第二十一話 ロス。きっとロス。
当たり前のことではあるが洞窟の中には照明がない。
しかし中は明るく照らされていた。
松明の明かりだ。
かといって、俺は手ぶらだった。ズボンのポケットに両手を突っ込んで、自分が松明を持っているわけではない。
持っているのは冒険者たちだった。
10数名の男女が、なぜか俺の後ろをぞろぞろとついてくる。おかげで明るくはあるのだが……。
「いてて……」
「ゴンザレス、ごめんね、あたしのために……」
「いいってことよ。それにしてもロス。もうちょっと早く助けてくれてもよかったんじゃないのかなぁ……」
後ろでそう声がしている。冒険者のうちの1人、レイニーではない女性の声が、回復魔法をかけてあげますと話していた。
声からして、先ほどレイニーを助けようとしていたミラーレという少女だろう。
「この洞窟、中はかなり入り組んでるらしいから気をつけないとね」
その声には聞き覚えがある。茶髪のイケメンだ。少し振り返ると、彼は手に地図を持っていた。
ゴンザレスはミラーレに回復魔法をかけてもらっている。
激しく蹴られた頭に重点的にかけられていて、ゴンザレスの頭全体がピンク色の光に覆われていた。あれで前が見えるのだろうか。
俺の黒いコートを羽織ったレイニーもまた、地図を見ながら歩いていた。
ゴンザレスが役所でもらってきたものだろう。他の冒険者の何人かも、同じ紙質の地図を持っている。
茶髪とレイニーが話し合っていた。
「役所の情報によるとここはもともと、ビガントの巣だったんだって。大型新人級魔獣。だからあちこちに横穴があるんだ」
「らしいね。でもビガントはどこ行っちゃったんだろう」
「それが……どうもゴブリンに駆逐されたらしいんだ」
俺は視線を前方に移す。
しかしそれにしても、俺はどうして村正一振り持っただけで洞窟へ行こうだなどと考えたのだろう。ゴンザレスも松明を持ってはいた。用意のいい男だ。彼が同行を申し出てくれていなかったら、俺は暗闇を前にスゴスゴと引き返していたのだろうか。それでは仕事以前の問題だ。ハローワークの前で気後れして踵を返す自分を想像した。
「本当? でもゴブリンって、平均的魔獣級だよね? それが大型新人級のビガントを……ビガントは数も多いのに」
「役所の人が言うには、付近の村の畑を荒らしたり家畜を襲ったりするビガントがいなくなった時期と、ゴブリンによる被害が増えた時期が重なるんだって。そしてこのビガントの巣に」
「ゴブリンが住み着いてるのがわかったってこと?」
「そう。だから役所はビガントはゴブリンにやられたんじゃないかって言ってたよ。あくまで推測らしいけど」
無数の魔獣が唐突に消え失せる理由をあげればキリがない。病気。食料の枯渇。天敵の登場。引っ越し。トラックに轢かれて異世界転生。
役所としては、競合他社に乗っ取られたという形で、自分たちを納得させたということだろう。
俺は振り返った。
「……妙なことを訊くようだが、ビガントとは何だろう?」
俺がそう尋ねた時、イケメンはぽかんとした顔をした。少しレイニーと視線を交わした後、
「え、知らないんですか?」
「知ってなきゃいけないか」
「ロス? 君、Sランク冒険者なんでしょ? ベテランじゃないの?」
「蟻ですよ。ほら、あの牛みたいに大きなやつ」
俺はしばし考えて、
「そういうことか。君のスラングが強すぎて思い浮かばなかった。ここじゃそう発音するんだな」
怪訝な顔をする冒険者。別の話をしよう。
「ところで、どうして君たちは俺の後ろをついてくるんだろう?」
俺の後ろの冒険者たち。
数えてみると、レイニーとゴンザレスを除いて13人いる。その13人とレイニーが俺を見ていた。ゴンザレスは相変わらず桃色のもやの中にいて視線は見えない。
「あの……せっかくですから、同行させてもらおうかな、と」
「なぜだ」
