第245話 盗聴せよ! ロス・アラモス!
夜になってからバルコニーへ1人で出た。
日はすっかり落ちていた。
タバコに火を付け吸っていると、庭に誰かいるのが暗闇のなかうっすらと見えた。
庭の向こうは木が密集した林だが、その庭と林の境に、まるで屋敷から離れるようにして座っている者がいる。2人。
《ナイトヴィジョンのスキルが発動しました》
ハルとナヤートだった。2人が並んで座っていた。何か話しているように見えた。
《スーパーマイクのスキルが解放されました》
『ハルさん、元気出して……』
『うん……』
2人の話し声が耳に入ってきたが、今さら新たなスキルに目覚めてどうするというのだろうか。
『あんなおじさんの言うことなんか気にすることないよ』
『でも……怒るのは当然だよ。俺は……俺は人殺しなんだ』
『あたし、ハルさんがあたしのためにあいつらをやっつけてくれたって聞いて嬉しかったよ?』
『え……?』
『みんな誰も何もしてくれなかった。あたしがいじめられてても、親も先生も、なんにも。クラスの友だちも……』
『…………』
『小学校の頃から仲がよかった子がいたんだ。でもその子にも裏切られた。その子もあたしを無視するようになって……』
『……ターゲットになりたくなかったのかな』
『よく聞くよね、そういうの』
俺は4本の指でタバコが隠れるように持った。
親指と人差し指で挟みつつ、火種は小指側。そうやって手でおおい、手の甲はハルたちの方に向けていればタバコの光は見えない。
それでロス・アラモス、そんなことをして何になるんだ? バルコニーの部屋には明かりがついていて、そんなことをしてもここに黒づくめの長身の男がいるのは彼らにも見えているだろう。
彼らがああして2人きりでお話ししているのは、俺に聞こえていないと信じているからじゃないのか?
俺はスキルを解除して部屋に戻ろうと思った。タバコの火を靴の裏に……。
『あそこ、誰かいるよ』
『ロスさんだね』
『聞こえてるかな?』
『離れてるからそんなことないさ』
『でもあたし、遠くの音が聞こえるスキルあるよ? 転生者ってみんな同じスキルが使えるんでしょ?』
俺は火を消すのをやめ、1度林の向こうを眺めた。帝都の明かりがぼんやりと見えている。
『ロスさーん、聞こえるー?』
『ナヤート、やめなって』
『聞こえてたら帽子を脱いでみてくださーい』
これだから女子供というものとは距離を置きたいのだ。デリカシーというものがない。そのまま遠くを見続ける。
『聞こえてないね』
『ほんとだね』
2人はクスクスと笑い合っていた。
ふと、彼らは《スキルアナライザー》の存在に思い至らなかったのかと思わないでもなかったが、
『スキアナ使ってみよっか?』
『さすがに失礼だよ』
『そだね』
ますます立ち去るタイミングを失ってしまった。せめてこのタバコが尽きたら、そこで中に入ろう。
『俺もそうだったよ』
『何が?』
『いじめられてた』
『本当?』
『うん。そういう時って本当に誰も助けてくれないんだよね』
『あの、親たちも?』
『うん……』
『なのによくあんな偉そうなことが言えるよね。何にもわかってないくせに』
『父さんは仕事が忙しかったから』
『でもだからお母さん怒ってたじゃん』
タバコを見ると、残り半分というところ。
『ねえハルさん』
『なに?』
『ハルさんはどうするの?』
『なにが?』
『日本……帰っちゃうの?』
『…………』
『ハルさんのお母さんは残るって言ってたよね』
『うん……』
煙を吸い込んだ。吐き出す。もし日本に帰ったとしたら、タバコの値段がまた上がってやしないかということが頭をよぎった。
『俺……たぶん帰れないよ』
『どうして?』
『3人も人を殺したんだ』
『でも悪い奴らだよ。あんな奴ら死んで当然なんだ。あたしがやればよかった』
『女の子はそんなことしちゃいけないよ』
『ハルさんが代わりにやってくれたんだよね』
『ん……まあ……』
『そのおかげでさ。あたしたちこうして会えたんだよね』
『まあ……そうなるかな』
『残ろうよ』
『え?』
『この世界に残ってさ。お母さんと暮らしたらいいよ。あんなおじさんほっといてさ』
『ほっとくの?』
『あんな人、1人で寂しくカップラーメンでも食べてればいいんだよ』
『カップラーメンか。最近食べてないな』
『作れないかなぁ。《ザ・サバイバー》で』
しばらくの間くすくすと笑い合う声が聞こえた。
それからまた聞こえた。
『残ろうよ』
『ナヤートは未練ないの?』
『ないよあんなところ。それに』
『なに?』
『ラリアが……』
『ロスさんの……?』
『うん。ロスさんが帰ったらあの子独りぼっちになっちゃう……』
『ゴースラントが故郷じゃなかったっけ』
『家族はみんな死んじゃったって言ってた。帰っても誰もいないって』
『ん……』
『だからあたしも残らなきゃ。あの子の面倒見るんだよ。一緒にカロリアンおじさんを探そうって話したんだ』
……昼間、俺が屋敷に帰ってきてアールフォーさんとトンプソンが喧嘩していた時だろうか。
『んん……あの人、帰るのかな?』
『え、何で?』
『俺……あの人の本名聞いたことがないんだ』
『本名……』
『パンジャンドラムやウォッチタワーさんは教えてくれたけどね。あの人のは聞いたことない』
『何で言わないの?』
『さあ……』
『なんか知られたくないことがあるんじゃないかな?』
俺は帽子を押さえた。いつの間にかそうしていた。
『知られたくないことって何……』
『うーん……あの人アレクシスさんと仲悪いよね』
『ああ、なんかね』
『……まさか!』
『なに』
『アレクシスさんが言ってた国の裏切り者……!』
『ヴァルハライザーを外国に売り渡そうとしてるっていう……⁉︎』
もし俺の人生が小説だったとして、その小説の形式が一人称だったとしたら、たいした叙述トリックだった。
だがあいにく俺がヴァルハライザーなどという単語を耳にしたのはロス・アラモスと呼ばれるようになってからだ。
そもそもその小説には致命的な矛盾がある。俺がもしも売国奴で、他国のスパイから生まれ故郷を売るにあたいする十分な報酬を受け取るような身分の男なら、この異世界にきた時に穴の空いたスニーカーなど履いていなかったろう。
『まさか……ロスさんはそんな人じゃないよ』
『どうしてわかるの?』
『あの人いい人だから』
『ふうん』
タバコの火は尽きかけていた。
もうそろそろ盗み聞きはやめ時だった。だってこんな行為、まるでスパイみたいじゃないか。
『あ、いやでも……?』
『なぁにハルさん?』
『ロスさんって俺たちと違って、赤ちゃんからやり直したんじゃないんだって言ってたような?』
『ほんと?』
『うん。1ヶ月か2ヶ月ぐらい前にいきなりここにいたんだって。だから俺たちと違ってスキルに慣れてないはずなんだけど』
『だけど?』
『なんか鬼神みたいに強いっていうか』
『鬼神』
『諦めないんだよね。どんな逆境でも』
『ずぅぅーっと無表情だよね』
『なんか特殊な訓練積んでてもおかしくないかな』
『自衛隊員かな……』
『そうかも……』
《スーパーマイクを解除しました》
期間工だ。
他人の想像力とは面白いものだ。俺はタバコをもみ消して屋敷へ入った。




