第323話 プリザーブド・ソウル
「待て」
俺はふたりの間に割って入ることにした。
「ヴァルハライザーだと? あの塔の中に?」
グスタフをなるべく視界に入れるようにしつつ1歩踏み出し、
「ゴースラントにヴァルハライザーがあると聞いたが盗まれていた。盗んだのはやはりあんたか? ここへ運んだ?」
魔女は再び杖の両端をつまむ。
そうやって、俺の方を上目遣いに見たりやめたりする。
「……ゴースラントにあることを知っていたのね……誰から聞いたのかしら……カロリアン?」
「誰だっていい。ここにあるなら好都合だ。転生者が日本へ帰るにはあれが必要だったが、つまり今日であんたが仕掛けた乱痴気騒ぎに決着をつけられるというわけだな」
魔女は顔を動かさず眼球運動をするのが大好きな女のようだった。俺を見たりグスタフを見たり目玉を動かしていた。
やがて言った。
「……その辺に関しては……どうかしらね……」
「どういう意味だろう?」
「そうされると……私が困る、という意味だけれど……」
「知ったことじゃないな」
「帰ることがあなたたちの……幸せだとは思わないけれど……」
アレクシスが叫んだ。
「冗談はよしてください! 異世界にいれば幸福だとおっしゃりたいんですか⁉︎ 異世界にいることで……あなたのおかげでどれほど私たちが迷惑をこうむったか!」
アレクシスは吊り橋に足を踏み入れこそしなかったものの、手すりまで近寄り詰め寄るような形だった。
魔女の方はと言えば、なぜかちょっとビクッとしていた。まさか剣幕に驚いたのだろうか?
「……そう言われても……不幸せなはずはないでしょう……?」
「何をバカな……!」
「だって……アレクシス様、あなたはそもそも経産省の仕事を辞めたがっていたのでは……」
返答があるかと思った。アレクシスのだ。だがなかった。手すりを掴んだまま彼女は固まっていた。
魔女は続けた。
「激務の割に……さして給料がいいわけじゃない……パワハラはあるし……上司は勝手に唐揚げにレモンをかけようとするし……」
「な、なぜそんなことを……」
「民主主義を標榜してはいても官僚たちは選挙で選ばれた政治家の指示は無視して、既得権益ばかりを優先する……システムの形骸化……あなたは性格上そんな上っ面の世界に身を置くことが落ち着かなくなり始めていた……」
「な、な、」
つまんだ杖を眺めながら、
「もっと早く、もっと確実に、日本の経済を成長させなければならない……でも世の中は上から下まで自分のバナナの本数を数えるだけで満足している者たちばかり……立ち止まって、足踏みしているだけなのに、そんな自分たちが何かをやり遂げた気になっている……決断に対する足の引っ張り合い……民主主義の秩序という混乱……少しも前に進まない物語……
国の歴史を振り返れば何度も何度も現状に満足する油断によって失敗してきたのに、予測していたはずの困難に何の準備もせず、あたかも今日生まれて初めて生まれてきたかのように場当たり的に対処する……
……あなたはもう耐えられなかった。そのあまりの空虚さ。己の仕事の虚無さに。何かを成し遂げることよりもしがらみを維持することを宝物のように扱うあの世界に」
魔女はここでやっと、うつむけていた顔を上げた。
真っ直ぐにアレクシスを見て言った。
「あなたは常々考えていた。自分はこんなことのために青春時代を棒に振ってまで学業に励んだわけじゃないんだ、と」
なぜ、それを。
アレクシスの口から何度目かの問いが漏れた。
魔女は答えた。
「だから……ヴァルハライザーに記録されていた……あなたの、魂。あなたの、前世。あなたの、あなたらしさ。この世界に再構築された、あなた」
俺はアレクシスの後ろ姿に目をやった。彼女は固まったままだった。
「けれど、ここでのあなたはどう……? 圧倒的な力を持ち、進んだ知識を持ち、皇帝と皇太子の信頼を勝ち得ている……あなたに逆らう者はいない……あなたの考えたとおりに話は進められる。説得しなければならない相手は上司じゃないし、各省庁でも政治家でも1億人の国民でもない……皇太子ひとりだけ。あとは彼がうまくやってくれる」
魔女はここで俺の方を見た。いや違う、正確には頭の後ろ。どうやらホッグスだ。
「そうやって獣人をアンダードッグ区に押し込めた……あなたは努力の足りない無能は全部ロボットのような単純労働者にすればいいんじゃないかと考えていたりもした……」
「ち、違う……! 私はただ、そういう可能性もあるんじゃないかと思っていただけで……! 第一獣人を避けていたのはこの世界の宗教観で……あなたの神殿が……!」
「何でもいいわ……実際あなたはそうしてくれた……それで転生者と獣人の接触を断てたかと思っていたのだけれど……」
やはりホッグスから視線を逸らさないまま、
「……まさか身分を偽ってシビリアン区にまぎれ込んだ獣人がいたとは計算外だった……」
すぐさまホッグスが答えた。
「……別に偽ってはおらん。アレクシス様は優秀な者であれば身分や出自のいかんに関わらず引き立てるよう皇太子殿下に進言なされていた。そのための帝国身分ランキングである。得体の知れん魔女よ、帝都に住みながらそんなことも知らんとはオルタネティカにわか勢か?」
「………………」
「私も少し気になっとるのだがな。ゴースラント大陸は獣人の発祥地であった。ラリア殿の村もそこにあるはずであった。だが実際いってみれば影も形もなく、獣人は消滅しとった」
「…………」
「…………貴様の仕業か」