「このゴブリン討伐クエスト、達成難易度Bじゃないですか。普通ゴブリン討伐なんてDぐらいなのに……。だから僕も、たぶん他の冒険者もそうだけど、Bランク冒険者がパーティーを組んでこのクエストに臨んでるんです」
彼は少し、ゴンザレスを癒しているアンパン帽子のミラーレを振り返るようにしながら喋った。おそらく彼女が、彼のパーティーメンバーなのだろう。
「質問に対しては要点をまとめてくれないか」
「は、はい。つまり、何が起こるか予想がつかないから、高ランクのあなたについて行こうかなと……」
茶髪イケメンはぬけぬけとそう言った。
気持ちは理解できた。
彼らが話していたビガントとは何なのか俺にはわからないが、その口ぶりからするにゴブリンに遅れを取る存在ではないのだろう。
牛の大きさの蟻だと言った。姿を想像してみる。悪夢以外の何物でもない。
ゴブリンは昨日見た。小さな子鬼。まともにカチ合えばゴブリンに勝ち目はないだろうと思う。
ビガントが全滅した理由がはっきりしないうちは、あらゆるリスクに備えられるよう強者の陰に隠れておこうというわけだ。
悪くないアイディアに思えた。
たぶん俺が彼らの立場でもそうするだろう。
13人の冒険者のうち全員が知り合いというわけでもないだろうに、カルガモの子供のようにそろってついてくるところを見ると彼らの意見は一致している。
まったく冒険者とはたくましい人々だ。それはいい。
問題なのは、親ガモにあたる人物が冒険の素人だということだ。
ビガントも知らない男。
洞窟へ行くのに明かりを忘れる男。
ロス・アラモス。
子供の頃に川堀の側面に空いた排水孔を探索し狭い側溝に体がはまり込んで泣きわめいて以来、冒険と呼べる行為からは距離を置いた男。
「あの……迷惑でしょうか……」
俺は振り返ってイケメンへ言った。
「……好きにすればいい。ただこれだけは覚えおけ。目の前の男に自分の全てを丸投げするのは結構だが、初対面の相手を信用しすぎないことだ。特にこんな洞窟の中ではな。次の瞬間には姿が見えなくなってるかも知れないぜ」
イケメンはハッとしたように、
「そ、そうですね! 冒険者にとって頼れるのは自分だけ。他人に頼ろうだなんて甘い考えは捨てなきゃならない。もうBランクだっていうのにそんな大切なことを忘れていただなんて、これじゃあいつまでたってもAランクになれないわけだ」
彼が頭をかきつつタハハと笑ったのを見届けて、俺は前方の暗闇へ向き直った…………瞬間、足が空を泳いだ。
「あっロスが消えたっ!」
「縦穴だ! みんな止まれ!」
レイニーたちのそんな声を聞きながら、俺は暗黒の淵へと落下していった。
《ゼロ・イナーティアのスキルが解放されました》
長い浮遊感の後そんな音声が頭に流れ、そして地面に激突した。
触れた、と言ったほうが正しいのかも知れない。
かなりの距離を落下したはずだが衝撃はなかった。
まるではじめからこの場所に横たわっていたかように、ピタリと接地したのだ。
心臓が早鐘のように鳴っていた。実に冒険という感じだ。俺は体を起こすと、立ち上がって上を見上げた。
真っ暗で何も見えなかった。
穴に落ちて、空洞を落ちてきたはずだ。だがその空洞を視認することもできないほど、真っ暗だった。
誰かが覗き込んだりはしていないのだろうか。上の冒険者たちが松明を持って覗いていれば、その穴の部分だけ明るく見えるはずだ。
だが暗闇がそこにあるだけだった。
誰かが俺に呼びかける声もない。
光も差さない洞窟の底。
今の俺は、白いワンピースを着た怒れる怨霊以下のひどい状況にいた。ジャパニーズホラー映画のアイコンたる彼女には、せめて井戸の底から月を鑑賞するぐらいの娯楽はあった。
《ナイトヴィジョンのスキルが解放されました》
だったらどうだと言うのか。
周囲が青くライティングされた状態で俺の目に映り込んだが、360度が岩の壁に覆われていることがわかっただけだった。
《ゼロ・イナーティアのスキルを発動しました》
俺は岩肌に手をかけ登りはじめる。
自分の体重を感じない。
