第286話 デート
「私にはその責任があるのだろうか? ないのだろうか?」
という疑問が浮かんだら、あなたに責任があるのです。
〜ドストエフスキー〜
朝の迎賓館。廊下を歩いていると、窓辺に置かれたテーブルと椅子のところにハルとトンプソンがいるのを見かけた。
彼らは談笑していた。話の内容が聞こえてきたが、昨日の海戦のことを喋っているようだった。
俺が近づくと彼らも気づき、朝の挨拶を交わした。
「しかし、いよいよですな」
トンプソンがそう言った。
「何がだろう」
「日本へ帰るという話ですよ。思い返してみると大変な日々でしたが、こうして去ることになると思えば寂しい気もしますな」
ハルの方を見ると、彼はややうつむいた。
「特に私は、戻ったら独り身ですからねえ」
トンプソンは明るく笑った。
たしか彼は、息子のハルと妻のアールフォーさんと共に日本へ帰りたがっていたはずだった。
だが今は、あの痴話喧嘩がなかったことだったかのようにほがらかな顔をしている。
「いいのか?」
俺がそう言っただけで伝わったらしい。トンプソンはうなずいた。
「ひとりで帰ることにしましたよ。昨夜息子と話したんです。今まで私はあんまりいい父親じゃなかったってことを」
「そんなことないよ、父さんは、立派な父さんさ……ただ俺が……」
「いいんだ晴人」
トンプソンは首を横に振る。
「よかれと思ってやったことが本当に相手のためになるとは限らないこともある。私は今まで家族のために働いてきたと思ってたが、本当は自分のためにやってたことだったんだ。仕事をしてれば、何も考えずに済むから……」
そこでトンプソンは椅子に座ったまま俺を見上げた。
「ロスさんはここまで歩いてきたんですか?」
言っている意味が一瞬わからなかった。どこからという意味だろうか。迎賓館の玄関からだ。
だがすぐに、このグランシの町……というより、ゴースラント大陸の手前までという意味だとわかった。
「途中からはバギーに乗ったよ」
「昨日晴人から聞きました。晴人がロスさんとどうやって出会ったのか」
ハルを見やると苦笑いしている。
トンプソンが言った。
「過酷な旅だったようですな。そうやって、他の転生者のことも助けて……ここまできた。ラリアちゃんをゴースラントへ送り届けるために、転生者を日本へ帰すために」
何と返事しようか考えた。
それでこう言った。
「魔王さんが言うにはこの世界に戻ってくることも可能だそうだ。そうセンチメンタルになる必要もないだろう」
「ううむ……ヴァルハライザーですな」
トンプソンとハルはふたりそろってうなずく。
昨夜魔王が俺に話した内容は、俺から他の転生者にも話しておいた。
ヴァルハライザーは火奈太少年が次世代のゲーム機として遊ぶ目的で作ったものらしいという話だ。
「魔王はここへまた戻る気満々のようだった」
「うーん……」ハルが言った。「たしかにゲームならいったりきたりできるもんなんでしょうからねぇ……」
俺たち3人は何となく黙り込んでしまった。
今ひとつ想像がつかなかった。生身の人間が、ビデオゲームの世界にダイブできるということがだ。今目の前に見下ろせるテーブルも、ハルとトンプソンが座っている椅子も、窓の外でチュンチュン鳴いている小鳥の声も、全部幻想だというのだ。
ひょっとしたらふたりも、俺と同じようなことを考えて沈黙し、床を眺めているのかも知れない。
ふと、ハルが呟いた。
「でも……何なんでしょうね?」
「んっ、何がだ晴人?」
「父さん……ヴァルハライザーがそういう新種のVRだってのはまぁわかったんだけどさ……何で俺たちなんだろうね?」
トンプソンは首をかしげた。
「俺たち、死んだからここにいるわけでしょ? 死んだらヴァルハライザーの中で再生される……」
「うん……見た目は全然以前とは違ってしまったが……母さんもあんなに痩せてなかったしな。昔は二の腕とかタプタプだったし」
「いやそこはいいじゃん……父さんだって腹出てたでしょ今と違って……いやとにかくさ? 死んだ人がゲームで生まれ変わるんなら、もっと転生者っていっぱいいないといけないんじゃないかな?」
俺は実際の転生者の数を思い浮かべる。
13人。
スピットファイアがそう言っていた。
