第184話 クーコさんとのお食事
俺とラリアはいつの間にかアンダードッグ区に足を踏み入れていたようだった。
ホッグス少佐は俺たちに道案内をかって出てくれて、アンダードッグ区近く、シビリアン区の端まで移動した。
そして通り沿いにあるオープンカフェの席に着き、昼食を摂ることにした。
「何をしていたんだろう? 君はあんなところで」
俺がそう尋ねた時、ホッグスはフォークに刺さった鳩肉のステーキの切れを口に運ぼうとしていた。それを1度皿に置くと言った。
「こちらのセリフである。たしか聞いたところによると、上級貴族のアリー様のお屋敷に滞在が決まっていたのではないのか」
「まあね。本当はさっきまで魔女研究院にいたんだ。神殿にもいって……」
そこからまた、オーク族のオババ氏から聞いた世界の終わりについての話をするハメになった。
ホッグスは驚いていたようだったが、俺は言った。
「俺の質問が先だったろう。何していたんだ」
「あー……その。引っ越し……の手続き」
「引っ越し? あの町に越すのか」
「逆である。最近まであそこに住んでいたのである」
母がだが、とホッグスは言った。
彼女は食事を摂りながら、アンダードッグ区に生家があると話した。
「子供の頃たくさん勉強して、寄宿制の学校へ入ることができてな。それからずっとシビリアン区に住んでいた」
「それで時々ああやって、実家のお母上に会いにいっていたということか」
「母とはあまり会わなかった」
ホッグスは鳩肉を口に入れ、視線を皿に向けたまましばらくモグモグやっていたが、飲み込んで言った。
「気が合わなくてな」
「重い話か?」
「そうでもない。母は私に勉強などやめろと言っただけである。容姿がいいから貴族の愛人になって楽をさせてくれと、そんな話をしつこくされていただけである」
そしてまた鳩肉をナイフで切り始めた。
長いまつ毛だと思った。
オープンカフェのテーブルにはパラソルがあって、昼の日差しが作った影は俺たちを包んでいる。
だがそれでもホッグスの髪はわずかな光を捕まえて輝いていた。
ガスンバにいた時は軍服だったせいか怜悧な美しさを感じていたが、今の女性らしい服を着たホッグスは、軍人としての厳しさを柔らかさで隠していた。
「アンダードッグ区を抜け出すにはそれしかないと母は私に常々言っていたよ」
「だが幻想だった?」
「うむ。勝ったよ。人生にな」
「じゃあ引っ越しというのは……」
「あー……母は体が弱っていてな。養療院に入れてもらえることになったのである」
ホッグスが言うには、帝国には病気を患った者を収容し、穏やかな生活をさせるための院があるそうだ。
食べながら話を聞いていると、それは地球の病院とも違うようなものに聞こえた。どうも老人ホームに似たような施設のようだった。
「本来なら相当お金がないと入れない……入られない」
「君の好きなように喋れよ」
「入られないのであるが……ガスンバでの功績を認められ、特別に入れてもらえた」
「功績? ジェミナイト鉱脈の話は上手くいかなかったように思うが……」
「ツェモイ団長が手柄をくれた。魔女の遺物のいくつか……ライトニング棒の何本かを持ち帰った功績である」
というわけで、大家(借家住まいだったらしい)に退去の挨拶をして帰ろうとしていたところ、ロス・アラモスに体当たりされて尻餅をついたのだそうだ。
「貴君の方こそどうしたというのであるか? 人を探していると言っとったが」
「……それなんだが。君はアリー家の息女、アレックスという女性を知っているだろうか」
「?」
俺は研究院へいった際の、襲撃の件について話した。
襲撃者は明らかにアレックス嬢を狙っていて、そこに茶色いフードを着た男が乱入して彼女を救った。クロスボウを持った暴漢がいたが、逃げたそいつをフードの男が追っていった。俺はその2人を探していた。そういうことをだ。
ホッグスはそれを、眉根を寄せて聞いていたが、
