第275話 アラモスマジック
「ハル! ナヤートのゴカイをブッたぎれ!」
俺はそう叫んだ。首を絞めつけるゴカイの力は弱まっていた。
ハルはすぐさまナヤートを拘束しているゴカイをレーザークロウの魔法で切断する。そして、
《ハル・ノートはオールドスクール・スイミングのスキルを発動しています》
水面の上に立った。井染一家めがけ水しぶきを上げながら疾走。
しかし、だ。
井染父の顔がハルの方を向いた。
《不正な妨害が行なわれています。ハル・ノートはスキルを発動できません》
井染父のヌルチートだ。ハルはスキルを封じられ水に落ち込む。
「このアホがァ〜!!! あのダメ親父が見えないなら余ったヌルチートはおまえを封じるのに使えばいいだけだァァ!」
ヌルチート。
メリナのものは俺。
制御室のロザミアは魔王。
井染母はナヤート。
そして今、井染父はハルを見ていた。
井染父の判断は正解だったと言えた。
トンプソンは自身の、文字どおり血の海の中に身を隠している。濁った水の中ではヌルチートは彼を視認することはできない。逆に言えばトンプソンは、血溜まりの中から姿を見せることはできない。
だがトンプソンは今、水中の酸素を破壊するスキルを使用している真っ最中。このままでは水中でしか呼吸できないゴカイは死ぬことになる。
「うぐぐ……! ロ、ロザミア様〜ッ! もっとッ! もっと要塞を沈めてくれェ〜ッ‼︎」
井染父が叫ぶと同時に水牢がぐらりと揺れた。
下降するエレベーターに似た感覚が一瞬あった。
その直後から、一気に水量が増えた。
「あ、新しい酸素だッ! 海水だ、水はたくさんあるんだ! 酸素を破壊し尽くすなんてどうせ不可能だ……ッ!」
俺の足が床から浮いた。すでに水深は俺の身長を越えたのだ。水流は激しく、天井が急速に近づいてきていた。
「へ、へへ……! クズ共がァ……わたしらはな、そもそも海水なしでも数時間は呼吸できるんだよ……! ちょ、ちょ、ちょっと苦しいが……だがおまえらは違うッ! この水牢が海に沈めば、窒息死だッ!」
「キャー素敵でザァマスよあなたッ! 頭が冴えてゴザァマスことよッ!!!」
「パパ! なんでこんな簡単な方法をさっさと思いつかなかったのッ!!!」
騒々しく喚く井染一家。
ハルが天井に叫んだ。
「おい、ロザミアとかいう人! このままじゃ魔王も死んでしまうぞ! メリナも! おまえの仲間じゃないのか!」
だがロザミアの代わりにヴィエラが答えた。
「た、たいへん言いにくいんだけど、私たち魔族は水中で呼吸する魔法が使えるの……も、もちろん魔王様も……」
メリナはゴカイに拘束されたまま、うつ伏せの姿勢でやや水面に浮かぶような形でいた。その姿勢でハルに向けニヤリと、だがやや引きつった笑みを見せた。
井染父が言った。
「ゲヒャヒャこりゃあいい! ではここで死ぬのは結局侵入者のおまえたちだけ! わたしら魔族はこれまでどおり安泰というわけだ!」
「だからパパ! 最初からこうしてればよかったんでないの!!!」
《井染息子はボビットワーム・ジョーのスキルを発動しています》
ゴカイが飛んだ。狙いは俺たちの誰でもなかった。
俺の背後。トンプソンが呼吸のために浮かべていた樽だった。ゴカイは樽を締めつけ、一気に破壊した。
「念には念をだァ! 水がいっぱいになるがどっちみち死ぬけどなァ〜!」
「よぉ〜しよしよくやったぞ息子よ! 水が満ちればこいつらは何もできん! あとはわたしらとあの冴えないダメ親父のどちらが息が続くか……!」
真っ青な顔をしてほくそ笑んだ井染父。
まあ笑いたい気持ちにもなるかも知れなかった。
水の量が増えれば、トンプソンを包む血も薄れてしまうだろうからだ。そうなると彼も姿を隠すことはできなくなる。
だが俺はそんな井染たちを尻目に、左の方に浮かんでいるラリアの入った棺桶を見ていた。
