第228話 銀河の墓
外付けの階段は建物からもぎ取れた。手すりも段もバラバラの木片へと分解されていく。
3階から投げ出された俺たちはスキルを発動することでかろうじて地面に着地。
だが引っ張られているのは変わらなかった。それは速いスピードではなかったが、俺たちの体は右へ折れる路地の方へと引きずられていた。地に落ちた階段の破片も、ズルズルと路地へ転がっていく。
「何なんだ⁉︎ こりゃ何が起こってるんだ⁉︎」
ウォッチタワーが叫ぶなか、俺は引きずられているというより、落ちているようだと感じていた。体が前方へと。正確に言えば路地の方へ。落下する感覚に似ていた。
ナヤートが何かのスキルを発動したのだ。どんなスキルなのだろうか。俺は《スキルアナライザー》に集中しようとしたが……。
暗く見える周囲が一段と暗くなった。
いや、今度は周りが暗くなったのではない。
ボヤけている。目がよく見えない。
頭も重かった。まるで立ちくらみのような倦怠感と、ブラックアウトしていく視界。
《大気濃度減少中》
《ギャラクシーグレイヴの説明を聞きますか? Yes or No?》
Yes…………。
『《ギャラクシーグレイヴ》は超重力を発生させ、周囲の空気を吸い込んでしまう能力だぞ! 《ドラゴンウォール》に身を隠すエンシェントドラゴンだって呼吸ぐらいする! その呼吸するための空気を全て盗んでしまい、酸欠にしてあの世へ送るんだ!』
空気を吸い込む……? ではこの倦怠感はまさか、酸素欠乏……このままでは……。
《アールフォーさんはマザー・Oを発動しています》
背後を振り返った。
アールフォーさんが地面に尻餅をついて体を支えていたが、彼女の周りに砂埃が巻き上がっている。
風が吹いているのだ。
《アールフォーさんが酸素を発生中》
その風は俺とウォッチタワーの体も包み込んだ。
とたんに倦怠感が薄れ、視界がはっきりしてきた。暗いのは相変わらずだったが、焦点が定まらないような感覚はなくなった。
アールフォーさんが言った。
「うまくいった……! 本当はこのスキルでエンシェントドラゴンをやっつけたんですけど……!」
『《マザー・O》は酸素である"O”を発生させるスキルだぞ! 酸素のOが3つ合わさると、生物には非常に有害な毒素になる! ひと口吸い込めば細胞を破壊され地獄行き! 《ドラゴンウォール》に身を隠すエンシェントドラゴンだって呼吸ぐらいする! 息を吸えば死ぬ! 息を止めても死ぬ! どっちにしろ死ぬ! 死ぬ!!!』
ナヤートの《ギャラクシーグレイヴ》で吸い取られ減少した空気の代わりに、アールフォーさんが《マザー・O》で新しい空気を作ったということか。
しかし空気には酸素だけでなく二酸化炭素や窒素も含まれていたような気がするが、それはどうしたのだろうか。
『細けえことはいいンだよーッ! 命が助かったことを喜ンだらどうなンだよーッ! 転生者はーッ! なンでもできるンだよーッ!』
…………何かどこかで聞いたことのあるような感覚がした。《スキルアナライザー》は声というよりは閃きに近いのだが、今回ばかりは聞き覚えのあるイントネーションだったような気がする。
まあいい。
「ロッさん。ナヤートって子のスキルが使われてるみてえだが、てぇことはあいつ、まだヌルチートに見つかってねえってことか?」
「そのようだな。なら無事だということなんだろうが……」
俺たちの右手にあった建物。派手な音を立てて傾き始めた。ナヤートが去った方向へ。
「ロッさん、逃げろッ!」
ウォッチタワーはアールフォーさんの腕を取って建物を離れる。俺も通りの中央へ避難した。
古びた建物は一気に倒壊した。もうもうと粉塵を巻き上げているが、その砂埃もまた向こうへ吸い込まれていく。
「……あの……ヌルチート、でしたっけ? それを持ってた衛兵の人たちはどうなったんでしょう……?」
そうアールフォーさんが呟いた。
今目にしたとおりナヤートの固有スキルはすさまじい破壊力だった。
発動できているということはヌルチートに見つかっていない。ならたしかに言われてみれば、衛兵たちは……。
「いってみよう」
俺はまだ粉塵が漂う路地へと向かった。
崩れた破片はやはり路地の奥へと移動していく。
流れていく粉塵のため奥は視界が効かない。俺の体も引きずられているので足を踏ん張りつつも、できる限り急いで奥へと向かう。
路地の途中に衛兵が倒れていた。
全部で5人。ナヤートを追っていった全員だ。
みなうつ伏せだった。
「ヌルチートがまだひっ憑いてるぜッ!」
たしかに5人の背中にはちゃんとヤモリがいた。まだ死んでいないのだ。どうも酸欠状態のため弱っているか、または気絶しているようだった。
