第175話 帝都ネクスカ
本屋で購入したのは『やさしいチレムソー語』という、文字の読み書きの本だった。
本屋があるというだけでもオルタネティカ帝国の識字率の高さをうかがわせるが、子供向けの本まであるとはいき届いている。
教会へ戻る途中でも、様々な肌の色をした人々が歩いているのが散見された。
移民が多いらしい。であれば、そういった言語の教科書が外国人向けに売られているとしても不思議ではないかも知れない。
教会へ戻り、来客用の部屋でパンジャンドラムとウォッチタワーに進捗を訊いてみると、2人とも首を横に振った。
昨晩捕らえた魔族軍のリーダーに、転生者がいないか知るための尋問の、進捗だ。
ウォッチタワーが逆エビ固めやら卍固めやらで散々拷問したのだが、転生者などというものは知らないと言い張ったそうだ。
パンジャンドラムが言うには、人間風情が優越種たる魔族に転生などできるわけがなかろうとイキっていたので、さらなるサブミッション地獄を味あわせたのだが、やはり考えを変えなかったということ。
「ほんとに知らないみたいだったよ」
来客用の部屋の中、椅子の背もたれにもたれかかり、椅子の前側の脚を浮かせてパンジャンドラムはそう締めくくった。
「あの特撮ヒーローみたいな男、今後どうなるか聞いたか?」
「えっとねえ」
「……帝都に送られるって話だったぜ。そこで、海峡にいる魔族軍の情報を聞き出すんだってよ」
そう答えたウォッチタワーは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「どうしたんだろう?」
「……ツェモイが尋問するって聞いた」
吐き捨てるように彼は言った。
ツェモイ。エレオノーラ・ツェモイ。
以前ガスンバでウォッチタワーを捕らえ、性的な拷問を加えていたという、女騎士団の団長だ。彼女はその際、逃げられないようウォッチタワーのアキレス腱を切断までした。
特撮ヒーロー魔人は脱糞したのみならず、さらなる辛苦がその未来に待ち受けているらしかった。
「それでさ。衛兵の人がきてさ、頼まれたことがあってさ」
パンジャンドラムの方を振り向くと、
「あいつを帝都まで移送することになったんだけど……オレらに護衛について欲しいってさ」
彼はそう言った。
衛兵の責任者に会って話を聞いてみると、帝都までは馬車で向かうが、日の出から出発しても到着は夜遅くになるそうだった。だから出立は明日の朝になるだろうとのこと。
俺たちは宿にしている領主の屋敷に戻り、帝国にいるという転生者をどのようにして見つけるか話し合った。
だが結局雲を掴むような話だという結論にたどり着いた。何せ帝国は広大な領土。広大な領土を持つから帝国と名乗っているのだ。その中からたった1人だけの特定の人物を探し出すなど、不可能のように思われた。
結局、帝都にいるホッグスやツェモイにわけを話して、協力してもらうしかないということで話はまとまった。
次の日の早朝、俺たちは衛兵本部へ出向いた。
本部の建物の前には、5台の馬車が1列に並んでいた。
ずいぶんとものものしかった。
馬車の周囲には騎乗した鎧の兵士が20人はいた。
みんな、頭頂部にトゲが1本ついた金属製の兜をかぶっていた。
馬車の中で目を引くのは、真ん中にある大きな物だ。人が乗る車ではなく、荷台のよう。だが人が乗るための車と同程度の大きさの、白い壺が乗せられて、鎖でぐるぐる巻きにされている。
衛兵の本部長と、護衛の隊長と名乗る者が、俺たちに挨拶にやってきた。今日は一日よろしくお願いしますとかそんなようなことを喋っていた。
俺は壺を見ながら尋ねた。
「あれは何だろう?」
「魔族の捕虜を閉じ込めてあります。結界ですよ。アレを帝都まで移送するのが我々の任務です」
壺には窓もない。たぶんトイレもないだろう。トイレ休憩の際にも蓋が開けられることはないはずだ。ずいぶんと非人道的な捕虜の扱いだった。ただでさえ肛門のゆるい男だったのにかわいそうに。
そんなことを考えているとだ。
隊列の、先頭から2台目の馬車に、チレムソー教会の法衣を着た男に手を引かれ乗り込もうとしている女がいた。
シスタ・イノシャだった。
