第190話 アンダージアンダードッグ
アンダードッグ区の外れ。
苔むした空き家が並んでいる人気のない空き地。草がぼうぼうに生えている。
元は何かを囲んでいたのだろう、ボロボロに崩れた石壁が1枚だけある場所。
「くれぐれも言っておくが……」
その壁の下にある、四角い蓋のマンホールを開けながら俺が言った時、隣りに立つホッグスは何であるかと応えた。
「これから俺たちは下水道へいくわけだが、少しでも妙なマネをしてみろ。ラリアが君の服を引き裂くからな」
「妙なマネとは何であるか……」
「ヤモリだ」
「もう持っとらんのである、失礼な。そんなに私信用ないか?」
「言ってみただけだ。下水道へ女性と2人で歩くのにはいい思い出がないのでね」
持ち上げた蓋を壁に立てかけた。
ホッグスは訝しんでいた様子だったが、
「マスターは下水道にいた時初めてヌルチートに襲われたですよ」
ラリアがそう話すと、ホッグスは難しい顔で自分の背中を振り返ろうとして、その場でくるくる回った。
梯子は木製だったがしっかりした作りだった。俺は先に降りた。右を見ると10メートルほどいったところが瓦礫でふさがっている。
左を見ると暗闇。
《ナイトヴィジョンのスキルが発動しました》
《ホッグス少佐はノクターナリー・アイのスキルを発動しています》
降りてきたホッグスにどこへ向かうのか尋ねる。彼女はボストンバッグのような袋を持っていたが、そこから紙を取り出した。
どうやら地下道の地図らしい。
「どこ……と言ってもわからんな。とりあえず調査するだけであるから……」
そう言って、さらにバッグからショートソードを取り出す。ショートソードはナックルガード付き。黒い革製の鞘とベルト。それを彼女が腰に巻きつける時金属音はしなかった。隠密行動を取る兵のための、軍の支給品かも知れない。
俺たちは左へ歩き出した。
「君も大変だな」
「何がであるか」
「1人でこんなひどい臭いの下水道の調査をやらされるなんて」
「任務であるからな」
「お母上のためか?」
「違う。自分自身のためである」
国のため、とは言わなかった。
ドーム状の空間になっている三叉路の合流地点まで進む。ホッグスは地図を見て、左へ歩を進めた。
「崩落があったのは南側である。そこ以外は保全のために職員が定期的に入っている」
「君が地下の足音をキャッチしたというのは?」
「南側。上の町の地図とこの地図を見比べた結果、やはり崩落で塞がった通路のさらに奥であった」
ホッグスは1度立ち止まり、俺に地図を見せた。
下水を表す通路状の線が無数に張り巡らされてある絵図面。そのうち地図の下側にいくための通路は、全て赤くバツ印がつけられている。
「この塞がっている向こう側を調査したいと言うわけか……上から降りるマンホールは?」
「アンダードッグ区を管理する役所に問い合わせたが、入り口は全て土砂を入れて封鎖されたと言っていた。昔のことだそうだが、雨が降ると汚水が溢れて始末に負えないから、完全に潰したそうである」
では地下の足音は、どこから入った者がさせていたのか。それを調べるということだ。
それから2人(ラリアは左腕)で歩き回ってみたが、かなり高度な技術で造られた下水施設のように思えた。
通路のところどころに古びた木製の扉があったりして、その通路から別の区画に移動できるようになっている。
その扉を開けたり閉めたりとかしながら調査を続ける。
中央に溝のある通路を、周囲に目を凝らしつつ歩く。
「ずいぶん立派な造りだな」
「我が帝国の偉大さがわかったか?」
「どのぐらい前に造られたものなんだろう」
「たしか……5代前の王、まだ皇帝と名乗る前のことである」
ホッグスはそう言いながら、左手にあった扉を開けた。
俺も中を覗き込んだが、瓦礫で埋まっていた。
彼女が閉めようとした時、俺は言った。
「……その頃からちょうつがいがあったのか?」
「ぬぁん?」
扉の取っ手は右側。そこを掴んだままのホッグスが俺を見上げたが、俺の方は扉左側に顔を近づけた。
金属製のちょうつがい。薄い金属板を釘で止めてある。
「あってはおかしいか?」
「正直に言うとな。この世界は俺が前世で暮らした世界と比べるとかなり文明が遅れているんだ。王が5回も交代するほど時代を遡っても、こういう細かい部分は俺の世界とあまり変わらないんだなと思って」
「いつだって天才は生まれるものであろう。三賢者がそうであったように」
「……それもそうだな」
俺はちょうつがいから目を離し、また歩き出した。
たしかに別に不思議がることでもない。
この異世界は全体的に中世ヨーロッパめいた外観をしているが、『中世ヨーロッパめいた外観』というイメージを日本人が抱く時、たいていそれは近世……と言うよりヨーロッパの観光地のことを思い描いている。
