第188話 暴走! 凶暴コアラ!
アンダードッグ区では、合成魔獣製造場、その建設プロジェクトの担当者が2人、待っていた。
区域を統括する役所の所員と、土木工事を請け負った監督(親方と呼ばれていた)。
彼らは10人の護衛兵と俺を引き連れたアレックス嬢に挨拶をした。あまりマナーを学ばない身分の者なのかぎこちなくは見えたが、彼らなりに、だ。
それから視察が始まった。
俺と左腕のラリアはそれをぼんやりと眺めていた。
アレックス嬢は20歳にも満たない年齢に見えたが、こういうことを任されるということは優秀な才女のように思えた。
それとも貴族というものはそういうものなのだろうか? 若いうちから役所のマニュアル人間と髭面のドワーフめいた現場監督を顎でこき使う経験を積まされるのだろうか。スラムの掃き溜めの中を野郎ばかりと歩く青いドレスのアレックス嬢の姿は、どことなく非現実的だった。
やがて、昨日ホッグスと会った、建物が作り出す空間部分でみなは立ち止まった。
何となく空を見上げる。汚れた建物の隙間から青い空がのぞいていた。
いつ終わるのだろうか。そう考えながら周囲を見回していると、10段ほどの階段を上がって入る細い路地の暗がりに、人影があるのに気づいた。
ロングスカートの女性。
ホッグス少佐だった。なぜかまたいた。
向こうもこちらを覗いていたので俺に気づいたようだ。どこかムッとしたような顔をしてから、路地の奥に引っ込もうとしたが……。
《剣聖・サッキレーダーが発動。9時の方向》
左手から小石が飛んできた。軌道の先には親方と話しているアレックス嬢。石には気づいていない様子。
俺は素早く彼女の前に立ち、飛来する石を掴み取った。
振り向くと、アレックス嬢は俺の背中に手を添えていた。急に走ってきたので驚いて止めようとしたのだろう。
石の飛んできた方へ振り返ってみた。
そこにも隙間のように細い路地がある。
男の子がこちらを睨んで立っていた。
ボサボサの黒髪で、頭部の左右に膨らみがある。寝癖かと思ったが違った。耳だった。犬のダックスフントのような垂れた耳だ。獣人だった。
「でてけ! ここは僕たちの家だぞ!」
獣人の少年が叫ぶとまったく同時に護衛の兵士が3人、彼に襲いかかり、あっさりと捕らえられた少年は地に組み伏せられた。
うつ伏せにさせられたまま顔だけを上げていた。その視線は真っ直ぐに、アレックス嬢に向けられていた。
突然、周囲の建物から大人の獣人たちがわらわらと飛び出してきた。
「や、やめろ! 坊主を離せ!」
「何すんだコラー!」
獣人たちは少年を取り押さえた兵士に掴みかかった。
「貴様ら、こちらにおわすお方をどなたと心得る! 第1位階級アリー家御息女、アレックス様なるぞ!」
「ええい控えい控えい、控えおろう!」
少年を押さえている兵士のうち1人が獣人を突き飛ばし、アレックス嬢のそばにいた2人の兵が抜剣。とたんに物々しい雰囲気になった。
「許してくんろ! まだガキでねえか!」
「子供だからといって容赦はできん! この者、アリー家御息女に暴言を吐きおったのだぞ!」
……どうやら兵士たち、投石されたのが見えていなかったようだ。組み伏せた少年を関節技でもって締め上げている。少年は悲鳴をあげていた。
俺は言った。
「おい、ちょっと乱暴すぎないか。ただ藪から棒に暴言を吐いただけだろう。何もそんな風に……」
「何を言う! 捨て置けんことだ! 下民の分際で上流貴族にみだりに話しかけることは禁じられている! あまつさえ無礼な発言を!」
「じゃあどうするって言うんだろう?」
「もちろん衛兵の詰所へ連行し、法により200叩きの刑に処す!」
周囲の獣人たちが抗議の声をあげた。ひどすぎる、だの、刑が重い、だの。
まったく同感だった。
俺は兵士たちに近寄り、
《ザ・マッスルのスキルを発動しました》
「離せィ!」
彼らを引き剥がした。できるだけ優しく、ガラス細工を扱うように。それでも取り押さえるためしゃがんでいた2人の兵を遠ざけることができた。
