第199話 コロシアム その三
「ある日、アレックスがついにキレたね。俺は勉強部屋に閉じ込められてたんだけど、窓から逃げようとしたら下に立ってやがった。あいつは言ったね。皇帝陛下から許可をいただいています、部屋に戻らなければ力づくでも構わないと、ってさ。
「俺はあいつを突き飛ばそうとしたんだ。酷いことをしようと思ったもんだよ。そしたらどうなったと思う? 次の瞬間、俺は地べたで仰向けになってた。
「立ち上がった時にやっと、投げ飛ばされたってことに気づいた。俺はカッとなってよ。ブン殴ろうとしたんだ。酷いことをしようと思ったもんだよ。そしたらどうなったと思う? 次の瞬間俺は地べたで仰向けになってた。
「あとはその繰り返しさ。何度立ち上がっても、何度向かっていっても、やっぱり地べたに転んでる。
「何回目だったかな。あいつが、部屋に戻りますかって言ったんだ。俺は泣きながらうなずいたね」
皇太子はあっはっはと笑った。
「それから何日かしてから、あの技を教えてくれって頼んだのさ。あいつは、真面目に勉強するならいいですよって言った。それから長い年月が経って、ヤマト皇太子殿下の華麗なる神技が完成し、品行方正になりましたとさ。めでたしめでたし」
客席から歓声が上がった。
腰高の選手が膠着から脱し立ち上がったのだ。
俺には、腰の低い方が何かの関節技を掛けようとしたのをミスして逃げられただけに見えたが。
拍手を送る皇太子。それからジョッキに口をつけた彼に、俺は言った。
「ではあの技は生まれつきではない?」
皇太子は飲み物を吹き出した。
「ぶはは! そんなわけないだろ? どれだけ細かく気をつけなきゃならないポイントがあると思う? 小指1本動かすのにだって全身の筋肉を使うんだ。肩甲骨と尻の筋肉の関係を知ってるか? 距離の取り方、力の流れは? 生まれつき全部素でできる奴がいたとしたら、そんなの人間じゃねえよアハハ!」
ウォッチタワーも顔は試合場に向けたまま、横目で俺たちの方を見ていた。
そして言った。
「……ほんとだよな。最初から全部極めてれば、スターになれたな、おれだって」
「んん? ウォッチタワーさんは技なんかなくてもメチャクチャ強そうだよ」
「そうでもなかったのさ……遠い昔はな」
皇太子は首をかしげた。
しかしまた試合に目をやる。
「……まあ考えてみると……アレックスはそうだな? 初めて会った時からずいぶん賢い子供だったな。何でもできた。良家の子女は護身術を習うことが多いけど、たしかにありゃ強すぎるような……?」
腰高の選手がローキック。
蹴られた方の左足がその威力に流れた。
苦痛が顔に出ていた。これが前世の、現代の格闘スポーツであれば、あの顔で減点されるだろう。ダメージを負った証と受け取られて。
「あいつ、冷たいと思わない? 下層民に対してさ。考えてみりゃあいつ何でもできるからな。だからできない奴らの気持ちに鈍感なところがあってな」
俺は魔女研究院の前でアレックス嬢が襲撃されたことを思い出した。
「本人は、努力すれば何でもできるって言うのよ。俺だって努力してるけどあんたに1度も勝ったことないって言っても、それは練度の問題であって、下層民は努力すらしてないって言うんだ。俺はそんなことないと思うがね。頑張ってない奴なんか1人もいないさ」
複数の暴漢が襲いかかっていた。
あの時彼女は悲鳴をあげたか?
放たれたクロスボウの矢には毒が塗られていた。
それを知らされても彼女は顔色ひとつ変えていなかった。
「上手くいかないだけなんだよ。正しい努力ってのがあるんだ。自分では上手くできてるつもりでも、実は全然間違った方法だったりする。回り道してる奴が多いんだ。
「俺だってそうだ。自分がどうしてあいつに指一本触れられないのかずっとわからなかった。でもずっとあいつに習って武術をやってきて、だんだんわかるようになっていった。あいつが強いんじゃない、俺の体の動かし方がおかしいんだって」
アンダードッグ区で獣人の子供の投石にあった時。
俺は彼女をかばって石をキャッチしたが、あの時アレックス嬢は俺の背中に手を触れた。
「アレックスがそう教えてくれた。つまりさ、さっき、俺がある意味恵まれてるって言ったろ? 教えてくれる人がいたってことさ。必要なのは正しいやり方を知ってて、教えてくれる先生なのさ。
「だが親父……皇帝陛下はアンダードッグ区の教育についてはあまり関心がない。アレックスもそうだ。努力できない怠け者は放っておいて、シビリアンの能力を底上げすることに集中しろってさ。カスには奴隷労働でもさせておけばいい、もうあれ以上成長することはないからって。
「賭けてもいい、500年経ってもあのままだ。アンダードッグ区は動物園のままだ、それがアンダードッグだ。そう言ってたな。どうしてそんなことわかるって訊いたらさ」
俺はあの時、俺が接近してきたから止めようと手を出したのだと思っていた。
だがあれは……。
「あいつは言ったよ。調査してわかった。金持ちと貧乏人の家系は、500年間変わってないって。はん。いつ調査したって言うんだ? オルタネティカの歴史は383年しかないってのに」
腰高の選手のハイキックが決まった。ローキックと見せかけたフェイントだった。相手の選手は腰から崩れ落ちた。ウォッチタワーが、あの倒れ方はもう立てねえわと呟いた。皇太子は立ち上がり、他の観客と共に歓声をあげている。
石をキャッチしようとしたのだ。
あの時アレックスは俺を止めようとしたのではなく、石をキャッチしようとしたのだ。
彼女は察知していた。石が投げられたことを。ただその前に俺が立ちはだかったので、結果的に俺に触れる形になっただけだった。
ヤマト皇太子が、ちょっと席を外すと俺たちに告げた。闘技場まで降りていって祝福してくるそうだ。
彼と護衛兵たちが貴賓席を出ていき、ウォッチタワーとラリアと俺だけになった時。
俺は言った。
「アレックスが転生者だ」
「な、何?」
「聞いていたろう。皇太子じゃなかった」
「あー……生まれた時から何でもできてたからってことか?」
「それだけじゃない。彼女は《サッキ・レーダー》が使える」
「えっと、あの気配を察知するスキルだな。けどあれぁ、腕のいい奴なら身につけるスキルじゃねえのか? ガスンバでもたまにいたぜ、そういう奴……」
「今皇太子が話していた。金持ちと貧乏人の家系が変わっていないという調査の話」
ウォッチタワーは首をかしげた。
俺は言った。
「……地球で行なわれた調査だ。俺もネットで見たことがある。どこかの国の研究だった。世界各国の家庭を調査したんだ。それで、イタリアだろうと日本だろうと、一族の収入がほとんど変動していなかったということがわかった」
さらに言った。
「500年間だ」
富裕層は500年前から富裕層。貧困層は500年前から貧困層。
何も変わっていない。
そういう調査。
アレックス嬢はそれを知っていた。




