第332話 風鳴り
「やめて、お願いよ!」
アールフォーさんは両手を振りながら走っていく。
この期に及んでまだ話し合おうとしていた。
恋人たちというものはそういうものなのだろう。
忍耐と、対話が必要なのだろう。
だがグスタフは、おそらく、もう自我がないのだ。
彼はもう彼女の恋人じゃない。
何だかよくわからない、別の何かだ。
グスタフは自前の弓を仕舞った。かわりに蜂人間からクロスボウを受け取ると、アールフォーさんへ向けて射掛けた。
「あっ……!」
《アールフォーさんは魔法を使っています。ウィンドブロウ》
《グスタフはアゲインストウィンドアローのスキルを発動しています》
風を貫いて飛ぶ矢。アールフォーさんは見えない風の道に伏せることで躱した。
クロスボウは1度発射すれば次の矢を射るのに装填の時間がかかる。しかしグスタフは蜂人間から他のクロスボウを受け取った。
また発射。
風の道は広いのか、アールフォーさんはかろうじて横に避けたりはできていた。それでも彼女は、ある地点からそれ以上近づくことは、できないでいる。
俺の方はといえば相変わらず蜂共の矢の雨を躱し続けていた。
床のホッグスは、どうも服のポケットから何かを取り出そうとしている。
たぶんチョコレートだ。あれを俺の《ザ・サバイバー》で食べさせることができれば、ホッグスが復帰できる。そうなれば俺を取り囲む蜂人間はホッグスのスキルで無力化できるはず。
しかし矢の数が多い。正直両手はふさがっていた。ホッグスもチョコをポケットから取り出せているわけではない。とてもではないが、彼女を抱きかかえてレディーの胸ポケットに無遠慮に手を突っ込んでまさぐる余裕などなかった。
テラスまで戻るか? あそこなら屋根ぐらいはある。だがそのあとどうする? 何のプランもない。
今のところアールフォーさんがグスタフを倒すのを待つしかないように思われた。
だが……。
「グスタフさん、攻撃をやめて!」
アールフォーさんは、グスタフが飛ばす矢をヨロヨロと避けながら、話し合いをしようとあがいていた。
グスタフの目は閉じられていて、もう何も見ていないというのに。
俺は叫んだ。
「アールフォーさん、もう倒すしかない!」
「でも! グスタフさんは魔女に操られてるだけです! 本当は……本当はあんな人じゃないのに!」
あんな人じゃないならどんな人なんだろうか。
俺はグスタフのことを知らない。
どんな人だったんだろうか?
ちょっと頼りないが、そこがかわいい優しいナイスガイか?
それは恋する女の頭の中にだけ存在する妄想じゃないのか?
だが何にせよグスタフはもういない。
アールフォーさんの言うとおりだ。
俺の頭に、この場を立ち去った魔女の後ろ姿が浮かんだ。
俺は言った。
「そんなことを言ってる余裕はない、早くしないとトンプソンが……!」
俺は矢の雨を捌きつつ磔台の下へ目をやった。
相変わらずバリバリと、蟻が支柱をかじる音が聞こえている。
「でも……!」
煮え切らない返事も返ってくる。
俺を取り囲む蜂人間を見やってみた。
何十匹もいる。いちかばちか、こいつらの飛ばす矢を掴んで投げ返してみるか? スキルを封じられていない俺の能力なら可能かもしれない。
文字どおりの矢継ぎ早だったが、やってやれないことはないはず。
意識を集中し、カウンターのタイミングを測ろうとした時だった。
「わ……わかったわ……ここに残るわ!」
アールフォーさんが言った。
「あなたの言うとおりにする! だから……だから頼太さんを助けて!」
床に手をついている女の姿が視界の端に映っていた。
「何でもあなたの言うとおりにするから……頼太さんを……夫を助けてください……」
グスタフの顔色が、少しだけ変わったように見えた。
いや……瞳を開けていた。
そうやってアールフォーさんを見ていた。
その顔を見たとき、なぜか俺は、子供の頃のクリスマスの朝のことを思い出した。俺は前日にバギーカーのラジコンを、サンタクロースにお願いして眠りについたのだ。朝起きて、枕元にセットした靴下の中を覗いてみると、そこには新しい靴下が入っていた。
俺はそれ以来神を信じるのをやめたが、あの時の俺は、今のグスタフと同じ顔をしていたんじゃないだろうか。
何かを入れてもらったのは間違いないが、どこか小バカにされたような、何も入ってなければよかったという気がするときの顔。
俺は矢を掴んだ。