「何をする! いくらお客人とはいえ……」
「まだ子供だぞ」
「ええい邪魔をするな! 帝国法で定められたとおりに裁く、外国人は引っ込んでいろ!」
俺はアレックス嬢の方を見やった。
彼女に助けてもらおうと考えていたのかも知れない。若い……いや年齢は関係ないか、女性特有の優しさと彼女の高い階級が、この場で法を曲げて大事にならないよう治めてくれるのではないかと思った。何せ200叩きだ。死んでしまう。
だが彼女は……。
他人の家の壁を這う蟻を見つけた時のような目で少年にチラリと一瞥をくれると、
「親方さん、続けてください」
と、親方と役人の方へ向き直った。
まるで何も起こっていなかったかのような態度だった。自分が石を投げつけられたから怒っているのか? だが彼女は投石に気づかなかったはずだ。周りの兵士ですら気づいていなかったのだから。
案山子のように突っ立っている俺をよそに、兵士たちが再び少年を捕らえようとした。大人の獣人たちは抗議の声をあげ騒ぎ始めた。
俺は路地の1つに目を向けた。
相変わらずホッグスがいる。彼女は壁に身を寄せて、何か隠れるようなそぶりでこちらの様子をうかがっているようだった。苦虫を噛み潰したような顔をしていて、だがこちらへくる気配はない。
剣をチラつかせ兵士が言った。
「黙れ下衆ども! これ以上ギャアギャア騒いでるとついでに貴様らも檻にブチ込むぞ! 貴様らに相応しい動物用の檻にな」
そして獣人たちはさらにギャアギャア騒ぎ始めた。
そりゃあんまりだの、もう一遍言ってみろだの、収拾がつかない。
少年も叫んでいた。
「鬼! 悪魔! 冷血女! よくも僕たちの家を……」
「こやつ黙らんか!」
「黙るもんか! 貴族だからって威張りやがって! おまえなんか、おまえなんか……」
すると、俺の左腕に掴まっていたラリアが地面に滑り降りてディフォルメを解除した。
とことこと少年の方へ歩いていき……、
「このバカっ!!!!!」
引っぱたいた。
「いてッ! 何す……」
「バカ! バカっ!」
「や、やめ……」
「ばかたれーっばかたれーっ! 何でマスターの気持ちがわからんのんじゃ、ばかたれーっ!」
往復ビンタにボディブロー、ローキックなどなど、多種多様かつ矢継ぎ早の攻撃を、ラリアはまったく唐突に繰り出し始めた。
倒れた少年にさらにマウントの体制を取ると、某妖怪漫画を描いたことで有名な御大の、その漫画のごとき高速ビンタをビビビビビンとばかりに浴びせる。
ラリアのあまりの剣幕と唐突さに、兵士ばかりか俺まで固まっていた。
「や、やめてよー! うわあああん!」
「このロクデナシ! 反省したですか!」
「うあーんわーん!」
「うあーんじゃわからんです! ごめんなさいは⁉︎ ごめんなさいと言うですよ、この!」
「わあん、ごめ……ごめんなさいい……!」
「聞こえないです! もっと大きな声で! 若いんだから腹から声出すです!!!」
「ごめんなさぁーーーーい!!!」
絶叫ののち、少年はついに頭を抱えてすすり泣き始めた。
ラリアは立ち上がり、そばに突っ立っていた兵士に向かって言った。
「こんなもんで許してやってつかぁさいです……自分からよく言って聞かせておくですんで……」
なぜか腰をかがめ、ギラつく目で兵士を上目遣い。
兵士たちも、
「お、おう……」
「な、何もそんな殴らんでも……なあ?」
「う、うむ。まあその……今回は子供のやったことということで、ゆ、許してやることにしよう……以後気をつけるんだぞ!」
少年に向かって言ったのだが、彼はうずくまって泣いてばかりいるのでラリアが、
「返事はァ!!!!!」
「は、はいぃ……」
兵士も、大人の獣人たちもポカンとしていた。
親方も役人も。研究室担当者も。ポーカーフェイスのアレックス嬢でさえだ。
ホッグスの姿はいつの間にか消えていた。
視察を終え馬車の中。
もう今日のやるべきことは終わり、アリー家へ戻る途上。
