第304話 マザー ※
俺とホッグス、エルフ(ラリアはエルフに肩車されている)、そしてシスター・イノシャの4人で歩き出した。
ホッグスが言った。
「そう言えば、皇太子殿下が今朝神殿へ向かわれました。お会いしましたか?」
「…………」
「あの、イノシャ様?」
「……あっ、はい。何でしょう……あっ、皇太子殿下」
「はい」
「いえわたくしは……今朝からこちらにいた……ものですから……」
久しぶりに会ったシスター・イノシャだったが、相変わらず小さな声だった。ホッグスが何かしらの世間話を振るが、それに対してぽつりぽつりと答えるだけ。
コミュニケーション能力の低そうな女性だった。言葉少なで、ともすれば愛想がないと受け取られかねない女性。
それを思いやってのことか、対照的にホッグスはよく喋っていた。
「ロス、知っとるか? シスター・イノシャ様はたいへん素晴らしいお方でな。帝国各地を巡り貧しい者をお救いくださり……」
「それは聞いたことがあるな」
「うむ。それにな。チレムソー教会のシスターでありながら、獣人に対しても慈愛の心をお向けくださる。まさに聖女でいらっしゃる」
なるほど。
耳を隠してシビリアン区に暮らすことで心を許せる相手のいない獣人のホッグスとしては、仲良くしたい相手というわけか。
おまけにホッグスはアンダードッグ区にも居場所がないと感じている様子だ。彼女にとってシスター・イノシャとは、人生の暗闇に差す一筋の癒しの光明のような存在だろうか。
精神を鍛えて雑念を払うマッチョスタイルである仏教の国からきた俺としては、宗教に希望を見出す気持ちはあまりわからないが。
「あー私、知ってる。丸耳のチレムソーって獣人が嫌いなんだっけ」
エルフの声に、俺は少し振り向いた。
俺以外はみんな後ろを歩いていた。イノシャが1番後ろ。エルフもまた振り返るようにしてイノシャに話しかけている。
「何でなの? 獣人ってモフモフでちっちゃくて可愛いじゃない? ほら」
エルフは肩に乗っているラリアを少し揺すって見せていた。
イノシャはそれをぼんやりと見上げたが、
「……チレムソー様の教えでは……獣人はヒューマンとは異なる存在……本来この世に現れるはずのなかった者たち……という教えがあります……」
「アーハン?」
「……人と共にあるべきではない……偽りの者……きたるべき時、ヒューマンの真の幸福を妨げるであろう……的な感じのことが聖典に記されていたような……」
「いたような?」
「いなかったような……」
俺は1度、首を反対方向に振り向かせてホッグスを見やってみた。
彼女は子供のように唇を尖らせてよそ見をしている。
ラリアが言った。
「ボク何にも悪いことしないですよ!」
「……ええ……そうですね。あなたは……以前他の街で……仲間外れにされた子供をかばっていましたね……」
ラリアの方は攻めの姿勢だった。
イノシャも特に反論するわけでもない。本当に、獣人に偏見のない人物らしい。
前方に十字路が見えてきた。通りには俺たち以外誰もいない。あの十字路を左へ曲がると橋の方向だ。
俺は今きた道を振り返った。
明日、またこの辺りへきてカロリアンを捜索すべきだろうか?
