第二十九話 アルバランの休日2
海辺のレストランでの食事の後、俺たちは高台へ登った。
カラフルな色の石畳で整備された住宅街。
地方都市の山中に突然発生する新興のニュータウンめいた雰囲気がそこにはあった。30代前後の若い夫婦と、5、6歳ぐらいの女の子、もしくは男の子、あるいはその組み合わせの兄妹だとかが、楽しそうに笑っているポスターで紹介される、あの雰囲気だった。
坊や、そんなに走ると転んじゃうわよ。やれやれ、元気なのはいったい誰に似たんだろうな。あら、もちろんあなたにじゃない、学生時代スポーツで活躍したあなたに似たのよ。そうかな? そうよ。私はあなたのそんなところに恋したのだわ。そういう町はたいてい近所にコンビニがない。
住宅街の公園に足を踏み入れる。そこからも海が見えた。高台から見る海は、港の至近距離とはまた違い、絶景感があった。
俺とレイニーはベンチに並んで腰掛けた。ラリアは俺の左腕にしがみついて、すでに眠り込んでいた。
「その子よく寝るよね」
「コアラは消化に時間がかかるからな」
レイニーは膝の上に包みを広げはじめた。包みの中にはクッキー。
「あの……焼いてみたんだ」
十数枚あるクッキーの大きさは不揃いだった。レイニーはクッキーに目を落とした姿勢でいたが、ちらちらとこちらを盗み見るようにして、
「よ、よ、よかったら……た……食べてくれる?」
なぜかレイニーは頬をリンゴみたいに赤くしていた。頬の表面のカーブのせいで余計リンゴみたいに見える。
俺は1つつまむと、ほおばった。
「どっ………………どうかなっ?」
はじめに浮かんだ言葉は、小麦粉。次に浮かんだのは、洞窟でゴブリンに圧殺されかかった記憶だ。それなりにまともなクッキーをさらに小麦粉でコーティングしたような、そんな食感と味だった。小麦粉がゴブリンで、クッキーがロス・アラモスだ。
「は、初めて作ったから、その、自信ないけどっ」
「美味いよ。もう1つくれ」
しばらく2人で黙々とクッキーを食べた。
レイニーは自分で齧って、それからクッキーを睨みつけたりとかしていた。
俺はラリアに1枚与えようと、顔に近づける。ラリアは薄めを開けたが、満腹なのか食べずにまた目をつむった。
ふと隣を見ると、レイニーが同じようにクッキーを俺の顔面に近づけてくる。
俺がクッキーとレイニーの顔を見比べていると彼女は言った。
「……あ……あーん…………」
それでも俺が黙っていると、彼女は顔を真っ赤にして、慌てたように引っ込めて居住まいを正しうつむく。
「なによ、ゴンザレスのやつ、こんなすればおとこがよろこぶとか、うそばっかり、まじあいつ」
下を向いて何か呟いていた。何があったかは知らないが、彼女は誰かに騙された様子だ。これで2度目だ。冒険者とはとかく信用のならない人物が多いらしい。
俺たちはクッキーを全てたいらげた。それから特に会話もなく、海を眺める。
左手の海岸線には港町が見下ろせた。エンシェントドラゴンのブレスでえぐられた町並みは無残だったが、不思議と陰惨な印象もない。それは陽光のせいなのか、結局あの件では防衛隊の活躍により1人の死者も出ていなかったからか。
レイニーが俺の視線を追って町を見ているのに気づいた。
「ひどいことになっちゃってるね」
「マシな方さ」
俺はそう言った。レイニーが怪訝な顔で俺を見る。
「俺はもっとひどいものを見たことがある」
「ドラゴンよりひどいこと?」
「奴のブレスなど大したことはない。広い道路ができただけだ。一撃で町一つが更地になって、10万人が消滅するのに比べれば、ドラゴンはまだ人道的だ」
「10万人って……アルバランの人口より多いよ。どんな魔物だったの?」
「人間さ」
「……広域魔法?」
「似たようなものだ」
高度に発達した科学は魔法と区別がつかない。そう言ったのは誰だったか。
「何でそんなことが起こったの?」
「ただのありふれた戦争さ。攻撃は2度行なわれて、わかってるだけでも25万人が死んだ。だが戦争全体で見れば300万人が死んだし、敵も合わせればもっとだ。そしてその後も多くの人が死に続けてる。飢餓、犯罪、自然災害。津波で死んだ人もいるし、生き延びた人もいる。生き延びたのにその土地に住めなくなって、避難を余儀なくされた人もいる。かと思えば目立とうと思って高い建物に登り、足を滑らせ落ちて死んだ奴もいる。健康のために道を走ってたはずなのに車に轢かれて死んだ奴だっている。人間は何をやってたって、どんなことでも台無しにできるのさ」
海から巨大生物が現れて、口から光線を吐いて人々の生活を脅かす。クレイジーなできごとであるのは議論の余地はないが、冷静に考えてみればクレイジーでないことがあった試しもない。
戦争であろうが災害であろうが、ひとつひとつを見ていけば、そこにそうなるべくしてそうなったと納得のいく根拠がある。
だが一気に羅列すればやはりクレイジーにしか見えないものだ。教科書に記された人類の姿は、ハメを外しすぎて放送事故を起こしたお笑い芸人のようでもあった。
「……ロスはそういうものを、ずっと見てきたんだね。あたしなんかとは経験が違うんだ」
「ほとんどは他人の受け売りだ。俺の経験じゃない」
それからまた無言。
レイニーは海に目をやったり、自分の膝を見つめたりしていた。そわそわと落ち着きがない。
俺と一緒にいるのがつまらないのだろう。
彼女の隣に座っているロス・アラモスは一見全身を黒でシックにまとめたタフな冒険者だが、中身は40過ぎのハゲオヤジだ。17歳の女の子を楽しませる会話など何も知りはしない。
できる話と言えば……何の話ならできるのだろうか?
