第三十四話 自分で仕掛けた罠
自分がどこを走っているのかわからない。
どこまで行っても壁、壁、壁だ。
出口の見当がさっぱりつかなかった。
「まずい、迷ったか……」
ここは迷路だ。そうさせるために造られているのだ。
ここへ入ったことは完全に失態だった。
そう思った時。
《ウェイブスキャナーのスキルが解放されました》
俺は立ち止まった。
頭の中に文字が見える。
『このスキルは音波を飛ばして跳ね返りを計測することによって地形を記録することができるよ!』
なぜか、だんだんとこの迷路の行く先がわかるようになってきた。
迷路がまるで歩き慣れた近所のようで、ついさっきまではただ道順をど忘れしていただけだという感覚。
それはいい。
なぜ突然スキルが使えるようになったのだろうか。
《ウルトラスプリントのスキルが発動しました》
走りながら考えることにする。
距離だろうか。
いや、視線か?
あのヌルチートとかいうヤモリは、やたらと俺のことを見ていた。
今は迷路の生垣に遮られ、俺はヌルチートに見られていない。
仮定にすぎなかった。
だがこの仮定が正しいとするなら、先にレイチェルのグリフォンを逃した自分自身を褒めてやりたかった。
迷路には天井がないのだ。上空に飛んだレイチェルと、彼女のヌルチートに見下ろされたら逃げようがなかった。
まるで当たり前のことのように迷路を抜け出た。
左手に城の壁が見えた。この中庭から建物の中に入るための扉がある。
周囲に人影がないのを確認し、そこへ入った。廊下にも誰もいない。
《ウェイブスキャナーのスキルが発動しました》
まるで勝手知ったる我が家のように迷いなく進む。
やがて幾つかドアの並ぶ廊下へ出た。俺は手前から2番目のドアを開ける。
中にはレイニーがいた。豪奢なソファに座っていた。
「あっロス……お話、終わったの?」
レイニーは俺の顔を見ると弾かれたように立ち上がった。しかし何か顔に元気がなかった。
「えっと……何て言えばいいのかな、その……おめでとう。姫様と結婚するんだよね」
そう言ってうつむいた。俺は言った。
「何か変わったことはなかったか?」
「え? 変わったことって? 特には何も……夕ご飯食べさせてもらったぐらい……」
「それはよかった。レイニー、帰ろう」
「えっえっ何? どうしたの?」
「早く行こう。もうここに用はない」
「待ってよ、ロス。君、姫様と結婚するんじゃ……」
「その話は破談になった。行くぞ」
俺は戸惑っているレイニーの腕を引いて部屋を出た。
城の正面玄関へと向かったが、そこはすでに兵士で固められていた。
俺はレイニーとともに廊下の角へ身を潜め、玄関を覗く。玄関前の兵士たちは15人以上。せわしなく行ったり来たり、互いに声をかけ合ったりしている。
「何? 何があったの?」
「王が刺された」
「えっ誰に⁉︎」
「静かにしてくれ。セシリア姫にだ」
「ど、どうして⁉︎」
俺はレイニーの手を引きその場を離れた。
城の中を歩けば歩くほど《ウェイブスキャナー》の波動探査の及ぶ領域が広がっていき、もはや俺の中には城の地図すらできあがり始めていた。
「ねえロス。どこへ行く気なの?」
「外だ。ここを出る」
言ってはみたが、どうやって?
