第274話 サブマリン
肩口からは血がにじんでいた。
トンプソンはその食いついたゴカイを掴み、井染一家を睨んでいた。
「なんだよおまえーッ! 邪魔しやがって!」
「人のことは言えた義理じゃありませんがね……! とんでもない子供だ……!」
ぐちゃぐちゃと、ゴカイの顎が肉を咬む音がここまで聞こえてきた。それでもトンプソンはハルとナヤートをかばい立ちはだかっている。
「なぁーんですってッ」井染母が言った。「ウチのボクちゃんがなんザマスか!!!」
「ろくでもないクソガキですよ! いったいどんな育て方をしていればこんなふうになるのか! あなたたちもあなたたちだ! 欲にかられて野蛮な真似をして……恥というものを知らないんですかッ!」
背後のハルが、回り込んでトンプソンの肩のゴカイを切断しようとした。
だがそれより一瞬早く井染がゴカイを引いた。トンプソンは引きずられ、肩を宙に釣り上げられた。
「うぐっ……!」
「なにを生意気な口を! わたしらはなァ、わたしらはそこの若造に殺されたんだぞ! この怒りがおまえなんぞに……」
「ふん、そんなことは知っている! この私こそ、そこにいる晴人の父親だからな!」
「なっ、なに⁉︎」
井染父は口をあんぐり開けた。息子と母も顔を見合わせている。
「なな、なんでこんなところにいるんだ、この世界には死ななければこられないはず……」
「ああそのとおりだ、私は1度死んだのさ! 晴人があんたたちを殺してしまったことで、私と妻は世間の批判に晒された! そのせいでもう生きてゆかれないと思って、心中することになったんだ!」
井染父は1度ハルの方を見た。
「えっ、ひどい息子だな……」
「だまれッ私の息子を侮辱するのはやめろ!」
「えっでも」
「そりゃたしかに私だってねぇ、前世では晴人をを恨みましたとも! なんてことをしてくれたんだ、なんて恐ろしいことをと、まるで悪い夢を見ているようだった!」
宙吊りになったトンプソンは、「ですが!」と続ける。
「今あんたたちに会って気が変わった! 被害者の方に、世間様に謝罪したいとずっと思ってたが、気が変わった! あんたたちはクズだッ! なんなんだあんたの息子は、ええ⁉︎ 女の子をいじめて、甘やかされたアホみたいな、バカみたいな、なんなんだ! あんたたちもあんたたちですよええ⁉︎ お世話になってる魔王さんにあんた、こんな逆らうようなことして、ロスさんたちも殺そうとして……あんたの方がよっぽどの悪党だろッ‼︎」
トンプソンはハルを振り返った。
「晴人、やってしまえ! おまえが正しかった、こんな奴ら生きてる値打ちもない! 父さんにかまわずやれッ!」
「け、けど父さん……!」
ハルは動かなかった。
動けなかったと言った方が正解かも知れない。
そもそもトンプソンが捕まっているのだ。
トンプソンはほとんど新しい人質と言えた。うかつにハルが動けば、空中でバラバラにされかねないのだ。なぜ突っ込んだ、トンプソン。
「やるんだ! やれ!」
「バカヤローッ!」井染息子が言った。「動くな! 動いたらこいつを殺すぞ! そこで突っ立ってろ!」
「晴人耳を貸すな! どうせこいつらは私たちを殺す気だ! 戦えるのはおまえだけだ! やるんだ、こいつらを、もう1度!」
「なにバカなこと言ってんだバーカ! あいつが抵抗したら殺すって言ってんだぞ! わかんねーのかあったまわりーなぁ〜ッ!」
トンプソンはハルから井染息子へ視線を移した。
肩をえぐられた苦痛からか顔には脂汗が浮かんでいる。
だがトンプソンは笑った。
「ふん……おまえには無理だ」
「なに!!!」
「おまえのような甘えんぼの赤ちゃんみたいなガキにはね。そんな勇気はないだろう。口先だけで殺す殺すと喚く嘘つきさ」
「なんだとォ⁉︎ ぼくは嘘つきなんかじゃねえ! てきとー言ってんじゃねーぞおまえ!」
トンプソンは喰らいつかれた右肩を左手で指す。
「だってそうだろ? 人間の腕にはね、腋のところに太い血管がある。これを切れば人間は2分も経たずに死んでしまう。この肩のところからすぐだ。けどおまえは全然それをやろうとしない。怖いんだろ? 人を殺すのが」
「こ、怖くなんかない! ほんとにおまえブッ殺すぞ!」
「できないさ」
「できる!!!」
