第241話 因果
「あたし、帰らない」
言い放ったナヤートを、みんなは見つめていた。
みんなしばらくの間は無言だった。それから互いに顔を見合わせて始めた。
最初に口を開いたのはハルだった。彼はナヤートが座っている揺り椅子の近く、同じ暗がりに立っていたからだろう。
「ど、どうしたの……帰らないだなんて……?」
「やだよ。帰らない」
ラリアを抱いたままハルから視線を逸らしたナヤート。
パンジャンドラムがソファから立ち上がった。
「な、何でだよ? せっかく日本へ戻れる方法が見つかったのに」
「そんなのあたしに関係ないし」
次にはマジノが言った。
「なあお嬢ちゃん。この世界は危険だ。ロスさんの言うとおり、何でかは知らないけど転生者を狙うヌルチートがいる。お嬢ちゃんだって襲われたって聞いたぞ」
「やだ」
「どうしてさ⁉︎」パンジャンドラムが言った。「言っちゃ何だけどここには何にもないよ。ネットもスマホもない。何だったら選挙権だってないんだぜ? こんなとこ……」
「やだったらやだもん!」
ラリアを抱え込み、かたくなさを増していた。ゆりいすはみんなの方を向いていたが、ナヤート自身は膝ごと抱え込みそっぽを向いた。
俺は言った。
「……別に非難するわけじゃないんだがな。さっき君から聞いた話からいけば、君はこの世界にあまりいい思い出がないように思えたが」
ロクデナシの父親に、暴力を振るう母親。それが転生日本人ナヤートの、ダークエルフとしての青春だった。カロリアンおじさんの親切さを除けば、この異世界をポジティブに捉える要素はどこにもない。少なくともそんな話ぶりだったはずだ。
彼女は何も答えない。
「ね、ねえ、ナヤートちゃん」
アールフォーさんが言った。
「あなたの……見た目じゃなくて話し方で私はこう思うんだけど……あなたはひょっとして、私たちと違って大人じゃないんじゃないかしら……?」
「…………それが何」
「あ、あのね? ナヤートちゃんが子供だったとしたら……日本にお友だちもいるんじゃないの? 寂しくない?」
ナヤートは……なぜか鼻で笑った。
「そうだよ」ハルも言った。「お父さんとか、お母さんとか……さ」
ハルはナヤートの正面に立ち、膝に手をついて目線の高さを合わせた。
「きっとナヤートちゃんがいなくなって悲しんでると思うよ……何があってこっちへくることになったのかはわからないけど……」
「そうよ、その人の言うとおりよ! あなたのご両親は……」
だが。
「やめてよッ‼︎」
突然ナヤートが立ち上がったためラリアが椅子から転がり落ちた。
ラリアはそのまま慌てたように俺の方へとやってきて、ズボンにしがみついた。
「友だち? 親? そんなのが何だって言うの⁉︎ あんなの、親なんかじゃないっ!」
「そ、そんな言い方……」
「あんたたちに何がわかるのさ! 日本に帰るんでしょ⁉︎ 勝手にすればいいじゃん! あたしには関係ない、あたしはここに残るっ!」
剣幕のなか、ラリアはそのまま俺の体をよじ登って左腕に収まった。そこから首だけ突き出してナヤートをうかがう。
「残るって、そんな」
「ね、ねえナヤートちゃん、どうしたっていうの……」
アールフォーさんが席を立ちナヤートのそばへ歩み寄ろうとしたが、
「こっちこないでよ! エルフはダークエルフが嫌いなんでしょ!」
「私は違うわ、それにあなたはダークエルフじゃない、日本人……」
「違う、違うっ!」
なおもアールフォーさんは近づこうとした。
その時、アレクシスやトンプソンが、あっと声をあげた。
ナヤートがダガーを抜き、アールフォーさんを向いて構えたのだ。
「こないで‼︎」
「お、落ち着いて!」
「何よ! あんたたちに何がわかるって言うの⁉︎ 何にも知らないくせに! ネットやスマホが何よ! そんなものいらない! あんなのがあったから……!」
一瞬……。
《ウォッチタワーは剣聖・ジュージュツ・ムトウドリのスキル……》
俺はウォッチタワーへ手のひらを向け静止した。
「何よ、この緑色っ! あんたなんか怖くない! あたしは負けたことなんてないもん! あたしのスキルの方が強いもん!」
「落ち着け」俺は言った。「誰も君を傷つけたりなんかしない」
「あんたたちだけで帰ってよ! あたしのことはほっといて! あたしはあんたたちと違って……きたくてここへきたんだから!」
……ほんのしばらくの間沈黙が続いた。
ナヤートも含め、誰も何も言わなかった。
言えなかったと言った方が近いのかも知れない。やむを得ず俺から尋ねることになった。
「……何だと?」
「あたしはあんたたちとは違う! 交通事故とか、火事とか、銃で撃たれたとかじゃないもん! あたしは……あたしは……っ」
ナヤートは左手のダガーの切っ先を、彼女自身の右に立つアールフォーさんに突きつけていた。斜に構えた体勢だ。彼女のヘソは俺の方へ向いていて、右のダガーは左腕と交差させるように斜め下へ。いつでも俺を迎撃できる構えのようだった。
