第206話 カオス
俺は叫んだ。
「待て殿下、峰を返せ! みんなあのヤモリに操られているだけなんだぞ!」
「あんたがそう言うんなら!」
手の中でサーベルを回転させたので俺が手を離すと、彼はあっという間に2人の近衛兵を打ち倒した。
そのままアレクシスを捕らえている長髪野郎に殺到したが……。
「うっ⁉︎」
長髪野郎は素早く後ろへ下り窓際へ寄った。
そして奴の背中から、突然コウモリのような巨大な翼が現れた。
「な、何だぁてめえはッ⁉︎」
長髪野郎は酷薄そうな笑みを浮かべて言った。
「ははははは! 何を隠そう、実は僕こそが魔族軍のスパイだったのさ!」
ああそうなのか。
今それどころではない。
「僕がワルブールを操っていたのさ! 君たち人間どもを内側から崩壊させてやるために内紛を起こそうと、ワルブールとアリー家を対立させてやろうとしていたのさわーっはっはっは!」
「うるせえぞバカ聞いてねーんだよさっさとアレクシスを離せ!」
「えっ聞いてよ! そういう崇高な使命を持った僕なわけだけど、なぜだかこの美しいアレクシスに恋をしてしまってね! ここはひとつ僕も彼女のハーレムに加わって……」
「うるせえ死ね!」
「こら、やめろ! よく考えろ! アレクシスを中心に帝国と魔族が手を取り合えば戦争は終わるということに僕は気づいてしまったのさ! 何となく急にそういう気がしてきたんだ! だから剣を納めて、おとなしくみんなでベッドインして人類愛を育もうじゃないか!」
「黙れ! てめえのケツにブチ込んでやろうか!!!」
正直俺自身何が起こっているのかよくわからなかった。何かとんでもないことが俺の知らないところで行なわれていて、それがヌルチートのために、おそらく彼ら自身すら想定していなかった別のステージに移行しようとしているらしい。
だがそれどころではない。
ヌルチートの所有者が複数いて、俺にはラリアがいない。おまけに皇太子の言動が不自然かつ粗暴になっているので、状況がどう転ぶのか予測できない。
まずはヌルチートを片付けるべきだった。
俺は言った。
「殿下! 背中のヤモリを取れ!」
「何⁉︎」
「ヤモリが彼らにアレクシスを襲わせてるんだ、まずは取れ!」
「俺は違うぞ!」
「ああ、いいから取れ!」
「嫌だ!」
「何だと⁉︎」
「これは……これは俺のだ! 取りたくない! 外さないぞ!」
「取るんだ!」
「嫌だね! 他の奴らのを取ってやる!」
皇太子は自らが打ち倒した近衛兵2人のうち、1人の背中に取り憑いていたヌルチートを剣で突き刺した。
もう1人のヌルチートも刺そうとしたが、
「な、何をなさる! おやめください!」
合魔研の室長が体当たりして邪魔をした。
「このヤモリは転生者を、いや高貴な貴族令嬢をシェアするという崇高な目的を実現する素晴らしい召喚獣なんですよ! 殺すだなんて正気であらせられますか!」
「自分は正気のつもりなのか!!!」
室長を膝蹴りで吹き飛ばし、ヌルチートを突き刺す。
室長はちょうど俺の方に飛んできたので、抱きとめたあと俺がヌルチートを引き剥がす。
《ザ・マッスルのスキルが発動しました》
首を捩じ切った。それを放り捨て、
「殿下、まずヌルチートを全部始末しよう! 話はそれからだ!」
残りは神官長、近衛兵長、皇帝、長髪、カダス。そして皇太子。
まずは皇太子以外を一気に倒そう。翼をあらわにした長髪野郎が窓のそばに立っているのは気にかかるが、何事にも順序というものがある。まずは1つずつ……。
「……あんた……ずいぶん詳しいな……?」
誰が呟いたのだろう。そういう声がした。
声の方を振り返る。
呟いたのは皇太子だった。
俺の方を見ていた。
神官長が言った。
「……このヤモリの御使い、ヌルチートと言うのですか? 我々は名を知りませんでした。合魔研の室長ですら……なぜあなたはこの魔獣の名前を……?」
その場にいる全員が俺を見ていた。
皇帝が言った。
