第三十七話 さらば愛しかったかも知れない女よ
振り返った時、レイニーはまだ半裸ではなかった。
「マスター、ごめんなさい……あのおねーさんをやっつけられなかったです……」
先ほどまでの猛威を振るっていたラリアと打って変わって、弱々しい声だった。
「レイニーおねーさんは、ずっとボクに優しかったから……」
「上出来だラリア。助かったよ」
俺はレイニーを見やる。
レイニーは俺に剣を向けていた。
その剣で俺をどうしようというアイディアは彼女の中にないと推察する。
彼女は震えていた。
「終わりにしよう」
俺はそう言って持っていた剣を捨てる。落下の金属音がトンネルに思った以上に反響しちょっと耳が痛かった。
ミラーレにかぶせていたコートを拾って羽織り、梯子を見やった。
「ま、待って!」
振り返る。
待てと叫ばれたから待ってみたのだが、呼び止めた本人は相変わらず切っ先を向けて睨むだけ。俺は少し、Sランク転生者と小さな猛獣に対峙する独りぼっちの可憐なDランク冒険者から視線を逸らした。
「どうすると言うのだろう?」
俺がそう言うと、レイニーはしばしちらちらと倒れた仲間に視線を飛ばして、それから思い直したように剣を鞘に納めようとした。
手が震えていてなかなか切っ先が革のケースの入り口(名称が何だかわからないが鯉口とは言わないのだろう)に入らない。
レイニーは泣きそうな顔をしていた。
やっとのことで剣を納めると、
「わ、我が身、その奥、泉のほとり! 湧き出て捕らえよ! マジカルテーザー!」
手刀を掲げた。
「よせ」
「に、逃がさない。やっと見つけた転生者なんだ、あたしは、あたしは君を……!」
「君には無理だ」
きっと彼女はその言葉にムッとしたのかも知れない。
「う、わあーっ!」
右手を振りかぶり突進してくる。
遅い動きだった。運動神経の恩恵の、欠片も見られない動き。平均的な女子の動きだった。俺は鼻をさすった。
「ラリア。縦に越えろ」
《ツープラトンのスキルが発動しました》
俺が左腕をぶるんと震わせるとラリアが輝き、飛び出した。
素早く、鋭角な山なりの軌道でレイニーを飛び越え、背後に立つ。
レイニーは驚いたのか尻餅をついた。
その後ろに、両手の黒爪を天に掲げて立ちはだかるディフォルメラリア。
2人の間には切り裂かれたヌルチートがひっくり返っていた。
ヌルチートは少しピクピクと痙攣すると、消滅した。洞窟での、パンジャンドラムが生み出した無数のゴブリンの末路を連想させた。
レイニーは慌てて立ち上がり、手刀を繰り出してくる。
俺は格闘スキルでもってその腕を抑えると、小手返しにひっくり返す。
俺たちはそれをしばらく繰り返した。
立ち上がっては手刀、手刀を小手返し、尻餅、立ち上がる、手刀、小手返し、尻餅。
3度か、4度か。5度か6度かも知れない。数えていない。やがてレイニーは疲れたのか、息を荒げながらあひる座りで座り込み、もう立ち上がってくることはなかった。
ラリアが歩いて戻ってきて左腕に納まる。
レイニーはすすり泣いていた。こちらに背を向けて肩を震わせていた。
俺は梯子へ向かおうとした。
「…………ズルいよ、こんなの……」
振り返るべきかどうか迷った。
もう行かなければならない。
セシリアが刺した王の容体はわからない。
だがそれは、俺がやったことにされているのだ。
王の間にいた兵士や大臣がどうなったかはわからないし、目撃者たちがひょっとしたら誤解を解いてくれているかも知れないが、そうでないかも知れない。
そうでないとしたら、俺は今この瞬間、国王襲撃のテロリストの嫌疑をかけられているのだ。
しかし俺の足は立ち去るための動きをしてくれない。行かなければならないのに。
「……レイニー。俺のスキルのことを言ってるんだろうか。悪いが、君の今の動きでは言いがかりにしか聞こえない。特殊なスキルなんかなくても、気の利いた武道家や格闘家なら君を充分に制圧できる。半年ぐらい練習すればな。野球だとかサッカーしかやったことのない男だって、君に捕まることはないだろう」
「……あたしだって、練習したもん。してないわけじゃないもん。一生懸命、やったもんっ!」
