第236話 マジノとトンプソン
人は間違った理由で結婚し、正しい理由で離婚する。
ー宮本美智子ー
「ありがとう」
アリー家別邸、2階のバルコニーから庭を眺めている時、パンジャンドラムはそう言った。
庭の芝生ではラリアとナヤートが鞠のようなものでバレーボールをして遊んでいる。片隅ではウォッチタワーがスクワットしているのも見える。
俺は木製の手すりに肘をついてそれらを眺めていたが、彼を振り向いた。
「何がだろう」
「……アーシェス……いやあの女の子のこと。ショートカットのさ」
パンジャンドラムは手すりに跳び乗って座った。
ショートカットの少女といえば、昔パンジャンドラムとモメたという少女のことか。コロシアムでブチのめして、今はたしか他の女たちと共に、第2騎士団が管轄する施設に放り込んでいるとツェモイ団長が言っていたのを思い出す。
「礼を言われるようなことをしたっけか」
「オレの代わりに殴ってくれたじゃん」
彼は邸宅の方を向いて座っていたが、背中越しに下を見下ろした。下ではナヤートがラリアにレシーブのやり方を教えているようだった。以前はバレー部ででもあったのだろうか。
「女を殴るなんていい気分じゃないでしょ」
俺はポケットからタバコを取り出した。アップルからもらった煙吹きで火をつける。タバコ嫌いの子供がスポーツに勤しんでいる間、離れたところで不健康なふるまい。まさに中年という感じだった。
「何も初めてじゃないさ。この世界にきてからという意味だが」
「ほんとはオレがやるべきだった。あいつらと離れたあと、いっそ戻ってブッ飛ばしてやろうかと思ったこともあったよ」
パンジャンドラムは宙を舞うボールを目で追っていた。俺は煙を眺めていた。
「……でもできなかったなぁ」
「それが君のいいところだ」
「殺されかけたのに許すことが?」
「君と俺が初めて会った時もそんな感じだったろう。それに」
煙を吐いて、
「たかが女のやることだ」
そう言った。
パンジャンドラムは肩をすくめて、
「あの時ヌルチートがあったら、たかがじゃすまなかったけどね」
そう応えた。
パンジャンドラムの顔を眺めやる。ボールを目で追う彼の表情は、穏やかなものに見えた。
「マジノの方はどうなんだろう? 彼もだいぶ追い詰められていたそうだが」
そう振ってみた。
あのコロシアムでの1件から日をまたいでいた。あれから保護したマジノと大統領をこのアリー家別邸まで連れてきて、それから1晩明かしたのだ。彼らはガリガリにやつれてはいたが、《ザ・サバイバー》のスキルを使い食事を摂ると、すぐに健康を取り戻してはいたが。
後ろから足音がした。
噂をすればなんとやら。振り返ってみるとマジノがいた。
「あの……ロス・アラモスさん……でよかったんだったか」
「そうだが」
「……昨日は本当にすまなかった。あんたに助けてもらえなかったら今頃……」
どうやらわざわざ挨拶にきたらしい。
昨日は完全に憔悴していたようなので、俺やウォッチタワーは彼とあまり喋らなかった。それにマジノと大統領はアレクシスやツェモイにかなり怯えていたので、ずっとパンジャンドラムと、ヤマト皇太子が付き添ってやっていたのを思い出す。皇太子は今、本邸の方でアリー夫妻と話でもしているらしかったが。
俺は言った。
「俺はたいしたことはしていない。ほとんどみんながやったことだ」
「けど、あんたが俺と……ペリノアドの大統領を助けられるよう力を貸してくれと頼んできたって、この国の皇太子に教えてもらった」
「俺も人に頼まれていたからそうしただけだ。それに今回はびっくりするほどたいへんイージーだった。あらたまって何かを言うほどのことじゃない」
庭を見下ろした。トスしようと手を上げたラリアの頭にボールがぶつかった。ナヤートが走り寄って頭を撫でている。セットの小休憩なのか突っ立っているウォッチタワー。邸宅を囲む林の木陰で、アールフォーさんとグスタフがイチャついているのが見えた。
