第186話 排尿せよ! ロス・アラモス!
神殿の長い階段を登り最上段まできた時。
ちょうどウォッチタワーが入り口から出てきたところだった。
彼だけではなくアレックス嬢とお付きの緑髪メイド、護衛の兵士。ツェモイ。そして神官たちもまた、アレックス嬢の見送りなのか揃ってこちらへ歩いてくる。シスタ・イノシャもいる。
階段の手前までやってくると彼らは立ち止まる。神官の老人がアレックス嬢に話しかけている声が聞こえた。
「よろしいですかな。気の迷いなのです。どうかこのような、異教の民の申すことに耳をお貸しにならぬよう!」
そばにいたウォッチタワーはムッとしたような顔をしていたが、俺のそばへやってくる。
「どうしたんだろう」
「どうしたもこうしたもねえよ……。魔女がこの世界を終わらせる企みをしてるなんて嘘八百はやめやがれって、そう言うのさ」
おそらく神官たちはそんな喋り方はしてないんじゃないかとは思ったがそこは触れなかった。
ツェモイは頭をかいている。
「しかし神官長」アレックス嬢が言った。「この方は実際にガスンバにおいて、魔女が蘇らせたというエンシェントドラゴンと戦っています。ドラゴンの潜伏は、オークの部族に伝えられていたんですよね?」
アレックス嬢が振り向いてそう言うのへ、ウォッチタワーはうなずく。
「何かあると思うんです。わざわざガスンバから訪ねてきてくださったんですよ。もう少し真面目にお話を聞いても……」
「アレックス様。魔女様は我らヒューマンを大滅殺からお救いくだされた神のごときお方……いや、神そのものと言っても過言ではありません。その魔女様が世界の終焉を望むなど……」
神官長はそこでチラリとウォッチタワーを見やりつつ、
「こちらのお方はオーク。我らとは異なる教えを持っているのでしょう。きっと何か誤解があるのです」
「しかし神官長……」
「アレックス様。我らヒューマンは三賢者を敬い、その教えをまっとうすべきなのです。未来永劫」
俺は神官たちを見やってみた。みな一様にうんうんと頷いている。シスタ・イノシャだけはまるで彫像のように静止したまま、やり取りを見守っていたが。
「……もう結構です」
アレックス嬢は神官長一同に一礼すると、階段へ歩き出した。
彼女は脇にどいた俺に「参りましょう」と声をかけて階段を降り始める。
ウォッチタワーと共に続いた時、背後から神官長の呟きが聞こえた。
「ふーん、おもしれー女」
アリー家の屋敷へ戻った時にはすでに夕暮れとなっていた。
神殿の森に隠れていたはずのパンジャンドラムはすでに先回りして戻っていて、我々の馬車が本邸の前についた時、別邸の方から歩いてきた。
ツェモイはアレックス嬢と俺たちに挨拶すると帰っていった。何かあったら帝国軍省へ連絡をくれと言い残して。
それから俺たちは本邸の方で夕食に呼ばれた。
午前中アレックス嬢が襲撃されたところを俺が助けたことに、アリー家当主がお礼をしたいとのことだった。
何か映画に出てきそうな、いかにも貴族という感じのお食事部屋。長いテーブルに凝った装飾の燭台が置かれ、ロウソクなんかも燃えていたりした。
夕食にはアリー家当主とそのご妻女も同席していた。
妻女はウォッチタワーとパンジャンドラムが物珍しいのか目を見開いて眺めながら食事していた。
当主の方はと言えば、俺に冒険者としての冒険譚を聞きたがった。
しかし話すことがあまりない。と言うより、ロス・アラモスの痛快活劇など転生者としてヌルチートと不毛な争いをしたことしかない。
その場にはアレックス嬢とその母親もいることだからそんな話もしたくない。だからタイバーンでのパンジャンドラムとの出会いだとか、ガスンバでのスピットファイアの奇天烈さだとか、そういった話をした。
ひとしきり話し終え、アリー氏が感嘆のため息を漏らしたあと、少しばかり沈黙が訪れた。
アレックス嬢やアリー夫人から何か質問でもあるかと思ったが、ない。黙々と食事をすることになった。
そして意外なことに、その沈黙を真っ先に破ったのはロス・アラモスだった。
「……今日、アンダードッグ区というところへいってみたのですが」
沈黙に耐えられなかったなど初めてのことだ。特に食卓を囲んで家族団欒のひと時にひと言も喋らない風習のある俺がだ。
アリー氏と夫人は、やや眉をひそめた。
なるほど。楽しく貴族メシを堪能している時に汚い下層階級の話題はTPOに相応しくないということらしい。2度と喋るものか。
「私たちが神殿にいた頃ですね。何かあったんでしょうか」
合いの手を差し伸べてくれたのは麗しきアレックス嬢。
「今朝、襲撃してきた暴漢の中に1人逃げた奴がいて……」
「ああその件については父親として感謝してもしきれない! アラモス殿がいてくれてよかった! 娘に何かあったら私はもう……!」
アリー氏が何か言っていたが適当に流していると、アレックス嬢が「そうでしたね」と淡白に答える。
「そいつを探してみたんですが、見つかりませんでした」
アリー氏がうむむと唸って言う。
「今朝捕らえた者ども、今頃衛兵本部で尋問されている。逃げた者の居場所を吐くのも時間の問題だろう」