「いいや無理だな。おまえには勇気がなくて切れない。前世でも大勢で群れて、女の子をいじめるしかできなかった弱虫のおまえには。私の血管は切れない」
ハルが突っ込もうとした。だが井染の誰かがトンプソンを揺らして牽制する。
「切れる!!!」
「無理さ」
「と、父さんやめて! 挑発しないで!」
「切れるったら切れる!!!」
「いいや……」
トンプソンは、ゆっくりと言った。
「無理だ。おまえのような。女の子に振られるような。ブサイクなガキには。鏡を見ろ」
井染息子が絶叫した。
耳障りな甲高い声だった。
同時にさらに2匹のゴカイがトンプソンの腹に突き刺さる。
そして肩口のゴカイが右腕を、完全に食い千切った。
「と、父さんッ!」
「死ねェーッ!!!」
ゴカイはさらにトンプソンを振り回し天井へと叩きつけ、俺とヴィエラの後ろの方へ血しぶきをまき散らしながら放り捨てた。
かくいうロス・アラモスは何をやっていたのかと言うと、自分のショットガンを樽につなげ直していた。1度ポンプし弾を送って言った。
「ハル! 《ザ・サバイバー》だ! トンプソンに食わせろ!」
「く、食わせるって何を……」
「ゴカイだ‼︎」
俺はショットガンを井染一家にブッ放した。正直そんなに正確には狙っていなかった。ひょっとしたら井染の顔に当たるかもという考えも頭に浮かびはしたが、それだとついでにヌルチートを殺せるという発想がすぐに打ち消した。
巨大なゴカイの塊である井染一家の肉体が千切れ飛ぶ。
水面に落ちたその1部をハルが掴み取る。
「父さん、今いく……!」
ハルは走ろうと……いやもう正確には泳ごうとした。水位はすでに俺たちの胸ほどまでに達し、ハルは井染の向こうから、俺の後ろに落ちたトンプソンの元へ向かおうとした。俺は魔王と共に井染の注意(魔王は空の樽を持って、中身が入っているふりをしていた)を引こうとした。
「うっ……⁉︎」
足に何かが絡んだ感触があった。間を置かず、今度は首に何かが絡みつく。
ゴカイだ。
魔王やヴィエラを見れば、彼らもまた水中から出現したゴカイに絡みつかれ自由を奪われていた。ナヤートもだ。
「ゲヒャヒャヒャ! 水の中だから見えなかったろう! すでにゴカイを伸ばしていたんだよよよよ〜〜〜〜ん!!!」
井染父が笑っていた。ショットガンを持つ腕にもゴカイが絡みつき動かせない。首はどんどん締まっていた。
「くそっ、てめえ! ロスさんたちを離せ!」
「フヒャヒャ、離して欲しいのか? ん? 離して欲しいか? ではおまえは殺されろ! 無抵抗でなぶり殺しにされろ! そうすれば他の奴らを助けてやるぞ!」
「なに……⁉︎」
「元はと言えばわたしらがこうなってしまったのはおまえのせいだ。おまえひとりのせいなんだよ。わたしらがこうも苦しみ、怒り狂っているのはァ。他の奴らは何も関係ない」
「な……」
ナヤートが悲鳴をあげた。
見れば彼女の肩にゴカイが噛みついている。
「おまえのせいなんだよ! 他の奴らが今こうして苦しんでるのも、全部おまえがいけないんだ! おまえが始めた地獄だ! ならおまえはその責任を、命で償う必要があるんじゃあないのかァァ!!!」
ナヤートが言った。
「聞いちゃダメ、ハルさん! ハルさんのお父さんの言うとおり、どうせ嘘だよ! あたしにかまわずやっつけて!」
「若造〜〜〜!!! おまえが死ねば父親は助かるんだぞッ!!!」
井染父はゴカイで俺の背後を指差した。
首だけで振り返ってみたが、水面にトンプソンが浮かんでいる。
仰向け。真っ白な顔で瞳を閉じている。天井にぶつけられたショックで気絶しているのか動かない。それとも出血のせいか? トンプソンの周囲は赤く染まっていた。
「早く決めろ! 時間はないんだぞォ⁉︎ あいつ自身が言ったことだ、2分もないんだ! あいつを助けられるのは転生者のスキルだけ! 何かを食わせただけで体力を回復させられるスキルだけだ! それはわたしも使えるんだ! おまえの親父を助けられるのはわたしら一家だけなんだ!!!」
増え続ける水位のなか、ハルは顔面蒼白となって震えていた。
天井と水面にはまだ空白がある。転生者のスキルには水面に立てるものもあった。ハルは水面に立ち井染と戦うこともできた。
だがハルにそれができるだろうか?
