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第三十九話 ゼンの湯


 しばらく湯に浸かりながら、俺はラリアに対する質問を再開することにした。


「俺が城へ行った時、おまえを置いていった。おまえは王都の下水道に商人と一緒にいたな。どうしてだ?」


 ラリアは水死体のふりをするのをやめると、俺の隣に戻ってきた。


「マスターがお城に行っちゃった後、ゴンザレスさんと遊んでたですよ。そしたら商人さんが来て、お城へ一緒に行こうって。商人さん、ゴンザレスさんに誰だって言われて、リベ……リベラ……」

「リベレイトエンジェル?」

「そうです! そこの人だって、自分で言ったです。嘘ついてるって思ったですけど、ゴンザレスさんはお仕事があるからって、行っちゃったです。それで、商人さんとお城へ行ったです」


 ゴンザレスをひっぱたいてやりたい気持ちに駆られた。

 不審人物にあっさり騙され、子供の保護をあろうことか奴隷商人に丸投げし、自分はどこかへ行っちゃったという。


 だがそのおかげで俺は今こうして無事でいられるわけだから、責められないが。


「なぜ城へ?」

「商人さんが、マスターを助けに行く、おまえがマスターと契約して、マスターを助けろって。表からは入れないから下水道から行こうって言ったですよ」

「なぜ商人は俺を助けるのか、話したか?」


 ラリアは首を横に振った。

 俺は腕組みをした。


 奴隷商人はラリアに、俺と契約をしろと言ったらしい。

 下水道で出会った時に、彼は俺にも、ラリアと契約しろとしつこく迫った。商人の言葉を思い出す。

 

『こんなことになるんじゃあないかって、思ってたんですよ。お兄さんと初めて会った時からねぇ』


 俺がヌルチートの脅威に追い詰められていた時だ。

 奴はこうも言っていた。こういうことのために、自分はラリアを預けたと。


 であれば、何だろうか?

 商人ははじめから俺がヌルチートに追い詰められることを知っていたから、その対処のためにラリアを預けたということだろうか。

 ヌルチートに対応させるために、ラリアを押しつけたと。


 事実、下水道での再会の直後、事態は好転した。

 思えば初めて会った時も、商人は俺に無理にラリアを押しつけようとしていた。購入代金を無料にしてまでだ。


 おかしな男だと思ってはいたが、俺をヌルチートから守ろうとしたがために、しつこくラリアを預けようとしたということか。


 であればなおさらわからない。

 あの奴隷商人は、初対面の俺が、セシリア姫をはじめとする女たちに、襲われることを知っていて、しかもヌルチートの登場を予見していて、なおかつわざわざ助けようとしてくれたということだ。


 全ての事柄が何もつながっていない。


 第一、商人はなぜラリアがヌルチートに対抗できると考えていたのだろうか?

 ヌルチートはアナスタシア・サンボーンという女が個人で研究していた合成魔獣だということだ。


 なぜ彼はその対応策を知っていたのだろうか。

 そしてその対応策がなぜラリアなのか。


「ラリア。おまえは、あのヌルチートという魔獣のことを知って……うおっ!」


 ラリアがぷかりと浮いていた。顔面が真っ赤だ。のぼせてしまったようだ。


「ラリア、もう出るぞ。これ以上ここにいてはボイルされる」


 俺はディフォルメラリアを抱きかかえて温泉を出ることにした。


 脱衣所でユカタをまとい、どこか涼しい場所を探して通路を歩く。

 どこもかしこも植物に囲まれていて、風が吹いていない。


 足湯のようなものがある場所が目に入る。周囲を囲う柱と屋根があり、備え付けのベンチもあった。

 止むを得ずそのベンチにラリアを寝かせた。


「うへぇぇ…………」


 ぐったりしたラリアはディフォルメを解いた。上気した顔。俺は手で扇いでやる。

 

 もちろんこの程度、気休めにしかならない。

 いつものように新たなスキルでも閃かないものか? このような場合に適した、何か相応しいスキルが。

 手が団扇になるスキル。

 鼻から冷風を出すスキル。

 肉体が冷蔵庫になるスキル。プラグを刺せるコンセントがないか、周囲の柱を見回す。

 

