第326話 色褪せた魂
《アレクシスはザ・サバイバーのスキルを発動しています》
「アールフォーさん、しっかり……!」
アレクシスがチョコレートをアールフォーさんに食べさせていた。
虫たちの攻撃はなぜかやんでいた。
火災で全滅したわけではない。テラスの周りは相変わらず蜂人間が飛んでいるし、塔の壁からも蟻人間が蠢く音が聞こえている。
だが蟻はそれ以上上がってこないし、蜂もクロスボウで射かけてくるわけでもない。
魔女を見やった。
魔女はこちらをぼんやりと見ていた。吊り橋の上の彼女のかたわらに、風の魔法で空中に立つグスタフ。
俺のそばへやってきたホッグスが囁く。
「……動きがないであるな……?」
俺はホッグスへの返事はいったん置いておいて、アールフォーさんに目を向ける。
彼女はすでにチョコを食べ終えていて、片手で頭を押さえてはいたが、倒れた状態から身を起こし床に座り込んでいる。
回復したのだ。
俺は魔女へ視線を戻し言った。
「こちらが有利だな。ヌルチートは1匹だけ。だがこれで転生者は3人だ」
アールフォーさんの固有スキル《マザー・O》は、空気中の酸素を増やして敵を酸素過多で葬る能力だ。アレクシスの呼び出す近代兵器も加えれば、少なくとも空中の蜂を一掃するのは簡単だろう。
「ヌルチートを憑かせた帝都民は呼ばないのか? それとも呼べないだけの理由があるのか?」
俺の問いに魔女は答えなかった。
俺たちが立つテラスに魔法陣を仕掛けていれば、この狭さだ、一気に俺たちを捕らえることはできただろう。どうやら彼女は最後の詰めをしくじったらしいと俺は考えた。
グスタフが言った。
「なんの! まだこっちには人質がいるんだぞ!」
グスタフは、磔台のトンプソンに弓矢を突きつける。
俺は言った。
「じゃあその人質を君が殺したら次はどうするんだろう? 人質は生きている間しか人質になれないんだぞ」
グスタフは言った。
「あっ、それもそうか……ヒューマンの真似してみたけどどうしてヒューマンは人質なんていう効果の薄いものを戦術に組み込むのかな。やっぱり丸耳はちょっと頭が弱いよな」
そうしてグスタフは弓矢を下ろす。隣りの魔女の眉毛がハの字になっていた。
「……何かこう……指を切り落とすぞとか……何かあるでしょう……」
「えっ、なんて残酷な! ひどい……! 丸耳はどうしてそんな陰惨なアイディアが次から次へと閃くのかな……隙あらばエルフの森を焼こうとするし、なんか道徳性に問題があると言わざるを得ない……!」
距離は離れていたが、魔女の呟きが聞こえた。嘘でもいいから言っておけばいいのに……だそうだ。
だが魔女は、そうは言いつつも自分がトンプソンを傷つける動きをしようとはしなかった。
ホッグスを見やると彼女も視線を合わせてきたが、やや首をかしげている。
アレクシスも立ってきてホッグスに囁いた。
「……自分ではトンプソンさんを怪我させようとはしないんですね……?」
「たしかに、周囲の虫にやらせてもよさそうでありますが……」
俺は小声で言った。
「どうやら魔女は本当に俺たちを傷つける気はないらしいな」
「えっ、なぜ……」
「奴は俺たちにたくさんの配偶者をあてがって、この異世界に閉じ込めるつもりだ。殺傷が目的ではないんだろう」
これまで、魔女に造られた子供たちであるアップルとロザミアという少女は、最終的にヤケを起こして転生者を殺そうとしたこともあった。
だが魔女は今この瞬間すら取り乱していない。頼りないグスタフに対してさえ、怒鳴り散らすでもなく忍耐強く接している。
いつの間にか俺の隣りにアールフォーさんが立っていた。彼女は言った。
「グスタフさんもうやめて……魔女さん、夫を解放してください……!」
グスタフが叫んだ。
「アールフォー、夫じゃない! この男はもう君の夫じゃないんだ、君は生まれ変わったんだ!」
「魔女さん、もう解き放って。グスタフさんのことも……!」
ヌルチートに取り憑かれた者は理性を失う。だからグスタフは正気ではないので解放しろと言うのはわかるがややシカト気味に発された言葉と歯ぎしりするグスタフの姿は見ているこちらが忍びなかった。
魔女が言った。
「解放……? してどうするの……」
「か、帰るんです……! 日本に……!」
視線を感じたのでそちらを見るとアレクシス。アールフォーさんの心変わりに何か言いたい気持ちでもあるのだろうか、だがアレクシスは目を合わせただけで何も言わなかった。
「もうこんなことはうんざりなんです! こんな、こんな怖いこと……グスタフさんも操られて……!」
「……そのグスタフを愛したのは……あなたでは……? 彼本人からそう聞いたわ……」
「それは……私はグスタフさんとは一緒にはいられません。私と彼とでは住む世界が……違うから」
アールフォーさんの声は尻すぼみに小さくなっていく。
魔女はそれをぼんやりと変わらない表情で見ていたが、やがて言った。
「グスタフが……ゲームのキャラクターだから……? 生きている者ではないから……?」
「……っ! そ、そうです……!」
「だから愛さない……? だから帰るの……? あの退屈な国に……」