右から飛んできたやつを左手で1本。
《グスタフの魔力を感知》
そのまま真上へ投げた。今まさにクロスボウを発射しようとした蜂人間の1匹に命中。そいつはクロスボウを取り落とした。
《グスタフは魔法を使っています。ソニックブーム……》
落ちてきたのをキャッチした。
右手で持ったそれをグスタフに向ける。
《サイコ・アローのスキルが解放されました》
『サイコ・アローは好きなように矢の軌道を曲げられるスキルだぞ! サイコ・アローは心で撃つものよ』
グスタフが《カーブアロー》なるスキルを使っていたから、俺ならもっとマシな最上級スキルが使えるんじゃないかと思ったが当たりだった。唯一の懸念は、左手じゃなく右手で構えているというところだが……。
だが当ててみせる。当たればハワイにご招待だ。
グスタフが、右手を振り上げた。それを振り下ろそうとする。
その寸前俺のクロスボウから矢が放たれた。
まずはアールフォーさんを攻撃させないよう牽制する。奴は躱すだろうがそれでいい。矢が通り過ぎたら反転させて、背中のヌルチートに当てられれば。
飛んでいった矢。たしかにグスタフは躱した。
俺から見て右に。
半身で避けるような動きだった。これなら、奴の右手はアールフォーさんへは振り下ろせない。
あとはロス・アラモスの不思議なサイコキネシスで矢の軌道をひん曲げて……。
だがグスタフは手を振り下ろした。
半身に回る動きのまま、格闘技のバックハンドブローを打つような動きで、背後の……。
「ああっ⁉︎」
アールフォーさんの悲鳴。
グスタフが振り下ろした先は下の方。
磔台の土台部分だった。
爆音と共に、土台部に群がっていた蟻が吹き飛ばされて散る。
と同時に、支柱の根本がへし折れた。
「頼太さんッ!」
トンプソンが、磔台と共にゆっくりと倒れ始めた。
その先は地面の外側。
俺は飛ばした矢に集中しようとした。あれを反転させてグスタフのヌルチートを倒す。そうすれば、アールフォーさんが何か、何かをするはず……。
だが伸ばしっぱなしだった右腕に、蜂人間が射った矢がかすった。
どうやら俺もグスタフの奇行に動揺していたらしい。ほんの一瞬とはいえ、クロスボウへの防御を忘れていた。
俺の射った矢はどこかへ飛んでいってしまった。
足先に、正座の直後のような痺れが走り始めた。腕も、枕がわりにして昼寝した後のように、まるで他人の腕のような感覚になりつつあった。
「頼太さん!」
《アールフォーさんは魔法を使っています。ウィンドブロウ》
アールフォーさんがトンプソンへ両手を伸ばした。
風の魔法を、逆方向から吹かせて、トンプソンの磔台を地面の方へ押し戻そうというのだろう。
《グスタフは魔法を使っています。ストーム》
突然、辺りに強風が吹き荒れ始めた。
アールフォーさんはもう魔法を放ったはずだ。だが磔台の傾きがおさまらない。グスタフの魔法で打ち消されたのか?
「グスタフさん、やめて……」
強風の中で、アールフォーさんの声が途切れがちに聞こえた。
唸りを上げる風。
その音だろうか。
空耳が聞こえた。
──けっきょく、そのおとこのためなんだね──
──ぼくのためじゃないんだ──
──きみのこころは、ぼくのところにはない──
俺はついに床に転倒した。
グスタフが、アールフォーさんに突撃していくところが見える。
アールフォーさんの方は、風の道に膝をつき、トンプソンが倒れていくところを、両手で口を押さえて見ているだけ。
グスタフの接近に気づいていなかった。
蜂人間が俺の目の前に飛んで、視界を遮った。
手にしたクロスボウをこちらへ向けている。
ダメ押しということか。
何とか避ける動きをしたかったが、手足がまるでいうことを聞かない。
チェックメイト……と思ったときだった。
突然、目の前の蜂人間の頭が吹き飛んだ。
乾いた破裂音が断続的に響き、それに続いて他の蜂人間も撃墜されていく。
目の前の蜂が落ちていったので再び磔台が見えた。
トンプソンが、傾いて落ちていく……。
《ナヤートはギャラクシーグレイヴを発動しています》
磔台が倒れるのが止まった。
俺は何とか頭を動かし、反対側に目を向けた。
魔女の城の一角、高さにして4階ほどの場所にあるベランダに、大きな黒い球ができていた。
ナヤートのスキルだ。重力によってトンプソンを吸収しようとしているのだ。
ナヤートがすでにきていたのだ。
では蜂が死んだのは……?
