第五十七話 王子の苦悩
天井にかぶさる木戸を開けて、俺は砦の屋上へ出た。
空は少しだけ白み始めていた。
人が夢から目覚めて自分の本来の立ち位置を思い出すように、空もまた己の青さを少しずつ、思い出そうとしていた。
砦の片方は山の斜面。反対側は広がる森を見下ろせた。
その森と、うっすらと白く明ける夜の線が描く地平線を遮って、王子はこちらに背中を向けて立っていた。
そばにはドリアス団長が控えている。俺は屋上の床に立ち、微風に肌寒さを感じつつ王子へと近づいた。
「殿下。ロス殿です」
ドリアス団長が囁くのへ、サッカリー王子はうなずいて振り返る。
「ドリアス団長。少し外しなさい」
「は……しかしながら殿下、自分は殿下の護衛を……」
「ロス殿と2人で話したいのだ」
ドリアス団長は少し逡巡の色を見せていたが、一礼して扉へと歩いて行った。王子は団長が扉の下へ消えるまで見送っていたが、扉が閉められたのを見てから俺に向き直った。
「……キリーからお聞きになりましたか」
「ハル・ノートという男に国を盗られたそうだな」
王子は目を伏せ、それから森の向こうへ目をやった。
琥珀の瞳を包む長い睫毛。エルフは顔を別人と交換する魔法を使ったと言っていたが、そこはワイルド氏だった頃と変わらなかった。その穏やかかつ、苦渋に満ちた表情も。
彼は屋上の縁近くに立ち、地平線を眺めていた。
俺も縁に立ち、森を見下ろす。どこかにパンジャンドラムが潜んでいるはずだ。俺を見つけて、無事であることを確認してくれればいいが。
王子が何も言わないので俺から切り出す。
「一部の家臣を率いて逃れたと聞いたが……思った以上に追い詰められた状況らしいな。まさか隠れ蓑が山賊の汚名とは」
王子は目を伏せた。そして、
「全ては私の不徳の致すところ」
そう語り出した。
「もはや言うまでもないことでしょうが、カスパールという名はハル・ノートとその一派の目をくらますための偽名です。私たちはそうやって、彼奴らの目から逃れ、再起を図っていました」
王子はこれまでの日々を思い出すかのように少し沈黙した。そして深くため息をついた後、再び話す。
「ある家臣の領地に身を寄せました。祖父の代から支えてくれていた忠臣です。隠れ家、資金、兵士、あらゆる面で助けてくれました。しかし、彼奴らが真っ先に目をつけるのはその者であろうとわかっていたため、私はその地を去るとその者に伝えました。……彼は必死に止めてきましたよ。私の手を握り、どうぞ行ってくださるな、私があなた様をお守りしてみせる、転生者何するものぞ、と」
そして彼は、しばらくの間自分の手のひらを見ていた。
「その次の日の晩、ハル・ノート一派の襲撃があり、彼は捕縛されました。私を逃がそうとして。…………処刑されたそうです」
強く目をつぶり、拳を握る。それもほんの少しの間のことで、王子は瞳を開けて森を見やった。
「それからの逃亡は厳しいものとなりました。援助はなく、味方もいない。我々は次第に困窮するようになりました。私に付き従う騎士団と諜報部の兵士は約100名ほど。その食料にすら窮する始末。みな、気丈にも王位奪還のためと私に忠誠を捧げてくれていましたが……その顔は日々やつれていくのがわかりました」
俺は言った。
「それで。ミスタ・カスパールはその状況をどう打開したんだろう?」
王子はふっと笑って答えた。
「単純ですよ。置手紙を残して、1人逃げたのです。手紙にはこう書いておきました。私をけして探すな。私のことは忘れろ。みな、サッカレー王家の家臣としてではなく、ただ1人の人間として新たな生活を始めてほしい。サッカレーに縛られるなと」
「あのエルフとは?」
「偶然出会いました。みなの野営地を抜け出した夜、日が昇ってすぐでした。私が森の中の川を眺めていると話しかけてきたのです。早まるな、あなたまだ若いでしょ、と」
俺は階下にいるであろうエルフの姿を思い浮かべた。
