第231話 グレートジャーニー ※
「おい! その子を捕まえていろ! その子を中心にハーレムを作るんだ!」
「愚かな……友よ、そんなことをして何になる……? ただ己の肉体の欲望に流され、作られた人形であることも気づかぬまま日々を過ごすだけのことを……」
4人の衛兵が見上げるなか、ブラックホール衛兵は悲しみに満ちつつも慈悲深い表情で佇んでいた。
「どうしちまったんだ⁉︎ おまえさっきまであんなに褐色美少女ペロペロとか言ってたじゃないか! あの頃のおまえに戻ってくれよ!」
「友よ聞くがいい……私は永劫の中にいた。もはや刻の感覚もなかった……そしてたしかに当初私は、おまえたちのように褐色巨乳美少女の健康的肉体のことのみを考え、闇の中心に向かい流れゆく光の川の中を泳いでいた……」
隣りにへたり込んでいたナヤートは、『褐色巨乳美少女の健康的肉体』のくだりでヒッと声を漏らしていた。
「永かった……孤独であった……。私はただひたぶるに両手足を動かしながら、次第になぜ私はこうしているのだろうと考え始めた。なぜ私は泳ぐのか。私はどこにいるのか? 私とは何か?
「実存とは何であろうか? 泳ぐから私なのか? 私だから泳いでいるのか? ある時点から、私はその答えを追い求めるために泳ぎ始めた……。
「答えは出なかった。はじめから答えなどなかったのかも知れぬ。ある時期から私はついに考えることをやめた。ただただ無目的に、無感情に、手足を動かすことのみに専念した。
「やがて私は、自らの暗闇の内に落ち込んでいった。不思議な感覚であった。私はそこにいるのに、私を認識することができない。頭が、体が、その活動をやめてしまったかのようであった。私はたしかにそこにいるのに、手足は動いているのに、私という概念は停止していて、どこにもないのだ。
「そうしてどのぐらいの刻が経ったであろうか。いやもはや時間の概念など意味をなさぬ。とにかく私の頭の中にまばゆい光が差し込んだのだ。それはまったくの唐突にであった。
「その時……私はなぜだか、この宇宙の全てを理解したような心持ちになった……全ては無。全ては空。世界はただの図式であり、仕組みなのだ。ただ始まっては終わるのを繰り返すだけ。広がっては縮み、縮んでは広がる。その繰り返しだ。
「そしてそんな宇宙が、気の遠くなるような広大な空間に無数に広がっているのだ……ひとつやふたつでは利かぬ……それこそ砂浜の砂粒のごとく……友よ君にはわからないだろう、我々がいるこの世界とて、その砂のひと粒に過ぎないのだ…………」
地上の衛兵の1人が言った。
「あのぅ、その話いつまで続くんです?」
ブラックホール衛兵はその空気の読めない発言に嫌な顔ひとつもせず、
「友よ。今おまえが褐色巨乳美少女に抱いている感情はしょせんかりそめのものに過ぎぬということだ。今すぐそのヤモリを捨てなさい。深淵を旅した私にはわかった。そのヤモリは我々を我々以外のものにしてしまう。我々は初めから我々ではなかったが、そのヤモリはそんな我々をもっと別の何かに変えてしまう」
地上の衛兵4人はそれぞれ顔を見合わせた。
そして、
「な、何言ってるんだよ……! このヤモリがなきゃ転生者を捕まえられない……!」
「喝! その思考こそがおまえがおまえでないことの証拠なのだ! 友よ、原初に立ち還れ!」
「ちょっと何言ってるかわかんないです……いいからその子をこっちに渡せよ!」
「ならぬ」
「なにっ」
ブラックホール衛兵はナヤートを見下ろした。
ナヤートは視線を受けて身を固くしたが、逃げようとはしなかった。
呆然とした様子で見上げていた。
それはブラックホール衛兵の瞳が、まるで聖者のように穏やかだったせいか。
彼は彼女から視線を逸らし地上の衛兵に向き直る。
「この少女はもうひとつの宇宙へと帰らねばならぬ……そしてそこにいる……」
俺たちの方を指差し、
「彼らも。本来ここにいるべき者ではなかったのだ。私にはわかる。見える」
俺とウォッチタワー、アールフォーさんは顔を見合わせた。転生者ではないがラリアも。