それとも、エルフか。エルフの話次第では別の予定ができるかも知れない。皇帝を治すためには伝説の薬草か何かが必要で、それを手に入れるためには8つの祠を回って石板を集め、それから3匹の邪悪なモンスターを倒してなどなど、時間稼ぎのたらい回し的クエストが発生するかも知れない。
俺は前方に視線を戻した。
それと同時にまたエルフの声が聞こえた。
「ねえあなた……以前どこかで会ったことないかしらん?」
俺が尋ねられたわけでもないのだが、そんな可能性があるのか考えてみた。
特に思いつかない。このエルフはあちこちをウロウロしているようだし、ガスンバで別れて以降姿を見せなかった。イノシャも各地を廻ったりしていたようだし、どこかで接点があったとしてもおかしくないか。
「……さあ……お会いしたことはないはず……」
「ふうん。気のせいかしらん」
もうすぐ十字路だった。
ふと、なぜかサッカレー王国でのことを思い出した。
あの土地で、別人に顔を変えて身を隠していた王子がいた。
顔を変える魔法をかけたのはエルフだったが、魔法をかけてから2年が経ってもその顔をよく覚えていた。
再開した瞬間、王子が何者か言い当てていた。
かなりの記憶力の持ち主だと思っていたが、やはり勘違いする時もあるのか。
まあそうだとしても何がいけないのだろう。たとえばここには長年受験勉強してきたのに試験の当日にその答えをド忘れするような男もいるのだ。エルフほどの知見の持ち主でもそういうことがあるなら、俺だって忘れ物したっていい。
そう考えつつ、目の前に迫った十字路の角を曲がろうとした時。
その角からひょっこりと現れた者があった。
アリスだった。
腰にガンベルト、肩から対ヌルチート音波発生器をぶら下げたアリスが、ちょうど角を曲がろうとした俺とぶつかりそうになった。
「あっ、ロスくんっ! ここにいたの⁉︎」
アリスは慌てた様子だった。俺がどうしたのかと尋ねると、
「いやそれがさ! ちょっとマジで大変なことになってて……!」
彼女はそこまで言いかけて、唐突に口をつぐんだ。
視線は俺の背後の方に向いていた。
俺が視線を追うため振り返ろうとした時……。
《剣聖・サッキレーダーのスキルが発動》
《シスタ・イノシャはポイゾナスニードルのスキルを発動しています》
「危ないっ!」
エルフの声が聞こえたのは俺が振り返るのと同時だった。彼女はホッグスをつき飛ばしざま、自身もバックステップした。
そんなふたりのまんなかに立つシスター・イノシャ。
彼女の右拳からは、紫色の棘のようなものが短く飛び出していた。
その棘で、ホッグスを突き刺そうとしていたのだ。
「ちょっとあなたどういうつもり……? 危ないじゃないの」
エルフはすでに腰のレイピアの柄に手をかけていた。
イノシャの方はと言えば、棘の生えた拳の甲を見たり、エルフをチラ見してみたり。何も言わない。
背後で何か音がしたのが聞こえたので首だけ振り返ってみると、アリスがガンベルトからリボルバー型の魔法銃を抜いたところだった。
アリスはその銃口をイノシャに向けていた。
「アリス、何をやっているんだろう? そんなものはしまえ」
「ロスくん、呑気なこと言ってる場合じゃないよ」
そう言ったあと、彼女はリボルバーを持っていない方の指を口にくわえ、指笛を吹いた。
街中に響くんじゃないかと思えるような、甲高く大きな音だった。
アリスは何度か指笛を吹いた。それから指を口から話すと、イノシャに言った。
「久しぶりだね。あの時はほんとにお世話になったよね。まさかあんたが帝都にいるなんて思いもしなかったけど」
険しい目つきで銃口を突きつけるアリス。
イノシャはそれを、うつむきがちな暗い表情で上目遣いに見返していた。
俺は言った。
「何の話をしているんだろう? 知り合いなのか?」
「知り合いも何も……」
アリスは口の端を歪めて笑うと、
「ロスくん、あんた確かあーしの日記を読んだんだよね? それで、あーしがどうやってヌルチートを造るようになったか知ったんだっけ?」
アリスの日記? サッカレーで彼女の自宅で見つけて、確かに中身は読んだ。
「ある人からさぁ、ヌルチートの製法が書かれた石板をもらったって話。それであーしはハルっちを、他の友だちと一緒に……」
「それが何か……」
「この女だよ」
俺はアリスの銃口から、シスター・イノシャに視線を移す。
「この女なんだよ。聖女イノシャ。あーしに石板をくれたのは……!」
俺はほんのちょっとの間、首をぐるぐる動かしてアリスとイノシャの間で視線をいったりきたりさせた。
つまり……。
「つまり?」
「魔女だよ。聖女イノシャが魔女。この女がヌルチートを造る女だよ!」
「…………何だと?」
イノシャを振り返る。
暗い表情で手の甲を見つめている。
「あーし、あんまり教会とか神殿とかいかない人だから今日まで全然知らなかったんだ。でもね、エンシェントドラゴンの卵を帝都の外に運ぶ行列ができててさ、フリー地区を通ってたからあーしたまたま見てたんだ。そしたら行列の中の馬車にその女が乗ってるの見たんだよね。
「うっわどーしよって思ったよ。でも神殿に皇太子様とアレックス様がいくらしいって話は聞こえてたから、あーし急いで神殿にいって皇太子様にお知らせしたんだ」
そこまでアリスが話した時、彼女の後ろの角からさらなる足音が聞こえてきた。
姿を現したのは、3人の衛兵。彼らが言った。
「シスター・イノシャ様! こ、こちらにいらっしゃったのですね……!」
「イノシャ様! 畏れ多くも皇太子殿下から直々に、あなた様に逮捕命令が下りております!」
「申し訳ありませんが我々とご同行願いたい……!」
俺はアリスを見やった。
ヤマト皇太子の行動はすこぶる早かったらしい。俺がホッグスと乳繰り合っている間に話はすでに進んでいたのだ。アリスが指笛を吹いたのはこの3人の衛兵を呼ぶため。アンダードッグ区にはイノシャ捕縛のため、もう複数の衛兵が投入されているということか?
