第312話 奇妙な聖典
「……何だと?」
「だから、設定資料集だ。火奈太君が書いた」
「どうしてそんなものが神殿に?」
「それはわからんのだが……」
俺はスピットファイアを見下ろした。
スピットファイアは、この異世界を構築するヴァルハライザーを造った、吐院火奈太という少年が憑依していた化身だ。
化身はインドのサンスクリット語。たしかゲームだとかネット上でユーザーのアイコンとして使われるキャラクター、“アバター”の語源……だと思う。
俺たちがいる異世界は火奈太少年が作り出したゲーム世界だそうで、火奈太少年はスピットファイアをアバターとして、俺たちとコンタクトを取っていた時期があった。
である以上、スピットファイアが何か知っているんじゃないかと俺は思った。
だが肝心の妖精王は、テーブルの上で鼻くそをほじっているだけ。
俺は言った。
「ヴァルハライザーは、生きている人間の情報を仮想世界に移しかえるコンピューターだろう?」
アレクシスと魔王がうなずく。
「ならどうして……設定資料がここにあるんだろう? 書いてあるノートはただの物質だろう」
スピットファイアが答えた。
「情報だからじゃないンか?」
「うん?」
「だから、この異世界の、『異世界』っつー情報だよ。つまり……僕の中の人の記憶? っつーの? それが物質、形としてあそこにあったンでねーかな」
「そんなことが可能なのか?」
「あったからには可能なンだろうぜ」
俺は首をかしげたが、アレクシスが割って入ってきた。
「そこら辺に関してはよくわからないんですが……暁しゃちょ、いや魔王さんが言うには、そのノートに書いてあった内容もおかしかったと……ですよね?」
アレクシスは魔王に水を向けた。
「どうおかしかったんだろう?」
「うむ……神殿にはその資料集と、この世界の歴史について記された、普通の聖典があった。それでな……我輩はてっきり、資料集と聖典の中身は同じだとばかり思っていたのだが……」
「同じ?」
「うむ。資料集の方は、生前火奈太君本人から見せてもらったことがある。この異世界のファンタジー設定としての成り立ち、歴史が書いてあったわけだが……聖典の方に書いてある歴史も同じかと思ったが」
「違ったのか?」
すると、魔王はソファに座ったまま後ろを振り返り、
「ヴィエラ。そなたはこの世界の歴史を知ってるか?」
ヴィエラは首をかしげつつ答えた。
「はあ……エクストリーム・エルフという種族とヒューマンが大戦争を起こし、天と地が破壊された……ヒューマンの三賢者がヒューマンたちの一部を守り、その子孫が繁栄した……」
それは、俺も幾度か聞いた神話だった。魔界にも知られている話らしい。
魔王がさらに尋ねた。
「その天地の破壊の時、魔族はどうやって逃れたのだ?」
「ええ。魔界はもともとヒューマンの世界とは異なる空間にあったから、天地崩壊の影響は受けなかったわ」
ヴィエラはそう言うと両隣りに立つリリアンヌとメリナの顔を交互に見たが、ふたりも黙ってうなずいている。
魔王はこちらに向き直って、言った。
「聖典の方にもそう書いてあった」
そこで彼は、顎の先を指でかきながら下を向いた。
「だがな、ロス……設定資料集にはそんなこと書いてないんだ。資料集には、大崩壊ののち天地のマナが再生される際、邪悪なマナが集まって亜空間ができた……つまり魔界だ。そこで生まれし者が魔族である、と書いてあった。だから魔族は大崩壊を経験してないことになってる。設定上は」
俺はヴィエラたちを見やった。
彼女たちは魔王の背中を見下ろしながら首をかしげている。
アレクシスが言った。
「私も天地崩壊の設定については、火奈太君から教えてもらったことがあります。だから、その神話が書かれた絵本を母に読んでもらった時、ここがヴァルハライザーの世界だと気づけたんですが……ただ他にも妙なことがあって」
「何だろう」
「エンシェントドラゴンについてです」
そこでスピットファイアも口を出した。
「なンかトカゲの絵が描いてあったなぁ」
「トカゲ?」
「そうなんです」アレクシスが言った。「エンシェントドラゴンの設定が書いてあるページに、たぶん火奈太君が描いたんでしょう、竜の絵があって」
それがエンシェントドラゴンのデザイン。アレクシスはそう言ったし、魔王もうなずいていた。
俺は言った。
「俺は今までに何体かエンシェントドラゴンを見てきたが、全部虫だったぞ。蜘蛛と、尺取り虫……」
「我輩が見たのはウミウシだったな」
「俺はミミズだった」そう言ったのはマジノだ。「パンジャンドラムもそこにいた」
「あっ、俺の時は」ハルが言った。「コオロギでした」
「アレクシス、君も昨日見たろう。カブトムシだ。小型のドラゴンのようだった」
アレクシスはうなずく。
「はい。ですが、設定上はドラゴンの名のとおり、竜だったんです」
「我輩ももちろん、生前ドラゴンの絵を見てたよ。だから火奈太君に、トカゲは胴体の横から手足が生えてるんだよと言ったんだが、あの子はそれじゃカッコよくならない……」
そこでスピットファイアが口を挟む。