本当の意味での中世ヨーロッパは文明としてはかなりの暗黒期だったはず。
それはそもそもキリスト教徒が十字軍の遠征で、イスラム世界の図書館を焼いてしまったことが遠因でもあると聞いたことがある。
文明的には、中国やアラブの方が進んでいたのだ。当時のヨーロッパ人ですら、「良い物はアジアにしかない」と嘆く書簡を残していたと聞く。
イスラムは科学を否定しなかったが、キリスト教徒はその人類がかき集めた記録を焼いた。退行したのだ。
そしてこの異世界にはキリスト教はない。
むしろここの宗教は、知恵と知識によってヒューマンを導いた三賢者を讃えるものだ。
ちょうつがいやらガラスやら、合成した魔獣から供給されるエネルギーで銃をブッ放す方法やらがあることは別に議論するほどのことでもない。
先ほどのちょうつがいが、年数の割に大して錆びていなかったことがちょっと気になっただけだ。
そのせいで、ガスンバで見た魔女の館が、数千年も前の遺跡の割に近代的な洋館の造りをしていたことを思い出しただけだ。
天才少年、吐院火奈太が創ったこの異世界。
今考えてみてもわかることと言ったら、下水道はたいへん臭いということだけだ。
ふと。
ホッグスが立ち止まり、俺に手のひらを向けた。
止まれと言うのだろう。彼女は前方の突き当たり、丁字路の右方向辺りに目を向けていた。
「ロス、隠れろ、誰かくる」
俺は辺りを見回した。
左の壁にまた扉があったのでそっと開けると、中は物置で、スコップや熊手のような物が置いてある。そこへ入って扉を閉めた。
ラリアと共に息をひそめる。やがて複数の足音が聞こえてきた。
「おっ⁉︎ そこにいるのは……ホッグスさんとこの娘さんじゃねーか?」
男の声。ホッグスに気づいたらしい。
「えっ! ホッグスさんってこんな美人の娘がいたのか⁉︎」
「知らなかったのかよ」
「待てよ、クーコちゃんは子供の頃シビリアン区の寄宿制学校にいったんだよ。10年ぐれえ前だっけか?」
最低でも3人いるようだ。
「何やってんだぁ? こんなところで……」
「うむ。これを探していたもので……」
「何だそりゃ、ネックレス?」
「溝から落としてしまって」
「かーっ! それでわざわざ探しにきたってのかぁこんなとこまで!」
「だ、大事なものなのだ……モールング、あなたたちの方こそこんなところで何を?」
「あーいやあ、その……」
答えがなかなか返ってこない。男たちのヒソヒソ声が聞こえる。
想像してみた。明かりのない下水道に、若い美女と、数人の男が、会話もなく突っ立っているところを。ずいぶんリアクションが遅いように思えた。
「いやー何でもねーんだ! 何でも! うん!」
たったそれだけ答えるために会議をしていたのだろうか。
何か用事があっただけならそう言えばいい。この場合、濁してまで言いたくないことには何が考えられるだろうか? 殺人や盗みなどの違法行為。女房に隠れたヘソクリの隠し場所。友だち同士で探検ごっこ。異世界転生した場所がそこだった。
「おい待てよ。その子にも手ぇ貸してもらっちゃどうだ?」
そう言ったのは、それまでまだ声を聞いていない男の声。これで最低4人。
「はー⁉︎ おまえ何言って……」
「なあクーコ、おめえ、たしか軍で出世したんだっけか?」
「……馴れ馴れしい呼ばれ方はあまり好きではないのであるが」
「聞いて欲しいことがあるんだよ。ちょっと話さねえか?」
「おいまさかおまえ、あのこと話す気じゃ……!」
「だってよ、軍の中に協力者がいたらやりすくね?」
「バッカおまえ、こいつはシビリアン区の軍人だぞ! 俺らの仲間じゃ……」
「仲間だろうが! 同じアンダードッグ区の獣人だぜ、話せばわかってもらえるさ!」
「じゃあ、アジトに案内するってのか⁉︎」
……どうやら俺とラリアとホッグスの混成対テロ部隊は、いきなり核心に近づきつつあるように思えた。
どうしてこうも上手くいってしまうのだろう? 幸運の女神は前髪しかないという。掃き溜めから飛翔しようとする鶴であるクーコ・ホッグスの相棒ロス・アラモスが、豊かな髪を持っていたからか?
いや単純に間抜けなだけかも知れない。
「アジトって……何の話をしているのであるか……私、もういかなきゃ……夕飯の支度をするのである……」
「まあまあ待ちなよ! な、オジサンたちと、ちょっとあっちへいこう! な!」
「な、何であるか、もう……」
足音が遠ざかっていく。
アジトとやらへ向かうようだ。
左腕のラリアと目が合った。
問題はここからどうするかだ。
ホッグスに聞いたところによれば、獣人は耳がいい。
扉をガチャリと開けて追えば、ヒューマンに尾けられていることに気づかれるだろう。
もう少し。ホッグスたちが離れるまで待つべきか。




