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第三十八話 サッカレー王国と温泉

人間は誰だって考えている。

インテリだけがそれを自慢しているのだ。


ーボーヴォワールー


 サッカレー王国は鉱物の輸出が主な産業の国だった。


 ダイヤモンドと鉄。


 その歴史の初めこそ、製鉄技術の早期確立により他国に対してアドバンテージを持っていたが、やがて他国でも同様の技術の研究が行なわれ、やがてサッカレーは原材料の輸出を細々と行なうだけとなった。

 そして今日(こんにち)サッカレーは、カシアノーラ大陸にありふれた小国の1つという地位に甘んじている。






 というようなことが書かれた本を、俺はテーブルに置いた。


 ここはサッカレー王国の東側。タイバーン王国との国境近くにある町。


 俺はタイバーンを逐電したあの日、休まず走ってラバサへと向かった。

 ラバサはゴブリン狩りに出かけた際に立ち寄った、国境沿いタイバーン側の町だ。

 そこで地図を買い、国境を越えた。


 街道にある出入国管理所は、拍子抜けするほどあっさり通過することができた。

 冒険者ギルドのギルドカードはパスポートの役割も持つ。これを所持する者はどこの国であろうとフリーパスだとギルドの受付嬢が言っていたが、まさにその通りだった。


 タイバーンのギルドが俺のギルドカードの効力を停止しているかも知れない。その可能性についての懸念が、俺の頭になかったわけではない。


 俺はタイバーンで間違いなくお尋ね者となっているはずだった。だからギルドが各所に触れを出し、入管のような検問所で俺の脱出を見張っているのではないかと。


 その懸念があったからこそ、下水道を脱してから国境までノンストップで走り続けた。

 その甲斐あって、俺はタイバーンの手が回りきる前に高飛びを成功させられた……少なくとも今の段階ではそう考えている。






 そして今、俺は町の宿屋で椅子に座ってぼんやりと壁を眺めていた。


 安宿の木製の壁。羽目板の表面は鉋ややすりをかける手間を惜しんだのか、でこぼこと盛り上がっている。右手の窓から夕日が差し込み、四角い光線に照らされた空間にだけ、埃が舞っているのが見えた。


 同じテーブルに座っているラリア。

 今はディフォルメではなく細身の子供の姿をしていた。さっき俺が置いた本を手に取って開いたが、すぐに閉じて置く。字が読めないのかも知れない。


 今日は朝からずっと俺たちは黙っていた。

 タイバーンで起こったできごとを自分の中で消化する必要があって、俺は沈思黙考し続けていた。

 俺が黙っているから、ラリアも黙っているのだろう。前世の実家の食卓も、いつもこういった感じだったことを思い出した。


「あの奴隷商人は何者なんだろう?」


 ラリアがこちらを向いた。

 唐突に声を発したから、俺が声を発したという事実をまず受け止めてようとしているのか、ラリアは無言だった。俺は同じことをもう一度尋ねる。


「わかんないです」

「初めて会ったのはいつだ。出会った時、ラリアは何をしていた?」

「村で、悪い人たちにさらわれたです。お船に乗せられてマスターのいた町に来たですよ。そしたら港で、商人さんが、ボクに、来なさいって」

「それから?」

「ボク、あのお店にずっといたです。商人さんがツドニイの葉を探してくれてたですけど、あんまり見つからないって言ってたです。ボク、お腹が減って……そしたらマスターが来たです」


 そこまでは特に、俺が期待していたような面白エピソードは含まれていなかった。時系列どおりのあらすじだ。


 さらに質問しようとした時、部屋のドアがノックされた。

 

 裸足の足で立っていく。


 ドアを開けると、宿の主人がいた。

 顔中を覆ったむさ苦しい髭に、小太りの大きな肉体。デカい腹にエプロンをしている。安宿の亭主と言われればそう見えるが、木こりと言われればそうも見える、そんな中年の男だ。


「お客さん。夕飯の前に、風呂に入っちゃどうだい?」

「何だと?」


 異世界に風呂があるとは知らなかった。

 そもそも浴槽に湯を張りそこへ浸かって数をカウントする文化など、日本ぐらいしかないという話を聞いたことがある。もちろん風の噂でだ。

 この異世界に来てからも、風呂に入った覚えがない。タイバーンの宿屋にもそんなものはなかった。


「お客さん、こう言っちゃなんだけど、すごい臭いさせてるよ」


 亭主は鼻をつまんだ。


 たしかに俺は風呂に入っていない。

 シャワーも浴びていない。

 浜辺で恋人たちが戯れるように下水のドブに足を突っ込んで美女たちと追いかけっこをしたのは昨日の夜のことだ。靴下はサッカレーに入ってから捨てたが、ブーツも危険なことになっているだろう。


 ただ、だからと言って面と向かってのジェスチャーとはいかがなものか。過剰なへつらいを礼儀正しいサービスだと履き違えた国からやって来た俺としては、異文化の洗礼を受けた気持ちになった。


「お客さんはタイバーンから来たんだってね。このサッカレーじゃ、風呂に入らない奴はゴブリンやオーク扱いされちまうよ」


 それは別に日本でも変わらない。


「この町自慢の温泉があるんだ。入ってきなって。ブーツも洗っといてやる。俺のサンダルを履いていくといい」


 俺は部屋の中を振り返って、ラリアに目をやった。

 気がつかなかったが、ラリアもそんな臭いをさせているのだろうか。あの子も下水道をうろうろしていたのだ。自分の体臭は自分で気づかないというが、俺とラリアは2人とも、まったく同じ下水の臭いをさせているということか。

