第205話 乱心
「待て! 皇帝陛下に何をする!」
こういう時にこう評するのも我ながら呑気だとは思うが。
さすがはオルタネティカ帝国の近衛兵と言ったところだろうか。俺が1歩踏み込むより早く、背後から近衛兵が2人、俺に組みついてきた。
「離せィ!」
《ザ・マッスルのスキルが発動しました》
体を振って引き剥がす。
「ら、乱心者!」
「陛下をお守りしろ!」
次々と群がってくる近衛兵。狭い寝室に密集しているためか剣こそ抜かなかったが、彼らは瞬時に俺を囲み、かつそのうち1名は素早く皇帝の前に立った。
「お、おいアラモスさん……!」
「殿下、彼らに邪魔しないように言ってくれ!」
「いやいや何で親父を、皇帝を殴ろうとしてるんだ、正気か!」
「正気じゃないのは皇帝の方だ! みんな操られてるんだ、君も手伝ってくれ!」
「何⁉︎」
近衛兵の1人が低空でタックルしてくる。俺は素早く腰を落とし、右手で下へ向けたフックを、側面から回り込むようにしてこめかみを打ち抜く。
ここで、アレクシスを捕らえていた、長髪のイケメンが叫んだ。
「みなさん! この男はおそらく魔族軍の暗殺者です! 皇帝陛下のお命を狙うためにここへ潜り込んだに違いない!」
その声を聞いてか、近衛兵は非戦闘員に部屋の隅まで下がるよう叫び抜剣した。
皇太子が叫んだ。
「バ、バカ言え! アラモスさんは帝国軍のホッグス少佐とツェモイ騎士団長の知り合いだぞ! ガスンバで知り合って帝国軍の任務を手伝ってくれた冒険者で、ワルブールの逮捕にも協力してくれた! 第一魔族軍は南に展開してるが、ガスンバは北だ。その人は北からきたんだぜ!」
皇太子はさらに、おかしいのは皇帝の方だと言う。とりあえずまずアレクシスを保護しろと。
隊長をはじめとした近衛兵たちの顔に迷いの色が見られた。
その隙に俺は宮廷料理人を殴り倒した。
「ほげぇー!」
「で、殿下! とりあえずひとまず部屋から退避してください! ここは我々が……室長! 扉を開けなさい!」
吹っ飛ぶ料理人の若者を尻目に、近衛兵長は合魔研の室長に叫んだ。
だが室長の方は、扉を背に立ったまま動かない。
無表情にそうしていた。奴はさっきからずっとあそこに立っていたのか? 扉を閉めて……誰も出ないようにしているように見えた。
そして室長は、白衣のポケットから何かを取り出した。
数枚の折りたたんだ紙切れのようだった。
「……皇太子殿下に、近衛兵が5人。それに誰だか知らないが黒服の男。兵は1人倒れたので、これで数は足りる。よかった……」
何かブツブツ呟いている間にまた1人兵が俺に斬りかかり、左ストレートに倒れる。
「室長! 早く扉を開けて!」
近衛兵の叫びを室長は無視した。手に持った紙を、天井へ向けて投げ上げた。
そしてそれは……。
「うおっ、何だこれはッ……!」
皇太子の悲鳴。
紙は唐突に、巨大なヤモリに姿を変えた。
「殿下逃げて! そのヤモリに捕まってはいけません!」
アレクシスが叫んだ。
やれやれ。やっぱりこういうことなんだな。
ヌルチートだ。
6匹。
「みんなそれに触れるなッ!」
俺は叫ぶと同時に、空中から男たちに躍りかかるヌルチートを迎撃しようとした。
1匹1匹はデカいだけで無力で脆いヤモリなのだ、こいつらが皇太子や近衛兵に取り憑き面倒なことになる前に皆殺しにすればいい。
と思ったまではよかったのだが、近衛兵の1人が俺の足に組みついてきた。バランスを崩して転倒。
そして、俺にのしかかった兵の背中に、ヌルチートがべちゃりと落ちた。
俺はのしかかった兵の首の後ろから左腕を巻きつけ腋に抱え込み、頭を下げさせた。
《パウンドフォーパウンドのスキルが発動中》
まだ俺は転生者だと気づかれていないらしい。右フックでヤモリの頭を吹き飛ばした。
足で押しのけ立ち上がる。
周囲を見回し、俺は言った。
「やれやれ……」
俺と、アレクシスと、殴り倒した兵と、今さっき押しのけた兵。
それ以外の男たちの背に一様に、ヌルチートがしがみついていた。
いつの間にか皇帝たちもヌルチートの姿を現していた。
そして……皇太子も。
神官長が言った。
「いかがですか? みなさん……その神の御使いを背負っていると、チレムソーの御声が聞こえてきませんか……?」
近衛兵は口々に言った。
「おお……本当だ……!」
「何だかアレックス様が異様にお美しく見えてきた……」
「いや前からずっとそう思ってたけどその気持ちは胸にしまっていた……でも何だか今日はイケそうな気がする……! 勇気を出してアタックしたい気持ちになってきた!」