魔女は磔台のトンプソンを見やった。トンプソンをはかなりぐったりしているが意識はあるようだ。魔女を睨み返している。
「あなたはこの男を愛していたと言えるの……? この男との生活が幸せなものだったと……」
「そ、それは……!」
「洗濯と掃除を終えたら、根拠不明の政権批判を繰り返すワイドショーを眺めるだけの生活……夜遅く帰宅する夫とは会話もなく、妻というよりまるで給仕係のよう」
アールフォーさんはうつむいた。
トンプソンもだった。
魔女は続けた。
「愛情表現は薄く冴えない男。結婚を焦り、安定のためだけに選んだ男。ロマンティックな愛され方をしたいと自分は望みながら、相手に対しては収入だけを見ていた男。色褪せた退屈な生活」
アールフォーさんを見つつ小首をかしげ、
「……おまけに息子は殺人者」
そう言えばハルはどうしているだろうか? 転移魔法で分断されてから姿を見ていない。銃声やらトラックの爆発やら色々大騒ぎしていたのでここで何かが起こっているのは音で気づいていそうなものだが。
「ねえ……アールフォー……いえ……能登志季さん……? あなたが送りたかった人生はそんなもの?」
アールフォーさんは震えている。
「彼を見なさい……グスタフを……。頭はちょっとあれだけれど……ハンサムな男よ……頭はちょっとあれだけれど……この男はあなたのものなのよ……あなただけを愛してくれる……そこの磔刑台のつまらない男と違って、あなただけへの情熱も優しさもある……頭はちょっとあれだけれど……まあそれはそこをカバーする他のハンサムな男もいるわ……ひとりにこだわることはないの、個性豊かな男性たちが……あなたに愛を与えたがっているわ……」
アレクシスが言った。
「アールフォーさん、耳を貸さないで。あんな女の言うこと……」
魔女が言った。
「ねえ、志季……幸せはここにしかないわ……あなたの本当の幸せは……」
俺は一歩前に進み出た。
そうしてアールフォーさんの前に立ち、魔女から見えないようにした。そうして言った。
「能書きは結構だ。本人の気が変わったんだからそこで終わりだ。俺たちはヴァルハライザーを取り返し、このブラックエッグを出ていく。皇帝とアレクシスの両親の魂を返せ」
俺のいるテラスから吊り橋の魔女まで10メートルといったところか。踏み込むのは一瞬だ。魔法銃もある。動ける転生者は3人。グスタフはものの数ではない。
俺はすでに魔女へ間合いを詰めるつもりだった。
「ヴァルハライザー……? 取り返して……どうするの……?」
魔女がそう言った。
別に返答してやることはないだろう。俺はグスタフのヌルチートがどこを向いているのか確認した。アレクシスだ。
「日本へ帰るの……? あのみすぼらしいアパートへ……?」
……………………。
「そしてその帽子を脱ぐのかしら……? そうして鏡に映った自分の姿を見て……ヴァルハライザーの中にいた頃のヘアースタイルを懐かしむ……」
俺はブッぱなした、魔法銃だ、グスタフのガキが、何だか知らないが風の魔法か何かか、とにかく魔法弾はあの女から逸れた。
「アラモスさん、今の当たってたんじゃ……」
「お喋りはもういい、あんたが教えないのなら自分で探す。ここで気絶でも何でもしていろ。あの黒い塔にはアップルもいたな、あの子がどうなったのかも調べる。あんたには何も期待しない」
俺が1歩踏み出そうとするとグスタフが、
「そうはさせるか、アールフォーは渡さない!」
「すっこんでろ坊や。幽明の森に帰って脳トレでもやってろ」
構わず歩き出した。吊り橋に足を踏み入れる。
グスタフのヌルチートが俺を見ようがアレクシスが何とかするだろう。アールフォーさんもいる。ヴァルハライザーがキングで魔女がクイーンならすでにチェックメイトの形勢に入っていた。
「む、おいロス、まず私を投げるのである、慌てるな……」
後ろからホッグスが追ってきているようだ。たしかによく考えてみればそうだ。ホッグスにスキルを使ってもらってからの方が確実だった。
俺は、一瞬歩みをゆるめた。
その時魔女がチラリとグスタフを見た。
グスタフは魔女をかばうように彼女の前に進み出て、
「ちくしょう……かかってこい丸耳っ!」
「……やはり余計なことを考えるからよくないのかしら……」
「えっ何ですか?」
「自分のスタイルを貫こうとすると……役割を果たせない……あなたのあなたらしさ……アールフォーに対する思いが……あなたをグスタフたらしめる……?」
「魔女様、話はあとで……」
だが魔女は杖を回し始めた。
「……いいえ。今よ」
すると、何かが振動するような音がした。
塔だ。黒い塔が鳴動しているようだった。塔の丸窓から何かの光が漏れている。
「ロス!」ホッグスが言った。「私を投げろ! 奴は何かする気だ、グスタフ殿を早く……」
と、同時にだ。グスタフが叫んだ。
苦しみの悲鳴のようだった。彼は魔女の前で四肢を硬直させ、その手足は痙攣している。
グスタフは言った。
「ま……ま、魔女様……何を……⁉︎」
魔女は言った。
「…………心があるからいけないのね。あなたの個性が」
「な、な、な……」
「グスタフにグスタフ性は今はいらないわ……返却してもらうわよ……あなたの魂……」
瞬間、黒い塔の光が強く増した。