 俺は亭主に向き直った。


「衣服の洗濯も頼めるのか?」

「ああもちろん。と言っても別料金だがね。着替えはある?」

「いや」

「じゃユカタを貸してやろう」

「ユカタ」

「ああそうさ。サッカレーの温泉街にはつきもの。風呂に入ってからこれを着るとさっぱりするぜ」


 俺はしばし考えて、


「ではそれを貸してくれ。洗濯も頼みたい。ブーツは処分してくれて結構だ、新しいのを買う」





 俺はラリアと連れ立って、温泉へと向かった。


 サッカレーに飛び込んでから余裕がなかったので気がつかなかったが、俺が選んだ宿自体が温泉街の一部だったらしい。


 山に囲まれた温泉街を眺める。

 何か、既視感のようなものを感じる町だった。


 手すりが設置された川堀が道路の真ん中を走っていて、その左右には旅館めいた建物が並んでいる。

 その建物は和風の建造物のような風情を漂わせていた。


 大きくせり出した屋根のひさし。

 2階建てや3階建てだが、1階ごとに窓の下に長いひさしが設けられていた。

 タイバーンの建物は典型的な中世ヨーロッパといった具合で、これほど執拗なひさしに対する執着は見られなかったが、サッカレーはそんなに雨が多い地域なのだろうか。


 だが既視感の原因はそれではない。

 通りを歩いていると、白い壁面を持つ建物も見受けられた。触ってみると、それがコンクリートであることがわかる。


 コンクリートと、何か中途半端な和風感。考察の足りない外国人が日本を表現しようとした映画のワンシーンと、キャバクラで遊ぶことしか頭にない公務員が業者に丸投げした都市設計が同居する街並みが、軒先に吊るした提灯の群れに淡く照らされ夕暮れに浮かび上がっていた。


 道を歩く俺たちが2人して着ているユカタは、発音の通りの浴衣だった。薄い生地の和服。黒い帯。白地に、市松模様。まるっきり和風だった。


 大通りの突き当たりにある、これまた和風の木造りの門をくぐり、温泉施設へと入る。


 有名なアニメ監督が製作した、小学生の女の子が異界の温泉宿で強制労働させられるアニメを思い出す。温泉施設はそのアニメに登場した和風の赤い巨大建造物を模倣しようとして、失敗したようなデザインだった。


 サッカレー独特の建築様式なのだと思おうとはした。

 だがどこか釈然としない。

 和風のようでいて、和風ではない、再現しきれていない煮え切らなさ。この町の建物にはそんな雰囲気が漂っていた。

 建築としての論理性を感じないのだ。


 受付では、普通の異世界人が働いていた。

 ロングスカートのワンピースを着たただの金髪の女性が、ロココ調のカウンターの向こうに座す。全てにおいて完成度が低かった。


 受付の女性が言うには、この施設には幾つかのブロックに分かれていて、それぞれ特色の違う風呂を楽しめるそうだ。


 俺が一番人のいなさそうな場所はどこかと尋ねると、「ゼンの湯」とかいうスポットを紹介された。


 建物を出て、屋根の設置された石畳を歩きゼンの湯を探す。

 施設内の庭園は和の風情を醸し出そうと努力した跡こそ見られるものの、そもそも植物の種類が違うからか静かで上品な和の装いと言うより、インチキくさいジャングルだった。


 ゼンの湯は階段を上ったところにあった。

 岩の傾斜の前にある、小さな湯。何の変哲もない四角い湯船。


 ここは施設から幾分遠かった。おまけに周囲は傾斜と、それ以外は細く硬質な表面を持つ植物の林があるだけ。

 おそらく竹を植えたかったんじゃないかと思う。ただその植物は緑ではなく茶色であり、そしてそれが密集して視界を遮っているものだから、景色がいいわけでもない。


 人がいなさそうな場所がいいと言った時、真っ先にここが紹介されるわけだ。人気(ひとけ)がないと言うより人気(にんき)がないのだ。そこには俺たちだけしか利用客はいなかった。


 俺とラリアは脱衣所らしい申し訳程度の小屋でユカタを脱ぎ、ゼンの湯へ突入した。


 石鹸があったので、まずはそれでラリアの灰色の髪を洗う。

 自分で体を洗うように言ってから、俺も髪を洗った。その間、早くも体を洗い終えたラリアが俺の背中を流してくれた。


 体を洗い清めた後、2人でゼンの湯に浸かる。


 ラリアを見ると、首まで浸かって目を細めていた。脱力しているのか、だんだんディフォルメ形態となっていき、浮かんで漂っていく。


 もう日が沈んでいた。

 辺りは暗く、脱衣所の提灯の光が、ゼンの湯を控えめに照らしている。

 俺は湯船に背をもたれてリラックスした。


 散々施設に悪印象をぶつけてきたが、湯の少し熱い温度は完璧と言わざるを得なかった。身体中のあらゆる筋肉が、浮世のしがらみから解き放たれ弛緩していく。ゼンの湯とはよく言ったものだ。


 この異世界にやってきて何日が経過したんだったか。

 数えるのもバカらしかった。

 年をとったせいか日々の過ぎ去るスピードが早く感じられ、数えるそばから積み上がっていくような感覚が、前世の俺にはあった。


 今俺の肉体は若い。

 体感速度も若返っているものか、もう何週間も過ごしたような気がする。


 それほど慌ただしかったということだろう。

 だがそれも、湯に浸かっているとどうでもよくなってくる。まったく誰が発明したのか知らないが、風呂というものはこの世で最も偉大な発明と言っていいかも知れない。


 平泳ぎのような格好で漂うディフォルメラリア。アニマルセラピーという言葉を思い出した。脱力しすぎたのかラリアは水死体のように大の字となり、2つの尻が水面に浮上した。



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