「さっきから頭の中に声がする。転生者を分け合えと。貴様は我らが、このヤモリに操られていると申したな。なぜそんなことがわかる? ヤモリに憑かれておらぬのなら、声は聞こえぬはず」
「あんた、すごい落ち着き払ってるよな。まるでこういうことが初めてじゃないって感じだ。あんたいったい……何者なんだ?」
親子揃って俺の方を見ている。
「ヤモリヤモリって言うけどよ。このヤモリ……何する召喚獣なんだ? 転生者を分け合えって……あんたはこのヤモリが転生者のアレクシスを襲うことを知ってたみたいだけど……?」
アレクシスが言った。
「まさか……アラモスさん……?」
その先はやめてもらいたい……。
「転生者なんですか……⁉︎ 私と同じ……!」
やれやれだった。
B級ホラー映画でよく見る、余計な言動をすることで無益なピンチを招く女性登場人物を何となく思い出した。
案外、と言うべきか、やはりと言うべきか、周りの男たちは驚愕と言うよりは白い目で俺を見ていた。さっきからずっと黙っていたカダスにいたっては「野郎に用なんかねーっつの……」とまでほざいた。
だが約1名、そうでもない者がいた。
皇太子だ。
彼はサーベルをだらりと下げ、なかば棒立ちと言っていい姿勢で俺を見ている。
そして言った。
「運命の出会いだ……!」
そう、運命の……何だと?
皇帝が叫んだ。
「ヤシムネイト! おまえまだあの悪癖が治っとらんのか!」
「悪癖とは何だ!」
「おまえは昔から女ではなく男にばかり興味を持ちおって! 何とか治してやろうとアレクシスをあてがったというのに……」
「ホモセクシャルは病気じゃねえ!!! だいたいアレクシスはあれだろ、元男って言ってるぞ!」
「じゃー結婚しろ!!!」
「やだよ!!!」
「おお何ということであろう、おまえが女ならばよかったものを!!!」
皇帝はヌルチートの為せる業か、情緒不安定気味に泣き崩れた。ミュージカルを観ているようだった。
驚きの事実のオンパレードだ。
複数のヌルチート。
囚われの貴族令嬢は元男の転生者で、それを捕らえている長髪は実は魔族の回し者だったが愛に目覚めて暴走している。
そしてさっきから情熱的な眼差しでこっちを見てくる皇太子。
「初めて会った時からなんてイケメンなんだろうと思ってたらまさか転生者だっただなんて……俄然ヤル気が湧いてきたぜ……!」
ロス・アラモス史上最大のピンチが訪れていた。
「ア、アラモスさん助けて! このままじゃ私は……!」
アレクシスが何か叫んでいるが助けて欲しいのはこちらも同じことだった。まったく助けてくれもないものだ、誰のせいで勝てそうだったゲームを落としかかっていると思っている?
悪役風の令嬢と通りすがりの冒険者。バッドエンドが近づきつつあった。
だがここで負けるわけにはいかない。
俺は言った。
「殿下」
「水くさいな、ヤシムネイトって呼んでくれよ!」
「……それについては考えてみてもいいが条件がある」
「何だ? 何でも言ってくれ!」
「今何でもって言った?」
「ああ!」
「ではまずみんなのヌルチートを引き剥がしてくれ」
周囲の男たちがざわついた。
近衛兵長とカダスは剣を持っている。長髪野郎はよくわからないが魔族だという。壮年の皇帝と老年の神官長は何とかなるかも知れない。
俺がもっとも憂慮しているのは皇太子だ。
何せ《剣聖》。スキルを封じられれば抵抗しようと思考する間もなく俺は気絶するだろう。
だが幸か不幸か(不幸っぽいが)味方と言える状況だった。
まずは皇太子以外のヌルチートを始末すれば、転生者らしきアレクシスがフリーになる。そうなれば、この状況を打開できるチャンスも増えるはずだ。
「よっしゃ! まずは魔族野郎、てめえだ!」
皇太子はさっそく長髪の魔族へ襲いかかった。
「そうはいかないな、アデュー!」
長髪野郎は窓を突き破り、アレクシスを抱えたまま外へ飛び出した。
「ま、待ちやがれ!」
