第三十六話 コンパニオンスキル ※
「だからあたしゃ言ったんですよ。奴隷を買いなさいって」
排水口の暗がりから声が響いた。
俺の腕を掴む手の持ち主。
「な、何者でありますかっ!」
レイチェルが叫んだ。ミラーレが魔法の光球を作り、排水口を照らす。
そこには、俺にラリアを売りつけようとした奴隷商人がいた。
狭い排水口に寝そべるようにして、そこにいた。
「……ええ、あたしゃねえ……こんなことになるんじゃあないかって、思ってたんですよ……お兄さんと初めて会った時からねぇ〜」
俺に投げ飛ばされ全治2ヶ月となったはずの奴隷商人。
まだあれから数日しか経っていない。
そいつが排水口と光球の陰影の中で俺を見ている。
「なぜあんたがここに……⁉︎」
「まあ聞いてくださいよ……いいですか? これからは、何があろうとあの子と離れちゃあいけません。こーいうことのために、あたしゃあの子をお兄さんに預けたんですから…………」
「何を言ってるんだ? あの子とは、いったい……」
「いいですね? 必ずですよ……必ず……」
商人は腕を離した。そしてそのまま排水口を引っ込んでいく。
「お、おい待て」
「ロス様ぁ? 何ですの、今の汚らしい男性……」
排水口の奥から、遠ざかりながらも、なおも声が響く。
「契約しなさい……いいですね? 契約を、するんです……」
その次の瞬間だった。
引っ込んだ商人の代わりにだ。
排水口からラリアが転がり出てきた。
ディフォルメのラリアが、ころりとだ。
「ラリア⁉︎」
「ラ、ラリアちゃん⁉︎」
「げっ、あの獣人はっ!」
俺のみならずレイニーと、シスター・イリスも叫んだ。
ラリアは通路で立ち上がると、俺を見上げて言った。
「マスター」
「ラリア、どうしてここに」
「商人さんについてくるように言われたです。マスターと契約しろって」
「契約……しかし俺は」
「商人さんは言ったです。契約して、マスターを助けろって。ボク、マスターを助けにきたです。マスター困ってますか?」
そして、俺の左腕に飛びついた。
「困ってるなら契約してください。ボク、マスター助けるです」
助ける。どうやって?
この状況でコアラが1匹増えたとて、何になるというのか。
「まあロス様! なぜ獣人などを腕につけているのですか⁉︎ 汚らしいからお捨てになって!」
「ロス様。ひょっとしたらあなた様は、この世界に転生してお知りになられないのかも知れません。しかし獣人というものは、チレムソー神が拒否した穢れた存在」
「す、捨てるであります! ばっちいでありますよっ!」
「その獣人、私を攻撃して教会を破壊した悪魔の子です! ロス様はいまだその悪魔をつれていたのですかっ!」
「うわっ……ロスさん……」
女たちは口々に、ラリアを悪し様に罵る。
左腕のラリアは1度うつむいたが、しかしまた顔を上げる。
そして女たちに顔を向けて、力強く言った。
「ボクは、マスターを守りにきたです! 汚くなんかない! マスターはボクにごはんをくれたです! だから、ボクマスターを守るです!」
女たちはラリアの剣幕に少したじろいだようだった。
その時、黙っていたレイニーが口を開いた。
「……ロス。ラリアちゃんはそう言ってるけど……どうするの? その子もハーレムにするの? それとも1人だけの……」
「レイニー! 何をおっしゃっているの⁉︎ 転生者のハーレムに、獣人を入れるなど!」
俺は言った。
「ラリアをハーレムに? 冗談はやめろ。この子はまだ子供だ。俺を見損なうな。たとえおまえたちの奴隷になろうが、この子にそんなことはさせない」
レイニーは言った。
「……じゃあはっきり言いなよ。ラリアちゃんは君の何なの……?」
俺は左腕を見下ろした。
ラリアは口を真一文字にして俺を見上げている。
女たちを見た。
レイニーを除いてだが、彼女たちはラリアのことを、まるで卑しいものを見るような目で見ていた。
俺はこの絶体絶命の中で何の打開策も持っていなかった。
だが女たちのラリアを見る目を眺めていると、たった1つだけ抵抗する方法を思いついた。
それはほんの些細な抵抗であり、何の効果もないことはわかっていた。
ただの虚勢にすぎない、抵抗とも呼べない行為だと。
