第266話 井染家の人々
ゴカイの群れは互いに蠢きあっていた。
ボール状のそれは表面がぐるぐると回転しているように錯覚する。
食事時に見たい光景とは言えなかった。
俺はチラリとナヤートを見上げた。天井のくぼみにはまっている。
ハルの方へ尋ねた。
「彼女はそこで何をやっているんだろう?」
「あっ、なんかあれがキモくて逃げ回ってたそうで……ちょうどそこへ逃げ込んだ時に俺が……」
なるほど。俺はゴカイと、その前に仁王立ちする魔王へ視線を移した。
魔王はゴカイの隣りに立つメリナに言った。
「メリナよ。もうやめるがよい。戦いは終わりだ。我輩はついにここを発つ時がきたのだ」
「そうはいかない。魔王様はメリナたちと一緒にずっとここにいるんだよ」
魔王のもとへ駆け寄ったヴィエラが言った。
「もうやめなさいメリナ。そこまでしなくていいの。魔王様は1度は元の世界へ帰るけど、また戻ってきてくださると約束したわ」
メリナの視線は睨みつけるように、魔王とヴィエラを交互に見ている。
その背中にはヌルチートの赤い瞳。先ほどは魔王が《ノスフェラトゥ》を発動し続けることで首だけでの状態でいたのを邪魔しないように瞳を閉じていたが、五体そろった魔王の前でおしとやかにしておく必要はないと判断したのだろう。
「ヴィエラ。保証があるの? 逃げるためにメリナたちを騙そうとしてるのかも」
「違うわ! メリナ、あなたは魔王様のお言葉を信じられないと言うの⁉︎」
だがメリナは睨み返すのみ。
「ねえメリナ、そのヤモリを捨てなさい。もうそれは必要ないわ」
「嫌だよ」
「メリナ!」
詰め寄ろうとしたヴィエラを、魔王が手で制した。
俺は彼らのところまで歩いていき、後ろから2人にささやいた。
「あのヤモリ……ヌルチートは所有者の理性を曖昧にする。言って聞く相手じゃない」
「やはり力づくか」
「そうなるな」
俺は周囲を見回した。
今俺たちのいる部屋は広い空間で、左奥にまだ通路があるようだ。
だが部屋の中を見る限りではロザミアの姿がない。
ヌルチートは1匹だけ。
だがこちらには5人の転生者がいる。あのゴカイも含めれば6人……俺は魔王に尋ねる。
「水牢の転生者は3人と聞いたが」
「あれらが全部そうだ。固まっているな」
俺はゴカイを見た。何十匹もいる様子だ。
「あれらのうち、どれだろう?」
「だから、全部だ」
要領を得なかった。
だがいずれにせよ、あの中に3人の転生者がいるのなら、要するにヌルチートは1匹で8人の転生者を見張る必要があるということ。不可能だった。ロザミアがこの場にいたとしてもだ。
俺は言った。
「よし。ではやってしまおう。俺がやるか。それともあんたがやるか」
だが魔王は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
険しい表情だった。その顔は、どうもゴカイに向いているようだ。
そのまま動かない。
「あんたがやらないなら俺がやるぞ」
俺は左腕のラリアに準備をさせた。
まだ投げるつもりはなく、あくまでメリナに近づいて肉弾戦でやるつもりだった。俺がメリナの気を引き、その間に俺以外の誰かがヌルチートを片付けてくれればいいと考え歩を進めたが……。
「あっ、ロスさん待って!」
ハルの制止の声。
俺が足を止めると同時だった。
何か線のようなものが一瞬、視界をよぎる。
《パウンドフォーパウンド・マスターオブディフェンスのスキルが発動しました》
手で打ち払った。
今の手応え。重くしなっていたが柔らかいものだった。
線は素早く動き……ゴカイの塊へと吸い込まれていく。
攻撃してきたのはゴカイだった。
「ロスさん!」ナヤートが叫んだ。「気をつけて! そいつあたしを襲ってきたの!」
