第292話 盗まれたドタマ
「ガハハ困っちゃったねこれは……貴様らが元の世界に帰るためにはヴァルハライザーの自我が必要なのに」
「おいスピットファイア、笑ってる場合じゃないんだよ! どーすんだよこれ!」
パンジャンドラムはスピットファイアに掴みかからんばかりだった。
無理もない。彼は俺たち転生者の中で最も前世への執着が強かった。
俺は尋ねた。
「スピットファイア。向こうへ帰るのにヴァルハライザーの自我が必要、とは?」
「うむッ! 貴様らはひょっとしたらもう知っとるンかも知れンが、そもそも貴様ら転生者というもンは、ヴァルハライザーが貴様らという存在をこの世界に再現したものにすぎンッ!」
一瞬、俺はラリアとホッグスに目をやった。
席を外してもらおうかと思ったのだ。だがスピットファイアの方はお構いなしに喋り続ける。
「ヴァルハライザーが貴様らのデータ……つまり貴様らを貴様らたらしめンとする貴様らの自我を認識してるっつーこったッ! であるからして貴様らをこの異世界から出すためには、貴様らをヴァルハライザーの自我に会わせにゃあならン。そのうえで、こいつとこいつとこいつのデータを元の世界に送ってちょんまげとお願いせンけりゃあならンのだッ!」
ゴーストバギーのボンネットの上で、腰に手を当て話すスピットファイア。横ではホッグスが首をかしげかしげしながらその話を聞いている。
俺は言った。
「それが盗まれてしまった……というわけだな?」
「うむ。まことに慚愧の念に堪えないよぼかぁ。盗みくさったのはこのクソ羽蟻どもかな?」
周囲の羽蟻の死体を見回すスピットファイア。
ホッグスが言った。
「む……よくはわからんのであるが、要はここに脳みそが……あの、頭のアレのことでいいんであるな?」
「そだよー」
「それがここにあって、でもなくなったと……」
「さいでござンす」
「で、ここにはたくさんの虫がいた……あの、とても言いにくいのであるが……」
ホッグスは俺とパンジャンドラムの顔を見る。
「た……食べられた……のでは? 蟻に……」
「うっそだろォーッ⁉︎」
すぐさまパンジャンドラムが叫んだ。
「そりゃないよ、ここまできて! それじゃなにかよ、オレたちずっとこの異世界から帰れないってことかよ⁉︎」
だがスピットファイアはジト目でそちらを見やりながら、
「落ち着けゴブリン、盗まれたとゆーたろう」
「でもよ、こんなに虫が……!」
「いいか、脳みそはヴァルハライザーの自我。ヴァルハライザーそのものだ。それを食い散らかして壊してしまったら、ヴァルハライザーはヴァルハライザーであることを保てなくなる」
「仮に」俺は言った。「そうなるとどうなる?」
「この異世界は終わりさガハハ。消滅するのさ。異世界はヴァルハライザーが見ている夢なのさ。全部妄想なのさ。自我が消え失せれば妄想なンかできないよ」
そしてスピットファイアは、だから破壊はされていないはずだと言った。食われてなくなっていれば我々ももうどうにかなっちゃってると。
「……ってなるとさ」パンジャンドラムが言った。「じゃあどこいっちゃったのさ? だいたい盗まれたって、誰に?」
俺は言った。
「……魔女だ」
「どうしてわかるの?」
「この虫を見ろ。魔女の子供たちだ」
「ん……でもだからって、魔女がやったって言える? たまたまここにいただけとか……」
「魔女の差し金と考えるのが自然だ。魔女はとにかく転生者にこだわりがあって、おまけに俺たちがゴースラントへ渡るのを阻止しようとしていた。そしてここには転生者が日本へ帰るために必要なヴァルハライザーがあって、それがなくなった。他にそんなデカい脳みそに用がある奴がいるとは思えない。それに……」
俺はラリアを横目に見た。
「ここには1ヶ月前までは獣人の村があったはず」
ラリアはホッグスに肩を抱かれて俺を見上げていた。
魔女はどうも、獣人の移動を阻止しようとしていたそぶりがある。
では、ラリアの村、ゴースラントから生命の痕跡を抹消したのも、魔女……?