だがそれでもだ。
俺はこの思い上がったストーカーたちに、煮え湯を飲ませてやりたかった。
だから言った。
「ラリアは俺の大切な存在だ。おまえたちの何倍も魅力的な、俺にとってなくてはならないスペシャルなスイートハートさ」
「マスター、違う」
「わかった、降参だ、奴隷だよ。契約する」
俺がそう言った時だった。
レイニー以外の女たちの顔が引きつった時だった。
頭に一気に閃いた。
《コンパニオンとの契約が成立しました》
《ラリアのスキル、ザ・プライマルが解放されました》
《ラリアの攻撃力が25%、攻撃速度が30%向上します。ラリアとの契約が続く限りこのスキルは恒常的に発動します》
《ラリアのスキル、コアラ・クローが解放されました》
《ラリアとのツープラトンが発動した場合、相手の防御力を15%無効にする攻撃が発生します。80%の確率で相手は昏倒します》
《ラリアのスキル、毒素消化が解放されました》
《ラリアとのツープラトンに関して、不正な妨害の影響を受けなくなります》
「……何だと⁉︎」
俺が呻いたのを見て、女たちが怪訝な顔をした。
「あの、ロス様……?」
俺は言った。
「ラリア。教会での出来事を覚えているか?」
「はいです。あのおねーさんをやっつけたです」
「ラリア。俺は今あの時のようにたいへん追い詰められて、とてもハードな状況にある」
「はいです」
「ラリア。俺を助けてくれ」
ラリアの鼻から音がした。ふんす。
俺はラリアを左腕から引き剥がし、両手で頭の上に掲げた。
「姫様! あの構え、ロス様のスキルです! ヌルチートをっ!」
シスター・イリスが叫んだ。
女たちの背後からヌルチートが召喚される。
《ラリアのスキル、毒素消化が発動しました。不正を無効化します》
何か……炭酸の泡が弾けるような音が、どこからか聞こえた。
《ツープラトンのスキルが発動しました》
「行くぞーラリアーッ!」
「おーっ!」
投げた。
《カミカゼ・ブーメラン‼︎》
ラリアは光弾と化した。
目標はセシリア。
「姫様、危ないっ!」
サンボーンがセシリアを押し倒しかばった。そこへラリアが突入し……、
《ラリアのスキル、コアラ・クローが発動しました》
「あーっ!」
サンボーンの衣服がビリビリに引き裂かれた。
ラリアの両手から黒い爪が伸びている。その爪で引き裂いたのだ。
《アナスタシア・サンボーンは気絶しました》
引き裂いたのは衣服だけではない。
サンボーンの背中に取り憑いていたヌルチートもだ。
ラリアが弧を描いて戻ってくる。俺はそれをキャッチして、
「もういっちょう行くぞ!」
「おーっ!」
投擲。
「このーっ!」
《レイチェルは剣術・キリガミのスキルを発動しています》
レイチェルが抜剣し、飛来するラリアを迎え討つ。黒い爪と剣とが噛み合い、レイチェルは吹き飛ばされた。壁に激突した彼女にラリアは間髪入れずに襲いかかる。
「あーっ!」
《レイチェルは気絶しました》
またもや舞い散る衣服。切り刻まれるヌルチート。
ラリアは返す刀で、
「あーっ!」
《シスター・イリスは気絶しました》
半裸の女が3人地に倒れ伏す。レイチェルの革ポーチからネズミが逃げ出していった。
床でのたうっていた3匹のヌルチートも、やがて痙攣をやめ、音もなく消滅していった。
「な、なぜですの⁉︎ なぜヌルチートが効かないのですか⁉︎」
縦横無尽に下水道を飛び回るラリアに、残るセシリア、ミラーレ、レイニーはてんてこ舞いだった。
《セシリアはロイヤル・リストレイントのスキルを発動しています》
セシリアの体から無数のいばらが伸びた。
下水道の中を這い回り、壁を緑に染めていく。
四方八方の壁を制したいばらは360度からその指を伸ばし、空間上のラリアを追う。
「あ、あわわ!」
ラリアが捕まった。
いばらに絡め取られ、空中でその動きを停止する。体を覆っていた光も失われていく。
「や、やりましたわ! ミラーレ、レイニー! あの獣人をやっつけて!」
「は、はいっ!」
「ラリアちゃん大人しくして! いい子だからっ!」
ところで俺はそんなセシリアの背後にいた。
みんなラリアに夢中で、俺が床を這い回っていたのに気づいてなかったらしい。
