第230話 マッスルプラネット
《重力上昇中》
「お、おいまずいぜロッさん! どうするんだ⁉︎」
「どうすると言われてもな……」
俺の足もかなり滑っていた。滑りすぎて尻餅をつく。すでに転倒していたアールフォーさんを捕まえていたウォッチタワーもだ。
宙に浮いている衛兵はぐんぐん吸い込まれていく。
「あれ、中に飲み込まれたらどうなるんですか⁉︎」
アールフォーさんがそう叫んだ。世界中の人間が、ロス・アラモスは森羅万象の全てを知り尽くしている賢者だと思っているらしい。
「そんなことはわからない。時間の流れが遅くなり、中心に向かって永遠に落ち込んでいくというような話を聞いたことはあるが……」
「し、死んじゃうんですか⁉︎」
「だからわからない。あくまでも物理学者の予想であって……」
そうこうしているうちにも衛兵はブラックホールへ近づいていく。
「ウォッチタワー、君の固有スキルで何とかならないか?」
「何をどうするってんだい」
「あの中に突っ込んでいって、ナヤートを連れてホワイトホールから出てくるとか……」
「ホワイトホール? 何だいそりゃあ……」
「ブラックホールに入ると、ホワイトホールから出てくるという噂を聞いたことがある」
「そんなのがあるのかい⁉︎」
「実際にはない。ブラックホールはただの重力が強い星だ。最終的にはただ星に着地することになる」
「じゃ、じゃダメじゃねえか!」
「君のスキルは物理法則を捻じ曲げるからイケるんじゃないか?」
「ま、魔法使いじゃねえぞおれぁ!」
不毛な会話を遮ってアールフォーさんが叫んだ。
「ああっ! ダメ……!」
声に振り向いた。ブラックホールの方向。
ついに衛兵がブラックホールに接近した。
残酷なことに、その瞬間彼は目が覚めた。自分が宙に浮いているのに気づいたのか辺りを見回しつつ手足をバタバタさせ、
「助けてくれー!」
そう叫んでいる。背中のヌルチートももがいていた。
そして……。
彼の体は長く伸び始めた。
徐々に徐々に、引き伸ばされた写真のように。
「げえっ……何じゃありゃ……」
「ひっ……」
「……光が重力で遅れているんだ。ブラックホールに人間が入るとあんな風に見えるらしい」
そう。もう衛兵はブラックホールに突っ込んでいた。彼は俺たちが見守るなかブラックホールに落ち込みつつどんどんグニャグニャと伸び、やがて……静止した。
完全に動きが止まってしまった。
ブラックホールの表面付近で、間延びした衛兵とヌルチートがピタリと静止している。
「ロ、ロッさん、あれは……⁉︎」
「どうなっちゃったんですか⁉︎」
「動かないですよマスター!」
「ええと……完全にブラックホールに捕まったんだ。ブラックホールの重力はある地点を超えると、完全に光が脱出できなくなる。だからあの衛兵に反射してる光が俺たちに見えなくなったんだ」
「でもあそこにいるぜ⁉︎」
「あれは過去の光だ。光があの辺りで止まっている。それで見えてるように見えているだけだ。だからあの兵士はもうブラックホールの奥へいってしまった……」
アールフォーさんが振り向く。
「じゃ、じゃああの人は……⁉︎」
俺は答えた。
「……助ける方法がない。ナヤートがスキルを解除しない限り……」
アールフォーさんの顔は蒼白となっていた。
どうやら俺たちの話を聞いていたらしい、目覚めている衛兵も、同じような顔をしていた。
そいつが言った。
「な、なあ! 何とかしてくれ! あいつを助けてくれよぉ! 何とか引っ張り出せないのか⁉︎」
「無理だ……ブラックホールの重力を超えるエネルギーはない。第一あったとしても、そんな力で重力に逆らえば彼の体が潰れてしまう……!」
