第233話 荒井枢
アレックス・アリーという女は、本当はアレクシス・アライドというらしい。彼女の諱だ。
彼女、ではなく彼らしい。
アレクシスは前世で、30歳の男性だった。
本名は荒井枢。
彼が死んだのは日本。春のことだったが、意識が戻った時には冬のオルタネティカにいた。暖炉のそばで積み木を積んでいた時、自分が誰なのか思い出したそうだ。
彼は当初夢だと思っていた。
幼い自分が豪勢な女の子用のドレスを着せられて、両親に見守られながら積み木遊びをしていることは、ほんの一瞬のことなのだろうとその時考えていた。
母……アリー家の夫人のことだが、母に呼ばれた。
日本に両親がいるはずなのに、なぜだか夫人を自分の母だと認識していた。それがなお一層、これが夢だという感覚を覚えさせたらしい。
夫人はアレクシスに膝に乗るように言い、素直にそうした彼に絵本を読み聞かせた。
絵本仕立てにしたカシアノーラ大陸の歴史だった。
昔々あるところにから始まり、ヒューマンを導く三賢者とエクストリーム・エルフの大戦争へと続き、めでたしめでたしで終わる類いの物語。
母たる夫人の声を聞きながら、アレクシスはだんだんそわそわした気持ちになっていったという。
気づいたからだ。
「これは夢じゃないんだと」
彼女はそう言った。
アリー家別邸のリビング。
俺、パンジャンドラム、ウォッチタワー。それにアールフォーさん。それぞれソファに腰掛けて、アレクシスの話を聞いていた。
ダークエルフのナヤートもいるが、彼女は部屋の隅っこに椅子を持っていって、その上にあぐらをかいて座っている。
ナヤートの腕の中にはディフォルメ化したラリア。ずっと離さないのだ。
しかもそれだけではない。ナヤートのそばにはディフォルメ化したホッグス少佐もいた。
ナヤートとブラックホールの一件のあと、アレクシスは無実であることが証明され、邸宅へ帰ることが許された。ナヤートも共にここへくることになったが、彼女は小さなラリアと小さなホッグスから離れたがらなかった。
俺たちの向かいに座っているアレクシス。
その後ろには第2騎士団の団長ツェモイが立っている。
少し離れたところにある椅子にはヤマト皇太子がいる。当初彼はアレクシスの隣りに座ろうとしたが、ビクッとされたのでそこに座っている。
そしてアレクシスは言った。
「ここはヴァルハライザーの中に違いない、と」
俺の位置からは、向かい側にいるツェモイと皇太子の顔がよく見えた。
皇太子は首をかしげていた。だがツェモイはアレクシスを見下ろして、言った。
「ヴァルハライザー……?」
それから俺を振り向く。
「たしか、ガスンバで妖精王のスピットファイアもその名を口にしていなかったか?」
俺はホッグス少佐に目をやった。ホッグスもうなずいている。
ツェモイとホッグスはたしかにガスンバで、スピットファイアがヴァルハライザーなる単語を発したのを聞いていた。
俺やパンジャンドラムのような転生者は、あのあとに改めてスピットファイアと話す機会があった。その時スピットファイアは、『偽物のあの世、ヴァルハライザーの世界』というようなことを話していたが……。
「なあアレックス。何だよそのヴァルなんとかって……?」
そう言ったのは皇太子。
「あの……」アールフォーさんも言った。「私も気になります。アレクシスさん……でよろしいんですっけ?」
「ええ、構いません」
「今アレクシスさんは、ここがヴァルハライザーの中って言ったみたいですけど……」
アレクシスは皇太子を振り返った。
しばらく彼のことを見つめていたがやがて、
「畏れながら殿下」
「なに?」
「席を外していただけないでしょうか」
「俺の前じゃ言えない話か」
「そうです。それにツェモイ団長と、ホッグス少佐も」
ヤマト皇太子もまた、アレクシスをじっと見つめていた。だが彼女がそれ以上何も言わなかったためか、ため息をついて椅子から立ち上がる。
「じゃあエルフのグスタフさんとお喋りしてくるわ。あのイケメンと」
皇太子は俺の方を見ながらそう言い、リビングを出ていく。アールフォーさんは首をかしげていた。
その後ろにツェモイも続いた。ホッグスは1度ナヤート手をぎゅっと握ってから、自分も部屋の外へ向かった。
3人が去り、扉が閉められるのをアレクシスは見ていた。
閉じきった時、俺は言った。
「……それで? ヴァルハライザーというのは何なんだろう?」
パンジャンドラムも言った。
「いい加減はっきりして欲しいよねその辺。ぼかしにぼかされてきて、なんかもう伏線回収が遅すぎて読者が伏線自体忘れちゃってる大長編の漫画みたいだよ」
ウォッチタワーが言った。
「つってもおれらがガスンバを出てから2週間も経ってねえんじゃねえか? 週刊連載で言ったら2話ぐらいだろ」
「リアル時間と作中時間は違うでしょ」
「あの、お2人とも、アレクシスさんのお話を黙って聞きましょうよ……」
アレクシスが咳払いをした。
「……アラモスさんたちはヴァルハライザーという名を聞いたことがあるんですね?」
「ああ。スピットファイアから聞いた。正確にはスピットファイアの姿をした、日本人のようだったが」
「どのような人物だったんですか?」
「吐院火奈太という名だそうだ。男の子……子供の声だった」
アレクシスは目を見開いた。
「吐院火奈太……! そう言ったんですか⁉︎」
「……ああ。彼が、このヴァルハライザーの世界から出ろ、と」
「そうだよ。だからオレたち、このオルタネティカ帝国からゴースラント大陸へいくところだったんだ。そこから日本へ帰れるって言われたんだ」
「転生者がいるってことも聞いた、帝国に。それがあんただったってわけさ」
俺はアレクシスが頬に手を当て考え込んでいる様子を眺めていた。それから言った。
「……君はヴァルハライザーだけでなく、吐院火奈太の名にも心当たりがあるようだな」
彼女はまだ、うつむいて考え込んでいる。ラリアの方を振り返ってみると、ナヤートの腕の中で眠っていた。ナヤートは赤い瞳をアレクシスに向けている。
そのアレクシスはため息をついた。
「……本来は国家機密だったのですが……」
やっとひねり出された言葉。俺は尋ねた。
「オルタネティカのか?」
「いえ。日本のです。本当は民間人に話すようなことではないのですが仕方ありません」
「待て。君は何者なんだろう?」
アレクシスは言った。
「私? 私は経済産業省の官僚です。……でした」
パンジャンドラムとウォッチタワーが顔を見合わせていた。アールフォーさんは感嘆めいた声を漏らした。
「こんな状況です。お話ししましょう。ヴァルハライザーとは、吐院火奈太君が作った画期的な生体コンピューターのことです」




