第289話 X-マップ
ゴースラント大陸へは3隻の船で向かうことになった。
距離はそういちじるしく離れているわけではないらしく、仮にこれから向かってすぐに折り返したとしたら……船長の説明を俺の感覚になおすと夜の7時ぐらいにはグランシに戻れることになるらしい。
もちろん折り返す予定自体はない。帝国軍はゴースラントへ渡り、もし可能であればそこに暫定的な活動基地を作るかもしれないとのこと。
これは俺たち転生者のためばかりではなく、帝国としてもゴースラントの状況を確認したいという目的もあってのことだ。
魔王バルバロッサの話によると、魔族軍はゴースラント大陸への進入路を断つために海峡を封鎖しはしたが、ゴースラントへはいったことがなかったらしい。
そのためゴースラントという場所には何があり、誰が住んでいて、どうなっているのかもわからない。というわけでオルタネティカ帝国としては、あらためてゴースラント大陸の調査もかねて人員を送り込むことにしたというわけだ。
そうして俺はゴースラントへ向かった。
俺としては、ヤマト皇太子や帝国人たちの、大陸に対する妙な知識不足が気になりはしたが……。
「まったく……何で私がこんなことを……」
潮風が船べりに立つホッグスの銀髪をなびかせていた。
「味方は多い方がいいからな」
俺は彼女の隣りでそう言った。
船は帆を張り海を滑っていた。快晴で、風も強くはない。
ゴースラントへいくメンバーは、結局俺とパンジャンドラムだけとなった。
ラリアとホッグスはヌルチートの呪いを無効化するスキルがある。このふたりがいれば少数であってももしもの場合に対応できるかも知れない。というわけで俺とパンジャンドラム以外の転生者はグランシに残り、アレクシスからの知らせを待つこととなった。
今パンジャンドラムとラリアは、船首にいて行く先を眺めている。
「冗談ではないのである。味方といったってどうせ、また私に奴隷の契約を結ばせようというのであろうが」
「一時的なものだろう。それにただ念のためにきてもらっただけで、ヌルチートが出さえしなければその必要もない」
「そりゃそうかも知れんが気に食わん。貴様という男は私のことを都合のいい時だけ利用しようとして」
「そんなことはない。手を合わせてお願いしている」
「何で手を合わせ……? まあいい。とにかく私のことを奴隷扱いしようだなどと……」
「君に対してそんな扱いしようと思ったことなんか1度もないよ」
「どうだか。転生者はどうせ獣人の女とみると都合のいい奴隷としか思わんのであろう」
「偏見だ。そういうの差別の再生産だぞ」
ホッグスは、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「君が頼りなんだ」
俺がそう言うと、彼女はチラチラこちらを横目に見たが、やがてため息をついて船べりに肘をついた。
「ふん。まあいい。私としてもゴースラント大陸へ渡る名目ができたしな。しかも休暇も消費せずに移動費も帝国持ちだし……」
俺は周囲を見回した。
甲板には兵士たちがいはするが、俺たちの近くにはいない。
俺も船べりに肘をつく。
「獣人の故郷だってな」
「うむ。私自身は1度もいってみたことはなかったが……どんなところか見ておいて損はないかな」
海の景色は右から左に流れていく。
ここからは見渡す限り、陸地の類いは見えない。
ホッグスは船首の方を見ていた。
そこにはラリアとパンジャンドラムがいる。
「やはり置いていくのであるか?」
そちらを向いたまま唐突に彼女は言った。
「何がだろう」
「ラリア殿だ」
「あの子の故郷だからな。それともまさか日本に連れていけと?」
「そういうことではなく……」
ホッグスは俺を振り向いて何かを言おうとした。だがやめにしたのかため息をついた。そして海を見て、
「こちらからはいけないのかな……」
そう呟いた。
考えてみれば……この異世界に転生した俺たちが帰る方法がゴースラントにあるということでこうして向かっているわけだ。
転生者が日本へ戻る。異なる世界から、もうひとつの世界へ。どんな方法でそうするのかはわからないが、とにかくできるらしい。
であればだ。この異世界の住人も地球へいくことができたりするのだろうか。
その可能性はないのだろう。
俺たち転生者がここにいるのは個人の生体データを仮想空間に再構築するヴァルハライザーの機能によってだ。