ナヤートと商人を見つける前にも路上で倒れていた賞金稼ぎがいたが、奴も酸欠が原因だったらしい。
兵士たちは、少しずつではあったが、路地の奥へとひきずられている。
その周囲を舞っている砂埃。流れは、前方、右上の方向。
俺たちがそちらに目をやる。
ウォッチタワーが呻いた。
「うお…………ッ⁉︎」
黒く巨大な球が浮かんでいた。
先ほどまで俺たちがいた建物の外壁には、工事用のものか足場があった。ナヤートはそこをつたいこの路地へ入っていった。
足場は壁に続き、さらに奥の方で、建物に沿って右へ折れるはずだった。
だがそこに黒い球がある。
4階から5階屋上まですっぽりと覆い、足場も見えなくなっている。
「何だぁありゃあ……気味が悪いぜ……!」
ウォッチタワーの率直な感想は無理もない。
ただの球ではない。
感覚的に言えば、それは球と言うより円に見えた。
よく見えないのだ。ただ空中が、視認できないほど真っ暗になっている。
しかもだ。円の縁はまるで波紋と言うか渦と呼ぶべきか、空間が歪んでいるように見える。
歪んだ周辺の景色はゆっくりと反時計回りに回っている。
そしてその景色。
波紋の中で上下が逆になっていた。周りの建物の最上階が下向きになっていて、その下に空が映り込んでいる。
ひん曲がったレンズに映されたような景色が、黒い球の周囲を回転しているのだ。
「ロッさん、ありゃあ……⁉︎」
「…………ブラックホールだ……」
ウォッチタワーとアールフォーさんが俺を振り向いた。
以前、もちろん日本にいた頃だが、ああいう映像を見たことがある。
どこかの物理学者が計算してCG化したブラックホールの動画だ。それはもし仮に我々のいる地上に小型のブラックホールが発生した場合どう見えるのかという合成映像だったが、空間に浮かぶ黒い球の周囲に渦を巻く逆向きの景色が映り込んでいた。
《光子が減少中》
そうだ。そのとおりだ。動画ではブラックホールは光を吸い込むので、黒球の向こう側の景色をこちらに見せる光が球側に曲がってしまい、そういう形で見えるのだと説明されていた。
この辺りが妙に暗かった理由がわかった。
ナヤートがスキルによって光を吸い込んでいたのだ。
今この瞬間ですら、辺りはどんどん暗くなっていく。
「で、でもよ……? ブラックホールっつったら、何でも吸い込んじまうんだろ? ものすげえ力だって言うぜ。でもそれにしちゃあおとなしすぎねえか……?」
たしかにウォッチタワーの言ったとおり、我々はブラックホールに直面している割にはまだ地面に立っていた。建物の上に浮遊している(ように見える。中心のナヤートは外壁の足場に立っているはず)黒い穴に、俺たちが浮き上がっていくわけでもない。光すら逃さぬ超重力を前にしているはずなのに……。
『気にするなーッ! 《ギャラクシーグレイヴ》はあくまでブラックホールという現象を仮想として再現してるだけだッ! だから実際のブラックホールというより、ブラックホールが発生した場合起こるだろうと想定されている幾つかの現象が、それぞれ別個に発現しとるだけだッ! だからして光子の減少さえ起こっとるのにまだ空気は残っとるッ! 真空になってないッ!」
……それでいいのだろうか。
『それでいいンだッ! ドラゴンを殺すためのスキルだぞーッ! ほンとに全部吸い込ンじまったら、飛んできたドラゴンに体当たりされて自分までヤベーだろうがッ! だから“形だけ”ブラックホールなンだーッ!」
………………納得いかない。御都合主義すぎる気がする。
『それが転生者のチート能力なンだッ! 深く考えるなーッ感じろーッ! そンなに難しく考えてたらハゲるぞーッ!』
「ブッ殺すぞ!!!!!」
「ロッさんどうしたっ⁉︎」
「何でもないっ! 聞いたろう、とにかくあれがナヤートのスキルらしい。ヌルチートは片付いた。スキルを解除してもらおう」
ふと。
足がふわりと浮いたような気がした。
俺たちよりもブラックホールに近い位置に倒れている衛兵。その中で最もブラックホールに近い者が、少し宙に浮いた。
「……あの。強まってません……?」
「……のようだな」
足元がおぼつかなくなってきた。現象だけと言うが、たしかに重力が強まっているらしい。
アールフォーさんは黒球に手を振った。
「おぉーい! もうヤモリはいなくなったよ! もうスキルを解除してもいいよーっ!」
だが1番前にいる衛兵。少しずつだがブラックホールに引き寄せられている。
2番目の奴もだ。宙に浮いた。
「ど、どうして……? おーい! もういいのよーっ⁉︎」