「アレックス様はご無事なのか?」
「ああ。今頃ウォッチタワーとツェモイと一緒に大聖堂裏の神殿にいるだろう」
「むう……で、貴君はクロスボウの奴を探しに出たと……」
「アレックスさんとは、どういう人物なんだろう?」
「うん?」
「彼女は襲撃者にだいぶ恨まれているようだった。仲間の苦しみを思い知れとか何とか言われていたよ。おまけにクロスボウの矢には毒が塗ってあった。只事じゃない憎まれように思えるが」
休暇中の女性軍人の、ナイフとフォークを動かす手は止まっていた。険しい顔で皿を睨んでいたが……やがて、俺の後ろの方へ視線を移した。
振り返ってみたが、ただ道があるだけ。アンダードッグ区の方向だ。
向き直った時ホッグスは言った。
「……アリー家は……アンダードッグ区を潰そうとしているからな」
呟くような声だった。
「潰す?」
「区画整理だそうだ。立ち退きを命じられた地元の住民は反対しとるが」
「補償があるんだろう?」
「アンダードッグ区の住民は、みんな帝都の外に追い出される予定である」
先ほどの。壁にもたれた猿男のことがふと頭に浮かんだ。
「そのため不満が増大していてな。住民の中には過激な手段に訴えて阻止しようと考えている者もいると聞く。区画整理を皇帝陛下に奏上なさったのがアリー家の御当主。それで恨みをかっておられる」
「それでか弱い女性を狙って憂さ晴らししようというわけか? 建設的なことだ」
「貴君はとても紳士なのであるな」
ホッグスはナイフで鳩肉を転がしながら笑った。
あまり美しくはないタイプの微笑みで。
「……アレックス様は以前、公の場で発言されたことがあるのだ。アンダードッグ区は汚い獣人が多く、退廃している。帝都の偉大さを損なう、と」
アレックス嬢の姿を思い浮かべてみた。どこか淡白というか、奇妙な鈍感さを持った少女という印象がある。
今俺の目の前で、食べるでもなく肉を転がし続けるホッグスは、本来狐の獣人だ。それもアンダードッグ区生まれの。
俺の視線に気づいたのか彼女は上目遣いにこちらを見る。
「帝国軍人たる私が貴族に何か私情を抱いていると思っとるのか?」
「食べないのか、それ」
言われてから気づいたのだろうか、ホッグスははたと皿を見ると、肉の切れをフォークで突き刺し口に入れた。
鳩肉を食うホッグス。
そう言えばホッグスはクーコというファーストネームだったか。食う子。俺は何を考えているんだろうな。
ふと、思い出すことがあった。
「そう言えば少佐」
「むしゃむしゃ。何であるか」
「ちゃんとした名を呼び合う間柄とは何だろう?」
「ぬぁん?」
俺は魔女研究院での、カダスとかいう貴族の若者との小競り合いについて話した。
その時のカダスは自分の名の呼ばれ方が気に食わないようなそぶりだったこと。
そして、ツェモイ団長のこと。
「彼女の名前、エレオノーラじゃなかったか?」
「そうである」
「だが研究院ではエレンと名乗っていた」
「……ああ、諱か」
「諱?」
「うむ。貴族の間では、相手の本名で呼ぶことは無礼にあたる。だから呼び合うためのもうひとつの名があるのだ。まあたいていは省略したものが多いそうだが。そのカダス様という貴族のお方を私は知らんが、本名はカダスではないであろうな」
「君にも秘密の名前があるのか?」
「貴族の風習だと言ったろう。私の名前はひとつだけ」
諱……。
日本の平安時代にもそんな風習があったような。
もとは中国から入ってきたものだが、古代では洋の東西を問わず共通した文化だったそうだから、異世界にそんなものがあっても不思議じゃないかも知れない。
だが俺はガスンバで初めてツェモイ団長に会った時のことを思い出してみる。
「団長は最初からエレオノーラと名乗っていたような……」
「面倒だったのではないのか? もしくは……」
ホッグスはやや声をひそめ、