レイニーは床をばしばし叩きはじめた。
「ズルいよっ! こんなのっ! 一生懸命やってるのに、全然上手にならない! なのに君は、生まれた時からたくさんスキルが使えて、練習もしてないのに。みんなに頼られて、いっぱいお金も、勝手に転がり込んできてさっ! でもあたしはっ……」
「それに関しては言い訳をするつもりはない。だが君の方でも、それは俺を捕まえて嬲りものにしようとした言い訳にはならないんじゃないか。この結末に至るまでに俺はずいぶん肝を冷やした」
「いけないの⁉︎ 言い訳してさぁっ!」
レイニーが振り返る。もう立ち上がりこそしなかったが、涙の滲んだ瞳で俺を睨みつける。
「いいじゃん言い訳ぐらい! 肝冷やしたからって何よ! 君は勝ったじゃない。あたしみたいに、洞窟でお漏らしして震えてたわけじゃない。こんなにたくさんのスキル持ちに囲まれて、自分のスキルは封じられてもさ。でも勝ったじゃない。あたしだって勝ちたいよ! あたしだって、自分が望んでる自分の人生を送りたい! 負け犬になんかなりたくない! でも、あたしは、あたしの力じゃ……」
そこまで言って力なくうつむいた。
俺は梯子を振り向いた。かける言葉もない。思いつかない。
そこにへたり込んで泣いているのは昔の俺だった。トラックに轢かれて首の骨がへし折れる前の、在りし日の俺。
「……嬉しかったんだもん……」
背中にレイニーの呟きがぶつかる。
「あたしみたいな、つまらない女の子にさ。お姫様が言ったんだよ。頼りにしていますって。一緒に、転生者のハーレムになりましょうねって。役に立たないから、誰ともパーティー組んでもらえなかったあたしなんかに、そう言ってくれたんだよ。みんな、あたしのこと、一人前の仲間みたいに接してくれた」
俺は床に倒れている女たちを見回した。
たしかに彼女たちは、それぞれバラバラの身分の者たちだった。
「……それに……あたし、ほんとは君を取られたくなかった。お姫様に、ロスを取られたくなかったよ。でもあたしなんかじゃ勝ち目ないし…………。ロスが転生者だってわかって、ヌルチートを使えば、あたしでもロスと一緒にいられるって思ったら……」
俺は言った。
「じゃあ君は勝者だ」
すすり泣きが止まった。
「生前の俺には、皇族の友達も、自衛隊員の友達も、キリスト教徒や巫女の友達も、大卒のエリートの友達も、アウトドアが趣味で初対面の相手を命がけで助けに飛び込んでいくような友達もいなかった。俺はいつも独りだった」
俺は少し振り返った。レイニーがぽかんと見上げていた。
「女の子にお菓子ををもらったのも初めてだった。バカみたいだと思うかも知れないが、正直に言う。俺はあの時、君を好きになりかけていた。人を好きになるっていうことがこんなに素敵な気持ちだなんて、42年間知りもしなかったよ。圧倒的な力で敵をなぎ倒したりだとか、それを他人に称賛されることなんて、君とクッキーをかじったあの時間に比べればつまらないものだと思ったんだ。これが、恋かって。どうりでみんながハマるわけだ。42年間生きてきた中で初めて幸福とかいう感情を実感することができたよ。そんなもの、ずっとフィクションだと思っていたのに」
俺は歩き出し、梯子に手をかけた。
「全部間違いなく君の力でやりとげたことだった。こんな形になって残念だよ」
そして梯子を登り、マンホールを開け外に出た。
その後どこをどう走ったものかほとんど記憶がなかった。
《ウルトラスプリント》を発動してサッカレー王国を目指したが、道中ほとんど何も覚えていない。
ただ雨が降っていたのは覚えている。
ラリアが濡れないよう帽子をかぶせながら走った。
城下町だとか、草原や森だとかも走ったかも知れない。
それが俺のタイバーン王国での最後の日だった。
生煮えの、小麦粉まみれのクッキーのような渇いた終わり。
ある段階まで、俺たちは何もかもが上手くいっていた。
雨はそれを全て洗い流していった。
お読みいただきありがとうございます。
これにて第一章終了です。
ウザ語りイキリ系主人公ロス・アラモスと不在系ヒロインラリアの冒険はまだまだ続きます。
これからもよろしくお願いいたします。




