第279話 偽物の地獄
ロザミアが叫ぶと同時に、唯一海面から飛び出していた塔部分が激しく振動を始めた。
「ロザミア!」魔王が言った。「何をしているのだ!」
「魔王よ……あなたには話していませんでしたけれど、この要塞の真下にはエンシェントドラゴンが眠っていたのです。海底から触手を伸ばして、一部だけ要塞内にも入っていたのですよ。まだ完全には目覚めていないから、要塞内に侵入した者があれば少しばかりの攻撃を加えられる程度の力しか持ちませんけれども」
俺の脳裏に思い当たる出来事がよぎった。
まだこの要塞に侵入したばかりの頃。パンジャンドラムとトンプソン、俺とラリアの4人で行動していた時のことだ。要塞内の観葉植物か何かが並んでいる部屋で、細い触手に攻撃された。ゴブリンズを切り裂くほどのパワーを持っていたが、ロザミアが今話していることはそれのことか?
ロザミアのそばにいた井染一家、その中の父親が言った。
「あ、あの、ロザミア様⁉︎ 何の話……わたしらはどうすれば……⁉︎」
「よろしいですかゴカイさん? 転生者というものにはですね、使命があるのです。使命と言うべきか、儀式と呼ぶべきか……」
「は、はぁ……」
「具体的に何をするのかと言えばエンシェントドラゴンを倒すのですわ」
「エ、エンシェント……何ですか?」
「生け贄です。人々に転生者の力を見せつけ、感服させ、尊敬を集めるための……。それらは本来転生者のそばに配置しなければなりませんの。でも造り主様がおっしゃられるには魔界の空間はまだ曖昧な状態で関与が難しく、魔界に転生者……つまりあそこにいる魔王バルバロッサですわね、魔王のそばにドラゴンを配置できず、あの方を真の意味での転生者、理想的な形の英雄とできなかったのです」
「な、なに、何です? も、もっとゆっくり話してください……」
ロザミアは呆れたように、
「なんと哀れな海虫なのでしょう、おまえが尋ねたからご説明さしあげたのに理解する知能がありませんのね? そんなに頭がたくさんあるのに。でも理解する必要はありませんわ。ただ運命に従えばよろしいのです。いずれは全ての転生者が、何も考えず幸福のさだめに身をゆだね生きることになるのです」
「こ、幸福?」
「そう、幸福。見目麗しい人々に愛され、恐怖も否定もなく、誰からも受け入れられたおもしろおかしい人生。転生者が享受すべき幸福です」
井染たちは目を丸くしていた。
そしてゆっくりとした動きで魔王を振り向いて言った。
「見目麗しい人々に愛され、って……たっ……たとえばあの魔王のように……? あなたやヴィエラ様たちが魔王に侍っていたように……?」
「ええそうです、そういう感じ」
「転生者はみんな……ああいう酒池肉林的な、ハーレム、って言うんですかね? そういう……」
「そう、そういうアレです」
「あの……わたしらは……?」
「?」
ロザミアは首をかしげた。
「それはわたしらも、なんですか? わたしらも転生者だ、つまりわたしらもその酒池肉林的幸福を得られるってことですよね……? でも……でもわたしらは水牢に閉じ込められていた。あなたはわたしらも転生者だってことを知ってたはずだ。知ってたのに水牢に閉じ込めて、いつもあざ笑っていたじゃないですか! 本当にわたしらは、転生者としての幸福とやらを得られるんですか⁉︎ そんな、まるで天国みたいな生き方を⁉︎」
井染父が話すのを、ロザミアは目を丸くし、黙って聞いていた。
話し終えても少しの間黙っていた。
だがロザミアはやがてこう言った。
「いえ、おまえはダメです。おまえは天国へはいけません」
「へえっ⁉︎ な、なぜ⁉︎」
「さあ……おまえは何かが違うそうです。何かとは何なのかはわたくしにはよくわかりません。ただ造り主様がおっしゃるには……」
「造り主様がおっしゃるには⁉︎」
「おまえは女神に嫌われているそうです」
双方の間にまた少しばかりの沈黙が流れた。
井染父が言った。
「…………え、なに、女神……」
「ええ、女神。予想されていない何かが起こって、それによりおまえたちが切り捨てられる形になったようだとおっしゃっておられました。そのためおまえは他の転生者のようにこの世界での真の幸福を得られる立場になくなったと」
「え、え。 なん、何ですか、それは、切り捨て……え? わたしらが?」
「これ以上はお尋ねにならないで。わたくしはよく知らないのです」
「あ、あの……」
「ですが悲観しないで。おまえにはまだできることがあります。魔王が真の転生者として魔界に君臨するための、最後の儀式を完成させるお手伝いです」
俺の立っている床に亀裂が入った。塔の周囲でも、崩れてしまった外壁が海に落ちる水音がし始めている。