彼女も帝都へ向かうのだろうか。俺が眺めていると、護衛隊長が言った。
「今回の任務は、あの方の移動を護衛することも含まれているんですぞ」
「重要人物なのか?」
「左様。イノシャ様はオルタネティカ帝国……いや、チレムソー教圏の各地を巡り、病に侵された者を癒し、貧しき者に施しをし、チレムソーの教えを説かれておるのです」
護衛隊長は馬車に乗り込もうとしているイノシャを眩しそうに見ていた。
「貴殿は外国人とのことで、あまり知らぬかも知れませぬが、我が帝国は身分や階級により受けられる恩恵が違います」
「知っている……獣人が一番下なんだろう? 知人が嘆いていた」
「いえ、一番下は無生産の者ですぞ。そこに獣人とヒューマンの差はありませぬ。ともかく、低い階級のものは収入も低く、なかなか病の治療など受けられぬもので」
そんな貧しき負け犬たちから優先して、シスタ・イノシャは施しをして回っているのだと護衛隊長は話した。
「それだけではないんですぞ。あのお方の愛は獣人にも平等に注がれておるんですぞ。イノシャ様は、悪辣な奴隷商人にかどわかされてカシアノーラ大陸に連れてこられた、獣人の奴隷を故郷へ帰す活動もしておられるんですぞ」
俺は護衛隊長の顔を眺めた。明治時代の軍人のような髭面。それから左腕のラリアの顔を見る。
また隊長の顔を見て、尋ねた。
「リベレイトエンジェルか?」
「よくご存知で。チレムソー教圏で広く活動している団体ですな。発案者であり、中心となって運営しているのが、あのお方なのですぞ」
そして隊長は、再びシスタ・イノシャ……馬車のタラップに足をかけたが滑ってしまいズッコケかけた彼女を眩しそうに見ながら言った。
「それが、ジェイデル・イノシャ様。人はみな、慈愛の聖女とお呼びしているんですぞ」
なるほど。
馬車に乗りこともうとしているジェイデル・イノシャ氏の白いローブ、そこに浮き上がった臀部の丸みを微笑ましく見守っている隊長もまた、彼女のファンなのだろう。
見ればたしかにシスタ・イノシャが乗り込もうとしている馬車は、装飾の凝った豪奢なものだった。
VIPなのだろう。
ロス・アラモスの印象では、たどたどしい喋り方の陰気な女、という感じだったが。
「ロス殿とお仲間の方には、先頭の馬車に乗ってもらいたいのですが」
護衛隊長がそう言った。
俺はパンジャンドラムとウォッチタワーを振り返った。
2人は首を横に振っている。
俺は隊長へ言った。
「自前の乗り物がある。ついていくよ」
帝都までの道中、特に何かが起こるということはなかった。
強いて問題を上げれば、馬車隊の馬がトボトボと歩くのに合わせ、こちらのバギーのスピードも著しく落として走らせなければならなかったこと。
運転座席で尻が痛くなったことだ。
馬を休ませたり、昼食の休憩も挟まれたので、ついでにパンジャンドラムたちにMT車の運転を教えた。実地訓練になったが、ゆっくりとした速度で、交通量の少ない街道に沿って走るだけなので、彼らもすぐに慣れたのは幸いだった。
彼らが助手席で見てなくても運転できるようになったのち、俺はキャンピングカーでラリアに字を教えようとした。
キャンピングカーの壁際に据え付けられたテーブルを使ってだ。だが机に乗せた本を読もうと下を向いていたためか、ラリアが酔って吐いたのですぐやめた。《ザ・サバイバー》で加工した干し肉を食べさせたら酔いはすぐに治りはしたが。
そうやって、いくつかの小さな町や村を通りすぎたり、何もない平原が夕焼けに染まっていくところを眺めたりし、やがてその夕日も地平線に姿を消し、暗闇を松明とランプで照らしながら、結局俺が運転する番が巡ってきた時。
遠くに大きな街が見えてきた。
どこまでも続くかに見える城郭の壁。
中は街の灯が煌々と燃えているのか、輝いて見えた。
街の中央だろう場所からは、巨大な城がそびえ立っているのも見える。
いよいよたどり着いた。
あれがオルタネティカ帝国の首都。
名を、ネクスカと言うらしい。
「きれいですね」
助手席のラリアが感嘆の声を上げていた。
俺は荒野から見た夜のラスベガスを連想させる街の明かりを見据えつつ、自分の左の尻を揉みながら言った。
「マッサージ店があるといいんだが」