ホッグスは俺の頭からやや身を乗り出す。
「チレムソー教は獣人を差別する。貴様はチレムソー教の聖女。実態はチレムソー三賢者のひとりで、獣人の前では無力のヌルチートを操る。どう関連づけるべきであろうか? 存在したはずのゴースラントの獣人が、根こそぎ消えていたことと」
魔女はホッグスを見ていた。
そうして結構な間無言だった。
だがやがて言った。
「そうよ。私が消した」
「どうやって!」
「ヴァルハライザーをいじったの……あなたたちが……いえ」
魔女の視線がやや動く。
俺を見た。
「………………おそらくあなたがこの異世界にくる直前」
俺は言った。
「あんたはヴァルハライザーが何か知っているのか? 人間のデータを再構築することを知っているのか?」
「ええ」
「塔の中のヴァルハライザーでやるのか。ゴースラントの獣人を消したことも」
「ええ」
「皇帝や、アレクシスの両親、帝都の人々や……アップルの魂を奪うこともか」
やや間があった。だが、
「……ええ。アップルのような虫人間は少し違うけれど……」
「どう違う?」
「ヒューマンやエルフの魂は元々ヴァルハライザーに“保存”されていたもの……けれど……虫人間の魂、自我は、私がヒューマンの魂を真似て作ったもの……もともとこの世界にはないもの」
偽ンプク。
スピットファイアが虫人間をそう呼んでいたことがふと思い出された。
俺はチラリとグスタフを横目に見やった。
彼は俺たちや魔女へ、顔をせわしなく交互に向けたりしていた。恋人とのこじれた別れ話の最中に急にほったらかされてショックを受けているように見えた。
だが物事には何にでも優先度というものがある。むしろこうやってあえてそっとしておくことで彼の頭が冷静になってくれるかも知れない。
俺は魔女へ言った。
「魂を保存? この異世界の住人は元々ゲームのキャラクターだと聞いた。キャラクターを保存しているという意味か? 偽物の人間……」
だが魔女は……首をかしげた。
「ゲームのキャラ……? もうそんな人はいないわ……」
「……何だと?」
「あなたは……ヴァルハライザーを真に理解しているわけではないようね……まだここが最新鋭の生体コンピューターによる仮想現実空間だと解釈……しているの?」
アレクシスが言った。
「どっ、どういうことです⁉︎ ここはもともと吐院火奈太君が創作したゲームの世界のはず……!」
「もともとは、ね……でももう我々が乗っ取った……」
俺の足は無意識のうちに前に進んでいた。
吊り橋の入り口まで進んでいたのだ。
そうして俺とアレクシスは言った。
「乗っ取った……? 我々?」
「誰と、誰ですか⁉︎ 世界を乗っ取る?」
魔女はポツリと答えた。
「私たち三賢者……私、カロリアン……始まりの女神の三者……そしてあのエクストリーム・エルフ」
カロリアン……奴隷商人?
始まりの女神……始まりの女神……俺がトラックに轢かれた時に会った?
それが三賢者?
それで……何だったか?
エクストリーム・エルフ?
このブラックエッグにやってきた、あのエルフの少女? 魔女はたしかに奴をそう呼んでいた。
それが、ヴァルハライザーのゲーム世界を乗っ取る……何?
「グスタフ……」
魔女は唐突にグスタフへ声をかける。
グスタフはナイフを片手にポカンとした顔で魔女を見やったが、
「グスタフ……恐れることはないの……あなたは間違いなく魂を持った存在……日本からきた転生者とは違うけれども……あなたの魂はちゃんとここに保存されていた……あなたも結局は転生者と同じ、再構築されたあなたの自我……」
魔女は杖でアールフォーさんを指差す。
「あなたはこの世界で彼女と幸せになればいいのよ……永遠に……」
グスタフもまた檻の中のアールフォーさんを向いた。
「転生者は日本へは帰さない……帰るべきではないのよ……真の幸福はヴァルハライザーの中にしかない……吐院火奈太が創り得たこのチャンスは逃さない……」
アレクシスが叫んだ。
「待って! あなたは火奈太君を知ってるんですか⁉︎ まさかあなたは、日本にもいた……⁉︎」
「お喋りは終わり……言葉は胸にしまって、愛し合いなさい……」
魔女はそう言うと、1度杖を掲げてから、俺たちへ向けてビシリと指した。
するとどこからともなくガシャガシャとした騒音が聞こえてきた。
「何だ……この音」
「ロス……塔の下からである」
俺は手すりから下をのぞく。
蟻だった。
大量の蟻人間が塔を1周するように取り囲み、壁を這い上ってくる。
俺は体勢を変えずに魔女を見やった。
奴の背中にはヌルチートがいない。
「雑魚を繰り出してどうにかなると思っているのか? ヌルチートはグスタフのものが1匹しかいないようだが」
魔女は答えない。
代わりにホッグスが叫んだ。俺の耳を引っ張ると同時に。
「避けろッ!」
下からだ。下から何かが高速で飛んできた。俺はホッグスに引っ張られた耳のためにテラスの中へたたらを踏んだ。
と同時に下から飛んできた物がテラスの天井にぶつかって落ちる。
矢だった。
矢じりは刃物ではなく小さな丸い球がついているのみで殺傷力はなさそうに見える。
だがその球の色は灰色だった。
魔女が言った。
「……子供たちみんなにクロスボウを持たせたわ……矢はブアクア製……転生者といえどブアクアがかすりでもすれば……」
蟻の這い登る音がワシャワシャと近づいてきていた。
大きくなりつつある騒音は大群であることを俺たちに知らせている。
俺はアレクシスと顔を見合わせた。




