第285話 海の向こう
迎賓館の玄関から出ると、馬車のための小さなラウンドアバウトがある。
中央に立てられているのは裸の女の彫像だ。中世ヨーロッパ風の異世界は、フェミニストとは無縁らしい。
魔王と話した翌朝、俺はひとりでそこへ出て、丘の上の前庭から海を眺めた。
周囲では帝国軍の軍人たちが忙しそうに歩き回っている。それでも俺がタバコの煙をくゆらせていることにケチをつける奴はひとりもいない。
昨日に引き続き空は少しばかり曇っていたが、雲の流れを看るにすぐに晴れそうだった。
遠くに見える海は穏やか。
あの向こうにゴースラント大陸があるのだ。
「アラモスさん、ここにいたのか」
声がしたので振り返ってみると、ヤマト皇太子が歩いてくる。俺はタバコを消した。彼は隣りに並ぶと、同じように海に目をやる。
俺は言った。
「アレクシスへの手紙は送ってくれたろうか?」
「うん。返事が返ってくるのは昼ぐらいになるかもな」
そうして野郎ふたりで突っ立って、水平線を眺める。
「寂しくなるなぁ」
ふいに皇太子が言った。
「何がだろう」
「あんたたちが帰っちまうことさ。……アレクシスも」
「魔王が言うには行き来はできるそうだがな」
「でもなんか寂しいよ。あんたたちが俺たちと同じ世界で生きてなかったって考えると」
俺は皇太子の横顔を見やった。
思えば、そのとおりだった。
俺たちは転生者。この異世界では伝説であり、常に何かが決定的に違う者として扱われてきた。
俺にいたっては唐突にこの世界に放り込まれて長い年月が経過したわけでもない。
よそ者だった。
あらゆる意味で俺たちはそうだった。
「こうして見ると普通の人にしか見えないのに」
皇太子が俺を見返す。
「普通の人さ」
俺はそう答えた。
皇太子はまた海に目を戻し、
「行き来ができる、か。魔王はずいぶん詳しいみたいだったけど……どうやるんだろうな? ゴースラントにそういう方法があるのかね」
「……たぶんな」
「ふーん……こっちからもいけるのかな?」
皇太子は再び俺に目を向け、
「興味あるなぁ。どんな世界なんだい? アレクシスとはそんな話あまりしなかったけど、あいつも合成魔獣を作ったり研究所の設立だとか、帝国の政治についてもあれこれ意見をくれた。賢い女の子だって思ってたけど、今にして思えばそれが転生者なんだな。色んな知識を持ってる。なんかこっちより進んだ世界みたいに思えるけどどうなんだ? 俺も向こうにいって、帝国の発展に役立ちそうな知識がないか勉強してみたいんだ」
皇太子の目は輝いていた。
俺は海を向いて答えた。
「たいして変わらない。戦争と、貧乏人の泣き言がある。そして誰も解決できていない」
「賢い人とかいないのか?」
「いるかも知れないが俺は見たことがない。特に俺の国では賢い人は出世しない」
「アレクシスみたいな奴も?」
「できなかったから彼女もここにいる」
「やっぱりアレクシスは立派な人だったんだなぁ」
「どうかな」
皇太子は肩をすくめ、また海を見やり、
「いってみたいなぁ……魔王に頼んだら連れてってもらえるかな?」
そう独り言のように呟いた。
俺は何も答えない。無理なことを知っているからだ。
昨夜、魔王は俺にこんな話をした。
このヴァルハライザーの中の異世界は、吐院火奈太少年が空想によって作り出した、テレビゲームの世界。
魔王は以前、火奈太少年から構想中の世界観設定のノートを見せられたことがあったそうだ。
そこにはカシアノーラ大陸や、冒険者ギルドだとか、とてもファンタジックな設定が、こと細かに書かれていたそうな。
魔界もあった。だが当時火奈太少年は、魔界のイメージはまだ固まってないから途中までしか考えてないと、魔王の前世の姿である暁社長に、恥ずかしそうに話した。
だからこそ魔王は転生してのち、ここがヴァルハライザーの世界ではないかという疑いにいたりはしたのだという。
魔族が記した魔界の地図と、火奈太少年の設定資料集の魔界地図の形が一致していたからだ。設定資料集では曖昧な空白になっていた地帯が、こちらの魔界では魔王の領土になっておらず、ただ雑然とした何もない荒野が広がっていた。
しかも魔族の種類(ヴァンパイアだとかツノのついた魔人だとか)も一致していて、おまけに人口が少なかった。
とにかく魔界はどこかしら常に靄のかかったような曖昧な空間だったという。ちなみにだが魔王の理解を決定的にしたのは魔界をウロウロしていたミノタウロス族たち。生前魔王は火奈太少年と、
『どうしてミノタウロスがいっぱいいるのかね? ミノタウロスはミノス王の牛という意味で、ギリシャにしかいないし、たくさん数がいるわけでもないんだよ』
『細かいことはいいンですよ創作は自由なンですよ、だいたいそれ言うならイギリスのゴブリンに先に突っ込ンだらいいじゃないですか』
『ご、ごめん』
というような会話をしたことがあったそうで、それが原因だったらしい。どうでもいいか。
とにかくそんな話をしていた。
この世界は火奈太少年の空想。
それをヴァルハライザーが再現しただけだと。