黒い球とは別の場所、というか魔女の城からテラスの塔へつながる通路の上で、乾いた音と共に何かが光っている。
銃だ。
パンジャンドラムが、ライフルでこちらを射撃していた。
彼はたしか捕まっていたはずだった。だがナヤートと共に救援にきたということは、助けられたのか? まさか夢ではないだろうな。
視線を戻すとグスタフが黒い球の方を見ていた。
背中のヌルチートも、黒い球を見たり、目の前の《ジオラマ・パーセプション》を見たりしていたが、黒い球は消えない。
ナヤートの《ギャラクシーグレイヴ》はヌルチートでは視認できないのだ。ジオラマの風とて、あの球の中に入ってしまえば出てこられないので、ヌルチートはナヤートを知覚できない。
《グスタフは魔法を使っています。ソニックブーム》
もう1度グスタフの右手が振り上げられた。
奴は磔台を見ていた。パワーでなぎ倒し、トンプソンを落とすつもりなのだ。
右手は振り下ろされ……。
《ウォッチタワーはツープラトンのスキルを発動しています》
《ウォッチタワーはエッグ・ロジックを発動しています》
《ハル・ノートはプロジェクト・フィラデルフィアを発動しています》
《パンジャンドラムはレギオンを発動しています》
《ウォッチタワーの気配が消失》
城との通路を見るとパンジャンドラムの隣にハルがいた。
そのハルの前に砂嵐状の窓のようなものがあって、そこにパンジャンドラムのゴブリンズが続々と飛び込んでいく。
ゴブリンズが現れたのは磔台の土台部だった。
大勢で群がり、台が倒れないよう支えている。
よく見るとその中にウォッチタワーが混じっていた。
「そりゃーっ!!!」
《ウォッチタワーはザ・マッスル・テストステロンマッドネスのスキルを発動しています》
グスタフの手から衝撃波が放たれた。しかしウォッチタワーとゴブリンズに支えられた磔台は持ちこたえる。
「ロスよ。今日はずいぶんお疲れのようだな? こんなところでお昼寝とは」
すぐ近くから声がした。
首を持ち上げて足の方を見ると、橋の手すりに魔王バルバロッサが腕組みして立っている。
「こちらの救出は終わったぞ。あとはトンプソンさんとアールフォーさん……」
彼は上を見上げて、
「……と、荒井さ……アレクシスさんか」
橋のどちら側からも歩いてこなかった魔王がどうしてそこにいるのか、その疑問の答えはすぐに出た。
彼の背中から漆黒の翼が開かれ、
「とうッ!」
とばかりに魔王は天空へと飛翔した。
「砕け散れィッ!」
《魔王バルバロッサはアルティメットサタニックグレイトフルオウサムダークネスマーシャルアーツ、あるいは暗黒魔闘拳とも呼ばれている、のスキルを発動しています》
魔王は、アレクシスを抱えている蜂人間の背後へ一瞬で回り込むと、その暗黒魔闘的手刀で蜂を真っ二つ。アレクシスをお姫様抱っこでキャッチした。
「おっと、これでは我輩手がふさがってしまうな」
彼は周囲を蜂人間に囲まれていた。それでも何でもないような調子でそう言ったとき。
「ガハハハハハーッ! こン虫ケラどもがーッ! 僕がいっちょもンでやるわーーーッ!!!」
今までどこをほっつき歩いていたのか、スピットファイアが乱入してきた。
《スピットファイアはかんしゃく玉のスキルを発動しています》
ド派手に光弾をブチ撒けて、次々と蜂の群れを爆殺していく。
「てッめぇらごときに時間かけとる場合じゃないンじゃいーーーッ!!!!!」