そんなことはまあいい。
その左脇の構えを取るナヤートは、瞳に涙をにじませて言った。
「あたしは……殺されたんだもん……!」
みんなが顔を見合わせていた。ウォッチタワーはぐうと唸り、トンプソンは「ほげっ……」と声を漏らす。
「友だちなんか……友だちなんかいないもん……みんなSNSであたしだけハブってさ……みんながあたしのこと嫌ってた。そのうち男子の、取り巻きとかいっぱいいる奴が、仲間と一緒にあたしをいじめるようになって……」
声は震えていた。
アールフォーさんは口元に手を当てナヤートを見つめている。
「パパやママにも相談したもん……でも、いじめはいじめられる方にも原因があるんだとかわけわかんないこと言ってさぁっ……。あんたが弱いのがいけないんだって……何にもしてくれなかった……っ!」
「ナ、ナヤートちゃん……」
「地獄だった! あんたたちにあたしの気持ちがわかる⁉︎ わからないよ、みんなわからなかった! みんながあたしを無視したっ! でもここじゃ違う!」
ナヤートは両方のダガーをアールフォーさんへ向け、
「ここにはおじさんがいるもん! おじさんはあたしに優しくしてくれた! 幽明の森のダークエルフやあんたみたいなノーマルエルフと違ってあたしをあたしとして扱ってくれた!」
《ナヤートは剣聖・二天一流を発動》
「それにあたしはもう弱くなんかない! パパとママの言うとおりあたしは強くなったんだ! 誰にも負けないんだ! ヤモリだって、あたしには何もできない! あたしは……」
もう声は震えていなかった。
彼女は宣言した。
「あたしは日本になんか……徳島になんか帰らないっ‼︎」
何か、異変が起こっているのに俺は気づいた。
奇妙な空気が場を支配していた。
アレクシスやパンジャンドラムたちは相変わらず困ったような顔をしてナヤートを見つめていた。
だが様子のおかしい人物がいた。
アールフォーさん。
ハル。
そして……皿のリンゴに手を伸ばそうとしたまま固まっているトンプソン。
俺を含めた他のメンツがナヤートのダガーを見ているのに対し、その3人だけは彼女の顔を見て硬直している。
いや、もう1人いた。そのもう1人が、この空気感の中で1番最初に口を開いた人物だった。マジノだ。
「……徳島? 徳島県……?」
「そうだよ! あたしはそこに住んでたけど、もう帰らな……」
「徳島県で、死んだ? 学生⁉︎」
「そ、そうだけど……ちゅ……中学生だけど……な、なに? 変な顔して……」
それから妙な声が聞こえた。
「あっ……あっあっ」
ハルの声だ。口をあんぐり開けて、いや、パクパクさせている。
マジノが再度尋ねた。
「徳島……中学生……ひょっとして、その……お嬢ちゃんをいじめてたガキって、地元の代議士の息子……?」
「な、何で知ってるの……?」
「俺はさっき話してたよな? ヴァルハライザーの記事を発表しようとしたけど、中学生のいじめ自殺事件に隠されて発表できなかったって……」
「え、え……」
「なあ、お嬢ちゃん……お嬢ちゃんの名前って……」
「……うっ……」
「……佐部真凛……?」
ナヤートの目が大きく見開かれた。
「おっ……お嬢ちゃん、あんただったのか……⁉︎」
ナヤートのダガーの切っ先がゆらゆらし始めた。どうも、自分が何のためにダガーを持っているのか、わからなくなってきたかのような動きだった。
パンジャンドラムが叫んだ。
「マジ!?!?!?」
それからハルを向き、
「じゃっじゃっ、じゃあさ、じゃあさ! ハル、おまえが復讐してやったっていういじめられっ子って、この子!?!?!?」
ナヤートが呆然とした顔でパンジャンドラムを向いた。
「えっえっなっなに? ふくしゅ、えっ!?!?」
「そうなんだよ! あんたが殺されたのに自殺に見せかけたニュース見て、こいつブチギレでそのクソガキんちに乗り込んで、そいつも家族も全員ブッ殺したんだってよ! それで、そこから逃げる途中車に轢かれて……なあ⁉︎」
「あっあっちょっ、パンジャンドラム、やめてよ……」
何かが割れる音がした。
そちらを見やると、テーブルからリンゴの皿が落ちていた。
落ちた位置にはトンプソン。どうやらリンゴを取ろうとして落としてしまったらしい。
だが彼の顔は皿ではなくハルに向いている。
アールフォーさんが言った。
「あっあっ、あの、あのあの、ママ、マジノ、さん……」
「えっなな、何です?」
「その、あの、その復讐したっていう犯人の、あの、しゅ……出身地は……⁉︎」
「え……たしか香川県ですけど……」
「はっ、はっ、犯人の、のの、名前はっ⁉︎」
アールフォーさんはハルを見たままガタガタ震えている。
マジノは言った。
「あー……えーっとたしか……」
パンジャンドラムが先に答える。
「能登晴人だよね」
瞬間。
トンプソンとアールフォーさんが同時に叫んだ。
「まさかおまえ……晴人かっ!!!??」
「はる君っっっ!?!?!?」
そしてアールフォーさんはその場にブッ倒れた。




