第278話 ロザミアの光
「魔女の子供か……」
「あら……造り主様をご存知ですのね?」
俺の言葉にロザミアはさらににんまりと微笑む。
魔王が言った。
「な、何だ魔女とは……何の話をしている? そなたはロザミアと知り合いなのか?」
ウォッチタワーが灯台からやや離れて見上げることでロザミアを視界に収めようしていた。その向こうで、灯台の陰からパンジャンドラムが顔を出してこちらを見ているのも見える。
俺は答えた。
「ここにくる以前ガスンバという森にいたことがある。そこで虫の姿をした人間を見た。魔女の子供たちと呼ばれていた。魔女とかいう人物の命令によりヌルチートを製造していたんだ。ヌルチートは全て魔女の編み出した製法によって造られているらしい……」
魔王は俺と灯台上のロザミアをせわしなく見比べた。
ロザミアの方は口から飛び出したカゲロウを指にとまらせ眺めている。
俺はさらに言った。
「魔王さんよ。魔界に現れたヌルチートは彼女が持ち込んだもののようだ」
「ちょっと待って!」ヴィエラが言った。「ロザミアはヒューマンの国からさらった姫のはず……ヒューマンでしょう⁉︎ 虫の姿をした人間って……まさかそんなはずは」
「君はロザミアを誰がさらってきたか覚えているか?」
ヴィエラははたと口をつぐむ。
最高権力者の魔王が細かいことを知らないとしてもそれはあり得ることではある。だがヴィエラやメリナのような側近が他国の姫の誘拐、その詳細が記憶になく、魔王にどう報告したのかも覚えていないのは不自然なことだった。
「君が誰かさんに会ってこの海峡を封鎖しようと考えたのが1ヶ月前。君たちが魔王を虜にしたのも1ヶ月前。教えてくれ。君が魔界で会ったという、海峡封鎖を頼んできた人物の性別を」
ヴィエラは額に手を当てしばらく空中を睨んでいたが、やがて答えた。
「……女性、だったけど……」
ロザミアが言った。
「そのとおりですわ。そのお方こそが魔女様。わたくしの造り主様。わたくしは魔族にさらわれたのではありませんの。あの折に造り主様に連れられ魔界へ降り立ったのですわ」
「じゃあ、その時にあのヤモリを……あなたが……⁉︎」
「ええ。あなた方がわたくしを誘拐したと思い込んでいたのはわたくしのスキルによってですわ。わたくしそういうスキルを造り主様から与えられておりますの」
俺は言った。
「教えてくれ。君の、魔女の目的は何なんだ? ヌルチートを使って何をどうしたいんだろう?」
「転生者に真の幸福をもたらすこと……」
「真の幸福だと? 俺は今まであのヤモリのために迷惑をこうむってきた。いや、俺はまだマシだ。ヌルチートのせいで散々煮え湯を飲まされてきた転生者もいる。あの爬虫類にいったいどんなハッピーな要素があると言うんだろう?」
この場にいる全ての転生者がロザミアを見上げていた。
とりわけウォッチタワー、ハル、トンプソン、そして魔王の表情は引きつっているように見えた。彼らはヌルチートのために、ある意味での地獄を見てきた面々だった。
ロザミアは答えた。
「愛されること」
「何だと?」
「愛ですわ。異性に愛されること。いえこの際同性でもよろしいのかも知れませんけれど、とにかく愛を受けること。無条件に。ただただ愛を」
ウォッチタワーが叫んだ。
「ふざけるなッ! あれが愛だと⁉︎ ただの性犯罪じゃねえかエー⁉︎ あれのせいでおれがどれだけえれぇ目にあったと思ってんだオェ!!!」
「わ、私もですよ!」トンプソンも言った。「死ぬかと思いましたよっ!」
だがロザミアはけらけらと笑った。
「そのようなことをわたくしに言われても困りましてよ。わたくしには愛などよくわかりませんもの。でも造り主様がそれが幸福だとおっしゃられたのですから、きっと幸福なのでしょう。わたくしはただ造り主様の望むとおりあなた方を真の幸福へと導くのみ」
そして背中からヌルチートをのぞかせる。
「さあ魔王……あなたもなすべきことをなしましょう……この世界で、無敵の魔王として君臨するのです。それがあなたに与えられた、あなたに許された幸福……」
「ロザミアよ」魔王が言った。「この世界は偽物なのだ。本当のことじゃないのだ。ヌルチートもそうだろう? そなたは、そなただけは他の女たちと違い我輩を好いてはいなかった。同衾したこともない」
「わたくしには愛がわかりませんもの」
「だが我輩のそばから離れようとはしなかった」