正面玄関は固められていた。
「レイニー。この城、他に出入り口はあるだろうか?」
「えっ……えーと……裏門、とか?」
同じことだろう。そこを固めてないはずがない。
「他には?」
「うーん……あの……」
「何だろう?」
「地下に下水道があるって聞いたことはあるよ。城下町までつながってるって話だけど……」
「下水道の入り口を知っているか?」
「……ついて来て」
レイニーが俺の先に立ち廊下を進む。
脳内地図でいけば、城の東側に向かっていた。
廊下の途中で、巡回中の兵士に出くわした。
「やや! 黒いコート! まさか貴様が国王陛下を襲撃した……」
《剣聖・ジュージュツが発動しました》
俺は疾風のように兵士に接近し、彼の鳩尾に拳を沈めた。
「むうん……」
と唸って兵士は気絶。それを廊下の扉を開けて、中に運び込む。
「あ、ロス、そこだよ。その部屋が下水の整備用通路の入り口があるとこ」
俺はレイニーも招き入れ、扉を閉めた。
「ね、ねえロス。今この人、君のこと国王様を襲撃したって……」
レイニーが不安そうに俺の顔を見ていた。
どうやらセシリア姫は王を刺したのを俺のせいにして兵を動かし、各所を封鎖しているらしい。この地下室の守りが手薄だったのは運がよかったが……。
「ロ……ロス……君は……」
「俺じゃない」
俺はレイニーをすぐ後ろにある壁に手をつき、彼女を見つめながら言った。
「レイニー……俺を信じろ」
「うっ…………うん。信じる。あたし、ロスを信じるっ」
彼女がこくこくとうなずいたのを確認し、壁から手を離した。
それから地下室の床にある、四角い枠へと歩み寄った。
金属製の枠で木の板を覆った扉。両開きのそれを開く。
中には下りの階段が続いている。
2人で下りた。
階段には明かりがなかったので《ナイトヴィジョン》のスキルを発動する。レイニーは見えないが、俺が彼女の手を引いてやった。
15段ずつの石段の途中、2つの踊り場を経るが、階段は一直線。
最後の1段でレイニーが足をくじかないよう、少し支えてやる。
「あ……ありがと……」
柔らかい体だった。下りきるとトンネルを歩き、行き止まりに扉があった。
扉に錠前がついているのに気づいた。
「どうしたのロス?」
「鍵がかかってる。頑丈そうだ」
「任せて」
俺は錠前を手に持ち、暗闇の中でレイニーの手を誘いそれに触れさせた。
どうするのかと思っていたら、彼女が何か呪文を唱えると、錠前が外れた。
「えへへ……本当はこういう魔法、禁止されてるんだけど……」
「だろうな。だが助かったよ」
扉を開けると下水道だった。
下水道は、まあ下水道という感じだった。お決まりのトンネルに、通路の真ん中には溝があって、そこにはひどい匂いの液体が流れている。足を突っ込んでみたいとは思わない。
俺はそこにレイニーがはまらないよう手を引きながら、脱出口へと向かった。
この先に何か広い空間があって、そこが十字路になっていると、《ウェイブスキャナー》が教えてくれた。
そして十字路の天井に、壁とは違う異質な感覚。小さな丸い扉があることが感覚でわかった。
たぶんマンホールだ。
距離からいって、そこはおそらく城下町の下になるだろう。そこまで行けば、城から外へと脱出できる。
しばらく黙々と歩いていると、後ろをついてくるレイニーがふいに話しかけてきた。
「ロス。姫様との結婚が破談になったって、本当?」
「ああ。断ったよ」
「どうして?」
レイニーに、何があったか話そうかと思った。あんなエキセントリックな女と一緒にいたくないからだと。
だがよく考えてみると、俺はセシリア姫がああなる前に結婚を断ったのだった。
俺が黙っているとレイニーはさらに尋ねた。
「お姫様だよ? 結婚すれば、ロスは王様になれるんだよ?」
「興味がない」
「どうして……」
「怖いんだ」
小さな排水口からネズミが顔を出した。俺たちに気づくと、すぐに引っ込んだ。
「俺と一緒にいれば、きっとみんな俺のことを嫌いになる。結婚? 最初はいいだろうさ。結婚したという事実に、自分は人並みの幸せを手に入れることができたんだと、その安心感だけで幸せになったつもりになれる。だが時間が経てばそこにいるのはつまらない男だ。そいつははじめからそうだったが、女はきっとそれに気づかない。気づくのはもっと後になってからだ。俺は俺自身と長い付き合いだからそれに気づいてるが、女はそうじゃない」
十字路はあと100数メートルぐらいか。