思えば奴と始めて会ったのも森だった。ずいぶん森が好きな少女だ。しかもあんな間抜けな鼻提灯しておいて、割と親切だ。川を覗き込む王子を見て、自殺と勘違いし止めようとするなど。
「私は彼女に、誰も私のことを知らない所へ行きたいのですと話しました。まったくの別人になって、やり直したいと。彼女はそれでは顔を変えてやると言って……」
「あなたは新たな顔を手に入れて、教会へ潜り込んだ。司祭ワイルドの誕生というわけだ」
「その通りです。私はこれ以上、私のために誰かが傷つくところを見たくなかったのです。あの恐るべき転生者に立ち向かうという無謀のため、苦しんでほしくなかった。だから……」
「だから畑をいじりながら、ハル・ノート王の悪口を言っていたのか」
王子は俺を振り返った。
「キリーが、カスパールという人物はいつも勉学に勤しんでいたと言っていたよ。農業技術じゃないのか。あなたはスコーウェルの農業が上手くいかないのはハルの失策だと暗に言っていた。あなたがキリーの元を去って2年。そう断じられるぐらい、あなたはサッカレー各地の畑を見てきたということだ。本当はあなた自身、今でもハルを除く必要があると思っているんじゃないのか」
俺は王子の顔から、感情の動きを覗こうとした。彼は睫毛を震わせ顔を伏せた。
「ハル・ノートという人物は……ずいぶん前から、突拍子もないアイディアを実行に移す男として知られていました。貴族となってからは主に己の領地でそういったことをやっていました。畑に人糞を撒けばいいとか、春と秋とで作る作物を2種類にしてはどうだろう? とか……。どれも上手くはいっていないようでしたが」
季節によって作物を変える。二毛作か。成功すれば獲れ高は倍になるが、かなり限定された気候でしか行なえないと聞いてはいるが……。
「他にも、平等がどうとか言って貴族階級の者に単純作業をやらせて指示系統を混乱させたり、労働者の賃金を上げて予算を圧迫し、大工の材料費、農業の種代などを捻出できず生産効率を下げてみたりとか……」
どうもハル・ノートなる転生者、ずいぶんな行動派らしい。
しかも厄介なタイプの頑張り屋のようだ。
「挙句、上手くいかないのはみんなの努力が足りないからだ、根性がないのだと責任転嫁をする始末……」
俺は確信を抱いた。
ハル・ノートは日本人で間違いない。
親近感というものが不快な感情を生むという感覚は新鮮な体験だった。
「彼が自領でやっているうちは、他領の貴族たちがそれを笑うだけで済んでいました。もちろん、ハル・ノートの領民の心を思えば笑い話ではないのですが……しかしそれがあの日以来、サッカレー王国全土に広がってしまったのです」
「止める者はいなかったのか? ハルがまだ王になる前は……」
「何せ相手はエンシェントドラゴンを倒した英雄です。みな、何かきっと意味があるのだろう、自分には理解できない崇高な知恵が働いているのだろうと考えていたようでした。それに、彼は商売の方では成功しています」
おまけに、と王子は続けた。
「ブリジット殿との件が、ハル・ノートの名を上げる要因ともなりました。お聞きになりましたか?」
「ああ。派手なパーティーだったそうだな」
「ブリジット殿の領地を狙った貴族、評判の悪い男でした。地域の者たちはハル・ノートを賞賛していたのです。ちょっと頭は変だが正義感に溢れるお方だと」
なるほど。
気は優しくて力持ち。
転生者ハル・ノートの異世界での評価は、パワー系何とやらと言ったところのようだ。
「ですがその果てに……」
「やはりどこかへ閉じ込めておくべき人間だったとわかった、ということか」
俺の言葉に王子は再び拳を握りしめた。
対立した貴族の拷問死。
王位簒奪。
奇天烈政策の拡大。
それが自分の国で起こったことだとしたらと想像する。
恐ろしいことだ……と思ったが俺の国もそう変わらなかった。
おそらく世界中のみんながそう思っているだろう。