衛兵は泣きそうな顔になった。だが俺もどうしてやりようもない。ナヤートの繰り出す重力の暴虐を、指を咥えて見ているしかなかった。
《重力上昇中》
さらに強まった。
周囲の建物の窓ガラスが割れ、吸い込まれていく。ただでさえボロボロの外壁の塗料も剥がれていく。
目覚めていた方の衛兵も激しく引きずられ始めた。
「う、うわー! 嫌だあー!」
地面に爪を立てていたが虚しい抵抗だった。
他人の心配をしている場合ではない。俺たちももうこの場にとどまることができなくなっていた。
その時ウォッチタワーが叫んだ。
「いや待てよ……おれにいい考えがある!」
俺たちは彼を振り返った。
「どうするんだろう?」
「おれだって科学の知識ぐらいあるぜ! たしか聞いたことあるよ、物質はすげえ速さで動くと、重さが重くなるってよ!」
唐突に何の話を口走っているのかと一瞬考えたが……。
「……相対性理論か?」
「えーっと……そ、そう! その、なんちゃら理論!」
物質の重量は一定ではなく、速度が上がると重量も増加するという理論だが……。
「ブラックホールってのは要するに、メッチャ重い星ってことだろ? だったら、もう1個重てえ星を作れば重力はトントンになるんじゃねえか⁉︎」
「かも知れないが……その星はどこにあるんだろう?」
「ここにあるぜ!」
ウォッチタワーは自分自身を親指で差した。
「要はおれが高速で動き回れば、おれの体重が増える! そうなりゃもうひとつブラックホールができて、重力を打ち消せるッッ!!!」
「落ち着いて。パニックにならないでくれ、こっちまで気が変になる」
だがウォッチタワーは早くも行動を開始した。
まずは這っていってブラックホールから遠ざかると立ち上がった。
そして……。
「フンフンフン!!!」
ヒンズースクワットを開始した。
「あの、ロスさん……あの人何やって……」
「よしてくれ、俺は何でも知ってる仙人じゃない」
気が狂ったんだろう以外の何の答えもない。
だが……意外なことに。まったく意外なことに、ウォッチタワーは正気だった。
《ウォッチタワーはエッグ・ロジックを発動しています》
「フンフンフン!!!」
スクワットを続けるウォッチタワー。
《さすがに論理的に無理があります》
「フンフンフン!!!」
《したがって、5回分のエッグ・ロジックを全て消費します》
何とウォッチタワーの姿が暗闇に包まれ始めた。
暗黒スクワットである。
そして俺たちを引きずるナヤートの重力が弱まり始めた。
「えっほんとに⁉︎」
動揺を隠せていないアールフォーさん。
ウォッチタワーは雄叫びをあげる。
「筋肉は!!! 裏切らないッ!!! 筋肉!!! 筋肉!!!」
何度も繰り返される超重力スクワット。今やウォッチタワーは完全に宇宙の暗闇に消えた。まさに筋肉の暗黒地点。宇宙筋肉。スペースマッスルである。
重力は相殺され、俺たちの牽引は止まった。どう考えるべきかはわからない。とにかく重力は相殺された。考えるなロス・アラモス。
俺はナヤートのブラックホールを振り返った。
グニャグニャに伸びた衛兵。その伸びた姿が、元の寸法に戻り始めていた。
光が本来の動きを取り戻しているのだ。このままいけば、彼はブラックホールの底にたどり着かずに済む。
アールフォーさんが言った。
「えっと……待ってください! あの人の姿があんな風に見えるってことは……ナヤートちゃんの姿も見えちゃうってことじゃ……?」
「……何だと?」
「だって、そうじゃありませんか⁉︎ 光が外に出られないから兵士さんは長く伸びてて、ナヤートちゃんは見えなくて……でも光が出てきてるってことは……」
……それもそうだ。
ナヤートを視認できないのは彼女の光が重力に捕まっていたからであって……。
