第281話 終戦
「ロッさん、もう1度やってみるか⁉︎」
「無理だ、近づけない……!」
水のカッターは空中の魔王だけではなく、海面に立つ俺たちをも襲っていた。ウォッチタワーはエンシェントドラゴンを再度投げ飛ばしたいようだったが、俺たちももう避けるので精いっぱいだった。
「ロザミア、やめてくれ……」
「魔王よ何をためらうのです⁉︎ 早くわたくしをお討ちになって! それとも……!」
ロザミアは触手に捕らえたリリアンヌをさらにウミウシの口に近づける。
「リリアンヌさんも消化して差し上げましょうか⁉︎ やはりあなたはリリアンヌさんたちのことを憎んでいるのですか⁉︎ 愛していないのですか⁉︎ 見殺しにしても構わないと!」
「そ……そんなことはない!」
「でしたら早く!」
ロザミアの触手の動きは、偽りなく魔王を撃墜しようとする意思にあふれているように見えた。対して魔王の方は動きがブレていた。決断できないのか。
俺は言った。
「ウォッチタワー、下がろう!」
「あれはどうすんだい!」
「ナヤートとトンプソンにやらせる!」
振り向けばトンプソンたちはすでにこちらに走ってきていた。
彼らはハルの名を呼んでいる。ハルはウミウシのゴカイに食いつかれ、おまけにロザミアのヌルチートのためにスキルも発動できずにいるのだ。
「ロスさん、やっつけないんですか⁉︎」
「ハルさんが……!」
「ナヤート、トンプソン、固有スキルだ。あんたたちのスキルは酸素を奪える。それならロザミアやドラゴンを酸欠で気絶させられるかも知れない。最悪でもロザミアのヌルチートを無力化しなければ!」
2人はうなずいた。
ナヤートの《ギャラクシーグレイヴ》はブラックホールを作り出し周囲の空気を吸い込む。
それだけなら、おそらく海水で呼吸するゴカイの力で耐えるかも知れない。だがトンプソンの《O・デストロイヤー》は水中の酸素も破壊できるのは先ほど証明済みだ。
ロザミアに逃げ場はない。
「何もさせませんわよ! これをご覧になって!」
ロザミアの声に振り返ると、彼女はハルを触手によって持ち上げ、
「何かやってご覧なさい! この貧相な男のち◯ぽを食い千切ってやりますわ!」
空中のハルの股間の周囲に、濁った目の井染一家の首がゆらゆら揺れている。
また新たな人質の登場だった。頭が痛かった。
ナヤートとトンプソンのスキルは相手を酸素欠乏に追い込むものだ。だがエンシェントドラゴンを呼吸困難に追い込むまでには時間がかかる。その間に、かつて4人の少女を虜にしたこともあるハルのハル自身がこの世とおさらばしてしまう。
「さあ魔王よ、やるのです! やれるのはあなただけ! わたくしに使命を果たさせてくれるのは……!」
水を避け飛び回る魔王の表情に苦渋の色が浮かんでいる。
「……できませんか?」
「我輩には……我輩にはそなたを殺す理由がない!」
「まだ足りませんか……? それならッ!」
ロザミアが叫んだ。
同時にリリアンヌが、ウミウシの口に放り込まれた。
「ロ、ロザミア、やめろッ!」
「理由を作って差し上げますわ、わたくしはほら、リリアンヌさんを殺した憎い敵ですよ、早く、殺しなさい、ほら、もっと、わたくしを憎んでくださいまし!」
「リリアンヌッ!」
「違う、もっとわたくしを見てぇッ‼︎」
《サーモ・アイのスキルが発動しました》
《ハードボイルが発動しました》
両拳から光。
放った。エンシェントドラゴンへ。
「ちっ……また邪魔をぉッ!」
《ロザミアはウンディーネシールドのスキルを発動しています》
俺とドラゴンの間の海面が盛り上がり、巨大な壁となった。そこにマイクロウェーブが遮られ瞬時に沸騰。水蒸気が巻き上がる。
分厚い。防がれた。抜けない。俺は叫んだ。
「魔王、やれッ!」
「何を……!」
「やるしかない! 《サーモ・アイ》で見えた、奴はリリアンヌを噛み砕いてない! 丸呑みしたんだ! このままでは胃までいって生きたまま消化されてしまう!」
ウミウシのエンシェントドラゴンとゴカイの群れは体温が低いのか、リリアンヌの熱源が口から喉の辺りを通っていくような姿が見えたのだ。熱源のシルエットはリリアンヌの原型を保ってはいた。潰れてもいなかった。
「さすがは転生者、何でもお見通しですのね? そういうことです魔王よ、もはやわたくしにすらリリアンヌさんを助けることはできません! あなたです! あなただけが彼女を助けられる……!」
《ウンディーネ・ソー》の猛攻がやんだ。
俺の前には相変わらず水の壁がそびえ立っていたが、魔王を追っていたはずのゴカイや触手は動きをやめていた。