「パンジャンドラムも……ごめん。俺、おまえのこと……」
「いいんだよ。もう昔のことじゃん」
手と手を絡め合い、見つめ合う2人のエルフ。笑い合っていた。庭のみんなからは生垣の陰で隠れているつもりなのだろうが、2階からはよく見えていた。
「けど……出ていけって言ったのは俺だ。俺なんだ」
「えーそうだっけー。覚えてないわ」
「俺……どうかしてたんだ。あいつらの誰かを、おまえに取られるんじゃないかって思って……」
「まさか。ゴブリンのオレがか?」
「おまえ、いい奴だから……」
「まあね。そこら辺はちょっと自信あるけどね。でも結局人生なんて顔じゃない?」
「よせよ。おまえ絶対前世ではモテてたろ? 友達とか多そうだよ。その点俺ときたら全然だったからな……この世界へきて、つい舞い上がっちまって……」
俺は靴の裏でタバコを消すと吸い殻をポケットに入れ、2人が喋る声を背中に聞きながら屋敷へ入った。
階段を降りてリビングを通りかかると、ソファに大統領が座っているのが目に入った。
白髪をオールバックにした、前髪に悪そうなヘアスタイルの彼は背もたれに深く背中をあずけ、ぼんやりと虚空を見つめていたが、俺に気づいたのか立ち上がった。
「あっ、ロスさん……」
「楽にしていてくれ。俺の家じゃないから遠慮することはない」
「はあ……」
彼は少しそわそわした様子で立っていたが、やがてまたソファへ座り込んだ。
俺は庭へ出るためリビングを横切ろうしたが、呼び止められた。
「あの……彼女たちはどうなるんでしょう?」
ソファのそばを通ろうとした俺を見上げた大統領。
いや、元大統領か。覇気のない顔。
彼女たち、というのは彼のハーレムのことだろう。
「トンプソンさん」
俺は彼の名を呼んだ。
「あんたとマジノの取り巻きの女は、仲間のアールフォーさんがあなたたちの記憶を消去したあと、自分の国に強制送還されるだろう。あんたはもう自由だ」
そういう手はずになっていた。
パンジャンドラムとマジノが決裂する要因となったアーシェスとかいうショートカットの少女。彼女はヌルチートを手に入れる前から、ちょいとヤバげな女の子だったようだ。
ヌルチートを奪われたあとでも自分が何も悪いことをしていないかのような口ぶりだったので、この先も面倒を引き起こしかねない雰囲気があった。
だからひとまとめにしておいて、あとでアールフォーさんと一緒に監禁場所を訪ねるつもりではいるが。
大統領……トンプソン氏は、ぼんやりと虚ろな目で空間を見つめている。
「まだ未練でも? たしかにみんな美女ばかりだった」
「えっ⁉︎ い、いやまさか!」
トンプソンは弾かれたように顔を上げると、
「も、もうこりごりですよ、あんなこと……私はただ、わけもわからずこの世界で生まれ、たまたま王が圧政を敷いていたのを見かねたレジスタンスに担ぎ上げられて、政権を交代させただけで……私を支えてくれた女性たちに押し切られる形で結婚することになったというだけ……」
それでも彼は遠い目をして、こう呟いた。
「……はじめは……みんないい子だったんですが……」
既婚者はある時期からみんなそう言い始める。
俺は言おうとした言葉を呑み込んだ。そもそもどちらの世界においても既婚者でもなんでもないロス・アラモスが言っても知ったかぶりにしかならないだろう。
そのかわりにこう言った。
「いずれ完全に縁が切れる」
「はあ……」
「この世界から脱出する方法があるらしい。あんたたちをハルに呼びにいかせたのはその件だ」
「ほ……本当にそんな方法が?」
「それについてはアレクシスがこっちにきてからあらためて話すことになるな」
ちょうど、石畳をゴロゴロと転がる音が聞こえてきた。
馬車の車輪の音だ。
噂をすればなんとやら。
アレクシスが本邸からやってきたようだった。
やはりアーシェスちゃんはなろうの掟に従いざまぁされるしかないのか……?