神官長は満面の笑みを浮かべながら、
「そうでしょうとも……これもチレムソー様の思し召し! さあみんなでアレックス様……いや! 麗しのアレクシス様とくんずほぐれつレッツハーレムするのです!!!」
アレクシスの口から呻きが漏れた。
「きゅ、9人もいるのに……⁉︎ し、死んでしまう……!」
俺に押しのけられた兵がヨロヨロと立ち上がったが、仲間の様子がおかしいのに気づいたか顔を青ざめさせていた。
神官長が言った。
「……おや? そちらの黒服のお方……あなたはまだ天使の御力を受けておられないようですな? ほれ、そこに這っている大きなヤモリ。それをお早く背負いなされ。さすればあなたも、アレクシス様のハーレムの一員に……」
床を見やれば、俺の足元に這ってこようとしているヌルチートがいる。
これを背負えと言うのだろう。
俺はヌルチートの頭を踏み潰した。
「な、何を……!」
「こういうことを言うと性差別になるかも知れないがあえて言わせてもらう。もっと女性に敬意を払え」
それからヌルチートから免れた近衛兵へ、
「下がっていてくれ。今の彼らは話し合いの通じる状態じゃない。背中のヤモリを剥がさなきゃあな。殺しはしないが、ブチのめす必要はあるんだ。邪魔をすれば君が危険になる。俺の、というより彼らのだが」
そう言った。
周囲を見回す。
先ほどアレクシスは9人いると言ったが、正確には8人だ。彼女(あるいは彼?)が、倒れた料理人とヌルチートを失った近衛兵のどちらを数に入れたのかは知らないが、とにかく8人。
これらをノックアウトする必要がある。
頼みのラリアもパンジャンドラムもいないし、ウォッチタワーもまだこない。
だがまだ悲観する必要はないだろう。俺が転生者とバレていない以上、奴らはヌルチートを俺に向けてくることはないはずだ。
唯一の懸念は残ってはいるが。
俺はその懸念に目を向けた。
ヤマト皇太子殿下だ。
今の騒ぎで、彼の背中にも見事にヌルチートがへばりついていた。彼もまたアレクシスを見ている。
皇太子は《剣聖》のスキルがある。俺と互角の能力を持っているのだ。彼からヌルチートを引き剥がすのは骨が折れそうだ……。
「おいそこのおまえ。何だか知らないがさっさとアレクシスを離せよ。ブッ殺すぞ」
どうしようかと考えていた時だった。皇太子がそう言った。アレクシスを捕まえている長髪野郎に向かってだ。
「早く離せっつってんだよおまえ。いつまで触ってんだ。あ? 早く離せや」
巻き舌の口調で、威圧的に話す皇太子。
目もどことなくギラついて見えた。
長髪野郎が答えた。
「畏れながら殿下。我々はもはや1つのハーレムの仲間。これはアレクシス様に逃げられないように捕まえて……」
「誰が口答えしていいっつった? 俺か? 俺ぁ言ってねえよな? 特別に5秒やるから数え終わる前に離せ。5」
「あ、あの、殿下……?」
「4」
神官長が言った。
「殿下! その方が申したとおり我らは仲間! アレクシス様はみんなの物なのです! 何も焦ることは……」
「3」
長髪野郎や神官長だけでなく、ヌルチートを得た男たちはみな一様に、何が起こっているのかわからないという顔をしていた。
俺はヌルチートに取り憑かれたことがないのでわからないが、使用経験のある女性(ツェモイ団長だ)にどうだったか尋ねてみたことがある。
理由はわからないが、転生者を共有しなければならない義務感めいたものを感じたと彼女は言っていた。
「まさかヤマト……いやヤシムネイトよ!」皇帝が言った。「独り占めするつもりか!」
「2」
それはヌルチートの原材料の中に、ジェミナイトなる情報を伝達共有する特性を持って鉱石が使われているからとのことだった。
それと同時に俺は、以前サッカレー王国での事件を思い返していた。あの時は、俺とハル・ノートのどちらにつくか、4人の少女の意見がわかれたのだ。
皇太子がサーベルの柄に手をかける。
「1」
ヌルチート使用者とて一枚岩ではないことは知っている。だが今回は初めてのケースだった。
1人の転生者を巡って、ヌルチート使用者が他のユーザーに明確な敵意を示すのは。
「ヤシムネイト、やめろ!」
「ゼロだ! じゃあ死ねや!」
皇太子は抜刀した。
《ヤマト皇太子は剣聖のスキルを発動しています》
サーベルの峰を返さない。《峰打ち御免》ではなかった。峰打ちではなく斬るつもりなのだ。
皇太子が長髪野郎へと突進した。