当のイノシャの表情は変わらない。相変わらずうつむきがち。
そして何も答えない。
弁明するわけでもなく、どういうことか事情を訊くでもなく、押し黙っている。
アリスが言った。
「さあ、衛兵さんと一緒にきてもらうよ。魔王の側近とかいう魔族の人たちもあんたの顔知ってるらしいじゃん? 面通しすればすぐにわかることだよ。こないだアレックス様が襲われたのもあんたの仕業だってことがね!」
アレックス……アレクシスが数日前、ヌルチートのために皇帝の城でひどい目に遭いそうになってはいた。アリスはその話をしているのだろう。
衛兵の3人がイノシャを取り囲もうとゆっくり動いていた。
イノシャから少し距離を置いたホッグスが、いぶかしげな表情で俺を見ている。
ホッグスには信じられないのかもしれない。
唐突な話だからだ。
それは俺にとってもそうだったし、魔女の顔を見たことがあるのはアリスであって俺自身じゃない。何の確証も持てないことだ。
だが俺はもうアリスの話を信じる気になり始めていた。
アレクシスが襲われたあの出来事。アレクシスはそもそも自分が転生者だと誰にも話したことがなかった。親しい皇太子にさえ。
だがそんな彼女が唯一出自を打ち明けた相手があった。
以前、アレクシスが聖典を見せてもらいに神殿へいった時。
彼女は日本へ帰る方法を探るべく、門外不出の聖典を見せてもらえるよう頼むため、たったひとりにだけ自分の正体をバラした。
確かにどうしてアレクシスが転生者だと皇帝たちが知っていたのか奇妙な話だったのだ。
アレクシスが自分のことを話した相手は、シスター・イノシャだけだったのに。
「イノシャ様、こちらへ! できれば抵抗はしないでいただきたい……」
イノシャの周囲を囲んだ衛兵たちがにじり寄っていく。ホッグスとエルフは包囲の輪の外に出た。
アリスが言った。
「ロスくん手伝ってあげて! 早くいかなきゃ!」
「いくって、どこへだろう?」
「今マジでヤバイことになってるんだって! アレックス様も、それだけじゃない、ドラゴンの卵も! あーしだけそれを知らせるために、ここまでロスくんを探しにきたんだからね!」
「なに、ドラゴンが、なに?」
その問いにアリスが答えるより早く。
「まだるっこしいわね」エルフが言った。「私がやるわよ。この人が魔女なら、私もガスンバで借りがあるわよね!」
言うが早いかレイピアを抜くと、
《ミステリアス・エルフは剣鬼・カッサツジザイのスキルを発動しています》
イノシャめがけ突進。
「エ、エルフ殿っ!」ホッグスが言った。「待て、まさかイノシャ様が魔女だなどと……」
「違ってたらあとで謝ればいいでしょっ!」
エルフは衛兵との連携すらせずにイノシャに迫った。
華奢なイノシャのことだ、エルフに打ちのめされるのは避けようのないことに思われたが……。
《魔女イノシャはマンティスフィストのスキルを発動しています》
イノシャは鮮やかにバックステップしつつ、両腕を恐るべき速さで翻した。
エルフの振るう目まぐるしい剣術を、素手によって捌いていく。
イノシャは通りの向こうに沈む夕日をバックに逆光の位置を取っていた。それでも剣と素手だ。エルフの優位は動かない。レイピアの切っ先はイノシャの白いローブにかすり、切り裂いていく……。
切り取られた布の破片を散らしながら大きく後方に跳んだ。
「逃すかッ!」
エルフが追撃のために跳ぼうとしたが、
《魔女イノシャは毒鱗粉のスキルを発動しています》
そのローブが突然爆発。紫色の煙が大量に発された。
「うわっぷ、あっぶな!!!」
エルフは素早く後退した。左手の指で宙をかきまぜるようにして、風の魔法を発動させる。
紫の煙は毒の霧だ。イノシャの姿はその向こうに一時消えたが、エルフの起こした風が霧を晴らしていく。
視界がクリアになった時、もうそこには白いローブを着た敬虔な聖女の姿はなかった。
そこにいたのは、肌の露出の多い、扇情的な黒いドレスに身を包み、どこから取り出したものやら魔法使いめいた黒い三角帽子をかぶった、蠱惑的な女。
そいつが言った。
「転生者に…………獣人。あげくにエクストリーム・エルフ…………嫌な……組み合わせね………………」




