第203話 帝居
後ろからついてくる俺を、皇太子は止めることはしなかった。空中廊下を渡り、隣りの棟へと入る。
絢爛豪華な装飾だらけの城内は混乱状態にあった。城勤めの臣らしきガウンを着た者、剣を腰に吊るした衛兵、侍女、などなど。
みな、城壁の破壊があったであろう方向の天井を見上げたり、逃げまどったりしている。悲鳴も聞かれた。
ただ俺たちが走り込んだフロアではそれ以上の異変は起こっていないように見えた。
ヤマト皇太子は近くにいた、白銀の軽装鎧を着た男に走り寄る。鎧の男は周囲の兵たちを指揮して武装していない者たちを避難誘導させ、自身は数名の兵を連れどこかへ走ろうとしたところだったが、
「何があった!」
「や、これは皇太子殿下……わかりませぬ、魔族の襲撃かも知れませぬ! 我らこれより皇帝陛下の御許へ向かいます……」
「よし、俺に続け!」
「あっ! 殿下は御避難を……ああもう!」
護衛の兵長らしき人物が止めるのも聞かず、皇太子は走り出した。それへ俺と兵たちが続く。
幾つか階段を上ると、それまでよりも広く、さらに豪奢な装飾で彩られた廊下に出た。
廊下は長く、その突き当たりには金色の扉が見えている。
そこには10名ほどの、派手な装飾の鎧を着た者たちが集まり、こちらに背を向けている。
俺たちは一瞬歩みを止めた。
廊下の左側の壁に大穴が空いているのが目に入ったからだ。中を覗いてみると、数部屋をぶち抜いた向こうに外の景色が見えている。
先ほど見た巨大な金属鯨はここから飛び出したらしい。
俺は穴の反対側に目をやった。壁の破片こそ飛び散っていたが、反対側は損傷が少しもなかった。床に花瓶が落ちて割れているだけ。近くに台があるのを看るに、そこから落ちたのだろう。
穴のド派手さに比べて質素なものだった。廊下のど真ん中から、左にだけ突き出したのだろうか?
皇太子もしばらくは穴を見ていたが、やがて廊下の奥へ走り出す。
「殿下! これより先は帝家のお住まいとなります! あの、こちらのお方は……?」
走りながら兵長が俺を見つつ言った。あの金の扉の向こうは家族のプライベート空間だから部外者は遠慮しろということだろうか。
だが皇太子は答えなかった。扉の前までやってくると派手鎧の者たちが振り返る。
「やや、これは皇太子殿下……!」
「近衛兵、何をやってる! 親父は……皇帝陛下は⁉︎ 西宮から見えてたぞ、何かデカイもんが壁から中から現れてた。あの穴か? 何があったんだ!」
「それが……我らも騒ぎを聞きつけここへ集まったのです。ですが……」
近衛兵は口ごもった。
「いこう、陛下をお守りするんだ!」
皇太子は近衛兵たちを押しのけ、先頭に立って帝居へ入ろうとした。
だが立ち止まった。
俺は全員の1番後ろにいたのでみんなの背中しか見えない。ただ幸いなことにロス・アラモスは背が高いので、爪先立ちになって前方を、みんなの頭越しに覗いてみた。
金の扉の入り口で、皇太子の前に2人の男が立っている。
「神官長殿……何でここに……? それにあんたは……合成魔獣研究室の室長……⁉︎」
呻いた皇太子。
彼の前で通せんぼしていたのは、神殿で見かけた神官長。それと合魔研の室長である白髪の老人。
神官長が言った。
「これはこれは皇太子殿下、ご機嫌麗しく。どうかなさいましたか?」
「いや、どうかも何も……こりゃ何の騒ぎだ?」
室長の方が答えた。
「大変申し訳ありません。実は、あの、あれは、対魔族軍用に開発された新しい召喚獣を、うっかりここで呼び出してしまいまして……」
「何⁉︎」
「いえ、あの、皇帝陛下がどうしても見たいと仰せでして、仕方なく……」
「はあ⁉︎ あんなデカいのを廊下でか⁉︎」
「は、まったく、仰るとおりでございまして、面目次第も……」
近衛兵たちの頭越しに見る室長の顔は脂汗にまみれていた。
さもありなん。皇帝の居城、その居室近い廊下にこれほどの大穴を空けてしまったのだ。俺の常識からいけばこの結末、彼の切腹以外に思いつかない。
だが室長はなぜかニヤニヤしていた。
神官長もだった。