相変わらず水面にぷかぷか浮いているのだが、どうもおかしかった。
棺桶の近くの水が、妙に周りの水と比べて黒ずんで見えるのだ。
そうこうしているうちにその棺桶が天井に近づく。
俺の帽子をかぶった頭が天井にぶつかる。
「ヒャハハ〜溺れ死ねェ〜!!!」
そう井染父が叫んだ言葉は、このままでは俺が最期に聞く言葉となってしまうだろう。
俺は言った。
「やれやれ……頭に乱暴に何かを押しつけるのはやめて欲しいものだ」
「……あん? 今何か言ったか……」
「水位を下げさせてもらう」
「なに……? うおッ⁉︎」
水面から顔を出す井染一家がバランスを崩したのが見えた。
ハルたちもだ。
「な、な、なんだ⁉︎」
「あーたちょっと! 水が減っていってるわよッ!」
「なんだーこれーッ!!!」
井染たちの言うとおり、また水位が下がり始めていた。
天井から頭が離れ、ロス・アラモスの荘厳なる頭頂部の髪をおびやかすふらちな石天井が遠ざかっていく。
「ロ、ロザミア様ッ! 何してるんですかッ!」
『わ、わたくしは何も……要塞は動いてませんわ!』
「お、おい黒い帽子の奴! 貴様か⁉︎ 貴様がこれをやってるのかッ⁉︎」
井染父が問うてきた。
俺は答えてやった。
「まあな」
「い、いったい何をしたァーッ⁉︎」
「なぁに……簡単なアラモスマジックさ……」
水中の俺の右手。
ポケットに突っ込んである。
パンジャンドラムから借りたアイテムボックスが握られている。
その蓋を開けただけだ。
ボックスの中に海水がジャンジャン流れ込むことで、水位が下がっているのだ。中に入っているパンジャンドラムの私物はびしょびしょになっているだろうが、下がり続ける水位を見ながら、素直に謝れば彼なら許してくれるんじゃないだろうかと考えていた。
水を吸い込んでいるせいか、ハルや魔王たちがこちらに吸い寄せられてきていた。
井染一家はゴカイで床に立っているのか泳いでいるのか、こちらにはこない。
メリナは、ややこちら側に吸い寄せられている。
ラリアの棺桶は……動いていない。
さっきからずっと井染と向かい合う俺の左奥で停止している。
《トンプソンはザ・サバイバーのスキルを発動しています》
《トンプソンはオールドスクール・スイミングのスキルを発動しています》
その棺桶の向こうから男の手がのぞいた。
ピストルサインのように人差し指を伸ばしている。
井染一家はアラモスマジックのタネを暴くのに夢中なのか俺にガンを飛ばしていてそれに気づいていないようだ。
《トンプソンはウェイブスキャナーのスキルを発動しています》
《トンプソンはO・デストロイヤーを発動しています》
指先から波紋が走った。
それはあやまたず、メリナの背中のヌルチートに命中した。
「あッ⁉︎」
メリナは俺たちと井染一家の間に浮かんでいた。だから奴らも気づいた。
メリナのヌルチートが暗殺されたことに。彼女の背のヤモリの姿がうっすらと消えていった。
「あ、あのダメ親父、いつの間にあっちに……⁉︎」
棺桶に掴まったトンプソンがザブリと顔を出して言った。
「そっちが樽を壊す前ですよ! わざわざ自分でもう1回手首を切って血を出して、ヌルチートにだけ見られないように移動してたのに……そもそも水の濁りにも気づいてなさそうだったなあんたたち!」
トンプソンの手にはナイフが握られていた。彼はそんなものを持っていたのか。よく考えてみると、戦争するためにこの要塞にやってきたというのに俺は手ぶらだったことを思い出す。
「ちくしょうッ! いっぱい食わせやがったなァ!」
「あーた落ち着いて! それでも自由に動ける転生者はまだふたりザマス!」
「そうだよパパ、ぼくたちは3人いるんだ! 他の奴らはザコだよ、まだぼくたちが有利……」