かつてはあれほど情熱的に俺のことを見つめてくれていたのに寂しいことだが、元中年ハゲ親父の俺と可愛いコアラでは求心力に差があるのは致し方ない。
ラリアが空中から、俺に物を投げた。床にしゃがむ俺の目の前に落ちてくる。
パンだった。ありふれた、ただのパン。
女たちはそれにも気づいていない。ただラリアが拘束を逃れようと暴れ、私物を落としたとしか思わなかったようだ。
《ザ・サバイバーのスキルが発動しました》
拾って食べる。
《体力が回復!》
《状態異常から回復!》
《剣聖・ジュージュツのスキルが発動しました》
背後からセシリアの首筋に手刀を打ち込んだ。
姫は汚らしい下水道の通路にあっさり倒れ伏した。同時にいばらが消滅し、ラリアが解放される。
ラリアは1度俺の左腕に戻ってきた。
残るはレイニーと、ミラーレ。
暗いトンネルでは見慣れたメンバーだ。
「やはりそのヤモリは俺を見ていなければスキルを無効化できないらしいな」
俺がそう言うと、2人は慌てたようにヌルチートを発現させた。
「今さらどうにもならないと思うがな。形勢は逆転した。どうだろう、これでゲーム終了といかないか? 君たちに恥をかかせたくない。それにこれ以上の暴力はラリアの教育に悪い」
「……ロスさん。私のスキル、忘れていませんか?」
《ミラーレはウィンドシールドのスキルを発動させています》
ミラーレのローブの裾がはためき始めた。
洞窟で見せた、暴風の盾だ。
「このスキルがあれば、その獣人の突入を防げます。その子がどこかへ飛んで行っちゃいますよ? ヌルチートがある以上、ロスさんは脅威にならない」
「どう、かな…………」
俺は倒れているレイチェルの剣を拾った。
下水の溝を挟んでミラーレと向かい合う。
剣を右手に持ち、ラリアに左手の上に乗ってもらう。軽い。
睨み合い。
ミラーレのみならず、彼女の背後のヌルチートが、赤い瞳で俺をじっと見ている。
下水道に風の唸りが反響していた。
これだけ風が吹いているのなら、タンブルウィードが欲しいと思った。
今の雰囲気にはそれが相応しい気がした。
先に動いたのはミラーレだった。
「我が身、その奥、泉のほとり! 湧き出て捕らえよ! マジカルテーザー!」
手刀を掲げ、叫ぶと同時に溝を跳躍……しようとした瞬間を捉え、俺はラリアを投擲。
ミラーレはそれを織り込み済みだっただろう。そのまま跳ぶ気だったはずだ。
投げると同時に俺もミラーレめがけて跳んだ。
「なっ……⁉︎」
ミラーレの踏み切りに迷いが生まれた。彼女は俺を《ウィンドシールド》に巻き込むかどうか、決断できなかったのだ。
しかも飛来するはずのラリアは、彼女の左方向へ大きく外して投げられていた。わざと左へ投げた。
「きゃあっ!」
ミラーレは悲鳴のあがった方向に一瞬意識を取られた。
声の主はレイニー。
俺はレイニーのヌルチートめがけてラリアを投げたのだ。
だからミラーレの跳躍は半端なものとなった。とてもではないが、下水溝を跳び越えられるものではない。下水溝のど真ん中に着地するはめになった。
「わあっ⁉︎」
《ウィンドシールド》が汚水を巻き上げた。真っ黒い液体が彼女の周囲を駆け巡る。
まるで黒いボールだった。空中の俺は彼女の姿を視認することができなくなる。
当然ヌルチートの赤い瞳も見えなくなっていた。
《剣聖・峰打ち御免のスキルが発動しました》
黒い水を切り裂いた。
水を切るなど我ながら驚くべき腕前だ。
鈍い手応え。
剣の腹で何かを打った。
同時に《ウィンドシールド》が解かれ、汚水はコントロールを失い、舞い散っていく。
俺は素早くコートを脱いだ。汚水が吹き飛び晴れていく中に、剣に腹をもたれさせて気絶しているミラーレの姿が現れる。
「どりゃーっ!」
同時にレイニーから離れたラリアが天井を蹴って突っ込んできた。ミラーレの背後にいたヌルチートをむしり取り、バラバラに引き千切る。
俺は彼女にコートを被せ、抱きかかえて下水溝を飛び出す。
直後汚水が、下水溝に降り注いだ。
気絶していたミラーレを通路に横たえる。
彼女の白いローブには、黒い染みは1つたりとて付いてはいない。
もはや神技だった。
ラリアが戻ってきて、左腕にしがみつく。
俺は立ち上がってレイニーを振り返った。