俺はゴカイを見やった。
この巨大な線虫の塊は転生者。俺たちサイドのはず。
視線を外さず、隣りに立つ魔王に言った。
「……どういうことなんだろう?」
「うむ……」
「意思の疎通はできるのか?」
魔王はそれには答えなかった。かわりに魔王はゴカイへ話しかけた。
「どういうつもりだ……井染よ」
すると、ゴカイの蠢きが早まった。表面がぐるぐると動き、内側から丸い物がみっつ、表へ現れた。
「うわっ……⁉︎」
「ひぇっ……!」
呻いたのはトンプソンとラリアだ。
ゴカイの球の表面に現れたもの。
それは人間の頭だった。
ぬらぬらと液体にまみれたそれは、三者一様に掘りの浅い顔。
この異世界にきてより久しく見ていない、日本人のような顔だった。
顔はそれぞれ違っていた。ひとりは中年の男の顔。ひとりは中年の女。最後のひとりは、主観的な意見を述べれば中学生ぐらいの頭の悪そうな男の子に見えた。
「あがが、魔王しゃま〜」
中年男が口を利いた。喋れるらしい。
魔王が言った。
「ロス。紹介しよう。彼らは井染という名だ。3人とも家族……まあ核家族だな」
それからゴカイ……井染一家に向き直り、
「説明しろ井染。なぜ我々を攻撃する? 我輩はさっき言ったはずだ。日本へ戻る手段が見つかったらしいと。あっちの少女を追いかけ回してみたり、何をそんなにいきり立っている?」
井染一家は、「あ〜」とか、「お〜」とかそれぞれ奇声を発していたが、井染父が言った。
「だってですよ魔王様〜ひどいじゃあありませんかぁ〜……わたしたち家族はこんな姿に生まれてしまったっていうのに……あんたはこんなところに閉じ込めてぇ〜」
「閉じ込めるも何もおまえたちが海水がなければ苦しいと言うから」
「でもですよぉ〜水槽とかなんかあるでしょぉ〜!」
魔王はヴィエラを振り返る。彼女の方は嫌そうな顔で首を横に振った。
魔王は向き直る。
「仕方がなかろう。実際キモいんだから」
「そんなぁー」
「そんなことよりだ。何のつもりかと訊いてるんだ。さっさと答えろ」
魔王の態度は冷たいものに感じられた。
彼とゴカイの井染一家は互いが日本からこの異世界に生まれ変わった転生者同士であると知っているようだ。
だがその同郷の士である井染一家に、魔王は俺たちに対しては取ることのなかった態度で臨んでいる。
ふと。
いつの間にかハルが俺の右隣りに立っていた。
彼は瞳を大きく見開いて、井染一家をまじまじと見ている。
天井のくぼみを振り返ってみると、ナヤートもだった。
その下に立っているトンプソンもまた、ゴカイの塊の方を見て、眉間にシワを寄せつつ首をかしげている。
井染父が言った。
「アカツキさんよぉ〜! こんなんないでしょおが〜! あんたはこっちの世界でも魔王としていい思いしてぇ! けどわたしたち家族はこぉーんな、こぉーんなわけのわからない化け物にされちまってぇ〜!」
井染母も言った。
「あ〜もお嫌ーッ! なにコレェーなんなのあー嫌だいやいやなにコレもお〜嫌ッ!」
そして、井染坊や。
「ざっけんなよチックショー、なんでぼくがこんな目にあわなきゃなんないんだよォ〜! ウッザ! マジ、マジウッザ! 意味わかんないし! マジウッザ! ウザいって言ってるだろォーーーーーーッ!!!」
口々にそんなようなことを言っていたが、俺はハルたちの様子が気になっていた。
隣りのハルは何かワナワナと震えている。
ナヤートを振り返ってみれば彼女も震えていた。
トンプソンもだ。井染家の面々を指差し、口をパクパクさせている。
「ハル……どうしたんだろう?」
「ロ、ロ、ロ、ロスさ、ロ」
「なんだ」
ハルは唾を飲み込んだ。
そして井染一家を見つめたまま、言った。
「こいつら……! 俺が殺した県知事一家です……っ‼︎」