「聞いた話によると、アリーさんがアンダードッグ区を更地にしようとしているため恨みをかっているとか?」
「よくご存知ですな」
「知人とばったり会ったもので」
「たしかにアンダードッグ区の者たちは私を嫌っているようですが、だからと言って娘を狙うなど許せん!」
アレックス嬢をチラリと見てみると、彼女は黙々とスープを口に運んでいる。
「自分が気にくわないことがあると暴れればいいと思っている。しかも正面切っては恐ろしいからと、か弱い女子供ばかり狙う! そんなことだから負け犬なのだ! そんなことだからカーストを下げられ、上がることもできないでいるのだ!」
夫人がアリー氏をたしなめた。お客様の前で興奮しないで、と。夫人はこうも言った。
「それにあなた。カーストなんて若者言葉はおよしなさいな」
「……カースト?」
俺の呟きに夫人が向き直る。
「ええ。オルタネティカの序列階級のことを、最近市井の若い方たちはそう呼ぶのですって。この頃は何でも新しい言葉がつけられるものだから、わたくしついていけませんわ」
夫人はアレックス嬢の方にも顔を向けたが、娘の方は横目で少し見ただけでスープに集中している。
俺は尋ねた。
「それは誰が最初に言い始めたんでしょう?」
「さあ、そこまでは……若者文化だそうですから。アレックス、あなた知っていて?」
「……それはシビリアン区で流行っている言葉だと思います。私はノーブレス区からあまり出ませんし……フリー地区の大聖堂や研究院へはいきますが、シビリアンと話す機会はありませんし……」
夫人は俺へ向き直り、どうしてそれが気になるのか尋ねてきた。
「いえ、ちょっと気になっただけです。しかし、いったいどうしてまたアンダードッグ区の住人を立ちのかせようとしているのか訊いても?」
「うむ」アリー氏が言った。「人口が増加しているのですよ。とにかく方々から流入してくる。それで経済の助けになればいいのですがね。たいていは仕事をせず、ただ帝都の経済力にブラ下がろうとするだけ。そういうものたちがいつの間にやら旧市街にたむろし、そこがアンダードッグ区と呼ばれるようになったのです」
俺は言った。
「帝都には仕事がないんですか? 人がたくさんいるだなんて羨ましく聞こえる」
「そこですよ」
アリー氏は頷き、夫人が答えた。
「今帝都では、合成魔獣を労働力として使おうという試みがあるんですのよ。その製造場としてアンダードッグ区が選ばれたのですわ」
合成魔獣……この異世界で死ぬほど見かけた召喚獣か。
俺は言った。
「合成魔獣は耐久性が低く、製造にもコストがかかるので他国ではあまり有用ではないと考えられているそうですが……」
「よくご存知で。しかしオルタネティカの経済力をもってすれば、コストはさほどの問題ではない、思い切ってやってみるべきだと、皇太子殿下が御発案あそばされて」
ヤマト。
そういう名の皇太子。なかなかイノベーションにあふれた人物らしい。少子高齢化だというのに機械化はおろか電子メールでのやり取りすらためらう我が大和国の企業にもぜひ欲しい人材だ。
「指揮を執っているのはわたくしたちアリー家ですのよ」
「しかもですなアラモス殿。魔族軍との戦いも迫っている昨今、無軌道なアンダードッグ区に問題でも起こされては面倒です。だからして、この際帝都の外に追い出してしまおうというわけですな」
なるほど。それで嫌われているわけだ。
アレックス嬢を見てみると、スープを飲み終えてナプキンで口をぬぐっていた。
食事のあと、我々は本邸のトイレを借りた。
召使い用のトイレで、高級ホテルの共用便所のようなハイレベルなものだった。
しかも何と水洗だ。壁側際の床に石造りの溝があり、用を足すためにそこに立った時対面する壁に金属製のレバーがあって、それを引くと溝に水が流れる仕組みだった。
小便用の溝はちょうど3人分の間仕切りがある。高さはパンジャンドラムの頭より低い程度。
俺たちはそれぞれそこに立って連れションを決め込んだ。トイレ奥である左にウォッチタワー。真ん中が俺。右がパンジャンドラム。
背後でディフォルメ解除したラリアが待っているのが妙に気まずかった。
「シビリアン区に転生者がいるようだ」
「なに⁉︎」
「ロス君ち◯こデカッ!」
「アリー氏が言っていたろう。カースト制だ」
「なんか流行り言葉っつってたな」
「カーストって、インドの? でも階級なんてどこにだってあるでしょ」
「カーストはポルトガル語だ。血統、という意味の。インドの階級の名称はヴァルナとジャーティと呼ばれていて、カーストというのは植民地時代白人がヴァルナとジャーティじゃ面倒だからと勝手に名付けた名称だ」
「ロス君物知りだね」
「ありがとう。カーストは生まれながらの階級で変動はできないが、この国は違う。しかも血統主義でもない」
「だがよ、それでもカーストっつーことは……」
「地球の言葉を知ってる奴が……?」
俺はペニスをぶるんと振って残尿をパージして、言った。
「シビリアン区で怪しい奴を見つけた」