やれば俺たちは殺される。
ハルは言った。
「…………ほ、本当か……?」
「ああん〜!」
「本当に俺が死ねば、みんなは助けてくれるのか!」
「ああ、ほんとうだともォ〜」
ニヤつく井染父の顔には誠意のかけらも見られない。
俺は言った。
「ハル……早まるな……何か方法があるはずだ……」
言った直後にゴカイが俺の首を締めつけた。
そうされながらも何か他の方法を考えていた。幸い俺の手にはまだショットガンが握られている。腕を井染と反対方向に向けられてはいるが、手首だけなら動かせる。
だが井染までは向けられない。せめて拘束しているゴカイ……俺じゃなくとも、魔王とかヴィエラの拘束を解ければ。彼らは俺の右手方向にいはする。
井染一家は水面に顔を出して俺たちとお喋りしているのだ。だが銃は水中。どこかに狙いを定めてもバレやしないはず……。
ふと、気になった。
俺たちは水中から忍び寄ってきたゴカイに気がつかなかった。水は深くなっていたし、水牢が薄暗いというのもある。だからショットガンも見られていないんじゃないかという淡い期待をかけてもいるわけで……。
首が締まって目の前はさらに薄暗くなってきた。それでも何とか頭を巡らせ、背後を横目に見る。
トンプソンがいなくなっていた。
血に染まった水面があるだけ。
「ぐぐ……かッ……⁉︎」
井染父が呻いた。
「あががががが、こケッ……⁉︎」
「クキキ……!」
母と息子もだ。3人共目をカッぴらき、口をパクパクさせている。
「な、な、なに、なにをした……⁉︎」
呻く井染たちの顔には青黒い血管がびっしりと浮き上がっている。何をしたと問われてはいるが、ハルもナヤートもポカンとした顔をしている。魔王もヴィエラも。メリナもだ。
『……イソメ? 何を遊んでいるのかしら、早く転生者を……』
天井からロザミアの声。
俺は気づいた。
なんだっていったいトンプソンは血管がどうのとかいう話をしていたのかを。
《トンプソンはO・デストロイヤーを発動しています》
《水中の酸素が崩壊しています》
「ウギャァァアアアーッ! 何をやっているんだァーーーッ!!!」
井染一家のゴカイがいよいよ苦しみ暴れ始めた。
トンプソンは気絶なんかしていなかったのだ。彼のスキルによって水中の酸素が破壊され、井染一家とゴカイは呼吸ができなくなっているのだ。
「クソッ、クソッ! さっきの奴だなッ! なんでだ、ヌルチートは……」
井染息子が叫んだが、どうも井染たちはトンプソンの血管を切断したのをいいことに注意を怠り、監視はヌルチートに任せて自分たちは俺たちの方ばかり見ていたらしい。
トンプソンが水に潜ったことを知らなかったのだ。
「水中だッ! 息子よ、奴は水の中だーッ!」
父に言われて息子が水に水面に顔を突っ込む。だがすぐに顔を上げ、
「見えない、見えないよォ!」
「なにを言って……」
「水が濁ってて見えないって言ってんだよ!!!」
「ちくしょおお!!!」
《井染父はボビットワーム・ジョーのスキルを発動しています》
俺の脇を何かが幾つかすり抜けていくのを感じた。
ゴカイを飛ばしたのだろう。血液で濁った水中に隠れたトンプソンを貫くつもりだ。
だがそれは悪手だった。
《トンプソンはウェイブスキャナーのスキルを発動しています》
《トンプソンは剣聖・サッキレーダーのスキルを発動しています》
《トンプソンはザ・マッスルのスキルを発動しています》
それからややあって、
《トンプソンはザ・サバイバーのスキルを発動しています》
そして……赤く染まった血溜まりに、樽がひとつぷかりと浮かんだ。
樽は底の方に小さな穴が空いていた。何か茶色い破片が付着しているが、ゴカイの肉片のようにも見える。
トンプソンはあの樽を盾にすることで穴を開けたのだろうか。
樽にはホースがつながっている。
ひょっとして。トンプソンはホースの先をくわえてあそこに潜っているのか。
ナヤートが呟いた。
「…………なんか潜水艦みたい」