どこの世界も新しい為政者が選ばれるたびに、その奇天烈具合にため息をついていた。
「……本来であれば……本来であれば、私がそれを是正する立場にあるのです。しかし私は恐ろしい。立ち向かうことが。死ぬことが。そして私に付き従ってくれる者たちが死んでいくのが。だから逃げたのです。国が衰えていくところを間近で見ながら、なんら手を打つでもなく……」
「だがあなたは戻ってきた。顔と名前を取り戻して、みんなの前に帰ってきた」
「それは……ドリアスをはじめとした兵たちが、山賊にまで身を堕としていることを知ったからです。私が去ってから、まさかあれほど……あの者らはまだ諦めてはいない。だが民を苦しめてまで、王位を求めるなど! 私はもうそれをやめてほしいと直接言うために戻ってきたのです」
俺は地平線に目をやった。
王子の瞳から涙がこぼれそうに見えたからだ。
地平線の向こうが輝きを増していく。
徐々に太陽が顔を出し始めていた。
森を、砦を、俺たちを、太陽が照らす。
「……私には無理なのです……私に、私という人間に王という仕事を求められることなど…………」
俺は言った。
「いくら出せる?」
王子は俺を振り返ったようだった。
その表情は見えない。俺は太陽を眺めながら言う。
「キリーは俺にハル・ノートを倒す手伝いをしてほしいそうだ。彼女はそのために、俺に体を投げ出す覚悟まで決めていたようだったよ。……やってもいい。俺はゴースラントへ行きたいんだが、旅費が足りるかどうか不安なんだ。金はあればあるほどいい。額次第で、俺が転生者を除いてやってもいい」
王子の答えは、やや遅れてやってきた。
「できると……言うのですか? 転生者を……?」
「俺にはすでに奴の弱点が推察できている」
「な、なぜに⁉︎ あなたはサッカレーに来て日が浅いと聞きました。なぜそのようなことが」
「敵を見切る洞察力がなければエンシェントドラゴンは倒せない。そしてその洞察力をロス・アラモスは備えている」
「しかし……これは戦争です。多くの血が流れるのは……」
「一対一で決着をつけてくれる」
「そのようなことが……」
「ロス・アラモスに不可能はない」
俺は王子を振り返った。
正直なところ、俺は別にハル・ノートと荒野で殴り合いなどするつもりはなかった。
おそらくハル・ノートはすでに瀕死だ。
王子をはじめ砦の人々はハルを恐れているが、俺は彼をすでに見ていた。
ハルもまた、幸せではない。そして俺はその理由に想像がついていた。
ハル・ノートを排除すればいい。
それは闘いによってでなくてもいい。
そのために俺はハル・ノートと話すつもりだった。
邪智暴虐の王を除くためばかりではない。ハル自身のためにも。
おそらくハルは、俺もそうなるはずだった、恐るべき深みにはまり込んでいる。
「なっ……なんと頼もしい……!」
王子は何か震えていた。俺がハルをコテンパンにブチのめすと思っているのかも知れない。
「それで、払えるのか」
「あなたができるのであれば……この国を救えるのであれば、望む額を……!」
「ハル・ノートの命運は決まったようだな」
俺は朝日を背に扉へ向かった。
その俺の背中に、王子が声をかけた。
「……あなたは私を責めないのですか……? 重圧に耐えかね、責務を投げ出し逃げた私を……」
俺は立ち止まり振り返る。
朝日を浴びて立つ目の前の男は、王子だった。
順当にいっていれば、国を背負い、王となるべきだったはずの男。
サッカレーに生きる全ての人々の行く末を丸投げされた男。
俺は言った。
「物事には何にでも可能になる限界というものがある。責任であっても例外じゃない」
罪を犯さない者だけが石を投げる権利があるのなら、俺は石を拾うためにしゃがむことすら許されていないだろう。
俺は出ずる日に背を向けて、同郷の転生者の尻拭いをしに向かう。
ただそれだけ。それでいいのだ。
俺はもう振り返らず、扉へと向かった。