「ひとまず僕は避難させてもらうよ。美しきアレクシスに傷でもついたら大変だ……人間諸君、何とか皇太子殿下に、男女のあるべき愛の姿に立ち返ってもらうよう勤めてくれたまえ!」
翼をはためかせ、長髪野郎は宙に静止していた。
俺は舌打ちをひとつして、
《ウルトラスプリントのスキルを……》
《不正な妨害が行なわれています。スキルを発動できません》
……窓から飛ぼうかと思ったがいいアイディアではなかった。神官長のヌルチートが俺に向いていた。
もはや頼みの綱は皇太子しかいない。彼の実力なら室内の全員を倒すことが可能だろう。そのあとどうするかは別として……。
「ヤシムネイトよ! どうあっても帝国とハーレムの邪魔をすると言うのならもはや容赦せん!」
皇帝が皇太子の前に立ちはだかった。
「はっ! 親父に何ができる!」
「むん!」
皇帝は両拳を打ち合わせた。
《オルタネティカ皇帝は硬度10ダイヤモンドスキンのスキルを発動しています》
皇帝の皮膚が、白銀に輝く、古い時代の3Dポリゴンのような多面体に変化した。
「息子よ! 大帝国の皇帝の力、見せてくれよう!」
「しゃらくせえ!」
気合い一閃、皇太子はサーベルの峰を実の父親の頭にためらいなく振り下ろした。
だが彼の剣は刃の半ばから呆気なく折れた。
「ぐはははは! オルタネティカ皇帝の息子ならば拳骨でこんかい!」
「何を!」
《ヤマト皇太子はザ・カラテ・ブラックベルトのスキルを発動しています》
《オルタネティカ皇帝はインペリアル・マーシャルアーツのスキルを発動しています》
父と子の壮絶な殴り合いが始まった。
実力は互角に見えた。と言うより皇太子の突きは幾度か皇帝の体を捉えているが、ダメージを与えられていないように見える。
まあそれはいい。そのまま共倒れしてくれるとあらゆる意味で非常に助かる。
問題は……。
「やい冒険者! こないだはよくも舐めた態度取ってくれたな! 転生者だか何だか知らないが、ここでぶっ殺してやっかんな!」
カダスだ。
金髪の美男子がレイピアを俺に向けて構えている。
近衛兵が俺の背後に回り込んだ。扉から逃してはくれないらしい。
神官長は部屋の隅から、ヌルチートの赤い瞳を光らせている。
この危機をスキルなし、自力で打開しなければならなかった。
「ククク……このヤモリの力があれば、おまえら転生者はスキルを使えないんだろ? さっきアレックスが暴れたけど、スキルを封じることができたかんな。だったらおまえも、何もできねーだろ」
カダスがそう言った。
先ほど城壁を突き破った金属鯨のことを思い出した。あれがアレクシスのスキルだろうか? こいつらが寝室へ連れ込もうとし、嫌がったアレクシスが何かをやったが、ヌルチートに無効化されたということか。
カダスはレイピアの切っ先を俺に向けた。
「野郎には用はねーんだ! オレの《剣術・モクロク》の腕であの世に送ってやる!」
《ウォッチタワーはサーモ・アイのスキルを発動しています》
《ウォッチタワーはザ・マッスル・テストステロンマッドネスのスキルを発動しています》
突如、俺の左背後の壁がブチ破られた。
破片まみれになりながら寝室に飛び込んできた緑色の肌の大男。
ウォッチタワーだ。
「ロッさんここにいたか! 体温が見えるスキルで探したぜぇ!」
にっと笑ったウォッチタワー。
「な、何だこいつは!」
「カダス殿!」神官長が言った。「こやつも転生者に違いありません! こやつ、黒服の男と共に神殿へきた者です!」
そして神官長は自分のヌルチートをウォッチタワーへ向けた。カダスは俺を近衛兵長に任せ、レイピアをウォッチタワーに向け、
「こ、こいつ! 切り刻んでやっぞ!」
だがウォッチタワーはその長く太い腕を蛇のごとく素早く伸ばし、神官長の首根っこを掴んだ。片手で持ち上げカダスの前に突きつけた。
「やってみろよ。剣がこいつに突き刺さったら、もう片方の拳で顔面を陥没させてやるぜ、てめーの」