趣味の話だろうか? 俺に趣味などない。刺激のない仕事を終えたら家に帰って、後は好きでもないバーボンを飲みながら時計の秒針を眺めるだけの人生だった。
妻もないから女性が喜ぶ会話もできないし、子供もないから扱い方もわからない。ラリアが俺の左腕で寝ている。どうかずっとそのまま寝ていて欲しい。
そもそもラリアは何が面白くて俺にしがみついているのだろう。いやレイニーもそうだ。わざわざ礼を言うためだけにクッキーを焼いて、無言の行を強要されている。
何が楽しいのだろうか。さっさと友達や彼氏と遊びに行けばいいものを。
レイニーが振り向いた。
「あっ、あのっ……! よかったら、あたしと……!」
俺は横目に見る。
「パ、パーティーを組んで……いや、やっぱり今のなし! 忘れて! SランクとDランクじゃ噛み合わないよね。足手まといにしかならないし……」
慌てたように手を振って、彼女はまたうつむいた。
「そ……それに……ロスは、姫様と結婚するんだもんね。冒険者なんか……続けるわけないか」
レイニーは独りで会話していた。自分にだけわかる会話。俺がバーボンを飲みながらよくそうしていたように。
俺は何を言おうか考えた。
パーティーの承諾。あの安産型の尻を持つ姫君との結婚の否定。
何についてだって話すことができた。
だが話す理由がなかった。
承諾する理由も、結婚しない理由も。
パーティーを組むぐらいしたっていい。あるいは独身貴族を卒業し本物の貴族になったっていい。
そうだロス・アラモス。
あの禿げた無様な負け犬は死んだのだ。
何にだってなればいい。なんならラリアのマスターになって、宿題を見てやるぐらいしたっていいじゃないか。ささいなことを理由に学校へ乗り込んで、親バカクレーマーだと思われて顰蹙をかうのも悪くない。そうやってニュータウンに住んで、コンビニエンスストアとの距離感について不平を漏らせばいい。バーボンの瓶を叩き割って、教科書通りの幸福を手に入れるだけだ。
俺はここじゃ何だって手に入る。
俺はロス・アラモス。無敵のタフガイだ。
俺がかつて手に入れることのできなかったものを、全て得られる権利と能力、そしてチャンスがあるはずだ。
ふと、影がさした。
見上げると、いつの間にかベンチの脇に女が立っていた。
銀髪に眼鏡に黒いストッキング。
ゴブリンの洞窟へ向かう前に出会った王宮秘書官だ。名前は何だったか。何でもいいか。
「ごきげんようロス様。私のことを覚えていらっしゃいますか?」
「もちろんだ」
「Bランククエストの達成、おめでとうございます。数々の冒険者を退けた魔物を討伐し、その裏に隠れた卑劣な企みをも暴き出した手腕、このアナスタシア・サンボーン感銘を受けましてございます」
「ありがとうミス・サンボーン。要件は何だろう?」
ミス・サンボーンは静かな佇まいでベンチ脇に立っている。
俺は座ったまま彼女を観察した。有能だが、出しゃばらない。本当は心の底で男を見下すフェミニストだが、見下しているからこそそれを表に出さず、男を操る。そういうことをする有能な自分に酔っている、そういった感じの女に見えた。
「先日申し上げた件でございます。国王陛下並びに王女殿下は、ロス様が城へお越しくださるのを心待ちになさっています。国王陛下がロス様に王女殿下を娶らせるというお話。陛下御自らロス様にお話なされたということ、私もうかがっておりますが」
ミス・サンボーンがそう言った時、レイニーが立ち上がった。
「ロス。あ、あたしもう行くね。邪魔しちゃ悪いから……」
俺はレイニーを振り返った。彼女の顔はなぜか真っ白に見えた。血の気の引いている人間がするような顔だった。スカートを両拳で握りしめていたが、
「あの、今まで、ありがとう」
そう言って俺たちに背中を向け、立ち去ろうとした。
「お待ちを」
ミス・サンボーンが呼び止めた。レイニーは足を止め振り返る。
「失礼ながらお尋ねします。あなたはロス様の恋人、でしょうか?」
「えっ! あ、あたし、そんな……」
「違う」
俺はミス・サンボーンを見ながらそう言った。後頭部に突き刺すような視線を感じる。ような気がする。
しかしミス・サンボーンはそんな俺たちを見比べて、にっこりと笑った。いえいえ恥ずかしがらずに、私は何もかも承知していますよ、何せ私は有能ですから、ええそうですとも、私は全てを承知しています、この世で私が承知していないことなど何一つありません。
「よろしければ、そちらのお方もご一緒に、城までお越しください」
ミス・サンボーンはそう言った。