仲よさげな家族のコミュニケーションとやらに馴染みのないロス・アラモスは歓談を遮り言った。
「いいや。これからこっちも3人になる」
井染一家がそろってポカンとした顔で俺を振り向いた。
俺はアイテムボックスを水面の上に掲げた。
「インベントリ、オープン!」
叫ぶやいなや小さなアイテムボックスから、中に溜め込んだ海水が噴水のごとく噴き出した。
水面上にアーチを描き、虹すらかかっていた。
「な、何やってやがる……」
《ハードボイルを発動しました》
左手からマイクロウェーブ。
アーチをかける水の奔流に照射する。
一気に水は沸騰。蒸気となった。
「なな、なんだァ、コケおどしを……」
アラモスマジック第2弾に、呆気に取られたような顔をする井染一家。
だが天井から声。
『イソメ、隠れなさい!』
「え、なに」
『見えないのです! こちらからは蒸気でそちらの状況が見えなくなりました!』
ロザミアの声。
彼女は監視カメラのようなものでこの水牢を上から見ていただろうということは、俺も制御室にいったことがあるからわかっていた。
俺はハードボイルで海水を熱し蒸気を発生させ、天井全体を曇らせたのだ。
「なんですとッッッ!!!」
「で、では誰ザマスか⁉︎ ロザミア様がさっきまで見ていたのは……!」
「えっと、えっと……!」
《魔王バルバロッサはリヴァイアサンダークネススイミングのスキルを発動しています》
瞬間、滑るがごとき素早い動きでメリナに近づいた魔王が彼女の拘束を引き千切った。
メリナを両腕に抱き上げ水面に立った魔王は、彼女の顔をのぞき込みながら言う。
「大丈夫だったか? メリナよ」
「あ、あ……魔王様、メリナは、メリナはなんてことを……ごめんなさい……!」
「よいのだ……愛妾の戯れもまた可愛いものよ……」
何やら唐突にふたりの世界に入ってしまったかに見える魔族カップルだったが、魔王はさらにこう言った。
「それではメリナよ。《ストーンルーム》を解除してもらおうか。ちょっとここでは調子が出ないものでな」
「は、はい!」
《メリナがストーンルームを解除》
ぶうん、と空気が震えるような音がした。
と同時に棺桶も消え去り、ラリアがドボンと水に落ちた。
「あっぷあっぷ!!!」
俺はそちらまで泳いでいき、ラリアを掴まらせる。
魔王が言った。
「それでは井染よ。貴様の処刑を始めようか」
「なにを!!! わたしらとあんたは同じ転生者! ヌルチートから解放されたからっていい気になるんじゃあ……」
しかし魔王は振り返り、
「ヴィエラよ、頼む」
「はっ!」
《ヴィエラはラビリンスのスキルを発動しました》
メリナのスキルとはまた違った振動音と共に、俺たちのいた場所が移り変わった。
1階の、大きな階段があるロビーだった。
ヴィエラは水牢をロビーに移動させたのだ。移動させたのは牢を囲んでいたはずの石壁2枚と、あとは石の床。
俺たちは大階段の踊り場にいた。井染一家は階段の下。
海水もほとんどロビーに移動していた。密閉空間ではないロビーに海水の奔流が生まれる。
「野郎ッ! ブアクアの壁がなければわたしだって本気が出せる! かかってこい魔王ッ!!!」
支えを失い流れゆく水中から吠えた井染父。水しぶきを跳ね上げつつ階段を這い上ってきた。
だが踊り場に立つ魔王は厳かな声で言った。
「いいや。終わりだ井染よ」
メリナを抱いたまま彼は右手のひらを井染一家に向ける。
《魔王は暗黒無詠唱のスキルを発動しています。エターナルダークネスブリザード》
凍てつく波動が魔王の手のひらから発された。
階段を流れ落ちる大量の海水はナントカダークネスナントカの冷たい光を浴び氷結。
「あ、あ、あ、……」
「ザ……ザマス……!」
「あががががが……!」
そして後には、みっつの頭を氷の上に出した、井染一家の彫像ができあがっていた。