転生者という概念はこの異世界でも周知の事実だ。衛兵たちだって俺たちが何者なのか知っているからここでモメている。
ただ、帰る必要があると言う。
ここにいるべきではないと。
あたかもこの異世界にきたことが間違いであるかのように。
ウォッチタワーが囁いた。
「あ、あいつ……何を見たんだ……?」
だが俺が答える前に、地上の衛兵が叫んだ。
「わけのわからないこと言ってるんじゃない! 要するになにか、おまえはその子を逃すって言うのか!」
「左様……」
「じゃあ……おまえは俺たちの敵ってわけだな……!」
衛兵たちは剣を上へ向けた。
「ならおまえを倒してからその子を捕まえるだけだ……!」
仲間にためらいなく剣を向けた衛兵たち。やはり正常ではない。
しかし剣を向けられた方のブラックホール衛兵は静かに首を振った。
「無益な……」
「問答無用ッ!」
《衛兵ABCDはハイジャンプのスキルを発動しています》
兵たちは跳び上がり、まるで猿のように素早く足場を登っていく。
「ロッさん、やべえ!」
「ああ。ラリア、頼む!」
「はいです!」
俺がラリアを投擲する構えを取った時、兵たちはすでに足場の両側からブラックホール衛兵とナヤートを挟み討ちする形を取っていた。
《ツープラトンのスキルを発ど……》
一斉に斬りかかった衛兵たち。
しかし……。
《ブラックホール衛兵のレベルがアップしています》
「是非もなし……!」
《ブラックホール衛兵は剣聖・剣禅一如のスキルを開眼しました》
ブラックホール衛兵の腰間から光芒が光出た。
腰に吊るした剣を抜いたのだ。しかしその抜剣は煌めく日の光を反射しただけで剣身は見えなかった。
他の衛兵たちは、彼に斬りかかろうとする体勢のまま静止していた。
ブラックホール衛兵は右手に持った剣をダラリと下げ自然体。どこを見るともない、虚空を見つめる目をして立っている。
襲った衛兵たちのうち3人が倒れ伏した。
血がでないところを看ると峰打ちらしいが、いつの間にか打たれていたのだ。
1人だけ、かろうじて踏ん張っていた兵がいる。ナヤートがブラックホールを発現していた時、覚醒していた兵だ。そいつは剣を振り上げ止まったまま、震える声で言った。
「な……なぜおまえは……ヤモリの声が聞こえない……⁉︎」
「……たとえ魔性の獣に囁かれようと我が心は不動……」
それを最後に、兵は剣を取り落とし倒れた。
俺はラリアを投げようと振りかぶった姿勢のまま、これをどうするべきか考えていた。
ブラックホール衛兵はナヤートを見下ろした。
そして手を伸ばす。
「ひっ……!」
《ナヤートは剣聖・二天一流を発動しています》
どこから取り出したものか、彼女はダガーのような短剣をふた振り抜いた。それで身を守ろうとしたが……。
《ブラックホール衛兵は剣聖・ムトウドリのスキルを発動しています》
素早くいなされ、鮮やかに転がされた。ブラックホール衛兵はそのままの勢いでナヤートを抱え上げた。お姫様抱っこだった。
そのまま足場から飛び降りて、ナヤートを地に立たせた。
そして俺たちの方を指差す。
「いきなさい。あの者たちは大丈夫だ。お主を傷つけたりはせぬ……」
「え……」
「あの者たちがお主を守り、導いてくれよう……お主のふるさとまで」
「ふる……さと……?」
ブラックホール衛兵は、何やら悲しげな眼差しをナヤートに向けたまま言った。
「拙者にはわかっている……お主があの場所を憎んでいるということ……お主は傷ついて、ここへきた……」
「う……?」
「だがもうここにはおられぬ。帰らねばならぬ。おいきなさい……」
彼はナヤートの背を押した。俺たちの方へ。
ナヤート自身は数歩歩いて立ち止まり、俺たちと兵を振り返るようにして見比べていた。だが兵がうなずくと、こちらの方へ歩いてきた。
ブラックホール衛兵は俺たちの方を見ていた。ナヤートが俺たちの前まできたのを目を細めて見守っていたが、やがて背中のヌルチートをむしり取る。
地面に投げ捨てると剣を抜いて突き刺した。地面ごと貫いていた。
