第189話 特別任務
アンダードッグ区についてすぐゴーストバギーを縫いぐるみに戻すと、獣人たちとトラブルを起こした場所へラリアと共に向かった。
建物に囲まれた空間を照らす陽の光。まだ夕暮れになるには早かったが、地面はほとんど影になっていた。
周囲は無人。あの少年の姿も見えない。
あの時ホッグスが立っていた路地に目をやった。
やはり誰もいない……と思っていた、ちょうどその時だった。
路地の奥からホッグスが出てきた。
ホッグスはなぜか首を90度に達しそうなほど左にかしげていて、横目で地面を見ながらゆっくり歩いている。
まるで首の骨が折れているかのような姿だった。
「少佐」
俺はスペースの真ん中から声をかけた。
ホッグスの首は折れてはいなかった。びくりと肩を震わせてからこちらを見ると目を大きく見開き、
「ロス、どうしてここに?」
ホッグスが立っているのは、建物の壁に沿って登る10段ほどの階段の上、その建物の路地へと入るところ。彼女は最上段の、錆びた手すりまで歩いてきた。
俺は言った。
「君の方こそ。昨日もここにいた。この国じゃ何度も引っ越しの挨拶をする風習でもあるのか?」
尋ねてみたが、苦虫を噛み潰したような顔で目を逸らしていたので、俺は階段まで歩み寄った。
「そっちの方こそさっきは何をしていたのであるか。アリー家の御息女と一緒であったが」
「顔を知っているんだな」
彼女は質問に対する質問には答えず、肩をすくめて自分の質問の答えをうながしてきた。
「視察の際のボディガードを頼まれたんだ」
「正解であったな。予想なされていたであろうトラブルが起こっていた」
「君も見ていたな」
「うむ……実際に解決したのはボディガードの貴君ではなくラリア殿であったのも見たぞ」
階段の上のホッグスを見上げながらの会話は、2階の窓から顔を見せるジュリエットに話しかけるロミオのような小じゃれた気分だった。ああボディガード、どうして貴方はボディガードなの? 本当にボディガードなの? 野次馬じゃなくて?
「帰ったのではなかったのか」
「帰ったさ。で、俺たちだけ戻ってきた」
「どうして」
「君がいたからさ」
いよいよロマンティックになってきた。ホッグスは鼻で笑った。
「何をやっているんだろう?」
俺がそう尋ねると、ホッグスは周囲をキョロキョロ見回した。そして、
「きてくれ」
と路地の奥へ引っ込んでいった。
ホッグスについていくと、川に出くわした。
両サイドの建物の壁と路地がいきなり途切れ、石積みの護岸工事がなされた川で行き止まり。
川の左の方が上流のようで、対岸に見える街の奥へぐるりと回り込んでいるのが見えた。ひょっとしたら、あの街の向こうに、ツェモイと馬車で渡った橋があるのかも知れない。
河岸は石段……と言っても大きく四角い石を積んだものなので、1段1段の高さは昇降用の階段のように低いものではなかったが、ホッグスはそこを降りていく。
俺も左腕のラリアと共に降りた。
ホッグスはさらに川べりに沿って左へ歩いていく。ついていくと、ホッグスは立ち止まった。
「何だか臭いな、ここ」
「そこに排水路があるのである」
「何でこんなところへ」
「人に聞かれたくない話があってな。獣人はみんな耳がいい」
俺は右手にある建物を見上げた。
壁だけで、窓はなかった。ホッグスの後ろに見える、石段を途切れさせて造られた排水口からは、ドボドボと汚水が川に流れ込んでいてやかましい。
「……やはり貴君の力を借りる必要があるかと思って……」
ホッグスは両手の指を腹の前で組み、体こそ俺の方へ向けていたが、顔は川の方を向いてそう言った。
「何だ。大家が退去はさせないとかゴネてるのか」
「引っ越しの話ではない。私の生家はもっと離れている。……任務の話である」
「任務? 君は休暇中では?」
ホッグスは川を向いてしゃがんだ。そのまま俺に手招きをしている。俺にもそうしろと言うのだろう、ホッグスの隣り、石段に腰を下ろした。
少し周囲を見回したあと、ホッグスは声を潜めて話し始めた。
「休暇というのは半分は合っている。だが実際は、休暇ということになっているだけなのだ」
「と言うと……」
「実は今、特殊な任務を受けているのである……」