 すると、俺たちがゼンの湯から歩いてきたのと反対側の方向から、誰かが歩いてくるのが目に入った。

 一瞬腰を浮かしかけた。女だったからだ。小柄な少女が1人で、辺りをキョロキョロと落ち着きなく見回しながら歩いてくる。


 渋柿のような地味な色の髪を頭の上で団子にまとめ、ユカタを着た彼女と目が合った。彼女は少し逡巡したような表情を見せたが、俺に近づいてきて言った。


「あの、もし。ゼンの湯という湯場がいずこにあるか、ご存知ではござらぬか」


 これといって特徴のない顔の少女だった。

 48人ぐらい少女が並んでいたとしたら、必ず1番目か2番目に記憶から消えるタイプの顔。体つきも太ってもいないし、痩せてもいない。大きすぎる部分もなければ、その逆もない。

 それでいて、俺が今まで出会った(前世も含めてだが)どの女とも見劣りしない印象がある。そんな少女だった。


「そのまま歩き続けるといい。ゼンの湯までは一本道だ」

「そうなのでござるか? よかった。かたじけない。迷ってしまっていたもので……や?」


 少女の視線がラリアに向いた。


「どうなされたので?」

「のぼせたんだ」

「それはたいへんな」


 少女は呟きはじめた。


「我が身、その奥、泉のほとり。湧き出て冷やせ、ノースウィンド」


 少女がラリアに両手の指を突きつけた。

 俺はベンチのそばにしゃがんでその様子を見ていたが、膝にささやかな冷風が当たるのを感じた。

 どうやら少女の指から冷風が出ているらしい。その風を浴びたラリアが恍惚の表情を浮かべていた。


「はふぅ………………」


 ラリアの前で両手をかざす少女。銀河を支配する邪悪な皇帝が、光る棒を振り回す若者を懲らしめる時のポーズに似ていた。ずいぶん古い映画だ。新作が作られるたびに批判されていたのを思い出す。だいたいにおいて、新しい話というものは誰かを不愉快にするものだ。新作が出ると、前作の方がよかったと言う。そしてまた新作を出すと、まだ前作の方がよかったと言う。だから新作を出すと、前作の方がマシだったと言う。その繰り返しだ。そうやってその映画は、追いかけるのが面倒なほどのシリーズを作り上げた。どうせ作らなくても、作られないことが理由で誰かが不愉快になるのだ。人はいつも、1つ前の世界に戻りたがるものだ。人々が求めているのは面白い物語ではない。よく知っている物語だ。知っていればいるほど悪口は言いやすい。原作のよさが台無しだと言い、次の瞬間には懐古趣味だと叫ぶ。作品とは鑑賞するだけではなく罵倒するところまで含めて、エンターテイメントなのだ。


「おねえさん、ありがとうです! 元気になったですよ!」


《ラリアが状態異常から回復しました》 善意でやっているのだろうが突然の心の声はいつもギョッとする。


 少女は冷風を吹き出すのをやめた。


「造作もなきこと」


 そう言って、ラリアににっこりと微笑んだ。


「ありがとう。助かったよ」

「いえ。道を教えていただいた礼にござるよ」


 少女はお辞儀をして、そしてゼンの湯の方へと歩き出そうとした。


 しかし思い直したように俺を振り返って、言った。


「……もう1つ、お尋ねしたいことがあるのでござるが」

「俺がその答えを知ってるといいんだが。何だろう?」

「カスパール、という名の男性を、ご存知でござろうか? この地域にいらっしゃると聞いたのでござるが」

「知らないな」

「そうでござろうな」


 自分で尋ねておきながら俺が知らないことを知っているかのような口ぶりの彼女は、改めてお辞儀をすると、今度こそ立ち去っていった。


 俺は片膝をついたまま少しそれを見送っていたが、ディフォルメ化したラリアが左腕によじ登ってきたので立ち上がった。宿に戻るために歩き出す。


 少女の顔はすぐ忘れるかと思ったが、にっこりとした笑顔だけは妙に記憶に残った。

 女性の挨拶程度の愛想笑いに魅力を感じるというのはある意味で情けないものだ。

 あの微笑みがラリアへ向けたものではなく俺に向けられていたとしたら、その情けなさはもっと増していただろう。


 俺は少したちどまって、ゼンの湯の方向を振り向いた。

 後少し、湯から上がるのを遅らせていたとしたら、あの少女とゼンの湯で出会うことになっていたのだろうか。ゼンの湯は特に男女が分けられていたわけではなかった。


 俺は首を振って歩き出した。

 もし実現していたら、俺はあの少女をタイバーンの誰かと比べることになっていたろう。

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