「……あの時のあのバカ、すでにヌルチートに取り憑かれていたのである。貴君が言うにはあのヤモリ、人の理性を失わせる力があるそうではないか。そもそも私もあの合同任務で初対面した時、エレオノーラと名乗られた。気が緩んどったのではないか?」
「貴族は本名を隠すのが不満だと?」
「真の名は家族であるとか、親しい間柄でしか呼び合わない決まりである。私にはよくわからん世界であるが……ある意味ずっと他人との壁を作り続ける人生なのかも知れんぞ?」
ホッグスは顔は皿に向けていたが、そこから上目遣いに俺を見た。
「……貴君にも覚えがあろうが。私は貴君の真の名を聞いたことがない」
そして視線を皿に落とした。
俺は貴族ではないと言おうとした。彼女に言っても伝わらないだろうが、武家だったというわけですらない。
だがそう言う前に気がついた。
ホッグスは俺の前世の名のことを言っているのだ。
「……ネックレスは気軽にくれるのになぁ……」
そう呟いた彼女はまた肉をほおばり咀嚼する。
「……ではアレックス嬢も……」
俺がそう言おうとした時、ホッグスが俺の背後の方へ視線を向けた。
やや大きく目を見開いたので、何かと思い俺がそちらを振り向こうとすると……。
それより早く後ろから現れた男が、俺とホッグスの間(今さらだがラリアの対面だ)の席に、ドッカと座った。
「よお。あんたさっき会ったな」
黒髪の男はテーブルに肘をついて、俺を見てそう言った。
茶色フードのパン男だった。
「すごい腕前だったな。クロスボウの矢をつまんで止めるなんて。いや危なかったよなぁあのお嬢様」
パン男は近くを通りかかったウェイトレスに声をかけると、ハンバーガー(そう聞こえた)を注文。それから俺とホッグスの顔を見比べて言った。
「ひょっとして……デート中? 俺、まずいタイミングできちゃいました?」
「なっ、デ、デートなど……!」
「……いいや。ちょうどこちらも君を探していたところだった」
少しだけ、目だけを動かして男の周囲を見回してみる。1人だった。
「捕まえられたのか? クロスボウを持っていた奴」
「いやぁ逃げられた」
男はテーブルに肘をついたまま、何かニヤニヤして俺とホッグスの顔を見比べていたが、
「俺はシン。シン・ノースキーだ。よかったら名前教えてくれる?」
俺の方を見てそう言った。
「……ロス。ロス・アラモス」
ホッグスはオープンカフェの店の方を眺めたまま名乗らなかった。許可も得ずにいきなり席に座り込んできた、ノースキーと名乗った男の無遠慮さが気にくわないのだろうか。ノースキーの方では特段ホッグスに名乗られるのを待つでもなく、
「あんたこの辺の人じゃないな。どっからきたんだ?」
「そんなこと訊いてどうするんだろう?」
「いや……さっき貴族のお嬢様と一緒にいたからさ。でも貴族って格好じゃない。凄い腕前。冒険者か?」
「そうだ」
「冒険者がどうしてあの人と……」
ホッグスがぼそりと言った。
「アリー家の客人」
ノースキーは目を見開いてからホッグスを振り返り、また同じ目つきのまま俺を見た。
ホッグスは暗に、上流貴族の客人である人物の食事の席に踊り込んできた、おそらく貴族ではないノースキーを牽制しようとしているのだろうか。
「ふぅーん……ボディガードかな」
ノースキーは店の奥へ目をやった。
立ち去る気配はない。まあそうだろう。まだ注文したバーガーがきていない。
「君の方こそたいした腕前だ。かなりの修練を積んだものとみえる」
精悍な雰囲気の横顔を眺めてそう言ってみた。
転生者という疑惑をかけていた男。
まさか探している最中に向こうからきてくれるとは思ってもみなかった。
ウェイトレスが戻ってきて、ノースキーにハンバーガーを手渡す。日本の過剰サービスと違い特にへりくだった態度でもなく無造作に渡したが、ウェイトレスは彼ににっこりと微笑んでから店内へ戻っていく。
「……ああ。ちょっとした幸運に恵まれてね」
ノースキーはそう言ってからバーガーにかぶりついた。




