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第三十二話 ヌルチート


《不正な妨害が行なわれています。スキルを発動できません》


 サンボーンが俺のコートの襟と袖口を掴んできた。

 そしてそのまま跳び上がり、後ろに倒れ込む。

 俺はその重量で前のめりとなり、床に倒れた彼女に覆い被さる形になる。


「ああロス様。ロス様のお顔とお体がこんなに近く……。姫様より先にこんな幸福を享受するなんて私は不出来な秘書です……!」


 眼下のサンボーンは恍惚とした表情をしながら、両足で俺の胴を巻き締めた。


「ああこのような形。恥ずかしい。私普段はこのようなはしたない真似は、決して、決して、ああ、でも溺れてしまう!」


 サンボーンは俺を引き寄せようとした。何とか力で引き剥がそうとするが、両袖をしっかり掴まれている。

 いや、それは男と女だ、力で引き離せるかも知れないが、問題なのは俺が膝をついてしまっていることだ。そして胴には彼女の脚が巻きついている。


 この体勢からだと腕しか動かせない。サンボーンは床に寝そべり安定した体勢から引っ張っているが、俺は上体に支えがないので、俺が引っ張るのに合わせて彼女に引かれると、上体が前のめりに倒れてしまう。自分の腕力でサンボーンに倒れ込んでしまうのだ。


「くっ……この……!」


《ザ・マッスルの》


《不正な妨害が行なわれています。スキルを発動できません》


 何かがおかしかった。

 今まであれほど発動できていたスキルが、むしろその気もない時にも発動していたスキルが、まるで反応しない。


「なぜだ……!」

「不思議ですか? 転生者様……このアナスタシア・サンボーンが思うに、スキルを発動できないことを不思議だと思われているのでは?」


 サンボーンはニヤリと笑い、両足を俺の腰骨に当て突っ張らせた。俺は腰が浮いて立ち上がった姿勢になる。

 立っているなら筋力を使える。背筋も使って無理やり引き離そうと……。


 その時奇妙なものが見えた。

 床に仰向けのサンボーン。

 その左肩から何かが覗いている。

 俺を覗いているのだ。


 ––––動物、いや、トカゲの顔……?


 瞬間、サンボーンが右足の裏で、俺の左膝の内側を押してきた。

 痛くはないが踏ん張ったところに膝を曲げられバランスを崩す。

 次に彼女は左足を、俺の右足の外から絡めてきた。


 どうしたいんだ。

 

 俺がそう思った時には彼女は俺のベルトを手で掴んでいた。

 俺の足元でサンボーンが時計回りに体を捻り、絡めた脚で膝をくずしてくる。

 俺は彼女の回転に巻き込まれ尻餅をついた。彼女はなおも回転し、俺はひっくり返る。


 たしかこれは、ブラジリアン柔術のベリンボロとかいう技ではなかったか。

 ブラジリアン柔術の専門家に言わせれば、こんなトリッキーなだけの魅せ技は動作の最中、立っている相手の上からのパンチをもらってしまうから、ストリートファイトや総合格闘技の試合では役に立たないそうだが……。


 気づいた時には寝転んで、バックを取られていた。

 俺はストリートファイターでもなければMMAファイターでもない。動作の最中上から殴るだなんてまるで思いつきもしなかった。

 あれよあれよという間に捕獲されていた。サンボーンの美乳が背中に押しつけられていた。


 不幸中の幸いか。偶然俺は顎を引いていた。

 だから彼女の細腕が首に巻きつけられ、裸締めを食らうということがなかった。

 彼女の腕は俺の口元を虚しく締めつけている。


 それで、どうする。

 この状態からどうするのか。


「申し訳ございませんロス様。女の身でありながら男性を背後から攻めるなど……。屈辱でしょうか? しかしお気を落としにならないで。この後すぐに寝室へ行き、今度はロス様が私を思う存分前から後ろからお責めになって……あー興奮する! しかしその前に……!」