死んだ井染一家以外は全員そろっているが、たしかにハルの言うとおり、死んだからこちらへ転生したというのなら少なすぎると思えた。
俺が口を開こうとした時、廊下の向こうから俺を呼ぶ声が聞こえた。
ラリアの声だった。そちらを振り向くと、ディフォルメ解除したラリアが、ナヤートと、それからヤマト皇太子と一緒に歩いてきていた。
「ラリア、どうした?」
「マスター、遊びにいきましょー!」
「遊び?」
ラリアの後ろに立つナヤートが言った。
「なんかね、ラリアがロスさんとお散歩したいんだって」
「散歩? どこを」
「お外! 町を見たいです!」
俺はハルたちの後ろにある窓から外を見てみた。だが植木が生えているのが見えるだけで、その窓からは町の様子は見えなかった。
「どうしたんだ急に」
俺が尋ねると、ラリアはややうつむいた。
答えが返されるのを待っていると、やがて言った。
「だって……マスターはもう、帰っちゃうから……」
小さい声だった。
そんなラリアを見下ろしていたが、今度はヤマト皇太子が言った。
「いいじゃないか。ここら辺は魔族軍の攻撃に備えて軍人しかいないけど、ちょっと内陸寄りの方へいけば市場とかあるぜ。思い出作りにデートしてきたらどうだ? デートと言えば、できれば俺も混ぜて欲しいけどね」
見下ろしてみると、ラリアはこちらを上目遣いに見上げたり、また目を伏せたり。
ナヤートが言った。
「いこうよ。それともロスさんもここに残るの? だからデートなんていつだってできる?」
何と返そうか考えた。
いつだってできると言えば、魔王の言葉が正しければ日本へ帰ってもまた戻ってくることもできる。思い出作り。今必要だろうか?
もちろん今日はすることもないし、いかない理由もないのだが。なぜだか即答できなかった。
そうやって俺が黙っていると、皇太子が言った。
「せっかくだから護衛もつけてやろう。何せあんたは我がオルタネティカ帝国を救った英雄だからね。もしものことがあったらまずいし」
俺は皇太子の顔を眺めた。この無敵のロス・アラモスにもしものことなど起こりようがないと言おうと思ったが、頭にヤモリのシルエットが浮かんだので言葉が出なかった。
そうこうしているうちに皇太子は後ろの方を振り返って、
「何やってんだ、出てきなよ」
と声をかけた。
皇太子が振り返った方向は、突き当たりが左に曲がる角になっている廊下。角には護衛の兵士が立ってはいたが、その人物は動かない。皇太子は彼に声をかけたわけではないらしい。だが他には誰もいないように見えた。
しかしやや間があって、その角から帽子をかぶったホッグス少佐の顔がひょっこりとのぞき、また引っ込んだ。
皇太子の言ったとおり、港から離れた町ではたくさんの民間人が生活をしていた。
背の低い山と山の間に挟まれた谷。そこにも町ができていて、人々がせわしなく通りを行き交っている。
俺とラリア、ナヤート、そしてホッグス少佐の4人はその通りを黙って歩いていた。
ラリアはナヤートと共に通りに並ぶ商店らしき建物の、ショーウィンドウをのぞき込んだりしながら前を歩いていた。ラリアが飛び跳ねるように歩くものだから距離は少し離れていた。俺とホッグスはその後ろ姿を眺めながらついていく。
何かを言わなければならないような気がした。
別に魔女だとかヌルチートだとか、そういう込み入った話ではない。何でもよかった。天気だとか、最近の調子は、とか、今日の株価だとか、そういった感じの何かだ。
だが今日の株価なんか尋ねて俺はいったいどうしたいんだろうと考えていると、先にホッグスが口を開いた。
「た、大変だったようだな」
「……何がだろう」
「昨日の戦闘である。まさか魔王までが転生者であったとは」
「……驚いたよ。前世では有名な金持ちだった」
「そうなのであるか? そ、想像もつかんな。貴君の世界の金持ちなんて」
それからまた無言。
前方のナヤートはラリアと談笑したりしながら歩いていたが、時折チラチラとこちらを振り返ったりしている。
何だろうかと思っているとホッグスが、
「怪我がなくてよかった」
「けが、何だと?」
「怪我がなくてよかったのである」
「……まあな。今回は結構厳しかったが」