ウォッチタワーが俺に叫んでいた。黙って聞いていることはない、早くあの女を止めようと。
そのとおりだ。足場も崩れてなくなるのは時間の問題だ。しかもロザミアはエンシェントドラゴンを復活させると言っていたのだ。ぐずぐずしている暇はない。
ただ少し、彼女の話に俺は聞き入ってしまっていたのだ。
俺は叫んだ。
「井染! 彼女のヌルチートを剥がす! 邪魔をするなよ!」
そしてラリアを投擲する構えを取る。
他の転生者もサポートに入られるような動きを見せている。
井染たちはアホ面で俺を振り向き、
「え、なに……」
そう呟いた。その直後だった。
一家とロザミアの立つ灯台の中を、無数の触手が走るのが窓から見えた。触手は一瞬の間も置かず屋根を突き破り、井染たちゴカイの体を貫いた。
「ぎゃーーーーーッ!!!」
「い、いたいよぉ〜ママーーーーーッッッ!!!!!」
「げえ……! ロザミア様、なにを……⁉︎」
灯台が崩壊していく。
ロザミアの背中から薄く透けた中に淡い虹色をたたえた羽が飛び出し、彼女は崩れる足場の上にふわりと舞った。
その崩れ去る塔の中央部を貫き、水しぶきと共に巨大な肉塊が姿を現した。
青や緑、赤などの奇妙な蛍光色のまだら模様のあるナマコのような肉塊。
いや、ウミウシだ。海中から、背中に無数の長い触手を生やした、巨大ウミウシが登場した。
「言ったでしょう、まだドラゴンには弱い力しかないと! これでは魔王を真の英雄とするには駒として不適格! ご覧なさい!」
ロザミアはどこかを指差した。
その方向を見やれば、海上に浮かぶオルタネティカ帝国艦隊の姿が。
「あのヒューマンたちが目撃者! 魔界を統べる闇と脅威の権化、魔王バルバロッサの俺TUEEEEEを見届け、畏怖の念を抱くか弱き者共! そのためにはドラゴンは強くあらねば……いや、と言いましてもまぁほどほどの強さでいいのですけれど、とにかくそうあらねばならない!!!」
ウミウシの触手に捕らわれ悲鳴をあげる井染一家を見下ろしロザミアはさらに叫ぶ。
「だからおまえが必要なのです、おまえの生命力が! このドラゴンはおまえを取り込みさらに強くなる! 喜びなさいゴカイの化け物、転生者のなりそこない、おまえは永く語りつがれる英雄譚の1ページとなれるのです!!!」
井染一家を触手により持ち上げたウミウシ。その顔にあたる部分だろうか、丸く穴が空いた。
口だった。徐々に大きく広がり、がっぽりと空いた空洞には、上下にびっしりと牙が生えているのが見える。
「わ、わぁ〜、食われるゥ!!!」
「あーたなんとかしてくださいなあーもうやぁ〜だぁ、やぁ〜だぁなにこれもうあら、あら、あら、あらやだ、あら、いやぁーーーーーもう!!!」
「いやだァ〜だじゅげでぇ〜ウギャ〜〜〜〜ッ!!!」
《井染一家はボビットワーム・ジョーのスキルを発動しています》
井染たちを構成する体からゴカイが数匹伸びた。ウミウシことドラゴンに抵抗を見せたのだ。
だがそのゴカイたちは、ウミウシのはるか手前の空間に波紋を起こしただけで、そのままひしゃげて潰れた。
《ドラゴンウォール》だ。
パンジャンドラムが叫んだ。
「ロロロ、ロス君、これどーすんのっ⁉︎」
ウォッチタワーが崩れつつもまだかろうじて残っている壁をよじ登ろうとしているのが見えた。助けるつもりなのだ。しかしその壁もついに砕け、彼は海に落ちていった。
まあ彼のことだから死にはしないだろうが、辺りを見れば床は崩れ、トンプソンもやはり落っこちていくのが見えた。ハルはナヤートに寄り添って、なんとかまだ残っている。
俺は叫んだ。
「パンジャンドラム、ハル! 魔王と一緒にヴィエラとメリナを守って飛び降りろ! 転生者なら海の上を歩ける!」
「ロス君はどうするの⁉︎」
「俺はウミウシを片付ける!」
《ハードボイルが発動しました》
俺の両拳から青白い光が発され始める。
足場が崩れきる前に決めなければならなかった。本来なら落ちてからでも別に構わないのだが、井染一家が今まさにウミウシの口の中に放り込まれようとしていた。そうなる前に仕留める。彼らは別に友だちでも何でもないし、どちらかと言えばリスペクトの念を抱ける部分はどこにもない一家だが、だからと言ってあえてマイクロウェーブをケチる理由にはならない。
発射すべく両拳をウミウシへ……その直前。
リリアンヌが視界の端に入った。
彼女はまだ空を飛んでいた。彼女が溺れる心配はしなくていいらしい。そんなことが頭によぎった。
その隙を突かれたか。それともやはり俺は井染一家をよく思っていなくて、それが少しためらいを生んだのか?