「創作で固いこと言ってンじゃないぜおっさン、見た目なのさ、見た目のスタイリッシュさが全てなのさガハハだから手足は恐竜みたいに前につけたぜガハハハ」
魔王はそれにややため息をつきつつ、
「そういうことだ。エンシェントドラゴンはもともと爬虫類だったのは間違いない」
「アラモスさん。アラモスさんの見立てでは、エンシェントドラゴンは魔女が造ったもの……だそうですね?」
俺は答えた。
「そうとしか考えられない。スピットファイアだって、ガスンバの火山に尺取り虫のドラゴンを魔女が埋めたと言っていた。そうだろうスピットファイア?」
「ンだンだ」
「スピットファイア君、どうしてそれがわかったんですか?」
「僕の本能がそう囁くのだーッ! 僕の中の人が、アレを外部のクソに触らせないようにオーク部族に守らせていたッ! だが敵の方が上手だった! 残念だ!」
それからもアレクシスや魔王が、スピットファイアにあれこれと尋ねた。
ガスンバで尺取り虫が大きな屁をこくことで、何かをやろうとしていたことの再確認。それが原因で世界の終わりが始まるらしいということ。
それが具体的に何を意味するのか尋ねていたが、
「わからンッ! そりゃもうやらかした本人に訊かンとどうしようもないッ!」
そういうことだった。
「要するに何もわからなかったということか」
それから俺たちはしばらくの間、何を言うでもなく黙っていた。
そうしながら俺は、アンダードッグ区で出会った魔女の顔を思い出していた。
奴が何かをやっている。その何かがわからない。
設定上のドラゴンと実際のドラゴンの姿には大きなへだたりがある。
しかもそのドラゴンは魔女の手作りのよう。そいつらが俺たち転生者の前に現れて……。
待てよ。考えてみるに、エンシェントドラゴンはたいていにおいて常に俺たちのそばにいた。
俺が滞在したタイバーンの港。マジノとパンジャンドラムの国。ハルのサッカレー王国。ウォッチタワーとガスンバ。魔王と海上要塞。今ここにはいないが、トンプソンもだ。
例外はエルフ族の住む幽明の森にいたナヤートぐらいか?
いや、アレクシスのいる帝都。盗まれはしたもののドラゴンの卵があった。
ただの偶然か? エルフ勢は遭遇していないからそうとも考えられる。だが……。
「アラモスさんの方はどうだったんですか?」
ふと、アレクシスが口を開いた。
「何がだろう?」
「奴隷商人を探しにいったはずでは? 何かわかりましたか?」
「いいや」
「何だ……結局そちらも収穫なしじゃないですか」
一瞬、なぜかホッグス少佐の顔が浮かんだ。
彼女の生家でベッドに押し倒され、俺のすぐ目の前まで迫ったホッグスの端正な顔が。アレクシスたちが聖典とにらめっこしている間に起こった出来事だった。
「……魔女が出てきたんだ。それどころじゃなくなった」
「まあそうですけど……昼頃からずっと探していた割には……」
「アンダードッグ区がどれほど広いと思ってるんだろう。君が椅子に座って優雅に読書している間もこっちは足を棒にしていたんだ」
「ちょっと……何ですその言い方」
「別に。シスター・イノシャが実は魔女で、あの女にご丁寧に自分は転生者だとカミングアウトしたのが君で、それからいったいどんな不幸な偶然が重なってパンジャンドラムたちが連れ去られてしまったんだろうと考えごとをしていたからちょっと返事がぞんざいになっただけだ」
「何ですか、私のせいだって言うんですか!」
「そうは言っていないさ」
「そう聞こえます!」
「そう聞こえたということは自覚があるせいじゃないのか……お嬢さん」
アレクシスがソファから立ち上がった。
勢いがよかったせいか彼女の膝はテーブルにぶつかり、衝撃で上に乗っていたスピットファイアがぽんと跳ね上がってから顔面から着地。マジノと魔王が彼女の腕を掴んだ。俺の前にはいつの間にかハルが割って入っていた。
「ちょ、ロスさんやめましょうよ……」
「何もしてないぞ」
「あっ、いや、今みたいなこと言うの……」
ハルの肩越しに、アレクシスがこちらを睨んでいるのが見えた。
その時客間の扉がノックされる音が聞こえた。
そちらを振り返ると、ドアが勢いよくバァーン! と開かれ、
「いやぁー食べた食べた! ちょっとロスこれ見て! 胃が膨らんじゃってまるで妊娠したみたいだわアッハッハ! まぁエルフってめったに妊娠しないけど! 優秀な生物は数が少ないのよねっ!」
腹をさすりながらエルフがエントリー。その後ろからヤマト皇太子も部屋に入ってきた。
皇太子が言った。
「アラモスさん、アレクシス、聞いてくれ! 親父の魂を元に戻せるかも知れないんだってよ! アレクシスの両親の魂も!」
俺は皇太子と、エルフの顔を見比べる。
エルフが言った。
「げえっぷ! おそらく皇帝たちの魂は魔女に持っていかれちゃったみたいね。げふっ」
「……どこにだろう」
エルフは腹をなでながら俺のそばを通りすぎる。そして窓際に立って、空を見上げるようにしながら、
「ブラックエッグ。あれはもともと……そういう装置よ」
そう言って俺を振り返り、もう1度げっぷした。