魔王は俺の方を振り向き、
「ロスよ。ヌルチートに憑かれた者は転生者に執着を……?」
「初対面でもな」
「ロザミア。そういうことではないか。ヴィエラもメリナもリリアンヌも、ヌルチートに欺かれていただけではないか」
魔王がそこまで口にした時、ヴィエラたちがそれぞれ口々に否定した。自分たちの愛は、ヌルチートとは関係ないと。あれに憑かれていた時は少しばかり異様だっただけで、今でも気持ちは変わりはないと。
「ありがとう、みんな。だがロザミアは違うではないか……ただ魔女とやらに言われてここにいるだけなのではないか? ロザミアよ。そなたにも帰る家があろうが」
だがロザミアは笑った。
「家? 同じことですわ」
それは魔王の問いかけに対しては少しばかり要領を得ない答えだった。
魔王は困惑しているのか押し黙った。
ヴィエラたちも。1ヶ月共に暮らした姫のことを測りかねているものか。
俺は言った。
「君はアップルを知っているか?」
ロザミアは笑うのをやめ、こちらを見下ろした。首をかしげている。
「アップル・インティアイスだ。魔女の子供。オルタネティカ帝国に潜り込んだ魔女の子供」
「……ああ……そういう者もおりましたね。わたくしとは少し違う者。造り主様が唯一虫として人と化した者。それが?」
「彼女は死んだ。魂をなくした」
俺の脳裏にガスンバでのことが思い出されていた。
最後に残った塔の中で、ひとつかふたつのことしか話さなくなってしまったアップル。一緒に行動していたエルフの女の子は、それを死んだと表現していた。
「ご愁傷様ですわね」
「アップルも君と同じように魔女から何かの指示を受けて行動していた。それが魔女のためになり、自分が家に帰り、魔女と共に暮らせるようになると信じて。だが最後には死んだ。魔女の指示で呼び起こしたエンシェントドラゴンの覚醒によってだ」
「ご指示のとおりに成し遂げたのですか? それは素晴らしいことですわね」
ロザミアはにっこり笑う。その微笑みに特にこれといった特別な感情の働きは見られなかった。育ちのいいお嬢様、あるいは企業の玄関辺りにいる受付嬢のような、完璧だが意図の掴めない愛想笑い。
「それではわたくしも、アップルさんに負けずに自らの使命を果たさねばなりませんね」
「使命だと? 君の使命なんてヌルチートを使って魔王を堕落させるぐらいだろう。だがそのヌルチートも君のものが1匹だけ。もう終わりだ」
俺はラリアを左手前腕まで降りさせた。投擲の準備段階だ。
ロザミアはこちらを見下ろしつつ、
「忌まわしき獣人。造り主様がカシアノーラから遠ざけたがっていらっしゃった……それでヌルチートを無効化しようと言うのでしょう」
「……君は知っているのか?」
「ふっ……ペアを組める獣人など希少ですが、どうやらあなたは運悪く真の幸福を得るチャンスを失ったようですわね?」
ロザミアはカゲロウをとまらせている手とは反対の拳を胸の前に持ってきた。
「さて……たしかに獣人がいるのならばわたくしの力ではどうにもなりませんわね。しかしながら……魔王の真の幸福のための手順だけは踏んでいただきますわよ」
「手順だと? 今さらいったい何を……」
俺がそこまで言った時だった。
ふとロザミアは、大鎌を持って宙に滞空していたリリアンヌに目を向けた。
リリアンヌは首をかしげた。ロザミアはただリリアンヌを眺めているだけで、何もしようとはしていない。
ただ、ロザミアは握っていた拳を開いた。そして手のひらの上の何かを器用に指でつまみ、俺たちに見えるように掲げた。
ゴカイが1匹。
「……水牢のあの惨めな生き物。あの者の固有スキルは、自らを構成するゴカイが1匹でも生きていればそこから再生できる……ご存知ですこと?」
たしか、《インカーネイション》とかいうスキル……。
「この場にあの生き物がいないということは、まさかあなた方が殺してしまったのかしら? まあどちらにせよ、ここに体の一部がある以上は……」
ハルが叫んだ。
「ま、まさか⁉︎ あの手にあるやつで再生できるのか⁉︎」
「ふふふ、水牢のあの者、転生者として生まれながらいまだ幸福を享受できていませんでしたからね。あなた方はあの者を連れて前世へ帰るつもりなのでしょう? けれどあのよく深い者共は、それを良しとしますかしらね……?」
井染一家がロザミア側につくと思っているのだろうか?
