第200話 逮捕
今にして思えばなぜあの時気がつかなかったんだろうという思いがしていた。
アレックス嬢と一緒にアンダードッグ区へ視察にいった帰り道。
彼女はあの時馬車の中で、「ネズミにチーズを与えると次は牛乳をよこせと言ってくる」と話した。
ネズミはチーズを食べない。
エメンタールチーズに発生する炭酸ガスの気泡が弾けて穴が空いたことを、中世ヨーロッパの人々はネズミがかじったと思い込んだだけだ。
そしてアレックス嬢が言った言葉。
その中世ヨーロッパの思い込みから発生した、イギリスの諺ではないか。
闘技場での観戦を終え、神殿へ戻る道すがらの馬車の中。
ヤマト皇太子はずっと、アリー家がなぜ合成魔獣に力を入れているのかについて話していた。
アレックスの発案だという。
彼女がある時、「手作りの脳みそ」の話を、皇太子にしたことがあるそうだ。
その手作りの脳みそとやらの研究のため、合成魔獣に投資し続けていたのだと。
能無しのアンダードッグ民の代わりの労働力として使うのは彼女にとっておまけに過ぎないと。
だが自分はアンダードッグ民の可能性を信じている。重要なのは教育だ。彼らが帝都から追い出されたとしても、彼らのための教育機関を用意してあげなければとか、そんな話を喋っていた。
俺はそのほとんどを聞き流していた。
それどころではない気分だった。
神殿に着き、階段を登った。
俺とウォッチタワーは神殿には入らず、外で待とうと考えた。
皇太子は、
「俺が呼んでくるよ」
と、建物へと向かっていく。
すると入り口から女性が現れた。
シスタ・イノシャだった。
皇太子とすれ違いそうになり、彼女は軽く会釈したが、皇太子が引き止めて、何か立ち話をしている。
しばらくして皇太子は俺たちのところへ戻ってきた。
「うーん……」
「どうしたんだろう?」
「ここにはいないってさ」
「いない?」
「ああ。城から人がきて、呼ばれていったって」
俺はウォッチタワー(パンジャンドラムはまだ姿が見えない)と顔を見合わせた。
「ついさっきまではいたらしいぜ。けどイノシャさんが言うには、急を要する呼び出しだったらしくて……」
「誰から?」
「親父……皇帝」
皇太子は頭をかいた。
「困ったな……さすがに外国人をいきなり城に入れるのは無理だし……」
「……仕方がない。俺たちはアリーさんの家に戻っていよう」
「うん……」
しぶい顔をしているのが気になった。俺が彼の顔を見ていると向こうも気づいたのか、
「何だろうな? 急に皇帝からの呼び出しなんて……どんな用事が……」
首をひねっていたが、
「まあいいや。俺が城に戻って確認すればいいか。アリー家へ戻るんだな?」
俺たちがうなずくと、階段を下りるよう促した。
下に着くと馬車で送ろうかと言われたが、自前の車があるからと断った。
皇太子と護衛兵たちが去ってからしばらくしたのち、そばの林からパンジャンドラムが姿を現した。
「どうなったの?」
「アレックス嬢が転生者である疑いが濃くなったよ」
「マジ⁉︎ で……アレックスさんは?」
「皇帝陛下の呼び出しで城へいったそうだ。俺たちはこれからアリー家へ戻ると伝えたから、帰ってくるまで待つことになるな」
「ふーん……」
パンジャンドラムは話しながらも、周囲をキョロキョロしていた。
「どうした?」
「いやあ……うん……」
「何だいドラムさん、煮え切らねーな」
「いやね。さっきのコロシアムでさ、ずっとあんたたちの方見てた奴がいたんだよ」
「貴賓席か?」
「うん……」
「どんな人物だろう?」
「女の人」
パンジャンドラムが言うには、フードを目深にかぶっていたので顔は見えなかったが、体格や仕草は女性だったそうだ。
「気になってさあ。何やってんだろって思ってたんだけど、そのうちあんたたちがコロシアムから出ていくからさ。ほっといてここにきたんだけど……」
パンジャンドラムは腕組みした。
ウォッチタワーも首をひねっている。
俺は階段下で立ち止まっての考え事はやめることにした。アルマジロの縫いぐるみを背負っているラリアにゴーストバギーを出すように言う。
「まずは屋敷に戻ろう」
よく晴れた日差しが帝都のフリー地区を照らしていた。
アリー家へ向かいバギーを運転しながら、パンジャンドラムが言っていたことについて考えてみた。
貴賓席の方を見ていたと言うが……皇太子を見ていたのだろうか?
ヤマトは精悍な顔つきのハンサムな男だった。ファンだろうか?
ふと、まだヤマト皇太子が何者か知らなかった頃、アレックス嬢をクロスボウで狙った男を探してアンダードッグ区の近くを歩いたことが思い出された。
あの時はまだフリー地区を歩いていたはずだが、背後から何者かの気配を感じたのだった。
何か関係があるのだろうか?