「あの、ロス」ホッグスが言った。「何の話なのかさっぱりわからないのである。貴様たちの話を聞いてると、まるでそのヴァルハライザーとかいうものがこの世を創造したかのような……まるで神のようなものに聞こえる……」
彼女はラリアの両肩を抱いたまま俺を見ていた。
俺は地平線に目をやって……。
「1度グランシへ戻った方がいいかも知れない。他の転生者とも相談しよう」
そう言った。
海岸への帰りの運転はパンジャンドラムに任せることにした。
俺はスピットファイアとふたりで後部キャンピングカーに乗り、移動する。
キャンピングカー内は片側の壁にソファ。前側にキッチンのようなものがある。
俺はソファに座り、反対側のテーブルにあぐらをかいて座り込んでいるスピットファイアと話すことにした。
「君はどうしてここにいたんだろう?」
「もちろン貴様らをヴァルハライザーの外に出す手伝いをするためだ。それが仕事さ」
「吐院火奈太少年に頼まれた?」
「そうなるかな。うンにゃ。ある意味では違う。もっと別の、大いなるものの指示だ」
スピットファイアはテーブルに放置されていた木製のフォークを持って、座ったまま剣道の素振りを始めた。
「何だろう、それは」
「僕にもよくわからンね。とにかく僕にわかるのは……大自然? 自然の声だ。僕の体はこの世界の自然のちからでできている。僕自身が自然と一体と言っても過言ではないッ! ガイアが転生者を異世界から出せと僕に囁くのだ」
俺は素振りを続けるスピットファイアを眺めた。
この妖精、俺たちは元々ヴァルハライザーの製作者である吐院火奈太少年が転生した姿だと考えていた。
だが実際には火奈太少年は生存していて、スピットファイアは自身のことを火奈太少年の化身だと認識していたはず。
化身……。
ゲームでいうアバターの語源だ。
魔王バルバロッサは、この異世界はもともと火奈太少年が構想していたファンタジーゲームを基盤にしているというようなことを言っていた。
では今俺の目の前でフォークを振り続けている妖精は、火奈太少年のプレイヤーキャラクターということになる。
俺は尋ねた。
「火奈太少年の声は聞こえるのか?」
「うンにゃ。最近僕はずっと孤独さ。独りぼっちさ。ガハハ」
「ではなぜ君は活動できるんだろう?」
スピットファイアは素振りの手を止めこちらを見た。
「なにが?」
「だから……火奈太少年が今この世界にアクセスしていない、つまり君をプレイしていないのなら、君はどうやって動いているんだ?」
「えっえっ、どゆ意味?」
「俺たち転生者はもともと、俺たちという個人データを再構築することで自我と思考を保っている。そうだろう?」
「まあそうなるね」
「じゃあ君や……この世界の人間はどうなんだ? ヴァルハライザーの人間たちは、何をもってして自我を、個人というものを保っているんだろう?」
俺はラリアの顔を思い出していた。
ホッグスのことも。
スピットファイアは首をかしげた。かしげすぎて90度ぐらいにひん曲がっていた。
そして言った。
「……わかンないっス」
「この異世界の住人、人口はおそらく10億ぐらいじゃないのか? 仮にそうだとして、その10億人をいっせいに、自我を持った複雑な人間であるよう動かすなんて……」
だがスピットファイアは首を元に戻すと、
「どォーしてそンなことを気にするのーッ! 今それどころじゃないでしょうがーッ! 今は消えたヴァルハライザーを追うのが先決だッ! ヴァルハライザーの性能が知りたければヴァルハライザーのママに聞けばいいでしょーッ! そして僕はヴァルハライザーのママではなーーーいッ!」
突然の剣幕。
と思ったらすぐににっこり笑い、
「あ、パパか。場合によってはそーでした、ガハハ」
そう言った。
ふと、ウォッチタワーが数ヶ月の間このスピットファイアだけをお喋り相手にしていたと言っていたのを思い出した。たいそう疲れたそうだが、それに共感を覚えた。
俺はため息をついて、それから話題を変えることにした。
「この辺りには獣人の村があったはずなんだ。1ヶ月前にはたしかにあったようだが、突然なくなった」
「それについてはさっきも言ったが僕にはわからンぞ」
「だろうな。だが君はガスンバでヌルチートを見たとき、誰かがヴァルハライザーにアクセスしやがったと言っていた」
「そンなこと言ったかな? いやたしかに言ったな。あのヤベーヤモリだな」
「ヴァルハライザーを盗んだのはおそらく魔女だ。ヌルチートも魔女が造った。そいつは神話の時代から生きているらしい女で、俺たちがゴースラントへいくのも魔族を操って邪魔していた」
「うン」
「君は魔女が何者か知っているか?」
俺は目の前の妖精に話した。
君はガスンバで、魔女の企みによりエンシェントドラゴンが起き、そのせいで世界の終わりがやってくるというようなこと。ドラゴンの存在を察知していたはずだと。
スピットファイアは答えた。
「……漠然としかわからン。さっき言った、大いなる何か。それのうちのひとつだ」
「……大いなる何かとやらはたくさんいるのか?」
「3人だ。みっつとも言える。いや数はあまり意味をなさない」
「スピットファイア。世界の終わりとは何だ? 俺もウォッチタワーも結局それがなんだかわからないままここまできてしまった。火奈太少年は理解してるはずなんだ。君にもわからないだろうか?」
スピットファイアは腕組みして考え込み始めた。
俺は車に揺られながら答えを待った。
だがスピットファイアは、結局何も答えないまま無言でフォークの素振りを再開した。
なるほど。よくわからないらしい。
どうしたものか。
火奈太少年は早く異世界から出なければ2度と戻れなくなるというようなことを言っていた気がする。
タイムリミットがあるのだ。だが脱出路であるヴァルハライザーの自我とやらは盗まれた。
どこへ? いやむしろどうやって?