「ガスンバの時よりであるか? あの時、私は……」
彼女は思い直したように急に口を閉じた。
通りの前方に小さな広場のような空間が見えた。中央には噴水。
「あそこにいってみるです!」
水に興味を惹かれたか、ラリアがそちらへ走り出したものだから、俺たちも何となくついていく。
ラリアはナヤートと一緒に噴水に近寄り水をのぞき込む。俺とホッグスは、丸い広場の外周沿いにあったベンチに並んで座った。ベンチの後ろには並木があって、木陰になっていた。
特に会話もない。
小さなプールのような様相の噴水内に、町の子供たちが足を踏み入れているのを見てか、ラリアもまた噴水の中に入って水を跳ね上げていた。
「一緒に遊ばないのであるか」
ふいにホッグスがそう言った。
「水遊びする歳に見えるか?」
「いいや。そう言えば貴様はガスンバでも川の上を歩いて水の中には入りたがらなかったな」
「君の方こそ遊ばないのか?」
「そんな歳に見えるか?」
「いいや。それにそう言えば君は泳げなかった」
「むう!」
ホッグスは1度俺を睨んだが、また噴水に視線を戻した。
「私だって好きで泳ぎを忘れたわけではない……」
俺はホッグスの横顔を見た。
昔は泳げたのだろうか? 泳ぎを忘れるということがあるのだろうか。それについて尋ねようと思った時、ホッグスが先に口を開いた。
「貴様は全ての転生者を連れ、ゴースラントへいくのであるな」
俺が、そうだがと言うと、ホッグスは続けた。
「だが貴様と初めて会った時はそうではなかった。貴様とパンジャンドラム殿はたんにゴースラントに向かっていた。それともあの時からすでに前世の世界に帰ることを目的として……?」
「いや。エンシェントドラゴンを倒したあとにスピットファイアから聞かされた。君にもそう話してなかったっけか?」
そんなに重要な質問とも思わなかったのか、ホッグスは何も言わず噴水を眺めたまま。
「最初はラリアを故郷のゴースラントへ帰すためだった。まさかこんな状況になるとは思っていなかったよ」
「ゴースラント……獣人の故郷か」
俺は何とはなしにホッグスの帽子に目をやった。そこに彼女の狐の耳が隠されてある……と言っても、変身魔法で耳を消しているというのが正しいか。
俺は喋った。それは黙っているのも変だと思ったからだ。何か、流れの中から連想できる話題について喋ろうと思った。
「魔王の愛妾の女の子たちがな。俺とラリアがくるのを知っていたんだ。何としても俺たち転生者をゴースラントにいかせたくなくて海峡を封鎖した、というのが今回の戦争の原因だったそうだ」
「それは皇太子殿下から教えていただいた」
「ゴースラントから獣人をカシアノーラに送ってはならないとも考えていたようだ。だが愛妾たちは、それがなぜなのか覚えてなかったんだ。ロザミアという魔女の子供の魔法なのか……」
「ロス」
唐突にお喋りを遮られた。
彼女はベンチの上で座りなおすようにしてこちらを向く。
木の影は彼女の端正な顔や銀の髪の色素を薄く見せていた。なぜかじっとこちらを見ている。
「……何だろう?」
「なぜ貴様はゴースラントへいこうとしていた?」
俺は記憶をたどった。
最初にガスンバのベースに入った時、説明しなかったかどうか思い出そうとしたのだ。したような気がする。
「さっきも言ったろう。ラリアを故郷に帰しにいくためだ」
「捨てにいくための間違いではないのか?」
「何だと?」
ラリアの悲鳴が聞こえた。噴水を見ると、足が滑ったのかラリアは尻餅をついていて、ナヤートとふたりで爆笑している。
ホッグスに向きなおった。
「どういう意味だ」
「別に。貴様はラリア殿と会話もないように見えたから」
「俺は誰とでもこんな調子だ」
ホッグスは俺を見るのをやめて噴水の方を見ていた。
「ゴースラントね……。戻って何があるのであろうな? 未開の地があるだけではないのか? 獣人の多いアンダードッグ区すらあの有様である。子供がひとりでそんなところに残されても……」
「ナヤートも一緒だ。ハルもアールフォーさんもこの世界に残ると言ってる」
「だが貴様は帰るんだろう」
「何が言いたいんだ」
返事は返ってこなかった。
彼女はただ黙って、子供たちの遊ぶ噴水を眺めていた。