魔王もまた空中で静止していた。
少しの間。
それはほんの少しの間だけだったが、誰も何も言わなかった。
ウミウシの体に打ちつける静かな波音だけが聞こえていた。
そしてそれは、やはりほんの少しの間のことだった。
「うおおおおおおおおお‼︎」
絶叫と共に魔王がウミウシへ突進した。
触手は動かない。
魔王の体は《ドラゴンウォール》に激突と同時に血煙をあげて肉塊と化す。
《魔王バルバロッサの不死者・クアンティゼイションが成功‼︎》
《魔王バルバロッサは不死者・再降臨を発動しています》
ロザミアも動かない。彼女はただ微笑んでいた。
再び肉体を再構築した魔王はそのままウミウシの口の中へ牙をへし折りながら飛び込んでいった。
ロザミアが呻いた。ウミウシは口から大量の血反吐を吐き、痙攣している。
《魔王バルバロッサは無詠唱のスキルを発動しています。シニスターダークネスデスカッター》
ウミウシが裂けた。
体の真ん中から黒く巨大な刃が突き出し、円を描いた。
ウミウシは血を吹き出しながら真っ二つに切断され、水しぶきと共に海面に倒れる。
魔王の漆黒の刃はガラス片が砕けるように散った。その無数の破片はウミウシの体へと降り注ぎ、ゴカイごとまんべんなくえぐっていく。
ロザミアが、ウミウシの頭部から離れた。
彼女の下半身は失われていた。何かひらひらと光る細かい破片へと変わっていた。投げ出された上体は力なく飛んでいた。
「ロザミア!」
魔王の声だ。
リリアンヌを抱いた魔王はウミウシの腹から飛び出すと、宙を舞い落ちるロザミアへ向け飛び、抱きとめる。
「ロザミア、しっかりしろ! 今 《ザ・サバイバー》で回復を……」
「魔王……お忘れですか……? わたくしにはヌルチートがあったことを……」
魔王の顔色が変わるのがここからでも見えた。
まだ彼女はあの状態からでも戦おうというのか。
だが背中にヌルチートが見当たらなかった。長いブロンドの髪と、空いたドレスの背中が見えているだけ。
「何を言ってるんだ、ヌルチートなんていないじゃないか……」
「ええ、そうです……もう死んだのです」
「ならば……」
「……宿主のわたくしが死んだから」
魔王がゆっくりと降りてくる。消滅しつつあるウミウシの死体に向けハルの名を呼びながらナヤートとトンプソンが走っていくのを尻目に、俺は魔王のもとへと向かった。
「バカな! 死んでなどいない、そなたは我輩が助ける!」
「なぜでしょう? 偽りの命のわたくしを。あなたの敵であったわたくしを」
俺はウォッチタワーに、急いでゴカイでもウミウシでもいいから、消滅する前に肉片を持ってきてくれるよう頼んだ。俺が最初に殺したドラゴンは、肉片をラリアに食わせた覚えがある。間に合うはずだと思っていた。
「そなたもまた我輩の愛妾だからだ……例外などない」
「ふ、まさか……わたくしは造り主様の命であなたのおそばにいただけ……」
ウォッチタワーの仕事は早かった。大量のゴカイを脇に抱えてこちらへ走ってくる。
ロザミアは魔王の腕の中。リリアンヌが翼によって魔王の体から離れた。ロザミアの顔をのぞき込みリリアンヌは言った。
「……本当に…………?」
「え……」
「バルのこと……ロザミアは愛さなかったと言うの……?」
「ふ……」
ロザミアは無理に笑おうとしたのかも知れない。咳には血が混じっていた。
「愛など……ヌルチートの見せる幻でありましょう……? この偽りのあの世においては……心もまた偽り……魔王、あなたがわたくしに向ける心もどうせ……」
ウォッチタワーがきた。彼はすでに《ザ・サバイバー》で調理を終えていた。俺は彼からゴカイを引ったくり、ロザミアに与えようとした。
だが。
彼女は、ふ、と微笑んだ。
「ですが……たしかに楽しかったですわ……心。あなたへの愛を否定できなかった、この1ヶ月……ああ……これがヒューマンの心かと」
その微笑みが最後だった。
ロザミアの体は魔王の腕の中で砕けた。
無数のカゲロウと変わった。
カゲロウはみんな天へと登っていく。
俺たちはそれを見上げた。
いつの間にか空の一部が晴れていた。雲の切れ目から光が差し込み、カゲロウたちの羽根を煌めかせている。
かつてロザミアだったカゲロウたちの向こうには、ブラックエッグが浮かんでいるのが見えた。
いつもお読みいただきありがとうございます。
第六章終了です。
ちなみに、ロスが第一章でラリアに食わせた「セクシャル・テンタクル」なるモノはエンシェントドラゴンとは一切関係ないただの水辺のモンスターです。
背中にくっついてただけです。