俺も思わず周囲に目をやった。見える限りには誰もいないし、声が町の中に聞こえる心配もないように思える。
「貴君は先日、アレックス嬢が襲撃されたのを目撃したと言っていたな」
「ああ。君は反乱勢力がどうのと言っていたが」
「その反乱勢力のアジトを探しているのだ」
ホッグスは俺の方は見ず、川を向いて喋っていた。水面を見るでもなく、対岸のやや上へ顔を向けている。
「アジト?」
「うむ。どうやらこのアンダードッグ区のどこかにあるらしいという情報を得てな……」
「それで、君が? 司法の仕事じゃないのか? 君は軍人だろう」
「うむ……」
奇妙な話だった。
クーコ・ホッグスは軍の少佐なのだ。ガスンバで出会った時も、かなりの数の兵を率いていた。それが自国のスラム街を1人で歩いてテロリストを探し回っている。
「……アンダードッグ区出身の者達……特に獣人は司法の仕事には就けんからな……」
そう言った時だけこちらに顔を向けたが、彼女はまた対岸を見た。
「一般兵でならまあいはするが、重要な任務を与えられるまで出世することもない。ましてや上流貴族のお命を狙う者の調査など任されたりはしない。それに……犯人はおそらくアンダードッグの住人であろうしな」
「待ってくれ。君だってそうだろう。ここの出身で、獣人だ」
「だからこそ私なのである。アンダードッグに詳しく、それなりの信頼がある」
「他に、チームのメンバーが?」
ホッグスは鼻で笑うと、
「1人である。さっき話した条件を満たしている軍や衛兵は私しかいなかった。だから休暇を取ったという態にして、こうして調査をしていたのである」
それから呟いた。そのために母が療養院に移されることになったと。川面を見ながら。
「それで……相手は立ち退きに反対している者たちか?」
「であろうな。一応、その線である」
「当てはあるのか」
「地元の不良グループやギャングがいるが、奴らではない。奴らは強い者は避けて通るし、立ち退き料さえもらえればいいと考えておるようであった」
「立ち退き料の釣り上げ目的とかは?」
「そんなことをすれば力づくで排除される。ギャング共はそれをわかっている。そのぐらいの知能だけはある」
ホッグスはため息をつく。
「つまりそのぐらいの知能すらないアホ共が反乱勢力だということになるのであるな。アレックス嬢に危害を加えれば、さらにアンダードッグ区の悪評を強めるだけで何も手に入らんだろうに」
「手がかりは?」
俺がそう尋ねると、彼女は1度排水口を振り返った。
向き直ると、
「どうも地下に空洞があるのである」
「空洞?」
「昔はこの町にも下水が通っていた。一部は機能しているが、私が生まれるよりずっと前、地震が起こって潰れてしまったそうだ」
ホッグスが言うには、その当時オルタネティカはまだ帝国と呼ばれるほどの領土は持っていなかったそうだ。
むしろ当時は領土拡大のため財源のほとんどが軍備に回されており、アンダードッグ区の下水は放置されてきた。
利便の悪いこの区に、自然と下層民が流れ込んできた。ホッグス的には、国が意図的にここへ放り込んだのではないかと考えているそうだが、いずれにせよそうして出来上がったのがアンダードッグ区のスラムなのだそうな。
「地下へは誰も立ち入らない。ずっと崩落したままである。だが……」
耳……ヒューマンの耳を触りながらホッグスは言う。
「誰かいるのである。地下に」
「どうしてわかるんだろう」
「私の……というより、狐族のスキルさ。地面の下の音が聞こえる」
俺は先ほどホッグスと遭遇した時のことを思い出した。
彼女は頭を横に傾けていたような気がする。首の調子が悪いのかと思っていたが、あれは耳の穴を下に向けていたのだと言われれば、そういう風に見えないこともない。
「足音がするのである。少なくとも2本足で歩く誰かの。下水の復旧の計画はされていないことは確認を取った」
「では今度こそチームを組んで再調査というわけだ」
「そこであるのだがな……」
ホッグスは少し口をつぐんだ。
俺の顔を見たり、対岸を見たり、町を振り返ったりしていたが、やがて言った。
「これから地下へいってみようと思うのであるが……よければついてきてくれんか?」