《ハードボイル》を撃つのが遅れた。
ウミウシの触手が凄まじい速さで動いた。宙を舞うリリアンヌを捕らえた。胴体に、四肢に、ゴシックロリータ風ロングドレスを巻き上げて白い太ももにもぬらりと絡みつき締め上げている。
「ああっ……!」
あの触手はゴブリンズを簡単に引き裂く力があったはず。もはや迷っている暇はない。両拳をウミウシへ構える。
「わーっ⁉︎」
その射線に、触手に振り回されたリリアンヌが入ってきた。
ロザミアが言った。
「ええ存じ上げてますわ、転生者には《ドラゴンウォール》を突き破る固有スキルがあること。しかし邪魔はさせませんわ。このドラゴンを討ち取るのはあくまで魔王バルバロッサ!」
足場の残っているところを移動してみても、触手に絡みつかれたリリアンヌがドラゴンとの間で盾にされる。
触手はリリアンヌを殺す気はないようだが、
「……ああっ……うう……くぅ……っ!」
締め付けが苦しいのか時折彼女の唇から苦しげな声が漏れていた。
いやそれはいいのだが、とにかく射線を確保することができない。
「ギエーーーお助けェーーーッ!!!」
井染一家はすでにウミウシの口の直前。
「ロス! 我輩がやる! みなの者、ヴィエラとメリナを頼んだ!」
叫んだ魔王の背から、リリアンヌとは少し違う黒い羽毛の翼が現れた。
パンジャンドラムたちはすでに足場を失い飛び降りている。それを尻目に魔王が飛んだ。
「我輩にだって固有スキルはあるのだ! ロザミア、お望みどおりその化け物滅殺してくれよう!」
ウミウシめがけ漆黒の翼をはためかせ突撃する魔王。
《魔王バルバロッサはノスフェラ……》
《不正な妨害が行なわれています。魔王バルバロッサはスキルを発動できません》
「あらら……?」
停止した魔王。彼とウミウシの間にロザミアが滞空していた。
「そうは参りませんわ。より強きドラゴンでなければ倒した時のありがたみがありませんわよ……?」
そうだった。彼女の背にはまだヌルチートがある。
俺の左腕のラリアが言った。
「マスター、あっちを先に……!」
ベターなアイディアと言えた。だが視界の端で今まさに井染一家が口の中に入れられようとしている。
俺は先に叫んだ。
「井染! 固有スキルだ!」
「ギャー! ギャ、な、なにっ⁉︎」
「固有スキルだ! 転生者だけに備わっている、エンシェントドラゴンのバリアを突破できるスキルだ! あんたも転生者なら使えるはず!」
「こ、固有……《インカーネイション》か⁉︎ それでどうやれば……」
「それは俺に訊かれてもわからん! あんたのスキルなんだ、とにかく使ってみろ!」
妻と息子は相変わらず泣き喚いていた。だが井染父は一家の大黒柱らしくふるまった。
《井染父はインカーネイションを発動しています》
これで《ドラゴンウォール》を破れるはず。そのうえでどういう攻撃ができるのかはわからないが……。
だが、だ。
ウミウシに変化はなかった。井染一家は相変わらず口の方へ運ばれていく。
「お、おい黒帽子っ! なにもおこらないぞ! どういうことだ⁉︎」
井染一家はまだゴカイを飛ばしてはいた。だがそれらはやはり障壁により無効化されている。
ロザミアのヌルチートを疑ったがそちらは魔王を見張っているはず。
《スキルアナライザーを発動しました》
何が原因だ。《インカーネイション》はどう使うスキルなんだ。《ドラゴンウォール》を突破するどんな能力が……。
『ない』
…………何だと?
『インカーネイションにドラゴンウォールを突破する能力はない。残念だが……』
「なんだとォーーーどぉーいうことだァーーーッ⁉︎」
井染の方でもアナライザーを使っていたらしい。俺と同じ疑問を声に出して抗議している。
『ないンだよ、そンなもの。そンな奴に固有スキルはもったいないってさ。そう言ってた』
「誰がッ……誰がだァーーーーーッ⁉︎」
『女神さ。手違いがあって転生者がひとり増えちまったとさ。だから予定されてた転生者の中からひとつぶン固有スキルを減らすことになったンだってさ。それがおまえだったってわけさ』
「なぜだァーッ⁉︎ なぜ、なぜわたしらのスキルが……なぜわたしらのスキルなんだッ! なぜわたしらだけが……転生者なのにわたしらだけがァーーーーーーッ⁉︎」
『…………死ンだあとに地獄にいくってことはだいたいそンなもンさ。前世の行ないも見られてるもンなのさ。たぶンそういうことなのさ。ガハハ』
井染一家の姿がウミウシの口の奥に消えた。
『井染一家が死亡しました‼︎』