「スピットファイア。デカい脳みそだと言ったな。どのぐらいのサイズだろう?」
「うーン、家ぐらいの大きさ」
スピットファイアがそういった時、車が止まった。
窓から外を見ると海が見える。海岸に到着したらしい。
「黒帽子。ヴァルハライザーを探さねばならん。あっちの大陸に戻るのか?」
「ここにないなら他を探すしかないな」
「僕もいこう。ヒューマンにジロジロ見られるのはうぜーから貴様の帽子の中に隠れてついていっても? まああの銀髪のねーちゃンの胸の谷間でも構わないが」
俺は帽子を持ち上げた。
「はいはい」
スピットファイアに帽子をかぶせると、俺はキャンピングカーを降りた。
それから、受け答えのおかしい斥候部隊には一応断りを入れてから小舟で本船に戻った。3隻のうち乗り込んだ1隻にグランシへ戻るよう頼み、帰路についた。
帰りの道中スピットファイアはずっと静かにしていた。ホッグスとパンジャンドラムは元気のないラリアについてずっと慰めていた。
それで俺は船べりで海を眺めつつ考えた。
ヴァルハライザーの自我はデカい脳みそ。それが盗まれた。
だとしたらどうやって運んだ? 先ほどの羽蟻が運んだのだろうか?
かも知れないが、今日運ばれていったのか。 それはわからない。1ヶ月前にはゴースラントのあらゆることが消されている。ラリアの記憶さえも。その時かも知れないし、違うかも知れない。
何にせよ巨大な脳が、元の場所から動かされた。
「……船か?」
カシアノーラ大陸のどこかに運ばれて隠されたか? であれば大きい船が必要だ。帝国に頼んで全ての港を調査し、それぐらいの大きさの船の出入りをチェックするとかしてみるのはどうだろうか……?
俺はポケットからタバコを取り出し火をつけた。
すると帽子が少しだけ持ち上がって、
「よくそんなくせーもン吸えるよな」
「気に食わなければラリアの帽子の方に移るといい。だいたい君は姿を消す魔法みたいなものが使えたはずだろう」
「あれずっとやってたら偏頭痛がするからね。やめとくぜよガハハ」
そうは言いつつ、スピットファイアは俺の頭から動こうとはしなかった。
少しだけ持ち上げた帽子と俺の頭の間に、自分の頭を挟み、寝そべった姿勢で海を見ているようだった。無理もない。ロス・アラモスの頭部はクッション材が豊富だからさぞ寝心地がいいだろう。
「黒帽子」
「何だろう」
「前からちょっと気になってたンだがな」
スピットファイアでもたまには何か細かいことが気になることがあるのかと思いつつ、何かと問う。
「あの空の黒いのなンだろうな? 貴様知ってる?」
空……見上げてみると、夕焼けの空にブラックエッグが浮いていた。
「ずーーーーっとおンなじところに止まっとるンよ。いつかあそこまで飛ンでみようかと思ってたンだが、僕はガスンバを離れないようにしとったから」
「ブラックエッグとかいう、昔の魔女の城だそうだ」
「よく知っとるな、物知りじゃのうガハハ」
「ガスンバにエルフがいたろう? 彼女にそう聞いた。どうも神話の時代からあるようだが」
「さすがエルフは長生きするだけあってなンでも知っとるのう、この僕ですらあンなもン知らンかったガハハハハハ」
俺は、ふうんと返した。
ヴァルハライザーの流出経路について考えていたので生返事になったのだ。
だがふと、気にかかった。
スピットファイアはガスンバのドラゴンのことを知っていた。
あの時ドラゴンが何を目的として行動していたのかまではよくわかっていなかったようだが、とにかく昔魔女があのドラゴンをあそこに埋めて、何か悪だくみをしていることは知っていたはずだった。
そんな物知りスピットファイアでもあの空の黒い点については初耳だったようだ。
そう言えばエルフがあれを調べにいったが……。
そのあとは特にそれ以上予期せぬトラブル的な何かが起こることもなく、俺たちはグランシの港についた。
いや、正確には予期せぬトラブルはやはり起こっていた。
それは船上ではなくグランシの街……もっと言えば帝都でだったが。
俺たちがグランシについた時、アレクシスからの手紙がすでに届いていて、それが原因でヤマト皇太子が取り乱していた。