ジャパニーズホラー映画の2作目を思い出した。1作目では井戸の底で非業の死を遂げた女。爪が剥がれても這い上がれなかったわりに、2作目では目覚ましいボルダリング能力を披露した彼女に俺は首を捻ったものだ。
今の俺がそれだった。
たいして力を入れなくても体がひょいひょいと上がっていく。わずかな取っかかりに指先一本をかけるだけで、まるで水の中を浮上するように登ることができた。
それにしたって寂しいことだ。
たしかにほんの少ししか行動をともにしていなかったが、みんな声もかけずに行ってしまったのだろうか。
冒険は数十年を経て再び俺に濃密なスリルを与え、人々は相変わらず俺を待ってはくれなかった。前世(と言っても2日ほど前の話だが)においても、みんなは俺を待つことをしなかった。俺が足踏みをしている間、みんなそこから立ち去っていったのだ。前世の俺は、あの受験の時に…………。
見上げると、穴が二つに分かれていることに気づいた。二つの登り口がある。
俺はどちらから落ちたのだろうか? 右か左か。奥か手前かも知れない。右へ進んだ。
それが失敗だったと気付いたのはすぐだった。
穴は途中で曲がり、平地となったのだ。俺が落ちた時は何にもぶつかることなく底まで落下した。こっちではなかったのだ。
一度戻ろうか。そう思った時だ。
奥の方から声が聞こえたような気がした。
しかもそれは、ものものしい、不穏な喧騒のように聞こえた。
ひょっとしたらもう冒険者たちとゴブリンの戦闘が始まっているのだろうか。俺は横穴を進む。
もとは蟻の巣だという情報の通り、穴は幾つもの分かれ道を持っていた。
喧騒はもう聞こえなくなっていたが、おそらくこっちだろうという方向へと歩いていく。特に自信はない。
ふと、地面に何かを引きずったような痕跡を見つけた。
ナイトヴィジョンの青い視認状況ではよくわからないが、岩肌がところどころ白く削れている。
その痕跡は俺が向いている方向から右側の壁で途絶えている。その位置の壁には、這ってなら人ひとりが進めそうなトンネルがぽっかりと空いていた。
トンネルを覗いてみた。奥は暗く先は見えない。
俺は無視してそのまま歩き出した。
奇妙な匂いが、うっすらと漂っているのに気づいた。
何かが燃えたような匂い。俺は足を速めた。
だんだん地面に黒い何かがこびりついているのが目立つようになってきた。
足で踏むと少し粘る。液体だ。生臭い匂いが充満している。
この先へ進むべきか。
胃のもたれを感じはじめていた。吐き気がする。足元の黒い液体は血液に決まっていた。道の先へ向かうほどに、黒いものの面積が増えている。
恐るべきことが起こっているに違いない。
戻ろうか。
しかし、前方で声が聞こえた。
話し声ではない。
吐息に近い。女の泣き声だ。
俺は姿勢を正した。
前世でよくやっていた、ジョギングをする時の姿勢。骨盤を立て、その上あたりの背骨を少し後ろに引くことで、腹を引っ込める。肩甲骨の間の背骨は前に押し、首の骨を上に伸ばす。
そうやって、臍下に圧をかける。こうすると感情が消える。
ような気がするのだ。気休めかも知れないが、一時的には効果はなくもない。
俺は進んだ。
前方、右側のあたりが少し広がっている場所があった。まるで道路の離合地帯のように。泣き声はそこから聞こえてくる。
俺はわざと足音を立てて歩き、その手前まで進んだ。
ひっ、と息を呑む声がして、泣き声はやんだ。しかし隠しきれない呼吸音がする。
離合地帯は壁のへこみのようではあるが、こちらから見て少し奥の方へえぐれている。たとえて言うなら江戸時代の武器、十手のような鈎状。俺がいる道が長い棒で、声の主がいるのが鈎の部分。
声の主はそこで息をひそめて縮こまり、隠れようとしているのだろうが……。
こちらから見ると体育座りして震えているのが丸見えだった。
俺は地面に落ちていた消えた松明を拾い上げ、声をかけた。
「レイニー、ライター持ってないか?」