そして彼は剣から手を離した。
俺はアールフォーさんに言った。
「ナヤートを頼む」
「え? は、はい……」
俺はブラックホール衛兵のところへ歩み寄った。彼は消えゆくヌルチートを眺めていたが、俺が近づくと顔を上げた。
俺は尋ねた。
「……あんたは何を知っている? ブラックホールの中で何を見た」
ブラックホール衛兵は穏やかな視線を俺に向けていた。だがその目を背け首を横に振る。
「ほとんど、全てだ。拙者には見えた。お主の国で行なわれた陰謀。争い。それによる死と、転生……」
「何だと? どういうことだ」
「言ってもせんなきこと。お主らはいずれその全てを知ることになる。答えはゴースラント大陸に眠っているからだ」
「待ってくれ、あんたはいったいどうなってしまったんだ? 死と転生と言ったな。俺たちの国のことも……」
「言ったであろう、全てが見えた。見えてしまったのだ。あそこにおる者たちの死にまつわる、悲しき過去も……」
彼はナヤートと……そのそばにいるアールフォーさんを見つめ。
「特に、あの女子2人はな」
ブラックホール衛兵の顔を俺は黙って眺めていた。
転生者の過去を見た? ナヤートとアールフォーさんの前世を知っているということだろうか? だが俺が何かを尋ねる前に衛兵は俺を見て言った。
「お主だけは見えぬな。お主がなぜここにいるのかはわからぬ」
「……何?」
「転生者はここに送られるべきではなかったが、だがここにくる手筈になっていた。しかしお主だけは違う」
ブラックホール衛兵は俺に背を向け歩き出す。
俺はその背中に言った。
「……剣を忘れているぞ」
彼は振り返ることもなく、
「拙者にはもはや無用。ただいたずらに傷つけるだけの物など……」
仲間の兵もほったらかしにして歩き去る彼はさらに呟く。
「我らは正しき命ではなかった。なれば今さら奪う意味もなし……」
通りに砂塵が舞っていた。ナヤートが壊した建物の埃が、さらに砂の幕を濃くしていた。その幕に何か悟りを開いたらしいブラックホール衛兵の姿が消えていく。
砂塵の向こうから呟きが聞こえた。
「しょせんこの世は全て空…………」
風が吹き砂塵が晴れた時。
もうそこに深淵を覗いた兵士の姿はなかった。スラムのくすんだ建物が並ぶ景色が、乾きと共に雑然としてあるだけ。
背後から声が聞こえた。
パンジャンドラムの声だった。
「うわっ、何だこりゃ⁉︎ 何があったの……?」
振り返ると、パンジャンドラムが建物の角を曲がってこちらへ走ってくるところだった。
1人だった。
「奴隷商人はどうしたんだろう? 君が追っていたはずだが……」
「ああ……ごめん! 見失った……」
「ドラムさんよ」ウォッチタワーが言った。「虫人間がいたけどよ、そいつらは?」
「それがさあ。商人を捕まえてた虫人間の羽根を撃ち抜いたまではよかったんだけど、商人がそこからどっかに逃げようとしたんだよね。挙げ句の果てにあのおっさん、《シャドウ・ウィンドウ》使いやがってさ……」
パンジャンドラムは俺の顔を見上げた。
聞いたことのあるスキル名だった。《シャドウ・ウィンドウ》。サッカレー王国で出会ったキリーという少女が得意としていたスキルだ。影の中に潜って身を隠す、ある種のワープスキル。
「奴がそれを使ったのか?」
「うん……あれって遠くまではいけないじゃん? だから虫を片付けたあと結構探したんだけど、見つからなくって……」
俺は左腕に捕まっているラリアを見下ろした。心なしか残念そうな顔をしているようにも見える。
次に、ナヤートを振り返った。
彼女はまだ両手にダガーを握りしめていて、ややうつむき加減にしながら俺たちをそれぞれに、チラチラ睨んでいる。
アールフォーさんが彼女に寄り添おうとしていたが、近づくと向こうは1歩下がる。
助けを求めるように俺の方を見たアールフォーさん。
その時、ぐう、と音がした。
ラリアの腹が鳴った音だった。
俺は言った。
「……とりあえず飯にしよう。話はそれからだ」
ちょっとわかりにくいですが、画像は二天一流正眼の構えです。