たしかに水牢ではあの一家、我々の敵ではあった。
だがそれは理性を奪うヌルチートのなせる業ではなかったのか? 今さらロザミアの命令を聞くかどうかなど……。
第一彼女の手にあるゴカイから復活などさせられるとは思えなかった。《インカーネイション》はおそらく井染一家の頭の部分が死んだ際に発動するスキルだ。だが彼らは死んだわけではない。氷漬けにした塊が持ち運びできないからアイテムボックスに閉じ込めているだけだ。
俺はコートの内ポケットに外側から手を触れた。アイテムボックスは変わらずここにある……。
ロザミアが片方の指にとまらせていたカゲロウを飛び立たせた。
ただ何気なく逃しただけのように見えた。カゲロウはゆらゆらと飛び、リリアンヌの前方を飛んでいたが……、
《ロザミアは摩利支天のスキルを発動しています》
突然カゲロウが発光した。
熱があるわけではない。そう強い光でもなかった。ただリリアンヌの前で光っていて、リリアンヌもやや仰け反りはしたが、特に攻撃を受けているという風でもない。
だからなのか。リリアンヌは光るカゲロウを首を伸ばしてのぞき込もうとした。
「リリアンヌ、よせッ見るなッ!」
魔王が叫んだ。
『摩利支天は光によって幻覚を見せるスキルだぞっ! 人間の目なんていうものは光の波長を色として知覚するものだ! ということは何かの光の波長を再現すれば、そこにありもしないものを本物そっくりに見せることもできるわけだ! まあテレビの画面と同じだな! だからマリーチイェーを見る時は光から十分離れて見ましょうね!!!』
だが遅かった。
リリアンヌは空中で硬直したままカゲロウの光を見つめていた。魔王の声も聞こえていないようだった。
リリアンヌは大鎌を構え直すと急速に反転。俺めがけて突っ込んできた。
「……黒帽子めッ! バルを離せ……ッ‼︎」
何のことかは身に覚えがなかった。魔王は俺から2メートルは離れた位置にいる。離せと言われても俺は手ぶら。リリアンヌは何かの幻覚を見せられているようだった。
《リリアンヌはハイスプレンディッドダークネスサイズのスキルを発動しています》
《パウンドフォーパウンド・マスター・オブ・ディフェンスのスキルを発動しました》
一瞬のうちに何度もリリアンヌの鎌が俺の体のそばを通りすぎた。ラリアをかばいながらではあったが、俺もラリアもかすり傷ひとつ負わずにすんだ。
もうひとつぐらい追撃がくるかと思ったが、リリアンヌはそばで滞空しながら、ポカンとした顔で俺を見ていた。
「……あれ……バル、いない……?」
彼女は俺と、背後の方にいた魔王をキョロキョロ見比べている。どうやら幻覚はすぐに見えなくなってしまったようだ。
ロザミアに視線を飛ばしてみたが、彼女も相変わらず突っ立ったままこちらを見下ろしているだけ。特に何のアクションもない。
何だったのか、今の行動は……。
「ロス君!」パンジャンドラムが叫んだ。「アイテムボックス‼︎」
足元に目をやる。と同時にそこを何かがすり抜けた。
カゲロウだ。カゲロウはアイテムボックスを掴んで飛び去った。
ボックスはポケットに入れておいたはず……手を触れると、服に切れ込みが入っていた。
「リリアンヌ、君は何を斬った⁉︎」
「えっと……あなたが……そのポケットからいやらしい本を出して……バルに見せようとしてたから……あれ、本は……? ない……?」
どんな夢を見ていたのだろうか。いずれにせよリリアンヌは幻覚によってアイテムボックスを狙わされていたらしい。
カゲロウはロザミアのもとへ飛んでいき、アイテムボックスを彼女に渡した。
ロザミアは自分が持っていたゴカイを投げ捨てた。
「これはただの、普通のゴカイですわ」
そしてアイテムボックスを開く。
灯台の屋根の上にドチャリと井染一家がこぼれ落ちた。
「やはり……わたくし、あなた方の中でこの中に入ってヴィエラさんに水路を運んでもらっていた人がいたのを監視水晶で見ていましてよ。思ったとおりこの中に隠してましたわね」
井染一家は周囲をキョロキョロしている。そして背後のロザミアをみとめると少しびっくりしたような動きをした。
魔王が言った。
「ロザミア! 今さら何をする気だ⁉︎ まだヌルチートを持っていて、井染にくっつけるとでも言うのか!」
「いいえ魔王。もうヌルチートはありませんわ。ただこの者たちにはもう少し協力してもらいますの」
井染父はぼんやりとした表情でロザミアを見上げて、
「え、え、何を……?」
「よろしいかしらゴカイさん、わたくしの話をよくお聞きなさい。転生者というものはこの世界に生まれると、強大な魔獣を倒して偉大な英雄となり、その名を世界にはせ、たくさんの異性に愛されて暮らすのです」
「え、そりゃすごい……じゃ、じゃあわたしらも、その英雄に……!」
「何をほざいているのかしら。これより魔王を英雄にするのです。おまえが協力するのです」
「えっえっ、ど、どうやって……?」
するとロザミアは上を向いた。
口を大きく開けると、その中から無数のカゲロウが飛んだ。
カゲロウたちは空中のあらゆる場所へ展開し、光を放ち始めた。
それだけではない。
何か音を出していた。
空気が震えていた。
この震えるカゲロウの音、聞いたことがある。
ガスンバでエンシェントドラゴンが復活する際に聞こえた……ジェミナイトの振動音だった。
「順序が前後してしまいましたが、今こそ起こさねばなりません。魔王が英雄となるための生け贄、エンシェントドラゴンを!」