あの時のフリー地区のどこかには、同じくクロスボウ男を追うヤマト皇太子がいたはずだが。
つけられていたのは俺だったが、俺をつけてどうする? それともロス・アラモスの自意識過剰さがなせる気のせいだったのだろうか?
女性に注目されるだなんて前世ではまったくと言っていいほどなかった幸運な出来事かも知れないが、この異世界ではそう楽観的でもいられない。何か悪い兆候でなければいいが。
女性といえばアレックス嬢だ。
まだ確定とは言いがたい。
だがここへきて初めての、女性転生者の可能性。
バギーはノーブレス区へ入った。フリー地区と違い歩道を歩く人はほとんどなく、豪奢なドレスを着た貴婦人とメイドが、犬の散歩をさせているのを1組見かけただけだった。
さてどうしたものか。
アリー家の屋敷へついたとして。アレックス嬢が帰ってきたとして。何と切り出したものか?
俺とウォッチタワーは、自分が転生者であることを自発的に言ったことはない。
ウォッチタワーはたしかに以前ツェモイと騎士団に漏らすハメにはなったが、あれは拷問のためだったはず。
ここにはいないが、ハル・ノートは痴話喧嘩の言い訳のために、自分の取り巻きの少女に話すことになった。
自分から私は転生者ですと打ち明ける機会などそうそうない。仮に彼女がそうだったと仮定してだ。付き合いの長いヤマト皇太子でさえその事実をまだ知らないということになる。
パンジャンドラムは自分から名乗ったのだったか?
相手はマジノという名の男。マジノはやはり取り巻きの少女たちに自分の正体を明かしていた。その噂からパンジャンドラムは彼と接触を持つ気になったのだったか。
それでいった場合、誰かが転生者とわかりさえすれば、心を開くだろうか。パンジャンドラムがマジノに対してそうだったように?
では何と切り出そう。
アレックスさん。今まで黙っていたが俺は転生者だ。
唐突すぎるな。聞き流されそうな気配がする。
世間話に交えて攻めるか? 手作りの脳みそを作ろうとしているって皇太子に聞いたよ。それに合成魔獣を労働力がわりにだって? まるでAIとロボットだ。俺の国もそうだったら少子高齢化の問題に終止符が打てるんだがな。はっはっは。
悪くない。俺にしてはなかなかさりげないじゃないか。
だが問題はコミュニケーションの取り方ではない。
彼女が転生者ではなかった場合が問題だ。
何せ彼女は女性。
合成魔獣研究の元締め。
魔女研究者。
ヌルチートなる存在が登場するためのあらゆる条件を揃えているように思えた。
道路の向こうにアリー家の敷地を囲う鉄柵が見えてきた。
まずは別邸に戻りひと息つくべきだった。それからパンジャンドラムやウォッチタワー、それにラリアも加えて4人で考えてみよう。
そう思い、バギーを門へと走らせる。
アリー家の門前はいつもと様子が違っていた。
普段であれば門番の類いさえ立ってはおらず、小鳥がさえずるだけの閑静なノーブレス区の一画という風情の門前。
だが今は、無骨なデザインの馬車が3台と、20名近い街の衛兵の姿で埋め尽くされている。
そしてその門から、当主のアリー氏と夫人が衛兵に取り囲まれるようにして出てきた。
平和的な雰囲気とは言えなかった。衛兵たちの顔は厳しく、アリー氏と夫人の表情も固い。
俺はバギーを、どうやら衛兵たちの物らしい馬車の後ろに止めた。そして車を降りるとアリー氏の方へ近づいた。
衛兵が槍を向けてきた。
「待て! 貴様何者だ!」
「アリー家で世話になっている者だ。これは何事だろう?」
「世話になっている……? ということは、報告にあったアリー家の客人か」
「そうだが、これはいったい……」
「では貴様もきてもらおう!」
「…………どこへ?」
俺は1度バギーを振り返った。
助手席のラリアがこちらを見ていた。バギーの後ろにはキャンピングカーの居住用車両。中にはパンジャンドラムとウォッチタワーが乗っている。
視線を戻すと、衛兵が言った。
「現在アリー家息女、アレックス様に国家反逆罪の嫌疑がかけられ、逮捕命令が出ている。よって関係者全てに同行願う!」
バラバラと、俺とバギーを取り囲む衛兵たち。
「待て、待ってくれ。アレックス嬢が何だと?」
「話なら衛兵署で聞いてやる、おとなしく縛につけぃ!」
キャンピングカーから2人が降りてきたが、彼らもまた衛兵に取り囲まれた。
アリー氏と夫人も、不安げな顔で俺を見ている。
俺は言った。
「やれやれ……」