何かを取り繕おうとしている引きつった顔ではあるが、それでもニヤついているのだ。
「え、それで……親父は?」
「ええそれはもちろん」神官長が言った。「御無事でございます。御部屋におられます」
「あんたたち、どうしてここに?」
「いえいえ、アレックス様の審問の参考人としてお呼び出しを受けた次第で」
皇太子は研究室長の方へ顔を向けたようだった。
「あんたもか?」
「はい……畏れながら、お聞き及びでしょうか? アレックス様がアンダードッグ区に眠るエンシェントドラゴンを呼び起そうとなさっていたこと……」
「デタラメだ!」
「わ、私は、魔獣の研究者として、アレックス様と懇意にさせていただいていたこともありまして、重要参考人として、こ、ここにいるわけで……」
もっともらしいようでいてまるで話がつながらないように俺には聞こえた。
審問の参考人として城にいるのはわかる。
だがなぜ、たかだか研究室の室長が、皇帝の家族が住まう帝居の区画から出てきたのか?
そしてなぜ、帝室の一員であるヤマト皇太子が中に入ろうとするのをまるで遮るかのように、扉の前で左右に並んでいるのだろう?
「審問は終わったはずだ」
「ええ」
「アレックスは? どこにいる」
「ええ、中にいらっしゃいます……」
「親父と一緒か」
「左様でございます。大きな声では申せませんが、陛下はアレックス様の処遇に大変お悩みなさっています。とりあえずはまず落ち着いていただくために、こちらへご案内なされたのです……」
皇太子が振り返った。俺と目が合った。まるで意味がわからないと言いたげな顔をしていた。
だが彼は2人へ向き直り、
「わかった。親父に会おう。どいてくれ」
「いや、それは、どうかご遠慮を……」
「はあ⁉︎」
人混みの最前列で、どうして俺が俺の家に入られないんだと皇太子が喚いている。
神官長が言った。
「畏れながら殿下。今アレックス様は殿下との婚約を解消され、また国家反逆罪に問われてたいへん御心を乱されておりました。ですから、陛下は1度落ち着かせるためにこちらへ……」
「ならなおのことだ! だいたいアレックスが反逆なんて何かの間違いだ、そんなこと誰が言ったんだ!」
「ワルブール伯でございます……」
「あのクズ野郎か! どうせ腹いせでデタラメ言ったに決まってる!」
「しかし自白魔法が使用されたと……」
「うるさい、どけ!」
皇太子は押し通ろうと、神官長を押しのける。だが意外に神官長が粘っていた。それに対し皇太子が乱暴に押しのけようと胸ぐらを掴んだため、近衛兵たちが制止しようとしている。
どうしたものか。
さっぱり状況が掴めない。
しかし、俺と同じようにぼんやりと傍観していた、合魔研の室長が言った。
「神官長様。やはりここは殿下にもお入りになられてはいかがでしょう?」
皇太子をはじめとして、一同が室長を振り返る。
特に神官長などは目を丸くしていた。
「何をおっしゃる! 今、陛下はアレックス様と……」
「だからこそです。神官長様、御声が聞こえるでしょう? チレムソー神の御声が……」
胸ぐらを掴まれたままの神官長は、室長を見つめていた。
だがやがて、ふうと息を吐く。
「……それもそうでしたな。よろしい。殿下、おいでください」
言われた皇太子は少し動揺しているようにも見えた。彼が手を離すと、神官長は踵を返す。
室長の方が言った。
「ああそうだ。入り口に警護を残して……5名だけ、近衛兵の方もお入りください。……そちらの黒い帽子のお方も」
そして帝居の奥へ進んでいく神官長と室長。
残された俺たちは互いに顔を見合わせていた。
近衛兵の中の長とおぼしき人物が言った。
「畏れながら殿下……我々は帝居の中へ立ち入ることは禁じられております。それに……そちらの黒い帽子のお方……」
皇太子は即座に答えた。
「構うものか。何かおかしい。5名に特別俺から立ち入り許可を与える。ついてこい! アラモスさんも!」
そして帝居の扉をくぐっていく。
俺は廊下を振り返った。
ウォッチタワーはまだこない。そもそも俺がここにいることを知っているのだろうか?