「だから、ラリアちゃんとも一緒にいてあげないの? 怖いから?」
「そうだ。俺は失望されたくない。誰からもな。わかっていることなんだから、はじめからやらなければいい。そうすれば傷つかない。俺も、相手もな」
「ロス。君はつまらない男の人なんかじゃないよ。君はすごくって、強くって……」
「ただのまやかしだ」
今日、それが暴き出された。
わずか数日のことだったが、その短い時間の中で、俺はやはり冴えない男にすぎなかったことを知った。
ニヒルでミステリアスなタフガイ、ロス・アラモスでいられたのは数日の間だけだった。
いや……ヌルチート、か。
自分で自分にかける罠ほどタチの悪い罠はないという言葉がある。
俺はこの数日間ニヒリストを気取ることで、ずっとその最悪の罠を設置し続けていたのかも知れない。
そしてついに発動した罠こそが、きっとヌルチートだったのだ。
ニヒルはラテン語で、虚無を表す言葉だったはず。
そしてそれを語源とする言葉であるヌルの意味は、『無効』ではない。
たしか……『そこには何もない』という意味。
何もない。
何もないのだ。
ロス・アラモスは安っぽい手品のようにニヒルな男だった。
反対側には何の秘密もない。
白いワンピースだなんて非現実的なファッションの女神が用意したタネや仕掛けを取り除けば、そこには空虚なペテンだけが残っていた。
「でも君は優しいよ」
俺の手を握るレイニーの手。その力が少しだけ強くなった。
「洞窟ではあたしを助けてくれた。あたし、君にひどいことばかり言ってたのに」
「……スキルがあれば誰にだってできる。俺じゃなくていい」
「でもあたしがゴンザレスを見捨てようとした時、君はあたしに嘘をついたよ。ロスは本当はゴンザレスのこと助けようと思ってたのに、あたしを怖がらせないように、帰ろうって言ってくれた。その後も、見捨てたのはあたしなのにかばってくれた。嘘ついてさ」
俺は立ち止まって振り向いた。
レイニーは、たぶん俺を見ているのだろう。
ただ真っ暗闇の中で俺の姿が判然としないせいか、焦点は合っていなかったが。
「何が言いたい」
「嘘をつくのだって誰にでもできる。スキルがなくたって、どんなランクの冒険者だってできるよ。……結局みんな自分のことでいっぱいいっぱいで、それをやるほど余裕なんてないけど……でもロスはそれをやったんだよ。君はそういう人なんだよ。つまらない人なんかじゃない」
レイニーは微笑んでいた。
その微笑みが俺に見えるわけでもないだろうに。
俺は何か言葉を返すこともせず振り返り、歩き出す。
ゆるい右カーブで先は見通せないが、もうすぐ十字路だ。
「でもロスの方こそさ。これでよかったの? いくらお姫様と結婚したくなかったからって、あたしみたいなのと下水道デートなんて……」
「それも悪くない。君といた方がスリリングだ。それに慇懃無礼でもなければ口が悪すぎるわけでもない。君ぐらいがちょうどいいさ」
また、握る手が強くなった。
遠くの十字路が視認できるようになった。
十字路の一角に、梯子がとりつけられているのも見える。こちらから見て左奥の角だ。あそこから城下町に上がれるのだろう。
問題はその先どうするかだ。
一国の姫に目をつけられ、王を襲撃した嫌疑もかけられているらしい。
上がったとして、冒険者ギルドに身を置き続けるべきだろうか?
それではパシャールに迷惑がかかるだろう。
では身を隠すか。タイバーンを出る必要がある。
ではそうするとして……ラリアはどうする?
ラリアの故郷ゴースラントへ移送する船ができるまで、俺がラリアに食事を与えなければならない。だが俺がタイバーンを離れれば……。
そう考えているうち、十字路が近づいてきた。
まずは上がってからだ。将来設計に思いを巡らせるにはここは臭すぎた。
梯子に目をやろうとした。
しかし気づいた。
梯子は十字路の、左の角。
右の角に、何か白くぼんやりとしたものが佇んでいる。
シスター・イリスかと身構えたが、違う。イリスは縦に長い帽子をかぶっていた。
だが十字路に立っていたのは、丸い帽子。アンパンのような形の、白い帽子。
俺は思わず呟いた。
「ミラーレ……」
ゴブリンの洞窟で行動をともにした、Bランク冒険者。
そのミラーレが十字路の辻に立ち俺たちを見ている。
直後、背後から声がした。
「……ロス。ごめんね」
《不正な妨害が行なわれています。ナイトヴィジョンが解除されました》