ホッグスのような異世界人が地球へいくためには、ホッグスの生体データを地球に再構築することになるが……そもそもヴァルハライザーはそういうテクノロジーではない。
ここは仮想空間。
仮想空間の人間が現実の空間に行く方法などない。
今俺の前で海を眺めるホッグスの端正な横顔も、美しい金色の瞳も、作り物の脳みその中にだけある夢なのだ。
ふいにそのホッグスがこちらを振り向いた。
「な、何であるかジロジロ見て。私の顔に何かついてるか?」
「……いや。君は皇太子殿下の様子がおかしいと思わなかったか?」
ホッグスは首をかしげた。
「あまりゴースラントに詳しくないと言っていた」
「殿下はいつも帝都にいらっしゃるから……普通であろう」
「だが調査をすると言っていた」
「何かおかしいか?」
「ゴースラント大陸はオルタネティカ帝国の入植地か何かじゃないのか?」
ホッグスはかしげていた首を戻そうとしていたが、またかしげた。
「うん……? さあ……」
「帝国の法律では獣人を奴隷にすることはできないはずだったな。だがたしか、ゴースラントから獣人をさらってくる悪党がいるとも聞いた」
「奴隷商人であるな。度しがたい奴らである」
俺の脳裏に、俺にラリアを預けナヤートとも行動を共にしていた男の姿がよぎった。カロリアンという名前らしい奴隷商人。
「誰かが行き来してるということだ」
「そうなるのであるな」
「だがどうして誰も詳しくないんだろう? 調査をする必要のある場所か?」
「うん……? うん……」
「帝国の領土じゃないのか?」
「どうであろうか……あんまりそういうことについて考えたことがないな」
俺はホッグスの顔を眺めながら、アメリカ人について考えていた。
アメリカ人の中には、自分の合衆国が世界地図の中のどこにあるのか指差せない者もいると聞いたことがある。アメリカの人口が10億人ぐらいだと思っている人も。
それはあの国の人々が、自分の興味のある分野以外は本当に学ぼうとしない癖があるためそういう状況になるとも聞いた。教育格差の問題もある。
ここは中世風の世界だ。アメリカよりも教育格差が大きかったとしてもおかしくはない。
いや……ホッグスはインテリだし、獣人の故郷であることを知っている人間だから、東京都が中華人民共和国の中にあると信じ込んでいるアメリカ人とは立場が違う。
そもそも皇太子が詳しくないというのも妙だ。皇太子はアレクシスという元経産相のエリートが家庭教師についていた。それほどの男が、皇太子として自国の領土を学んでいないということがあるだろうか?
この船のクルーたちもそうだ。グランシに配属された海軍が、海の向こうをぼんやりとしか把握していない?
「ロス、どうかしたのであるか?」
「よその国の領土なのか? 地図にはチレムソー語で街の名前が書いてあった。チレムソー教圏の国のどこかが入植しているはずだ」
俺はポケットから世界地図を取り出した。それを広げてみせながら、
「ほら、ここに名前が……」
地図のゴースラントを指差し、ホッグスに街の名前を示して……。
「何も書いてないではないか」
なかった。
地図上のゴースラント大陸には、何の文字も書かれていなかった。
俺は地図をひっくり返したり、太陽に透かしてみたりした。
だがやっぱり名前がない。字が書かれていない。
「ロス、どうしたのであるか……?」
「おかしい。字が消えた」
「何を言っとるのであるか」
「前はここに字が書いてあったんだ。街の名前だ。ハル・ノートに会う前まではここに字が……」
「だがそんなものないぞ。記憶違いではないのか?」
「だがホッグス、俺は見たんだ」
「ロス、貴様疲れてるのである……」
なおも俺は地図を眺め回した。ホッグスにも抗弁しようと思った。
記憶違い? まさか。昔はたしかに毛根を失いはしたが、その下の脳細胞はまだダメにはなっていなかったはずだ。ましてや今の俺は毛根すら復活しているんだぞ。ではその下の脳細胞だって以前より活性化されていないと科学的におかしいじゃないか。地図に字が書いてなかったことを忘れるはずがない。
「だがホッグス、たしかにここに……」
言おうとした時だった。
「マスター! 島! 島が見えてるですよ!」
船首のラリアがこちらに叫んで手を振っている。ホッグスがそちらに歩いていってしまうので俺も後ろを追った。
船首から前方を見てみる。
遠く水平線があるはずの位置に陸地が見えていた。
ゴースラント大陸だ。
「いよいよだね……」
パンジャンドラムが呟く。
転生者の帰還ルート。
ラリアの故郷。
名前の消えた大陸が近づきつつあった。




