの首謀者が何者かに殺されたために事件の報道は再燃したんだったか。そのため今度は学者の功績が霞んでしまい、結局何の発明だったのかさっぱりわからなくなったが。


 いつもそんな調子だ。


 問題は山積みで、大きな問題から小さな問題まであり、どこから手をつけていけばいいのかわからず、そうしてまごついているうちにさらに増えていく。


 いじめ。犯罪の増加。タバコのポイ捨て。不景気。ブラック企業。地球温暖化。地球温暖化はデマであるという噂。それこそがデマであるという噂。


 何から知らせ、何を後回しにしなければならないのか、誰もが選択を迫られていた。


 俺たちのほとんどは出口のない憤りを抱えながら生きていた。

 いや。実のところその出口は、探し当てようとすればできたのかも知れない。あるいはこじ空けるなり、別の道を見つけるなり、何かあったかも知れない。

 ただ俺たちの誰も、語弊があるならほとんどと言い直してもいい、そうすることに億劫さを感じていたのだ。


 俺は自分の手のひらに目をやった。拳の形に握る。


《パウンドフォーパウンドのスキルが発動しました》


 俺だってそうだ。

 社会の汚れと己の弱さに目をつぶり、ただ巣の外で見かけるタイプの蟻のような、まるで思考しない生き物のように日々を送っていただけ。


《解除しました》


 ハル・ノートという男は圧倒的な力を持つことをいいことに出口を探し始めたのだろう。


 かつての俺はそうしなかったし、俺は社会どころか自分の人生すら打開できない男だったが……ロス・アラモスならどうしただろうか。

 不当で理不尽な悪に直面した時。

 解決し得ない、誰もする気のない問題に出会った時。

 やはりクールでタフな冒険者はこの拳で、ほんの少しの同情心も抱かず、ただ打ち据えるのか。


 ハル・ノート。

 残酷で極端な暴君。

 昔は何という名前だったのか知らないが、中世ヨーロッパ風の異世界にやってきて、自分自身も脳ミソが中世になってしまったのか。


 いや、その短絡的な姿は、ひょっとしたら俺たち日本人が、世界中の人々が、そうありたいと願っている、ありふれた………………。


 


 ぷう。と音がした。


 音のした方を見やると、そこには毛布を足で跳ねのけたラリアが寝転がっている。

 異臭がかすかに漂い始めた。


 俺は尻を乗せていたベッドから立ち上がると、コートを掛けておいた帽子掛けに、三角帽子を脱いで掛けた。それからラリアに毛布を掛けなおしてやり、今度は壁のランプへ歩く。


 ガラスに囲われたロウソク。金属製のフックからランプを外し、上部の蓋を開ける。

 ラリアの寝顔に目をやった。

 むにゃむにゃと何事かを呟いている。何も考えてなさそうな無邪気な寝顔。あの子は両親を亡くしたのだったか。俺はロウソクをふっと吹き消した。


 暗闇の中ベッドに潜り込む。


 俺はいつも毛布にくるまると、しばし全身を伸ばす。

 そして明日は世界がもうちょっとだけマシになればいいと思いながら目をつぶる。


 そういう習慣だった。

 明日、俺はその自分でもよくわからないマシな世界とやらにするための行動を始めなければならない。

 世界のすべては無理でも、少なくともこのサッカレーという縁のない国と、そこに暮らす人々と。そしておそらくハルのために。


 明日目を開けたら、出口の扉を探しにいくのだ。

 

 

 

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