俺はずっと向かいの座席のアレックス嬢の顔を見ていた。彼女は何かの書類に目を通していたが、俺の視線に気づいたか顔を上げる。
「……何か?」
「冷たいんですね」
「何がでしょう」
「さっきの子供のことです」
アレックス嬢は書類に目を戻した。
「この国では貴族に話しかけただけで刑罰を?」
「ええまあ」
「厳しすぎる」
「法は法ですから」
「心が痛まないのか? 子供を殴ることに」
書類を見ながら彼女は言った。
「私が殴るのではありません」
「同じことだ」
「どうすればよかったんですか?」
「許せばいい。簡単なことだ」
「その次はどうするんですか?」
「次?」
「大目に見てやって、つけあがらせるんですか」
書類を脇に置いた。ため息とともに。
「アラモスさん。アラモスさんは獣人を連れてらっしゃるから、そういうことに関しておおらかなのかも知れませんね。しかしながら、よそはどうかはわかりませんがこの国では獣人を甘やかすことはいいことだとは考えられていません」
「何が気に食わない? 耳の位置が君と違うからか」
「いいえ。下等だからです」
「中にはマシな者もいるだろう。何にだって例外はある」
「語弊がありましたね。獣人というより最下層民です。彼らは愚かです。いえ愚かなだけならいいんです。問題なのは学習能力がない。ずぅっとあのまま。ご覧になられたでしょう?」
「何をだ」
「大人の獣人ですよ。騒ぐなと言われてから騒ぎ始めた」
俺が黙っていると、脇に置いた書類をまた膝に置き視線を落とす。
「兵士が衛兵の制服を着ていないものだから、逆らっても大丈夫だと考えていたんでしょうよ。自分が安全だと思った時だけ気が大きくなる。理想も何もない」
「誰だってそうだろう」
「違う人もいますよ。何にだって例外はあります」
そう言った時、やや顔を上げ口の端を歪め微笑んだ。
出会って始めて目撃した美少女の微笑みは、会話の揚げ足取りの嘲笑だった。
「……だから叩いて躾けるべきだと?」
「そうでなければ覚えませんでしょう? 彼ら」
そこでアレックス嬢の視線は、俺の隣りに座り窓の外を眺めているラリアに移り、
「その子はよくわかっているみたいじゃないですか。獣人との付き合い方」
「……ずいぶん冷たいことだ。強者が弱者を相手に慈悲もなしか。嫌な国だな」
ポーカーフェイスに戻った彼女はもう書類から目を離すことはなかった。
ただこう呟いたのみ。
「……ネズミにチーズを与えると、次は牛乳を寄越せと言ってくる……」
それから俺たちはひと言も話さなかった。
アリー家に戻った時、まだパンジャンドラムたちも帰ってはいなかった。俺は外出することを屋敷の使用人に伝え、ゴーストバギーを出現させて街へ繰り出した。
「どうして殴ったんだろう」
助手席に座り窓の外を眺めていたラリアはこちらを振り返り、
「ああすればみんなイジメるのやめちゃうですよ」
「どこで覚えた。あんな極道みたいなやり方」
「ボク、マスターと会った国の港で、高い壺を割っちゃったことあるです」
「壺? 他人のか?」
「はいです。壺を持ってた人が、殺してやるーって言ったです。そしたら商人さんが……」
「奴隷商人……」
「はいです。商人さんがきて、ボクを叩いたですよ。それで、あたしの奴隷が悪いことしてごめんなさい、これで許してやってつかあさい、って」
「痛かったか?」
「痛くなかったです。痛くないように叩かれたですよ。音だけ大きくて」
ラリアは少しだけ窓の外を見たが、また振り返った。
「その時はまだ商人さんの奴隷じゃなかったですけど……商人さん嘘ついたですよ。それで」
「奴と一緒にあの店に?」
「はいです」
「そうか。よくやった」
「マスターどこいくですか?」
「アンダードッグ区だ」
オーストラリア人が観光客を騙すために考え出した、体長5メートルの凶暴なコアラモンスターの名前を思い出そうとした。
そう、ドロップベアーだ。俺はハンドルを左に切って角を曲がった。