ヴァルハライザーは人間の生体データを再構築するコンピューター。だから俺たちはこの異世界にこられる。だがヤマト皇太子のような、この世界の住人は……。
俺は言った。
「たいしたものなんかない。ここと変わらない」
「そうなのか? あんたが生まれた国も?」
「その世界をどう受け取るかなんて自分の気持ち次第だ。俺の国のことわざにある。住めば都ってな」
「じゃああんたはここを気に入ってくれたってわけだ。自分の国みたいに」
皇太子はそう言って笑った。
何と返そうか考えた。
そうこうしているうちに軍のお偉いさんと町の市長が皇太子を呼びにきた。魔族との講和が結ばれた場合魔王に請求する賠償金について話したいらしい。
皇太子はちょっと面倒くさそうな顔をしたが、俺に挨拶をすると市長たちと去っていった。
俺は立ち去る皇太子の背中をしばらく眺めた。そうして、彼の家庭教師だったというアレクシスについて考えた。
アレクシス……彼女、あるいは彼は、経済産業省の役人として日本経済復興のため、ヴァルハライザーにたずさわっていた。
魔王もだ。
俺のような負け犬が声にならない愚痴を並べている間、話はどこか知らないところで動いていた。
なぜ俺はここにいるんだろうか。
転生者には共通点がある。
誰もがヴァルハライザーか、もしくは謎の女と関係していた。
ハル・ノートの一家とナヤートは直接の関係はなかったかも知れない。だがヴァルハライザーを国外に売ろうとした井染一家を中心に彼らの運命は回っていて、ハルの起こした殺人事件によってアレクシスの死が世間の目から隠された。
パンジャンドラムはある女を助けたのが原因で死んだと聞いた。
魔王やマジノに協力していた謎の女。そいつがそうじゃないのか? そんな確証はどこにもなかったが、今さら偶然でした、何の関係もありませんだなんてあり得るだろうか?
ウォッチタワーは他の誰あろう火奈太少年と共に事件に巻き込まれた。
では俺は?
俺はヴァルハライザーには何の関わりもなかったし、アカツキ社の工場で働いていたわけでもない。
女も見ていない。大人になってから話したことのある女性なんて、記憶にある中ではコンビニのレジにつっ立っているアルバイト店員ぐらいしか思いつかない。そのレジ打ちの女性の誰かが、ヴァルハライザーにまつわる事件に関わる例の女だったとでもいうのだろうか? どこの店舗のバイトが? なんでコンビニなんかでバイトを? そんなわけない。
俺はなぜここにいるハメになっているんだ?
わけもわからないままここへ放り込まれ、状況も把握できないままイカれたエルフに追い回され、そうこうしているうちに南の果てまでやってきた。そうやってアップルやロザミアがベルトコンベアに運ばれて、流され消えていくのをぼんやり眺めていた。
ロザミア。そうだ。ロザミアといえば昨夜、魔王がリリアンヌとメリナに『ロザミアにはかわいそうなことをした』と言った時、ふたりはこう応えた。
そうだね、ロザミアも一緒にバルといたかったろうに、でもおうちに帰らないと両親が心配するもんね。
ロザミアはリリアンヌとメリナの目の前で死んだのだ。無数のカゲロウになって天へと登っていったし、ふたりはそれを間近で見ていたのだ。
それでもふたりはロザミアが、元いたヒューマンの国に帰っていったと思っているのだ。昨日要塞ではロザミア本人が自分はヒューマンではなく魔女に造られた虫人間だとカミングアウトしたにも関わらずだ。
アップルの時と同じだった。
あの時も誰も、アップルが正気を失ったことに誰も言及しなかった。エルフ以外は。
俺は空を見上げた。
少し見回してみたが、今日はブラックエッグの姿を見つけることはできなかった。
アップルもロザミアもあの黒い点に向かって去った。
エルフがあれを調べていると言っていたが……。
魔王はあの黒い点を知っているだろうか?
つまりブラックエッグも火奈太少年が考えたメルヘンストーリーの一部なのだろうか。
ゴースラントは目前だった。
旅はもう終わる。パンジャンドラムなどはとても浮かれていた。
だが妖精王スピットファイアがガスンバでこう漏らしたことがあった。
誰かがヴァルハライザーにアクセスしやがったと。
ヌルチートを見てそう言っていた。
そのあと俺たちはガスンバのオーク族のシャーマンのお告げに従い……世界の終わりとやらを食い止めるという名目でオルタネティカ帝国入りしたのではなかったか。世界の終わりとは何だ?
旅はもう終わる。何の障害も残っていない。
俺はポケットから2本目のタバコを取り出し、アップルにもらった煙吹きで着火する。
煙を吸い込みながら、先ほど皇太子に言った自分の言葉を思い出す。
日本もここと変わらない。
俺は日本でもここでも、何かが機械的に流れていくのを見ているだけのような気がしていた。自分が始めた仕事でもない、本当の意味では俺の人生に関係のない部品が流されて、勝手に何かの形に組み合わさっていくのを。
水平線の向こうへいけば全てが終わるはずだった。
だが俺の中では、なぜだかまだ何も始まっていないような気がしていた。