 顔に巻きついたサンボーンの腕はたぶん右腕だ。

 彼女は左手で、俺の鼻の穴に指を突っ込んできた。

 思い切り引き上げられ、苦痛で顎を上げてしまう。


 瞬間、ついに首に腕が入ってきた。

 凄まじい力で頸動脈を圧迫される。頭部の血液が詰まり、顔が熱く感じ、鼻血が出そうだ。


「ロス様。絞め技が極まれば、耐えられても7秒。7秒経てばあなたは眠りに落ちるでしょう。目を覚ました時は……私どもと……」


 俺は大急ぎで、背後から胴に巻きついたサンボーンの足の、ハイヒールを脱がした。

 その尖ったヒール部分でサンボーンの足の裏をぐりぐりえぐった。


「ギャーッ! いたっ……めっちゃいたっ‼︎ や、やめて、やめていたい!」


 サンボーンが手を離した。なおもえぐる。彼女は脚による拘束も解いてのたうち回る。

 俺は素早く立ち上がり距離を取った。


「……ミス・サンボーン。できる女というのはストレスが溜まるようだな。その位置を突かれて痛いということは、肝臓を悪くしている可能性がある。酒は控えることだ」


 足つぼマッサージを受けてへたり込んだサンボーンにそう言った。


「うう、ひどい……同じ突くならもっと違うところを、違うモノで……」


 彼女は立ち上がろうとしたが、顔をしかめた。かなり痛かったらしい。

 その隙に俺は素早く他の2人に視線を飛ばす。セシリアとイリスは廊下で俺を挟み、まだ不敵に笑っていた。


「ロス様ぁ? 無駄なあがきはおよしになって。逃れることはできませんよ?」


 俺はセシリアとイリスを交互に見る。

 できるだけ平静を保たなければならない。

 女たちは狂っていた。ここで俺まで取り乱せば収集がつかない。


「無駄なあがきだと? それはこちらのセリフだ。俺を誰だと思っている。ロス・アラモス。Sランクのドラゴン殺し、無敵の男だ。か弱いレディーが強がるのはやめた方がいい」


 セシリアは、くすくす笑った。


「……強がっているのは、あなたでは? Sランク冒険者さん?」


 瞬間俺の背後で、


「我が身、その奥、泉のほとり! 湧き出て捕らえよ! マジカルテーザー!」


 イリスが叫び、突進してきた。

 イリスは右手を振りかざし、その手は輝いていた。何かはわからないがあれを食らうのはまずい。


《パウンドフォーパ》


《不正な妨害が行なわれています。スキルを発動できません》


「ちぃっ!」


 俺はまだ手に持っていたサンボーンのハイヒールを投げつける。


「いたっ!」


 イリスの鼻っ柱に直撃した。彼女は涙目となり鼻を押さえてうずくまる。

 俺は自分の手を見た。


《パウンドフォーパウンドのスキ》


《不正な妨害が行なわれています。スキルを発動できません》


《ザ・マ》


《不正な妨害が行なわれています。スキルを発動できません》


 まるでインターネット上の契約手続きだ。何が原因とも言わずに、できません、やり直してください、無効です。俺はスマートフォンではなく自分の手足を眺めて途方にくれていた。

 セシリアの鈴が鳴るような高笑いが聞こえた。


「不思議ですか、ロス様? ですわよね、ご自分のスキルがまったく使えないのですから」


 俺はセシリアを振り返る。


「……これは君がやらせているのか」

「やっとわたくしを見てくださいましたのね。ロス様ったら、アナスタシアやイリスさんばっかりで、ちっともわたくしにかまってくださらないんですもの」

「レディー、質問に答えてくれればもう少しかまってやってもかまわないんだぜ」

「まあ! ではお答えしますわ! その答えはイエスです!」


 彼女は胸の前で一つ手を叩いて合わせ、、嬉しそうに言った。話の内容そのものよりも話していること自体が楽しいように見えた。


「OKレディー、もっと話そう。どうやった? 俺に何をした?」


 セシリアは両手を下ろした。


 すると、彼女の背後から何かが現れる。

 それはセシリアの背中にしがみついているようだった。背中を這って、登ってきたのだ。

 左肩から顔を覗かせた。


 ヤモリだった。


 ヤモリが、セシリアの背におぶさって俺を見ていた。

 背中に隠れていて正確にはわからないが、セシリアのそれと同程度の顔のサイズを()るに、ヤモリは人間の子供ほどの大きさがある。


「ロス様。これですわ。この魔獣が、あなたのスキルを無効化しているのです」


 巨大でグロテスクなヤモリにしがみつかれたまま、高貴な姫君が笑っている。

 俺は背後を振り返った。

 鼻を押さえて立ち上がったイリス。

 今までどこに隠していたのか、彼女の背からもヤモリが現れる。

 床に座り込み足の裏をさすっている、サンボーンの背にも。


 セシリアが言った。





「ご紹介しますわロス様。合成召喚獣、“ヌルチート”です」





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