ところで、ブラックホールに捕まった衛兵。
今までは長く伸びたまま静止した姿、つまり黒球の奥へいき本当の姿が見えなくなっていた彼だったが……今重力が相殺されたことにより、内側で何をやっているのかが見えるようになっていた。
泳いでいた。
向こう側。つまりブラックホールの奥へ向かって、クロールで泳いでいる。
「……あの人、何やって……?」
アールフォーさんが呟いたその時。
《不正な妨害が行なわれています。ナヤートはスキルを発動できません》
唐突にブラックホールが消滅した。
同時に俺たちは、今度はウォッチタワーのマッスルホールに吸い込まれる。
「ウォッチタワー! スクワットをやめろ!!!」
解除はすぐに行なわれた。暗闇が晴れ、中から汗だくのオークが姿を現わす。俺とアールフォーさんは慣性によりウォッチタワーにぶつかった。
「聞こえてたのか……」
「おう……ぜえ……ぜえ……おれはブラックホールの奥底を見た……! はあ、はあ……宇宙の深淵を……!」
それがどんな気分だったのかは今は置いておこう。俺たちは立ち上がりナヤートの方を振り返った。
「いやっ! いや! こないでぇっ! 見ないでぇぇ……!」
バキバキにひん曲がった建物と足場の上で、ナヤートは頭を抱えてうずくまっていた。
そのそばに立つ衛兵。背中のヌルチートはナヤートを見下ろしている。
あの男、ブラックホールの底までいき、ナヤートを視認したらしい。そのために泳いでいたのだ。
「やった! 捕まえたぞっ!」
最初から目を覚ましていた、地面の衛兵が叫んだ。
それだけではない。気絶していた他の3人の衛兵たちも、頭を振りながら起き上がろうとしていた。
彼らのヌルチートも目を覚ましていた。
「よし相棒! その子を捕まえといてくれ! 俺たちは男の方をとりあえず逮捕して、それからエルフのスレンダー美女の方を……」
ウォッチタワーが呟いた。
「……ロッさん。こっからが本番なのかい?」
「……やれやれ。そのようだな」
俺の左腕、上腕にぶら下がっていたラリアが、前腕まで降りた。
投擲の態勢だ。
衛兵たちは立ち上がり腰の剣を抜いた。俺たちを取り囲もうと、道に散開する。
しかしここでだ。
上からおごそかな声が響いた。
「友よ……やめるのです……」
俺たちは一斉に振り仰いだ。
そこには、ナヤートのそばに立つ、ブラックホールから生還した衛兵がいる。彼は右の手のひらをこちら(誰にともなく)向けている。
そしてその表情は何か妙に穏やかで、悲しげだった。
「やめるのです。争いは何も生みません。双方闘気を収めるのです……」
下の衛兵がいった。
「お、おい、何言ってるんだ! その子とスレンダー美女を捕まえて、俺たちはハーレムに……」
ブラックホール衛兵はゆっくりと首を横に振る。
「虚しいことです。悠久の時の流れの前に、そのようなこと何の意味がありましょう……」
彼の顔はただただ穏やかだった。俺は何となく、日本のお寺にある仏像を連想した。
「……ロッさん。あいつどうしちまったんだ……?」
「あのヤモリを背負ってると、変態になるんですよね? でもあの人ナヤートちゃんに触ってもいませんよ……?」
背後からウォッチタワーとアールフォーさんが囁いた。
少し考えて……何でも知っているロス・アラモスは答えた。
「…………ブラックホールに飲み込まれた者は……時間の感覚がなくなると聞いたことがある……。体感として得られる時間はもはや永遠に近いと……。奴はあのブラックホールの中で、長い時間を過ごしていたのでは……?」
「つ、つまり……」
俺は言った。
「……あいつ……悟りを開いたのかも知れん……」
「ええ……」
「マジかぁ……」
衛兵は足場の上で、穏やかに微笑んでいた。