この廊下は窓がない。外が見えないのでパンジャンドラムの姿を探すことができなかった。
一瞬、廊下の奥に何かが揺らいだような気がした。
だが実際には何もない。どうも大穴から風が吹き込んで舞った埃がそう見えたらしい。
俺は皇太子のあとを追った。
帝居は幾つかの部屋にわかれていた。左右に扉のある廊下を歩きつつ、俺は皇太子に尋ねた。
「ここには他に誰がいる?」
「誰も。俺と親父だけさ。いつもはな」
兄弟姉妹はおろか、母親もいないのだろうか? たしかにどことなく閑散とした空気が漂っていた。部屋は多いが、人の気配はない。
前を歩く神官長と室長は、やがて2枚の扉にライオンの頭の彫刻が施された部屋の前で立ち止まる。
皇太子が俺に、親父の寝室だと囁いた。
神官長は俺たちを振り返った。
「殿下。それからみなさん。よろしいですかな?」
「何をもったいつけてるんだ、早く開けろよ。親父は中にいるんだろ?」
皇太子がそう言った時だった。
部屋の中から叫び声がした。
「殿下⁉︎ 殿下、そこにいらっしゃるのですか⁉︎」
アレックス嬢の声だった。
「アレックス、どうした⁉︎」
叫び返した皇太子に、
「殿下、助けて……! 陛下が、陛下が……あっ!」
中から悲鳴。
皇太子は神官長を押しのけ扉を開き、勢いよく中へ飛び込んだ。5名の近衛兵もぞろぞろ続いた。
最後尾の俺は、他国の皇帝の寝室に入るのを少し躊躇してしまい、部屋の入り口で立ち止まった。
右脇に合魔研の室長が立っている。
そいつが、俺に向け中の方を手で示していた。
何が面白いのかニッコリ笑っている。
それを横目に部屋へ入った。
「親父! 何やってんだ! それに……そいつらは……⁉︎」
偉大なるオルタネティカを統べる皇帝の寝室、そのレビューは後回しにしよう。皇太子の怒号を浴びたのは、部屋の中にいた複数の人々。
知らない奴がほとんどだった。
ウェーブのかかった長い黒髪と切れ長の瞳を持つ、青いローブをまとったイケメンが1人。
料理人風の白い服と帽子をかぶった、浅黒い肌の下に筋肉質な体を隠した快活そうなイケメンが1人。
見覚えのある奴もいた。
魔女研究院でお目にかかった、上流貴族の若きイケメン、カダスだった(奴の名前を覚えていただなんて俺もたいした記憶力だ)。
それからあと2人。
天蓋とカーテン付きのデカいベッドに組み伏せられたアレックス嬢。
彼女を押し倒している、立派な白ひげをたくわえ、右目に傷のある、体格のいい偉丈夫。こっちを振り返っている。
皇太子が偉丈夫に……絞り出すような声で言った。
「親父、説明してくれ……こりゃいったいどういう絵面だ……⁉︎」




